煉獄に荒れる灼熱の風 - 後編 -

 兄さんが託してくれた魔炎鳥の尾羽は聖なる炎によって浄化され、完全な状態であったなら村が数年食べ物に困らぬ対価になる聖鳥の尾羽になっている。討伐の際の戦闘で半分以下の大きさに切られてしまったが、それでも僕の上半身と変わらぬ長さと幅がある。赤い宝石で出来たような羽とは思えない光沢と輝きを持ち、先端の模様は青や紫といった様々な色に移ろう。その尾羽を耳に掛け、僕は竪琴を背負って立ち上がった。
 アペカの村の者達が村の入り口に集まってきた。
 神妙な顔の老人達、意を決した女達、村の外に出られるとはしゃぐ子供達。それぞれの手にはマティル村で使われた、聖鳥の炎を受けるトーチが握られている。エンジュさんの持つ火種からトーチへ金の炎を移されら者が、次々と炎樹の丘へ歩き出した。その列は黄金の蛇のようで、強大な気配に凶悪な炎の領界の魔物達すら物陰に隠れた。
 もし生き残ることができたなら、僕は今日に続く全てを語り継ぐ為にナドラガンドを巡ろう。
 アペカの村の運命を握る一日が始まろうとしていた。

 足腰の弱くなった老人でも、炎樹の丘には半日程度で到着できる。
 巨大な火炎柳の木が滝のような炎を地面に投げかけるなだらかな丘から、見渡す限りの炎樹の森が広がっている。魔物達が金の炎に恐れをなして襲ってこないと知ると、子供達は駆け出して森の最奥から金の炎を振り撒いている。最後尾を務める僕は、老人達が手近な樹々に火を移すのを見守りながらゆっくりと進んだ。そうして丘にたどり着いた時、息を呑むような光景が広がっていた。
 炎とは赤いものばかりだと思っていた。
 目の前に広がる黄金は、同じ色を秘めることのある溶岩の纏わりつくような重さがない。軽やかで、生き生きと遊び飛び回るような金の火の粉。触れれば確かに炎の熱が指先を焦がすが、それは水のように滑らかで掴みどころなく指の間から抜け出てしまう。清々しさすら感じられる、いくら見つめても目が焼きつくことのない透き通るような黄金の光だった。
「炎樹の森に浄化の炎が行き渡りましたわね。故郷の紅葉にも負けぬ、黄金の森ですわ!」
 そう火種を収めたカンテラを手に、エンジュさんが笑う。彼女が笑う度に、炎も楽しげに渦を巻いた。
 暖かな柔らかい金の炎の熱気に、突き刺さるような殺意が混ざる。反射的に噴き出した冷や汗と共に、強く閉じた瞼の裏に仲間達の死に様が浮かんでくる。滑るような魔炎鳥の熱気を、どうして忘れられようか。まだ赤黒い空に姿は見えないが、魔炎鳥がこちらに向かっているのは確かだった。
 怯える表情ばかりを浮かべる者達の中で、エンジュさんだけがうっすらと笑みを浮かべた。
「少々お早いですけれど、お客様がお見えになりましたわね」
 飛竜のギルに乗ったルミラさんが降り立つと、もうすぐ魔炎鳥が到着するだろうと大声で伝える。驚き慄く村人達の前に、エジャルナから来た神官のエステラ様がゆっくりと一人一人を見つめる。
「皆さんの命は、私が必ず守りましょう。どうか、落ち着いてください」
 よく通る凛とした声に、村人達の怯えが和らぐのを感じる。
 僕は神官様から背を向け、ギルの元へ向かう。これからアペカの村のために魔炎鳥と戦う彼女らを見送るのが、僕だけなんて恥ずかしいと思う。僕も共に行けるほどに強ければ良いのに、結局は炎の領界に不慣れな彼女らを案内する程度しか出来はしなかった。歯痒く思うが、強くなることができないのは僕が一番よくわかっている。
 ギルの背にエンジュさんを押し上げたルミラさんが、僕を見て微笑んだ。
「村の皆を頼むぞ。ギダ」
「エステラ様がおられるから、大丈夫だよ。僕は楽器を奏でることしか、能が無いから…」
 武器を持つには非力であり、魔法を使うには魔力に乏しく補助呪文くらいしか扱えない。この苛烈極まりない環境において、音楽など何の慰めにもならなかった。子供の時は楽しく楽器を奏でることが出来たが、成人と認められる年齢に達した時には『いつまでも遊んでいるな』と演奏を禁じられた。
 それでも、兄さんの前でこっそりと音楽を奏でていた。炎の音は僕の竪琴の音を掻き消してくれて、村人達にばれたことなど一度もなかったっけ。
 背負った荷袋の中の竪琴を意識した僕の肩に、ルミラさんの手が包み込むように置かれた。
「自分達の種族神ガズバラン様は、凶悪な獣達と幾年もの間戦い続け、その鼓動の音を、その胸に燃える炎のような意志に耳を傾け続けたという。そうして、獣の音に合わせるように舞い、戦い、獣に喜びと闘争心を芽生えさせ、最後に心を授けたという」
 とても不思議な話だった。たった今、彼女の口から語られた言葉であるはずなのに、ずっと昔から知っているような感覚。はっと顔を上げた先で、ギルの上からエンジュさんが声を張り上げた。
「高名な吟遊詩人は魔物と心通わせ、あらゆる力を引き出すと言われますわ。たかが音楽と侮ってはいけませんわよ!」
 エンジュさんの声にふっと息を吐くように笑うと、ルミラさんは僕の肩をぽんと叩いた。
「卑屈になるな。ギダの炎を聞き分ける耳は、ダズニフも一目置くほどだ。兄上と仲間の心を背負って村の者達の為に頑張ったことを、自分達は知っている。村の者を頼めるのは、エステラではなく、ギダ お前だ」
 竜族には見られない、鮮やかな炎の色を写し込んだ瞳がひたと見つめてきた。
「頼んだぞ」
 本音を言えば、村人を恨んでいた。兄さんが命懸けで逃がしてくれたんであって、仲間達を見捨てた訳じゃないと真実を告げても誰も信じてはくれない。村を棄てて逃げ出したいと何度も思う程に、ナドラガ様の祠から村へ帰ることは苦痛だった。治療のために一つ屋根の下で時を過ごした彼女らが、気がつかぬわけがないだろう。
 それでも、僕が村人達の命を預けるに相応しいと、彼女らは僕に頼むんだ。
 僕は唇を引き結びルミラさんを見つめて頷くと、彼女が頼もしげに瞳を細めた。
 ルミラさんがひらりとギルの上に乗れば、ギルは楽しげな声を上げて翼を広げた。後ろ足に力を込めると、逞しい太ももが大きく膨らむ。大地を蹴れば二人を乗せた翼が、舞い上がる金の風を捕まえ瞬く間に高く舞い上がった。
 顎を完全に上げて見送ると、村人達の騒めく声が耳を突いた。
 炎の光を受けて赤金色に染まった白銀の竜が、勢いよく頭上を通過する。ダズニフさんが竜化の術で変化した姿で、炎の領界を飛ぶ飛竜よりも翼が大きく胸回りの筋肉が張り出している。ギルと並べば一回りは大きく、飛竜の飛行速度と機動力を大きく上回る。
 その竜を追うように、魔炎鳥が頭上を過ぎた。その青黒く見える炎が生み出す風に、村人達が悲鳴を上げ身を屈めて耐え凌ぐ。
 黒と銀は赤い空の下を縦横無尽に駆け、激しくぶつかり合う。旋回したと思えば、急制動を掛けて攻撃を交わし、縦回転をして背後を盗る。空の王者を賭けたような戦いは、地上の民の目を奪う。
 黒い炎を感じ取って大きく燃え上がる金の炎から、逃れるように魔炎鳥が高度を上げる。逃すまいとダズニフさんが上を取り、魔炎鳥の顔面にエンジュさんの呪文だろう火炎の玉が炸裂する。基本的に炎の領界の生き物は、炎に対して耐性がある。炎の呪文で攻撃するということすら、選択肢に上らないだろう。だが金の炎の種火を介した炎の呪文は、魔炎鳥を大きくよろめかせた。
 銀の竜の鱗が輝き姿が変わる。翼は瞬く間に小さくなって消え、翼よりも小さかった肉体が大きく膨れ上がる。大きく開いた手が魔炎鳥の翼の付け根をしっかりと掴むと、魔炎鳥が大きく腹を沈ませ弓形になる。ダズニフさんの重量に魔炎鳥が耐えきれず、錐揉みながら炎樹の森に墜落した。ずしんと足の裏から、墜落した衝撃が這い上がってくる。
 村人達から歓声が上がった。
 だが僕はキツく歯を食いしばっていた。喉が干上がり空気が通り抜ける音だけが耳に木霊し、目が痛むほどに瞬きを忘れて墜落した場所を見つめ続ける。油断してはいけない。魔炎鳥に勝ったと思った瞬間が一番恐ろしいのだ。
 炎の音が変わる。金の炎を押し退けるように黒い炎が膨れ上がり、ついに大きく弾け飛んだ!
 赤い空が黒に取って代わられ、そこから弧を描いて黒い炎の塊が大地に降り注ぐ。ひゅるひゅると音を立てる恐ろしさに、村人達は悲鳴をあげて腰を抜かした。傍の子を庇うように抱きしめて、死を覚悟した母達。手を組み膝を付いて祈る老人達。僕でさえ動くことはできず、黒い炎が降り注ぐ様子を眺めるしかできなかった。
「ナドラガ神よ! 貴方の民を守り賜え!」
 村人達の前に躍り出たエステラ様が、手に持った両手杖を高々と掲げた。湧き出した守りの霧は黒い炎を退け、火炎柳の根元にいた村人達を無傷で守り抜いた。
 ホッとしたのも束の間、金の炎の森に降り注いだ黒い炎が次々に燃え広がっていく。
 黒い炎は次々と金の炎を喰い、嘲笑うかのように勢力を増していくのだ。魔炎鳥が甲高く声を上げる顔を、銀の竜が掴んで地面に叩きつける。大きな翼が苦しげにばたつく度に、その長い尾が地面に何度も打ち据える度に、黒い炎が弾けて大きく広がっていく。銀の竜も黒い炎に焼かれて苦しげな声を上げた。
 このままでは、黒い炎に囲まれてしまう。
 もう黒い炎が礫となって降り注ぐことはなかったが、周囲で勢いを増した炎は霧で防ぎ切れるものではなかった。黒い炎は村人達を取り囲み、火に強い炎の領界の民を容赦なく焼いた。村人達はまだ金の炎が灯ったトーチを持っていたが、黒い炎の勢いはあまりにも強かった。このままでは、村人達もあの時のように全滅してしまう…!
 どうすれば良い。僕にできること。僕に何ができる?
 何も、できることはない。
 血塗れて僕に魔炎鳥の尾羽を託した兄さんですら、助けてくれなどと言わなかった。僕が弱くて、何の力もないから、助けなど求めても意味がないと分かっていたんだ。もし、僕が呪文に秀でていて一瞬でも隙を生み出すことが出来れば、兄さんと共に洞窟の中に転がり込んで魔炎鳥から逃げることができただろう。
 …最後まで兄さんが求めたのは『曲を弾け』だったな。
 魔炎鳥の尾羽は、黒い炎を祓う方法を見つける意味があった。炎樹の丘は魔炎鳥の火力を上回る為に最適な場所だった。曲を弾く。何の意味があるのか全く意味がわからなかった。
 僕は背の荷物を解き、竪琴を取り出した。狩りの間に手に入れた素材を組み合わせて、兄弟で作り上げた不恰好だけれど良い音のする竪琴だ。高温で熱されるほどに鉱物のように固くなる木を土台に、炎を含んだような宝石をあしらっている。弦は火竜の髭を使っていて、どんな熱波の下でも変わらぬ音を紡げる。
 指の腹で弦を弾けば、澄んだ音が響く。一つ音が響けば、後は沸くように続く。
 それは幼い兄と共にエジャルナに出かけた時に聞いた、巡礼者達の奏でる音楽だった。
 エジャルナで一度聞いた音楽とは、二度と巡り合うことはできなかった。それでも口遊み、音を奏で、少し違ったとしても兄弟が心地よく思える音を求めた形だった。二人でこの丘に登り音楽を奏でていると、炎樹の森の炎を啄む聖鳥が顔を上げ舞い上がるのを幾度と見た。この曲は、僕ら兄弟の人生そのものだ。
 死ぬならばせめて、兄さんの最後の願いに応えようと思った。
 村を託されても、守れず。仇を打つには弱過ぎた、不出来な弟。
 でも、音楽だけは、今の僕でも奏でられる。せめて、それだけでも、兄に捧げようと思った。
「ごめん。兄さん。期待に応えることができなくて…」
 涙に滲んだ視界の外から、炎の音を掻き消す村人達が驚きの声が上げた。黒い炎が迫っているのかと思ったが、エステラ様が鬼気迫る声で僕の名を呼ぶ。振り返れば、エステラ様がすぐ傍にいた。
「その曲は…!」
 僕は指の動きを止めぬまま、首を傾げた。傾げた拍子にエステラ様の背後にいた村人達が見えて、彼らの掲げている金の炎が随分と眩いと思った。トーチの上の炎が、まるで卵のように丸くなっている。
 いや、それは本当に卵の形だった。村人達の掲げるトーチの上に、金色の炎の卵が乗っている。卵の中から鼓動のような音が聞こえ、その音が交わるように音楽に加わってくる。卵達の音はどんどん大きくなっていき、卵の中に収まらなくなる。
 卵の殻を破って現れたのは、小さな炎でできた聖鳥だった。小さな金の鳥達は甲高い声で鳴くと、体についた殻を大きく身を震わせて剥がし、村人達のトーチの上から一斉に飛び上がった。
 エステラ様は大きく目を見開き、信じられないものを見るように鳥達が舞う空を見上げた。震える手が組まれ、空いた口を引き結んで唾を飲み込んだ喉が上下に動いた。
「炎のように燃え上がる 聖なる鳥よ
 天高く舞い上がり 見守り賜え
 我ら 竜の民を永遠に…」
 エステラ様の祈りの言葉に、僕の竪琴の音色が溶け合った。まるで、元々一つのものであったかのように、言葉と音は再び出会った喜びに手を取り合って踊るかのようだった。
 炎の小鳥達は魔炎鳥を目指して飛ぶ。黒い炎に喰われる鳥もいたが、ダズニフさんの肩に留まると背の上で大きく燃え出した。銀の竜は瞬く間に金の炎に包まれ、金の炎の鱗を持つ火竜の姿になる。その口が大きく開かれ咆哮が木霊すると、声に応じるかのように金の炎が勢いづいた。小鳥達が炎を纏い夥しい数の聖鳥となり、火竜が押さえつけた魔炎鳥から黒い炎を啄む。
 どれくらい時が経っただろう。一瞬のことであったはずだが、長い時間が過ぎた気がした。
 黒い炎が全て呑まれて消え去り、全ての金の小鳥達は火の粉となって散って行った。火竜は銀の竜に戻り、飛竜は頭上を緩やかに旋回している。全てが静寂に満たされる中、蹲っていたそれが首をもたげ喜びの声を上げた。翼が大きく広げられ、ふわりと舞い上がる。
 聖鳥だ。
 僕は涙が流れるのを、堪えることができなかった。
 村は救われたんだ。もう、魔炎鳥に怯える必要はない。
「聖鳥は その身に宿す。地上を彷徨う 死者の想いを」
 涙が流れてはっきりした視界に、青く輝く光が漂っているのに気がついた。その一つ一つが、とても懐かしい。特に僕の目の前に漂うそれから、兄レゼロの気配が匂うように感じられた。
 思わず手を伸ばした光に包まれた気分だった。『よく頑張った』『お前は俺の自慢の弟だ』そんな兄の弾んだ声と誇らしげな感情が、僕に流れ込んでくる。光の中で僕は兄と抱き合って、兄の喜びに満ちた顔を見た。
「聖鳥よ この地の 守り手よ」
 青い光が村人達から離れ、聖鳥と共に舞い上がっていく。別れだと本能的に察したが、寂しくはなかった。聖鳥の炎の中には多くの竜族達の願いが含まれているのを感じていたからだ。
「彼らの魂を 安息の地へ 送り届け賜え」
 聖鳥が大きな翼を広げ羽ばたくと、炎樹の森に移された金の炎が巻き上がった。黄金に輝く風に乗って、聖鳥は優雅に上空を旋回した。まるで礼でも言うように、穏やかにゆっくりと、光る風に気持ちよさそうに乗って、きらきらと羽の一枚一枚を輝かせた。
 あぁ、伝承は本当だった。
 兄さん達は聖鳥と共に、僕らを見守り続けてくれるだろう。