それが人の為だなんて [偽] - 前編 -

 鮮明な冥界の匂いが、まだ鼻先にこびり付いていて僕は顔を顰める。地上から巻き上がってくる硫黄の匂いとどちらがマシかと問われれば、僕は苦手でも硫黄って答えるかな。お湯なら良いけど、硫黄の成分は肌に合わないみたいで苦手なんだよね。
 僕らはモンセロ温泉郷の最奥を目指して、メルサンディ村から飛竜で南下していた。ギルるんと銀色のドラゴンキッズから飛竜に変化したダズダズに、それぞれ乗ってレンダーシアの空を舞う。
 モンセロ温泉郷の奥は定期的に冒険者達が挑む、有名な未踏の地だ。
 硫黄の匂いと煙の果てに聳える活火山を多くの冒険者が目指そうとしたが、深い霧に迷い、いつの間にかモンセロに戻ってきてしまう。それでも霧の隙間を縫って大山の麓に辿り着いた冒険者達は、入り組んだ断崖絶壁に引き返し、登った者は滑落して死んでいった。生きて戻ってきた者達は口を揃えて言う。その崖いっぱいに、不思議な紋様がびっしりと刻まれていたのだ…と。
 レディ曰く、その未踏の地に竜族が隠れ住んでいるんだって。
 どうしてレディが知っているかはともかく、ダズダズが竜族の隠れ里に行きたいと希望したんだ。
 アンテロという誘拐犯はオーグリード大陸を離れ、レンダーシアに戻ってきてるんだって。恐らく、ナドラガンドに確保した『神の器』を引き渡すんだろうって、ガノさんが言うんだ。全員揃うまで粘って帰れば面倒じゃないのにって思うけど、ルアム君のお兄さんと『神の器』奪い合う状況では手元に確保したものを確実に安全な場所に移動させたいんじゃないかって話。ナドラガンドには、アンテロの背後に存在する組織が存在するんだろう。エンジュちゃんが言うには、『神の器』を拐う為に入念に準備し執念深い年月を維持できる、大きな力のある組織じゃないかってさ。
 なんだか、大事になってきちゃったな。
 ヒュー君が殺された可能性も考えて、結構長い間冥界に留まってたけど会わなかった。きっとヒュー君は生きているし、生きているなら『神の器』でアンテロの手の中なんだろうって思うんだ。
 ヒュー君の仏頂面が思い浮かんだ。あのツンと高い鼻の下に、真一文字に惹き結んだ唇。潮風に痛んだ金髪の下から覗く不機嫌ですって訴える瞳が、本当にムカつくよね!
 お互いに仲が良い訳でもない腐れ縁な幼馴染。でも影武者の仕事をお願いしたのは僕なんだし、助けに行こうかなって思ってる。
 ルアっちは拐われた友達を取り返すんだって息巻いてる。ピペりんは『私は、アンを助ける為ならどこへだって行きます!』って、デカデカと書いたスケッチブックを皆の顔に押し付けるんだ。お兄さんが誘拐犯であるのには理由があるんじゃないかって、ルアム君も引く気はない。
 ナドラガンドへ行こうって僕らの決意に、ダズダズは頷いた。
『俺も寒さを克服出来たから、ナドラガンドに戻らなくちゃなんねぇ。一緒に行こう。でも、アストルティアを去る前に、一つ知っておきてぇことがあるんだ』
 ダズダズは僕らを見回して、ぽつりと訊ねた。
『なぁ。ナドラガンドに戻れなかった竜族がどうなってんのか、誰か、知らねぇ?』
 僕達は顔を見合わせた。
 なにせ、竜族は伝説の存在だ。女神ルティアナの長子ナドラガが守護した竜族は、アストルティアの空に浮かぶ大陸に暮らしていた。そう文献に書かれてそれっきりの存在が、厄災によってアストルティアから切り離され、大魔王と勇者の戦いで再び繋がったと続くのが、つい最近のこと。
 元々アストルティアの頭上にあった浮遊大陸ナドラガンド。厄災で切り離される前は、竜族も普通にアストルティアの民と交流していたはずだ。アストルティアに竜族がいるって可能性は、十分考えられる。逆にアストルティアの民がナドラガンドにいた可能性もあるけど、厄災の過酷さに竜族しか生き残れなかったとしたら、それはそれで震えちゃうけどね。
 『戻れなかった』か。
 僕は妙な引っ掛かりを感じながら、ダズダズの言葉を反芻した。普通は降り掛かった厄災から『逃げ延びた』とか、切り離される前に『避難できた』とか言いそうだけどなぁ。
 誰も知らないと首を振った中で、レディだけが『知ってるよ』と答えたのだ。
『この『煙霧の峡谷』のどこかに、竜族の隠れ里があるよ』
 モンセロ温泉郷の奥の大火山。命の気配のしない濃い灰色の大地から、真っ白い蒸気が吹き出し、時折赤い溶岩が吹き出す。今も地の底から湧き上がる鳴動を響かせる活火山をぐるりと回り込むと、深い煙霧に浸された峡谷が現れた。海風と大火山の熱によって空中に溢れた水蒸気が冷やされて雨になって落ちる谷は、霧に浸された深い森が見えるばかりだ。こんな所に隠れ里があるんだろうか?
 僕らが眼下に目を凝らす中、ダズダズが鼻を鳴らす。
「幻竜草を媒介にした、視覚を乱す幻術の気配がする。生活音を辿って場所は特定できそうだ。ギルに俺の後を追いかけさせろ」
 すごいな。こんな距離から隠れ里の生活音が辿れるのか。思わず唸る。
 気流の流れる轟音は右へ左へ突き抜け、それに逆らうように飛竜の翼が羽ばたく音がする。峡谷の豊かな自然の音が湧き上がり、獣達の声が時折突き上げるように響く。ウェディとして耳には自信がある方だけど、こんな雑多な音で満たされた場所から特定の音を拾い上げるなんて不可能だ。ダズダズ、凄いなぁ。
 「視界が悪すぎて見失ってしまいそうですわ。何か紐で繋いだ方が良いかしら?」エンジュちゃんの言葉を、ガノさんが「繋いだ紐が絡んでしまいおったら、お互い墜落してしまうぞい」と否定する。「どう する?」見回したラッチーの視線の先で、ピペりんが首を振った。はいはーい! と手を上げたのはルアっちだ。「僕と兄さんは互いの位置がわかる。丁度分かれて乗ってるし、僕が誘導します」ルアム君が手を振った。
 ルアム君がよろしくね、とギルるんの首筋を撫でる。ダズダズを追ってギルるんも真っ白い煙霧に突入した。全く先の見えない真っ白い世界を、右へ左へと飛んでいく。峡谷は複雑に入り組んでいて、まるで目隠しして迷路を進まされているようだ。恐ろしく長く感じたが、空を滑空する飛竜の速度では一瞬の出来事だった。
 白を抜ける。
 開けた視界に僕達は驚きの声を上げたんだ。
 卵の内側の形に磨かれた崖の内側に、吊り橋で繋いだ小さな集落が姿を表した。微かに硫黄の香りのする小さい滝が集落の合間を伝って流れ、切り立つ崖の上にはささやかな畑や大事に維持されてきただろう家が建つ。それらを濃厚な霧が育てた木々や蔦が覆い尽くすように迫り、崖の内側に刻まれた紋様が集落を飲み込むように包み込んでいる。中央には巨大な香炉のような形の建物が立ち、何かが焚かれているのか煙が棚引いている。その匂いがとても物悲しさを掻き立てて、蛍のように光る虫達が草花と煙の間を渡っていく。
 集落の開けた場所に降り立った僕達は、周囲を見回した。
 誰もいない。でも、住人だろう息遣いは確かに感じられた。窓から人影がこちらを伺うけど、一向に扉が開く気配はない。どうするべきか、顔を見合わす僕らの前でダズダズが竜族の姿に戻った。
「病気の匂い、老いた者の匂いで満ちてる」
「疫病の類ですの?」
 いや、そういう感じじゃねぇなぁ。真っ青な顔のエンジュちゃんの言葉を否定する通り、確かにそういう感じではない。煙に僅かに混じった冥界の匂いは、寿命を迎えようとしている者達が引き寄せているものだ。
 村の端に見える家が朽ちて緑に呑まれようとしているのが、集落の未来と重なる。
 きぃ。蝶番が軋む音が聞こえて、ダズダズと僕は弾かれるように視線を向ける。
 集落で最も奥まった場所に建っていた家の扉が、開いたんだ。家の中の闇から抜け出たのは、背の高い白髪の男性だ。光沢のあるベージュの鱗が皮膚のように覆い、ダズダズと同じ黒い2本の角を生やしている。整っておらずややボサボサな髭を蓄えた口元が驚きに開かれ、金色の瞳がこちらを見て見開かれた。
「ダズ兄! 竜族のおじちゃんだぞ! 行こう!」
 ルアっちが手を引っ張るものだから、背の高いダズダズは前のめりに倒れそうになりながら続く。僕らも二人の後にゆっくりと続き、深々と竜族の礼を捧げるダズダズに追いつく。
「突然の訪問、無礼をお許し願いたい。私はダズニフ。ナドラガンドの炎の領界より参った者です」
 僕達もそれぞれの種族の礼や、頭を下げながら簡単な挨拶を交わす。敵意がないと伝わったのか、ダズダズが同族であるからか、近くで見ると老齢に差し掛かりそうな男性は眉尻を下げた。
「これはこれは、ご丁寧に。儂はオルゲン。この竜族の隠れ里で名ばかりの長を勤めておる」
 立ち話もなんですし、どうぞ。そう通された家は、とても温かみのある家だった。
 台所の動線は使いやすく、使い込まれて飴色になった棚や天板は美しい。糸を足して補修された敷物、日々洗われて清潔に保たれ柄が褪せた陶器、お尻の形に凹んだクッションは整えられ、整頓された居心地の良い空間。全てが丁寧に生活して生み出される、優しい美しさに満ちている。一人暮らしのようだけれど、随分とマメな性格のようだ。
 いきなり大人数で押しかけたものだから、僕もお茶を淹れるのを手伝う。不思議な香りのお茶だ。お茶が行き渡り、全員が椅子に座って落ち着くとオルゲンさんは感慨深げに僕達を見回しました。
「この隠れ里に客人がお見えになるとは…。しかもナドラガンドから同族とは…」
 いやはや。なんだか照れ臭そうにオルゲンさんは笑った。
 全く関わり合いがなかった、アストルティアの竜族。里も幻術を施してまで隠れ住んでいたと思うと、ここまで好意的に迎え入れてくれるとは思わなかった。正直、ドラクロンの長も竜族だと思えば、僕らに良い感情を持ってないと思ってたんだ。柔らかい朴訥とした雰囲気は、神の器を巡る争いとは関係なさそうだ。招かれ持て成されてるけど、どうすれば良いか分からないままに笑みを浮かべてお茶を啜る。
 オルゲン殿。そう、ダズダズが生真面目な声で切り出した。
「先ずはアストルティアに同胞が生き残っておられたことを、心から喜ばしく思います。これもナドラガ神の導き。互いに良き関係が築かれることを願い、その為に労力を惜しまないことを誓いましょう」
 凄く良い声だな。相手を想う心地よさと真摯さを合わせた、何も心配しないで任せられる声。ダズダズは目が見えない分、声に感情を乗せて伝えるのが上手だ。
 感動に声を詰まらせているオルゲンさんに、ダズダズが訊ねた。
「アストルティアにおられる竜族は、この里の者だけですか?」
「その通り。しかし、この村には若者はもうおらぬでな。遠くない年月の果てに潰えるじゃろう」
 微かに漂う冥界の匂い。新しい命は生まれず老人ばかりじゃ、先は見えている。それに竜族も他のアストルティアの種族と同じく、同族とでしか婚姻と出産が出来ないのなら、血が濃くなって弱い子供が増えていく。
 この集落が滅ぶ未来を、オルゲンさんは穏やかに受け入れているようだった。
 ダズダズは顔を上げぴすぴすと鼻を鳴らし、首を傾げた。
「若い竜族の匂いがする。貴方の血族だろう男の匂いだ」
 オルゲンさんが驚きを顔いっぱいに広げて、ダズダズの言葉に答える。
「確かに儂の孫がここで暮らしておった。数年前にナドラガンドを目指して旅立って行ったわい。この隠れ里は出身の竜族しか知り得ぬから、其方達はクロウズの知り合いかと思ったのじゃが…」
 クロウズ? 突然上がった名前に、僕達は顔を見合わせた。
 最初に出会ったのは、レンダーシアの調査団が乗ったグランドタイタス号の上。その次はルアム君の故郷で、ルアム君の幼馴染のシンイさんと旅立ってそれっきりだ。一緒に過ごした日数が少ないのもあって、僕らはクロウズさんと挨拶程度しか会話をしてなかった。
 そんなことをぼそぼそと話し合っていると、ピペちゃんがスケッチブックを翳す。
『シンイさんという方は、仲間の竜と一緒にナドラガンドへ向かわれました』
 書き込まれた言葉を覗き込み、オルゲンさんは深く息を吐いて背もたれに身を預けた。
「そうか。あの子はナドラガンドへ行けたのか…」
 意外な所で繋がり知ることのできた、シンイさんとクロウズさんのその後。それを知って安堵を噛み締めるオルゲンさんを、ダズダズが覗き込むように訊ねた。
「オルゲン殿。なぜ竜族だけで暮らしているのですか? 村の外に出た御子息も竜族であることを、簡単には明かさなかったご様子。他の種族と共に、どうして歩まないのですか?」
 女神ルティアナの子供達は、一目でその種族だとわかる特徴を備えている。長い亜麻色の髪に、すらりとした長身、クロウズさんの見た目は人間そのものだった。教える義理はなかっただろうけど、竜族であることを隠す意思がクロウズさんにはあったんだろう。
 疑問の答えを静かに待つ僕達に、オルゲンさんはゆっくりと語りました。
「我々が竜族であることを、決して悟られてはならない。この掟は代々固く守られておる。時折、変化を使って人の住処に降りはするが、他の種族と最低限の関わりしか持たぬ」
 なんでなんだろう? 確かに伝説の存在だった竜族が突然現れて、僕らは皆驚きはした。でもオルゲンさんを見る限り、この集落の竜族は温和そうだ。人里に降りて行っても騒動を起こさなかったことは、竜族の存在が伝説であることで十分に証明できた。掟に定めてまで隠れる理由が、全く分からない。
 竜族として拒絶されるのを恐れているんだろうか? それでも、こうしてダズダズと行動を共にしていると、竜族も僕達とそう変わらないって思うんだ。アストルティアの種族は見た目も性格も個性的だから、竜族も同じように受け入れられていくに違いない。心配は杞憂だと思うんだけどなぁ。
「もう、掟が定められた理由は忘れ去られておる」
 オルゲンさんは頭振った。それが、なんだか虚しさを掻き立てる。
「ナドラガンドで暮らす俺達は、どうしてこんな地獄で生きているかを知らない。ナドラガ様がいつか復活して俺達を救ってくれるんだって教えられて、耐えるように生きている。せめてアストルティアから戻れなかった者達だけは、俺達の苦しみを知らずに幸せに生きていると思っていた」
 それなのに。ダズダズは虚しさを噛み締め、祈るように組んだ手に鼻先を押し付けた。
「俺達は女神ルティアナの長子、ナドラガの子供達だ。そんな竜族がどうして、弟妹神の民から隠れて生きて行かなきゃならねぇんだ。…まるで、俺達が悪いことでもしたみてぇじゃねぇか」
 アストルティアの種族神達は、竜族を救わなかったんじゃないか。エンジュちゃんの言葉が脳裏を過ぎる。突然空に現れた少しの時間で、世界を破滅に追い込んだ厄災に耐えるナドラガンド。掟に定めてまで隠れ住むことを選んだ、アストルティアの竜族達。罰されているようだと、朧げに浮かんでいた憶測がはっきりと形作る。
 頭を抱えるダズダズの背を、ルアっちが摩った。
「ダズ兄は何もわりーことしてねーよ。気にしすぎなんじゃねーの?」
「お前達は俺を見て、初めて竜族を見たって言うじゃん。交流がなかったんだろうって、察しちゃあいたさ」
 黒く柔らかい髪の毛に手を突っ込んで項垂れる姿に、どう慰めて良いかも分からない。埋めようのない距離感が、隔てられた世界のようにダズダズと僕らの間にあった。
「アンテロが弟妹神の民に、酷い事をしている。見下して、殺すことも躊躇わず、苦しむ様に笑っていやがる。アンテロは同胞でも一際残酷な奴だ。だが、苦しめられているお前らを見ていると、俺は思うんだ。俺達はナドラガの弟妹神の民を苦しめちまうから、一緒に居ちゃあいけねぇんじゃないかって」
「そんなことはありませんわ!」
 間髪入れずにエンジュちゃんが立ち上がり、甲高い声で否定を叫んだ。
「ダズニフさん。貴方がヒメア様に敬意を示してくださったこと、世界樹を飲み込まんとした炎を鎮めてくださったこと、私達は心から感謝しているんですのよ! ご自身を責められてはなりませんわ!」
「ダズニフ。貴方が飛竜の群れに立ち向かってくれた勇敢さに、我が村の戦士達は皆感謝している。貴方が我が村を守るために立ち上がってくれなければ、死者は数えきれず、村は壊滅し、誇りが失われただろう」
 ルミラさんも立ち上がり確信に固く響く声を上げる。
「僕が殺されかけたのは、避けられるのに逃げ遅れただけですから」
 世界樹の頂でアンテロの炎に焼かれそうになったルアム君は、そう恥ずかしそうに言った。
「僕も酷い目に遭わされたけど、ダズダズは全く関係ないって分かってるよ」
 僕を冥府に突き落としたのは、白いフードの男だ。ダズダズと同郷の竜族だって後から聞いたけど、別にダズダズやナドラガンドの竜族に怒りを覚えたりしない。
 ラッチーがぶんぶんと激しく首を振って目を回したピペりんを抱きながら言う。
「ケネスも 気にするな 言った。ダズニフ 思い詰める いけない」
 ランガーオ村でアンテロの毒を吸い込んだ、アロルドというオーガの若者は予断を許さない状況が続いていると言う。同じ毒を微量でも吸い込んだ、ラッチーの師匠もようやく日常生活が出来る感じだ。『何日寝てたって、文句言われねぇんだ。最高だよ』って笑う本人より、ダズダズやラッチーやピペりんのほうがショックを受けてたっけ。
 次々に擁護する声を聞いて、ガノさんが朗らかに言う。
「ダズニフ君。お主の種族がどんなに罪深かろうと、我輩達はお主の認識を改めるつもりはないじゃろう。罪悪感を感じるなら、味見の頻度を減らして欲しいわい」
 ガノさんの提案に、僕らは笑いながら頷いた。味見はそれなりに痛いから、減って欲しいなぁ。
 僕らの励ましに弱々しくもダズダズも微笑んでくれて、雰囲気が一気に柔らかくなった。オルゲンさんが眩しそうに僕らを見回して、感慨深げに言う。
「ダズニフ殿。其方と仲間を見ておると、我々の掟はこの時代にはそぐわぬものであると痛感するわい」
 過ぎ去ったものは取り戻せない。それでも、こうして竜族とアストルティアの民が手を取り合い歩んでいるのを見ていると、振り返り悔やんでしまうのだろう。悲しみや諍いも生まれたかもしれないが、交わらなければ喜びも楽しみも生まれることはない。ただ日々を重ね滅びを待つ未来は、僕から見ても虚しく思う。
 クロウズという息子さんが旅立ったのも、この虚しさから救ってあげたかったんだろう。
「ナドラガンドとアストルティアが再び繋がり、神世の時代の続きが始まろうとしておる。儂らもナドラガンドで生きる其方達も、アストルティアの如何なる種族も、かつて何が起きておったのか知らぬ。だからこそ、今とこれからが大事であると思っておる」
 オルゲンさんがダズダズの手に触れて、そっと祈るように両手で包み込んだ。
「この停滞し衰退していく村に希望が灯り、干からびた儂の心も浮き立ってしまいよる。其方達の行く末に、儂らの想いを託させてはもらえぬじゃろうか?」
 ダズダズが驚きにうっすらと口を開いた。でも…と、もごもご言葉を濁す。
「俺は解放者としての責務を、全て果たした訳じゃない。その、託されても…」
 ひょこっとダズダズの背中を登ったルアっちが、テーブルに降り立ってダズダズとオルゲンさんの手の上にぴたーんって手を置いた。にっと自信たっぷりの輝く笑顔で、その小さい体からは信じられない大声で言う。
「なんかむずかしーこと言ってるけど、よーはダズ兄の故郷の皆やオルゲンのおじちゃん達と、オイラ達はなかよくしよーなってことだろ? お願いなんかしなくたって、なかよくしよーぜ!」
「もっと 難しい話 思ってた。仲良く 良いこと」
 ラッチーが手を伸ばして重ねると、ピペりんもテーブルに乗り上がって重ねてくる。
「もう! アストルティアとナドラガンドの未来を、託されましたのよ! そんな簡単な話にしないでくださいませ!」
 勢い良く振り下ろしたしなやかな枝のような一撃をピペりんがサッと避け、ラッチーがエンジュちゃんの一撃に身を硬らせた。
「もー。兄さんのせいで、すっかり軽いノリになっちゃったじゃん」
 ラッチーの手にちょんと触れてふっと回復呪文の光を散らすと、ルアム君の手を覆うように大きな手が被さってくる。
「まぁまぁ。自分達が力を合わせれば、出来ないことなど何もあるまい」
「そうそう。誘拐された者達を取り戻せば、全てまるっと解決じゃわい」
 楽観的な言葉と共に重ねられた手の上に、僕も重ねる。そして小さく首を傾げる。
「ねぇ。どうして手を重ねてるのさ?」
 僕の言葉に、手を重ねた誰もが顔を見合わせる。誰も、きちんとした理由がなくって、なんかノリで手を重ねちゃったんだよね。笑って誤魔化したってバレバレだからね?
 誰からともなく笑い始めると、笑い声はだんだん大きくなって全部巻き込んでくる。最初は戸惑ってたダズダズもオルゲンさんも、笑い始めたらもう止まらない。最後は皆で笑い疲れるくらい、笑って笑って笑い転げた。
 笑いながら僕も、皆も、思ってるんじゃないかな。
 なんかもう、全部上手くいきそう…って。