人の見る夢はあまりにも [儚] - 後編 -

 若き王族を狙う襲撃者。その存在は謎めいているが、それ以上に興味深いのは若き王族を狙う理由じゃ。
 もし、国の存亡を危うくさせたいなら、祭典の参加者を全員抹殺なりすれば良かった。混乱に乗じて若き王族を暗殺する難易度を簡単に下げることができよう。祭典に乗り込まず、グランドタイタスごと沈めても良かったじゃろう。しかしそうせなんだ。襲撃者の狙いはアストルティアの混乱ではない。
 ならば、王族そのものに理由があるのか?
 勇者を輩出する王族で勇者として覚醒したアンルシア姫。王家の儀式を行う一族にして、予知能力を持つラグアス王子。ウェディの王族のみ許された歌の歌い手であるオーディス王子。ラミザ王子も太陽石の制御を唯一行える一族の若者。カミハルムイのリン姫も聖域の守護者として、ガートランドは地下に巨大な邪悪を封印してると聞く故にゼラリム姫にも、何かしらの力を秘めておるのじゃろう。それぞれの種族の王族には秘められた力があり、その力ゆえに王族を担わされた歴史がある。
 それ故に、この持つ力は親も持つ。
 しかしアンルシア姫の勇者の力は、姫限定で与えられたもの。ラグアス王子は儀式を行える唯一の王族じゃが、予知能力はルアムが言うには市井の出身の母から授かった力であるそうじゃ。さらに王族の力を求めるなら、歌の修行中であるオーディス王子ではなく、歌の力が最も熟成した時期だろうディオーレ女王を狙うべきである。しかし、ディオーレ女王は狙われなかった。同じ条件の他の王族とてそうじゃ。
 まだ口にしておらん推測が形を得ようとしておる。
 今回の誘拐事件の目的は、若き王族でも王族の力でも無い。それ以外の何かが目的で、その目的に連なる共通点が偶然アンルシア姫とラグアス王子にあったのだろうということじゃ。今回連れ去られたチリちゃんが、ラミザ王子の双子の妹でなければ確定じゃろう。
 じゃが、若き王族が標的の可能性は、もう肯定できぬほどに低い。
 ヴェリナードのオーディス王子が、襲撃者の標的から外れたからじゃ。もし本当にオーディス王子が目的であるならば、影武者が偽物であることをすぐさま見抜くであろう。そうなれば襲撃者はオーディス王子を再び拐う為に、ヴェリナードを襲撃する。あの鉄壁の警備をすり抜けたルアム君の兄君が来るかもしれぬ。しかし来ないのだ。オーディス王子は標的ではなく、別にいた本来の標的を手中に収めたと考えるべきじゃ。そう断言できるのも、ヴェリナードを襲撃した白いフードの襲撃者が、こうしてドワチャッカ大陸に現れたからじゃ。ヴェリナードでの目的を達したから、次に行く。まぁ、自然な流れじゃな。
 一体、標的に選ばれる共通点とは何なのじゃろう?
 焦りが思考を急く。その謎を解き明かさねば、襲撃者を出し抜くことが出来ず痕跡を金魚の糞のように追わねばならぬ。年齢、種族、力、知りうる限りの情報を比較しても、標的として確定したアンルシア姫とラグアス王子には王族である以外何一つ共通点がない。
 想像すらつかぬ。考えても考えても、答えは深い霞の向こう側。
 我輩は思わず深まった笑みに、心の底から楽しさが込み上げてくるのを実感した。分からぬ謎、上等じゃわい! 難解であればあるほど、こちらが不利であればあるほど、燃えるのが研究者よ!
 この謎はこのガノが解き明かす! 他の誰にも、一欠片もくれてなどやらん!
 ごうごうと我輩のありとあらゆる髪を引っ張る風に逆らいながら、真後ろにいたルアム君が叫んだ。
「凄いですね! 空を飛んでる!」
 凄いじゃろう! 我輩がハンドルを持つ手を維持したまま、顔だけを背後に向けようとする。話しやすように顔を近づけてきたルアム君の、青紫の髪が我輩の白髪と混じる。日に焼けた健康的な肌色に、利発そうなぱっちりとした瞳が輝くように前を見る。
 そう、ここは空の上。岳都ガタラがへばり付く山から、カルサドラ大火山へ連なる峰の上。ドワチャッカの中央から三方へ睨みを効かす三闘神の御姿が特等席で拝める場所ぞ。
「ギルの俊敏性には遠く及ばぬが、高度の点では負けはせんぞ!」
 大きさ的には荷車と変わらぬスペースに、運転用のハンドル、転落防止の柵にそれぞれに命綱をつけてもらっておる。下はまだ小型化が進み切っておらず、寝転がったゴーレムの上半身くらいの神カラクリがエンジン音を響かせる。ドルボードの機能を拡張し、空を飛ぶという機能を持たせた実装目前段階の飛行型!院長君の堅苦しいネーミングでは反重力飛行装置じゃ。 まだ空を飛びまっすぐ進む程度ではあるが、地上に近づけば冒険者に販売予定の地上移動型と変わらぬ性能で安定感は保証済みじゃ。
 この飛行型を持ち出すのにも、きちんと理由がある。
 チリちゃんの持つ発信機の移動ルートは、線を引いたように直線で北を目指しておる。ドワチャッカ大陸は街道として整備されていない場所は、徒歩も難しい危険地帯じゃ。険しい山、荒々しい急流、補給地点のない広大な砂漠、溶岩の流れる死の大地。それらを無視して突っ切るという事は、襲撃者は地上の道を使うておらんと推測できる。
「襲撃者はダラス採掘場に向かっているようですね」
 院長君がクイックを抱えながら、投影された地図の光を眺める。ダストンも共に覗き込んでいるが、首を傾げておるようじゃ。
 ダラス採掘場か。我輩はハンドルから外した片手で顎髭を撫でる。あそこは平地に堆積している鉱物を採取する為、すり鉢状に広がる採掘現場である。山を土竜のように掘る鉱山と違い、身を隠せる場所は少ない。追手を警戒しているなら、扉を開けてすぐ見つかるような場所には身を潜めまい。
 ダラス近辺で身が隠せそうな入り組んだ遺跡…。
 我輩の記憶の中から最も条件に見合った遺跡の名は、ダラリア砂岩遺跡。もう、覚えておる者は誰もおらんじゃろう、訪れる者は我輩くらいしかいない遺跡じゃった。
 カルサドラ大火山から流れ出る溶岩の河を幾つか超え、左に広大なゴブル大砂漠の黄金が見えてきた頃に我輩は反重力飛行装置の高度を徐々に下げていく。ダラス採掘場のすり鉢状に削られた荒野のような大地と、黄金の砂漠の間を巨大な砂防ダムが縦断しておる。
 その一角に清らかな水が湧き出る泉を中心に、ドワチャッカでは滅多に見れぬ森が広がっている。濃い緑は日に透かされ宝石のように輝き、柔らかく地面を覆う草花は風に撫でられていく。鳥達の歌う声が、木の葉の擦れる音が、虫達の囁きが、水の煌めきが、この空間に満たされて一つの大きな輝きとなって訪れるものを迎える。凝縮された豊かな自然の中に開けた草地の上に、我輩は反重力飛行装置を着地させた。
 早速降り立った院長君は、その溢れんばかりの豊かさを見渡して感嘆の溜息を吐いた。
「素晴らしい。ドワチャッカ大陸全土で進む砂漠化で、絶滅が危惧される植物がこんなに…」
「ここは誰かの研究施設であったようじゃ。この森も全て計算され、生命の循環を保つための試みが至る所に残っておる。しかしこの箱庭であるから実現した環境じゃ」
 数千年昔は、ドワチャッカ大陸はウェナに負けぬ熱帯雨林地帯であった。戦争が理由か、文明の発展が理由かは知らぬが、ドワチャッカ大陸全体で急速に砂漠化が進んでしまったと、地質調査で明らかになっておる。森林の減少は今も続いており、放置すれば大陸全土が砂漠化するじゃろう。
「この研究を発展させれば、ドワチャッカ大陸の緑化も可能なのではありませんか?」
 院長君が輝く眼差しで我輩を見上げるので、我輩も肯定するように頷く。
「やってみると良かろう。しかし、簡単ではないぞ。この植物をここから出して育てたこともあったが、根付かず成長させることが出来んかった。ドワチャッカの地質に問題があるのかも知れぬ。今度、エンジュちゃんに詳しい者がおらんか訊いておこう」
 我輩はそう言って、森の一角にある廃屋に向かう。古いレンガと新しいレンガがモザイク模様に組まれた、風雨を凌ぐ程度の廃屋じゃ。蔦が巻き付き、床の石畳を押しのけて木々が成長し、隙間から雑草が生える。その廃屋の中に朽ちかけた魔神機が残っておる。周囲には我輩の持ち込んだ野営のための最低限の道具と、ちょっとした工具が転がっておる。苔むした胴体を撫で、懐かしい気持ちを堪えながら声を掛ける。
「元気かね? 8号君」
 手のひらの下からスリープモードが解除され、機械の駆動が鼓動のように感じる。
『音声識別機能、起動。ガノ様、オヒサシブリデス』
 発声もしっかりしておる。核はまだ元気なようじゃな。驚く3人に我輩は振り返る。
「我輩が若い頃に壊れておったのを直したんじゃ。もう核しか起動せんが元気じゃろう? この機体は三千年前のウルベア式魔神機でも、個人が特別に調整した機体のようなのじゃ」
『生体認識、登録者一名確認。オヒサシブリデス、ルアム様』
「…僕?」
 自身を指さし目を白黒させるルアム君を見て、我輩は声を上げて笑った。
「面白かろう? 我輩も初めてこの8号君を起動させた時、名乗ってもおらんのに『ヨウヤク オアイ デキマシタネ、ガノ様』なーんて言われたものじゃ。あの時はまだ視覚機能が生きておってな、不思議なこともあるもんじゃわいと思ったもんじゃ」
 本当に不思議な機体じゃ。確かに三千年の年月を経ても動く魔神機は存在する。しかし雨ざらしで緑の多い、こんな劣化の原因が揃った場所で機能を維持し続ける高性能さは類を見ぬ。
 我輩は8号とかつて名乗った魔神機を撫でる。
「本当に遺跡を調査しておると、不思議ばかりじゃ。ここに我輩が来ることを知っておったように、道が続いておる。調べ尽くすと、役目を終えたと言わんばかりに崩れ落ちることも少なくない」
 ワギ神のお導きか、それとも栄華の残滓が我輩に生きた証を知らせよと招いたか。この老いた体に、ドワチャッカの歴史が蓄積されていく。数多の国の栄華が、無数の国の破滅が、数えきれぬ偶然の果てに集まってきておる。その偶然をかき集める動機は、我輩のただ一つの願いの為。
「我輩は友を救う為だけに、がむしゃらに知識を求めてきた」
 今の我輩を構築する全ての始まり。見捨てて逃げ出した背に浴びせかかる、絶望と苦悶に満ちた咆哮が今も耳にこびりついておる。殺しに来るかと思うた。狂って多くの命を奪うかと思うた。それなのに、なんの音沙汰もなく、ただ友を救う手段を探す我輩の時間だけが過ぎていく。
 老いた体は、時が迫っていると嘲笑う。友の為にと一人駆けていた道に、人が現れていく。出会った縁で結ばれた仲間が、我輩を師と仰ぐ子供達が、友の姿を隠すほどに増えていく。腐れ縁の寝ぼけ賢者が、責任を果たせと言う。かき集めた偶然が必然に形を変えて、罰するように我輩の選択を限定する。
「しかし、それは許されんのじゃろうと、今は思うわい」
 一つ息を吐き、クイックに声を掛ける。一声鳴いて、発信機の場所を地面に投影すると、赤い光はすぐ近くで瞬いている。しばらく息を詰めて視線を注ぐ光は、静止して動く様子はなかった。
「動きを止めたな。行くとするか」
 我輩の声に、一同が深々と頷いた。

 ダラリア砂岩遺跡は、広大な研究と目的とした施設の成れの果て。8号君が三千年前の魔神機であることから、それ以上昔には稼働していただろう。じゃが誰もが忘れた事と、我輩ですらなかなか見つけられなかった立地と、8号君が唯一の入り口の開閉を司っていたことが遺跡の状態の良さに繋がった。驚くことに今でもいくつかの機能が稼働するのじゃ。初めて発見した時は、日々の発見に狂喜乱舞したものじゃ。
 縦に深い遺跡は防砂ダムから引き込んだ砂で発電し、遺跡全体の動力に変換する。砂防ダムから砂を引き込む機能が停止している為に、見渡す限り大小の歯車は動きを止め、中には外れてしまったものもある。吹き込んだ砂埃が渦を巻き、上へ下へと忙しなく吹き荒んで行く。
「ここから二手に分かれる。院長君、ルアム君。手筈は分かっておるね?」
 別れ道で念押しした我輩に、院長君が渋い顔をした。
「気が進みませんが、貴方という優秀な頭脳が失われる損失を考えれば仕方がないでしょう」
「2人とも、気をつけて」
 ルアム君が無事を祈るように言って、院長君とクイックを引率しながら我輩達とは別の道を進む。我輩もダストンに声をかけ、共に降る階段を降りていく。
 このダラリア砂岩遺跡は、十年ほど前の生きた砂の大氾濫で奥の壁が崩れてしまいおった。そこから容赦無く吹き込む砂塵混じりの風によって、急速に劣化が進み倒壊の危険の増した遺跡である。賊が空を飛べるなら、出入りはその開口部である可能性が最も高い。
 あの世界宿屋協会の警備部長が取り押さえられなかった手合い。実際に見てきたルアム君も、武術に秀で力があると言っておる。接近戦が出来るのが我輩のみでは、相手の手の内も分からぬなら正面切って攻めるのは無謀といえよう。チリちゃんを救い出し、速攻で退散するのが定石じゃろう。
「助けてもらうのを待っているだなんて、チリにしては随分と役立たずですね。見直しましたよ」
 お姫様が竜の王に拐われて、勇者が助けに行くなんて伝説もある。チリちゃんがドルワーム王国の姫君なら待つのもお役目じゃろう。しかし、ダストンの言う通り。チリちゃんにしては随分と大人しいのぉ。
「まぁ、そんな役立たずなチリちゃんじゃ。しっかり助けて戻ってくるんじゃぞ?」
 我輩がそう笑いかければ、ダストンも緊張からか真面目そうな顔で頷く。なんだかんだでゴミの山から拾い、何もできない赤子の無能さに惚れ込んで育て上げた情があるのじゃろう。
 そうして薄暗い建物に、光が差し込んでいるのが見える。そこを目指し飛び込めば、大きな空間と、大きく裂けた壁から真っ青なドワチャッカの空が見えた。ぶわっと押し返すような強風と、ばちばちとヘルメットに音を立てて当たる砂に混ざって、怒りに似た声が押し寄せた。
「なぜ、反応しない!」
 世界中ありとあらゆる地を巡ってきたが、聞いたことのない訛りじゃ。野太い男の腹の底から迸る声は、驚愕という感情一色に染まっていた。ガラクタ城から出てきた白い影の男は、倒れたチリちゃんの傍らに膝を突き腕を向けている。真っ白いフードの縁には見慣れぬ赤い文様が織り込まれており、伸ばされた袖口から白い蛇がチリちゃんを舐め回すように見ている。
「この女に確かに反応していた…。なぜ、急に反応しなくなったのだ!」
 賊はチリちゃんに目星をつけて狙っていたのではなく、あの蛇で標的であると確認して拐っていった。やはり、王族狙いではない。そして、賊自身に標的であることを見分ける術はない。
 にまりと笑みが浮かぶ。良いことを聞いたわい。
「チリを返すんですよ!」
 ダストンが駆け出す。その速度、ドワーフでは最速と言える俊敏さ、本当に身体能力が凄いのぉ。賊が驚いてこちらを向くと、白い袖口から覗いた蛇の白い鱗が、ぱっと真紅に色付いた。チリちゃんに向かうダストンを追うように、赤い頭が鎌首をもたげる。
 戸惑っていた賊が、一拍の間を置いて驚いた声を上げた。
「そうか! 貴様が器だったのか!」
 勢い良くダストンに伸ばされる手を、鞭で絡めとる。こちらを向いたフードの中に沈んだ顔に、我輩は笑ってみせた。
「ほうほう。其方は『器』なる者を集めて、拐かしをしておるのか。で、ダストンがその『器』なのかね。しっかり者に見えて、随分と油断が多い。圧倒的な立場で踏ん反り返り、弱者を見下す傲慢な性分が大きくなってしまっておるようじゃな」
 かっちーん、って感じじゃな。鞭で繋がった我輩達との間に、如実に賊の怒りが伝わってくる。
「下等な種族め! 死ぬが良い!」
 力にも踏ん張りにも自信があるつもりじゃが、鞭ごと引っ張られてしまいそうな剛腕。我輩が鞭を返して絡めを外すと、白い裾を懐へ差し入れ黄色い札を取り出した。黒いインクで複雑な紋様が描かれた、召喚符のようなものじゃろう。
「来い! 黄牛鬼タランダイン! 我が目的の障害を殺せ!」
 札が燃え上がり魔法陣が現れると、巨大な魔獣が現れる。黄金色の見事な毛に、頭から伸びた雄々しい二つの角。その筋肉に膨れ上がった巨躯でさえひと抱えもある黄金に輝く鉄球が、我輩に真っ直ぐに飛んでくる。我輩は賊の怒りに油を注げよと、大声で笑い声を上げる。
「こんな老ぼれの挑発に乗ってくれるとは、嬉しい限りじゃわい! イサークとルアムが見た、夥しい悪霊の群れを冥界から呼び出した仕掛けかね? ほれほれ、もっと我輩に手の内を晒すが良い!」
「生かしておかさぬ!」
 完全に我輩に対して怒り狂い、ダストンやチリちゃんから意識が離れる。そしてその隙にダストンがチリちゃんを抱えたのを見て、我輩は上に向かって声を張り上げた。
「良いぞ! 院長君!」
 頭上でイオナズンの閃光が爆ぜた。轟音を立てて遺跡を構築する夥しい歯車が、我々目掛けて落下してくる。小さいものは丸盾程度から、大きいものは城の大門くらいのものまで、歯車の上に降り積もった砂と共に決壊した土石流のようじゃ。黄金色の牛の魔獣が鉄球を振り回しいくつかを破壊したが、脆くなった遺跡の倒壊は止め度もない。ついには魔獣を押し潰し、賊も砂塵の向こうに飲み込んだ。
 ぱらぱらと小さい歯車が落ちてくる中、瓦礫となった歯車を押しのける影はない。
「先生! ちょっと危なかったですよ!」
 遠巻きからこちらに向かってくるダストンに、我輩はひらりと手を振った。
「いやー、すまんかった。賊を倒す有効な一撃に当たるだなんて、ダストンはせんじゃろうと思うてな。お主には後で、賞味期限の切れたガタラ豚まんを投げつけてやるでな?」
「賞味期限の切れたガタラ豚まん! 全力で当たりにいきたいです!」
 うむうむ。愛いのぉ。我輩も思わず何も教える気がないのに弟子にしちゃうだけはあるし、何も教えないから弟子になっちゃうだけあるわい。そのまま背負われたチリちゃんを覗き込む。怪我もないし、呼吸も安定しておるな。何気なくお尻を触ろうとして、抓ってくる手も愛おしいわい。
 大きく瓦礫が崩れる音と共に、まさに閃光と言わんばかりの速度で白いフードが踏み込む。
「残念! ダストンが標的であると分かれば、其方の行動は想定の範囲内じゃわい!」
 イサーク君を昏睡にまで追いやった賊が、そう簡単にくたばっては困るからのぉ! 美味しい物は取りやすい場所にあると、取りに行きたいじゃろう? ドワーフの器用な指先は、我輩の望む軌道を描いてダストンに伸ばした白い裾に突っ込んだ!
 賊が驚く間もなく、袖口から赤く光る蛇をずるりと引き出す!
 クイックの足が随分と鋭く、甘噛みも指を持ってかれるほど強いからの。クイック用の革手袋は、プラチナ鉱石を細く加工して織った防刃加工の上に、防御力の高い魔獣の皮で作ってあるんじゃわい! 赤い蛇の噛み付きも、ものともせんわい。
「この蛇、其方の任務には重要な物らしいのぉ! 我輩がもらってやろう!」
「きっさまぁあああああ!」
 小さい紺の鱗に覆われた手に、鋭く伸びた黒い爪。六種族のいずれにも属さぬ特徴。魔族か魔物の類か?
 我輩の首を狙って突き出される爪が、白い顎髭に触れるところで大きく震えて動きを止めた。白いフードの肩口に、一本の矢が突き立っている。大きく仰け反り吠えるように声を上げると、腕を振りかざし矢を引き抜こうとする。そういう加工なのじゃろうが、矢は簡単に抜けたが鏃がない。賊の体の中に残っておるのじゃろう。
「そんな! ヌーデビルでさえ昏倒させる強力な痺れ矢なのに!」
 上から身を潜め矢を番えていたルアム君の驚きの声に、我輩も慌てて蛇から手を離す。そんな危険な毒、掠めでもしたら大事じゃわい。ルアム君を睨みつけた賊は、連射された矢を払いながら大きく下がる。
「貴様らより受けた屈辱、このアンテロ忘れはせぬ! 必ず、殺してくれよう!」
 アンテロ君か。最後までよく情報を落としてくれるわい。
 アンテロは一瞬にして姿を消し、我輩は目に焼き付いて残る白い残滓をしばらく見つめていた。
 ぱたぱたと軽い羽ばたきを響かせながら、クイックが舞い降りてくる。我輩が差し出した腕に止まり毛繕いするクイックに、我輩は言う。
「クイック。帰還する燃料がある限りでよい。追跡してきておくれ。発信を受信できる程度に、十分に距離を置いて追うのじゃよ?」
 くいっく! クイックは了承と言いたげに一声鳴くと、壁に開いた大きな開口部から飛び出していった。
「流石、ガノおじさん。私が気絶してるフリをして、混乱に紛れて白フードに発信機をつけたのを見てたのね」
 ダストンの背から降りたチリちゃんは、養父が驚くのを後目に感心しきりで言う。
「勿論じゃわい。お尻を撫でようとして、ファーラットの引っ掻きみたいな愛らしい反撃をうけたからのぉ。流石、我輩を伯父と呼ぶだけあるわい。嫁の行き先に困りそうな抜け目ない娘じゃのぅ」
 朗らかに笑うチリちゃんを見ながら、我輩は髭を撫で砂をざらざら落とす。そうしておる間に、院長君とルアム君も上から降りて合流してきた。我輩が賊から引き出した情報を共有し、その場の誰もが難しい顔になる。
「賊の目的が『器』という存在で、王族とは限らない…か。守る対象が絞りにくくなりましたね」
 唸るルアム君の言葉はごもっともじゃな。王族が狙われておったから、彼らを護衛すればよかった。だが『器』は王族ではないし、誰が『器』か見当もつかぬ。行く先すら決められぬ状況じゃろう。
「まぁ、あのアンテロという輩には相当嫌な思いをさせたからのぉ。我輩を殺したくてたまらんじゃろう。追ってくるよう態々仕向けてくるやも知れぬ。相手の出方を待とうではないか」
 なにせ彼奴にはダストンを誘拐するという仕事が残っておる。我輩がダストンの傍に居れば、誘拐して逃げるなんてことはせんじゃろう。我輩の息の根を止めにくる。そう断言できる自尊心の高さがあった。
 この近隣に留まるなら、戻ってくる。
 それ以外の遠方に向かったなら、ダストンを後回しにし別の『器』を誘拐しに行く。
 我輩的なら後回しを選ぶ。何せ、こちらはまだ『器』が誰なのか分からないままなのじゃ。王族でないならば警備も行き届かぬ。守りの手薄な『器』を拐かすなど、あれほどの手合いなら朝飯前じゃろう。
「とりあえず、賊の目的がダストン殿であることは確定しました」
 院長君が瞑目して、厳かな声で言う。次の瞬間、かっと目を見開き素早くクモノの呪文を放ってダストンを拘束してしまいおった! むむっ! 我輩も賢者として招聘されて逃げようとして、同じ手で捕まってしまったのぉ! 懐かしいわい!
「ドルワーム王国王立研究所所長ドゥラの権限を持って、現在最重要人物であるダストン殿を保護します!」
「あぎゃぎゃっ! あんな派手にやっておきながら相手に傷一つ与えられない無能だって惚れ込んでいたのに、なんて有能なんでしょう! アンタには失望しましたよ!」
 釣り上げられたエビのように跳ね回るダストンを引きずり、院長君が歩き出す。
「…でも、重要とか保護とか言いながらこの雑な扱い。ガラクタのようで、嬉しいですね!」
 うーむ。ダストン。お主は自分の置かれている状況が、イマイチ理解できておらぬようじゃな。まぁ、怯えて逃げ出されるより、喜んで拘束されておる方が幸せであろう。
 背後の二人の嘆息で、襲撃事件は幕を下ろすのであった。