氷の棺に眠る花 - 後編 -

 イーサの村の入り口は氷の門が、オイラ達を迎えるようにするりと隙間を開けた。
 分厚い氷は村の中を透かすことはなく、大きな一枚板の氷の門は氷の領界の強い魔物達を遮っている。氷の崖を利用した天然の壁が村を囲っていて、出入りはこの氷の門だけだ。遠巻きから向かってくるオイラ達を見ていたのだろう、門番の竜族のおじちゃんが手招いていた。
「よく戻ってきた。さぁ、中へ」
 イーサの村は出来る限り外気が入り込まないよう、門の内側はもう屋内だ。『恵みの木』を崇める祭壇が正面にあり、氷の花が飾られている。氷の厚みを調整しガラスのように透き通った天井から床まである大窓から、カチコチでも大迫力の『恵みの木』を見上げられる。眩く輝くようカットした氷のシャンデリアをはじめ、内装は全て氷の神殿って感じの格調高い空間だ。
 氷で出来た建物なんてあぶねーって思うじゃん。ぎゅっと凝縮された不純物の全くない氷は、全然溶けないし壊れたりもしないんだって。太古の昔に氷の崖をくり抜いて、この村を作ったってんだから凄いよな。
 どこからか集まってきたイーサの村の狩人達が、ソリの獲物を改め出した。
 『恵みの木』が凍りつく前から、獲物を村の人達と交換しているんだ。魔物は基本的に捨てる所がなくて、肉や内臓は食料に、毛皮や鱗とかの外皮は衣類や日用品に、脂肪は燃料に、牙や爪は武器になる。オイラ達は作るのが大変な加工品が手に入り、魔物を狩る力がない村人は肉類が手に入る。ウィンウィンなかんけーって奴だ。
 でもそれは『恵みの木』が凍りつく前まで。『恵みの木』から収穫し備蓄していた食料は底が見え始め、オイラ達が狩りの獲物を持ってこなければ、今頃村の老人達が氷原に追いやられていただろう。
 口減らしなんて、ちょー笑えねーわ。狩り頑張らねーとな。
「毎回助かる。本当に交換の品は毛皮や燃料で良いのかね?」
 大したものだと感心する狩人達の一人が、加工した毛皮やオイラ達が事前に渡しておいた皮袋に燃料を入れて手渡してくる。毛皮や燃料じゃあ腹が膨れねーから、本当に良いのか?って感じなんだろーな。
 ピペのじょーちゃんが毛皮を受け取って、早速検分し始める。ニコニコしてるから上物だろう。
 毛皮は仲間達が氷の領界に来た時に、寒くねーようにってピペのじょーちゃんがコートにする。ダズ兄のコートはトビアスの兄ちゃんにあげちゃったし、新しく作らねーとな。コートにできない毛皮だって、拠点の毛布や敷き布にするんだ。この氷の領界は寒すぎて野営なんて絶対できないし、輝く嵐に巻き込まれたら生きては帰れない。死神が微笑んでる寒さから逃げる為に、籠城できるまでに整えた拠点があちこちに必要なんだ。
 氷の領界は氷原の果ての遺跡から、炎の領界だけにしか繋がっていない。南の海を見渡す岬にも同じ輪っかの遺跡があるけど、そこからはどこにも繋がっていないんだ。仲間を探すにも、領界を繋げる方法を探すにも、先ずは極寒の地を隈なく歩ける環境を整える必要があった。
 獲物をソリから回収していた狩人達の一人が、トビアスの兄ちゃんに目を留めた。
「初めて見る顔だが、ルアム達が探していた友達かい?」
 村に仲間達が訪ねてきた時の為に、村の人達にオイラの仲間達のことを伝えてたんだ。オイラ達は氷の領界をあっちこっち歩き回ってるから、すれ違っちゃあ嫌じゃん。
 オイラは兄ちゃんに小さく目配せしてから、訊ねた大人に頷こうとした時だった。
 みどりのぉ、もののぉ、おなぁあありぃいぃ…。
 張りのある朗々とした声が、お囃子を従えてイーサの村を繋ぐ回廊を駆け巡る。
 美しい輝石を盛った『恵みの木』の果実の皮で出来た器を捧げ持つ神官が、緑の者が現れた事を告げて先頭を歩く。神官の後に続く村の者達も、『恵みの木』の果実を模した小さい鈴を連ねた衣類を涼やかに鳴らしながら楽器を奏でて続いた。さらに屈強な村の狩人が、『恵みの木』の葉と果実で飾った豪華な神輿を担いでいる。村人達は次々と回廊に出てきては、両手を組んで神輿の上の物に祈っていた。
 肩をトントンと指先で突かれると、トビアスの兄ちゃんが屈んで顔の横に口元を寄せた。
「緑の者とは何だ?」
「オイラが言った一発逆転のネタってやつ」
 小声には小声でお返事。兄ちゃんは顰めっ面を深めて、ぎゅっと寄った眉間に皺ができる。
 オイラ達は門の前にまで下げたソリの傍から、村人全員が集まってくる様を呆然と見ていた。「伝承の緑のお方! 『恵みの木』を癒し、我々を食糧不足からお救いください!」「本当に伝承の緑の者が現れたんだ!」「頭の上に咲いた花は、紛れもなく『恵みの木』の花だ!」氷を溶かすんじゃないかってくらいに、希望が熱を帯びて畝っている。
 ついに凍りついた『恵みの木』を見上げる祭壇の前に神輿は到着し、神輿と村人達の間に男性が立つ。威厳に満ちた眼差しで村人達を見渡し、村人の苦しみを労るように大きく腕を広げた。次第に村人達の歓声が潜められ、静寂が満ちた頃を見計らって男は話し出した。
「村に伝わりし緑の者が現れる時を、私達はどれほど待ち侘びたことか! 皆、よく耐えてくれた!」
 この男はイーサの村の村長。ただ耐えろと、待てと命じて従わせた張本人だ。オイラとしちゃあ、あんまり良い村長じゃねぇな。『恵みの木』の収穫が途絶えて備蓄が尽きるのを、ひたすら怯えている村人達。お腹が空くからと、遊ぶことを禁じられた子供達。オイラ達が狩りで取ってきた獲物を見て、ほっと安堵の息を漏らす狩人達。
 村全体を笑えねー雰囲気にして、このままじゃ全員飢え死にだってのに何もしない。
 町の子供達を守り抜いたナブレット団長の尻尾の毛を少し頂戴して、煎じて飲ませてやりてーくれーだ。
「必ずやダストン様は私達を救ってくださる! もう、食糧が尽き飢えに怯えることはない!」
 神輿のカーテンが取り払われ、短い悲鳴が響いた。
 この氷の薄い色彩の中で、目を突き刺すような濃い緑。モコモコした上質な毛皮に埋もれるような緑の上に、真っ白い綺麗な花がぽんと咲いている。
 怯えるように顔の前に手を翳し、ぶるぶると怯えるのはガノのじっちゃんの弟子。そう、ダストンのおっちゃんだ。氷の領界で会うのが初めてだけど、相棒の目で見ていたので間違いない。アンテロが狙っていた神の器の一人として、ドルワーム王国の厳重な警備の中にいたはずなんだけどなー。
 まぁ、相棒の目で見た限り、結構ぶっ飛んだ性格してるから逃げてきたってのもありそう。
 イーサの村の人達が膝を付いて祈り、我らを救ってくださいと懇願を叫ぶ。そんな様子を指の隙間から見てしまったのか、ダストンのおっちゃんは神輿の上から転がり落ちそうなほどに身を丸めた。
「ひぃ! や、やめてくだせぇ! わしは、わしは、そんな役立つもんじゃあ、ねぇんですよ!」
「ダストン様!」
 リルチェラの嬢ちゃんが身を乗り出して叫んだ。声は丁度、村人達の声の隙間を通って神輿に届いたんだ。おっちゃんの視線がこちらを向いて、神輿から飛び出しそうなくらいに身を乗り出す。
「リルチェラ! 早く、わしを助けてくだせぇ!」
 落っこちると思ったのか、狩人達がおっちゃんを慌てて神輿の中に押し戻す。離してくだせぇ!って悲痛な声を振り撒きながら、カーテンが閉じられ神輿が担がれて持っていかれる。村長もいい感じの言葉で締めて去っていき、集まった村人も散っていく。
 オイラ達と門番のおじちゃんが残った空間で、言葉がぽつり。
「何だったんだ、今のは…」
 疲れ切った様子のトビアスの兄ちゃんは、眉間にクレバスな溝を刻んでいる。
「氷の領界の竜族に危機が訪れし時、極光の魔鉱石を携し緑の者が現れて救わん…そんな伝承があるの。村長さんは『恵みの木』が凍りついたことが伝承にある危機であり、突然現れたダストン様を緑の者だと言ったんだ」
「その根拠は何なんだ? とてもではないが、特別な力があるようには見えなかったぞ!」
 イライラを隠せず嬢ちゃんの説明を問い返す。まぁ、兄ちゃんの言い分はごもっとも。ドワーフの種族神ワギの器だろうダストンのおっちゃんだけど、相棒越しに見たそれは気持ち悪い動きだけど俊敏なドワーフってくらいだった。別にラグアスのように未来が見える訳でも、姫様みたいに大魔王を倒せる勇者様でも、フウラの嬢ちゃんみたいに風乗り様でもない。
 それにピペのじょーちゃんの話じゃ、ナドラガンドとアストルティアは本当は繋がる予定もなかったらしい。イーサの村に危機があったとして、その危機を救える位置に緑の者は居るべきではないのか…と。ダストンのおっちゃんは勘違いで緑の者にされちまったんだろーなってのが、オイラ達の見解。ごしゅーしょーさま。
 まぁまぁ、とオイラは兄ちゃんと嬢ちゃんの間に割り込む。
「先ず兄ちゃんがすることは、挨拶、でしょ?」
 うぐ。兄ちゃんが喉を詰まらせたように、渋々と頷いた。
 ソリと交換した荷物を門番のおじちゃんに預かってもらって、オイラ達はイーサの村の奥へ進む。回廊をぐるっと回り込み、階段を昇り降りしてイーサの村人達の家の合間を縫うように進む。火の気を村全体に行き渡らせるために調理場は共有スペースに設けられ、屋外に通じていない扉はカーテンの仕切りだけ。それでも毛皮や竜の皮を丁寧に加工した、家の表札って感じの個性あるカーテンだけどな。
 階段を登ったり、角を曲がったり、今度は階段を降りてみたり。方向感覚がいよいよ怪しくなってきた頃、竜族の男の子達とぶつかりそうになった! でも、オイラは駆けてくるのを聞き取ってたし、身軽だから避けるのは簡単。でも男の子3人組はびっくりしたようにオイラ達を見た。
 そして、露骨なまでに嫌な顔をする。
「げ! 元気泥棒のリルチェラじゃねぇか!」「なんで村の中にいるんだよ!」「お前みたいな奴、村に来るだけで迷惑なんだよ!」
 オイラ、ムッカー!って感じ! イジメる奴は大っ嫌いだ!
「やいやい! リルチェラの嬢ちゃんに酷いこと言うな!」
 当然、プクリポの背丈じゃあ竜族の子供相手でも頭ひとつ分は小さい。悪ガキ共はニヤニヤと意地の悪い笑みを、全く隠そうとしない。面白おかしく言ってる言葉でどんなに相手が傷つくか、全く分かっちゃいないんだ。分からないから言って良い訳がない。それを咎める大人はこの村にはいなかった。
「余所者のくせに生意気だぞ!」「父ちゃんが言ってたぞ。恩着せがましく肉を卸してるって!」「後ろのチビは口も利けねーんだろ!」
 こんの悪ガキ共! オイラだけじゃなく、ピペのじょーちゃんの悪口まで言いやがって!
 めちゃくちゃ腹立つ。余所者が余計なお世話しちゃあ角が立つって、メルサンディ村で骨身に沁みてらぁ! それでも、飢えて死が目の前に迫ってくるのに怯える姿、流石に見ちゃいらんねーんだよ! こんな村の外に一歩も出たことがない悪ガキ共より、オイラ達と狩りをするリルチェラの方がずっと、ずーっと勇敢だ! 魔物の強さを、村の外に出た時の殺意満々の寒さを知らねーで、好き勝手言うんじゃねー!
 でも、悪ガキ共は強かだ。村から放り出されたら生きていけないって、分かってるんだ。
 だからリルチェラは言い返さないで、涙を堪えて拳を握って耐えている。オイラも余所者だから言い返せない。言い返せないのを分かってるから、悪ガキ共はオイラ達にナイフのような言葉を投げつける。投げつけて良いと、大人達は見て見ぬフリだ。
 いっちょ、痛い目でも見てもらうかぁ? オイラが目にも止まらぬ速さで、3人まとめてすっ転ばしてやる!
 ガン!と大きな音に、誰もが驚いて顔を上げる。
 トビアスの兄ちゃんが床を杖の石突きで突いたんだ。ちょっとヒビ入ってる氷の床から視線を上げて、オイラは毛皮がぶわっと逆立った。凄い怖い顔で、トビアスの兄ちゃんが悪ガキ共を見下ろしている。今にもその杖を振り上げて脳天かち割っちゃいそうな殺気は、流石の悪ガキ3人組もおしっこちびっちゃうんじゃねーの?
「聞くに耐えぬな」
 悪ガキ共は完全に固まった。オイラもピペのじょーちゃんも、完全に気圧されて動けそうにない。
 だけどリルチェラの嬢ちゃんだけ、兄ちゃんの圧に気がついていない。オイラ達の悪口を我慢できずに、飛び出した嬢ちゃんは3人組のリーダー格の少年に掴みかかった!
「やめて! ルアムさん達の悪口を言わないでよ!」
 普段だったら突っかかる嬢ちゃんを避けることなんか、悪ガキ共には簡単なことだったろう。嬢ちゃんは女の子だから可愛いってくらいに、トロくさいところがあるからな。
 でも悪ガキ共は、竜に睨まれたスライムだった。突き飛ばすように伸びたリルチェラ嬢ちゃんの両手が、悪ガキの胸を押した。ぱっと、緑の光が空間に迸る! それは嬢ちゃんの両手が悪ガキの胸に触れた一瞬だけのことで、悪ガキはそのまま押し飛ばされて氷の床に転がった。
 突き飛ばされなかった一人が『ジャイム!』と叫びながら、倒れた悪ガキを抱き起こす。もう一人はピクリとも動かない悪ガキを守るように立ちはだかった。
「リルチェラのせいでジャイムが酷い目に遭ったぞ!」「元気泥棒は村から出ていけ!」
 そうして悪ガキ3人組が氷の床を転がるように去っていく。置き土産とばかりに、傷つく言葉を言いやがって!
 ぼろぼろと氷の粒を床に転がしていくリルチェラの嬢ちゃんの頭を、ピペのじょーちゃんが慰めるように撫でる。ふわりと柔らかい緑の光が嬢ちゃんの手元で光ったり消えたりする。
「ピペちゃん、やめて。疲れちゃうよ」
 ふるふると首を横に振り、じょーちゃんはピンクの髪を撫で続ける。
「リルチェラ。ありがとうな。ごめんよ、嫌な思いさせちゃって…」
 オイラが嬢ちゃんの凍った涙を払ってやってる間に、トビアスの兄ちゃんも心配そうに顔を覗き込んだ。赤い髪がさらりと揺れた横顔は、真面目ないつもの兄ちゃんだ。嬢ちゃんが慰められているのを見届けて、悪ガキ共が逃げて行った先へ視線を向けた。
「ジャイムという子供は大丈夫なのだろうか?」
 確かに嬢ちゃんが勢いよく触れたから、光も凄かったもんな。一瞬でも気を失っただろうと思うと、まぁ、心配はしちゃうかな。オイラはそう思いながら『平気平気』と答えた。
「嬢ちゃんに触ると力が抜けるんだ。この力を活用して、狩りの時に隙を作ってもらったりしてるんだ」
 オイラがリルチェラの嬢ちゃんのほっぺに顔を押し付けると、嬢ちゃんの手にぱっと緑色の光が集まっていく。ふにゃーっとなるけど、ちょっとすれば直ぐに元気になる。例えるなら期間限定の激うまスイーツ争奪戦に乗り込んで、どうにかゲットできた時の疲労感だな。
 兄ちゃんが考えるように視線を落とし、ゆっくりと嬢ちゃんの手に指を伸ばす。ちょんと柔らかい手の甲を押し、離し、また押してみる。押す度に光る福代かな手を、兄ちゃんは真剣な眼差しで見ていた。
「確かに触れている間、生命力が流れ込んでいるようだな。パサーという魔力や生命力を譲渡する術に似ている」
 へー。皆で兄ちゃんがちょんちょんする指先を見下ろす。
「生命力が流れ込むのが、わかるか? 例えば力が漲る…とか」
 「分からない」そう戸惑いながら応える嬢ちゃんに、兄ちゃんは頷いた。
「流れ込んだ生命力が流れ込む先であるリルチェラに影響しないのなら、リルチェラを介してどこか別の場所に流れ込んでいるか、どこかに蓄えられているのだろう。外因的な要素があるやもしれぬ」
「えっと…、あたし、迷惑掛けないようになれる…の?」
 生真面目に分析する声に、嬢ちゃんは上目遣いで訊ねる。兄ちゃんは『わからん』と首を小さく振った。
「だが理解しようと努力せねば、なんの解決にならん。『元気泥棒』に甘んじれば『元気泥棒』だし、その力を狩りに役立てればルアム達にとっては頼もしい仲間なのだ。力は使うもの次第だ」
 兄ちゃんは立ち上がると、促すように竜の彫り物が乗った杖で軽く床を突いた。
「さぁ、リルチェラ。俺を村長の所に案内してくれ」
 頷いたリルチェラの嬢ちゃんを先頭に、オイラ達は大手を振って村を進んだ。嬢ちゃんの後ろにゃオイラ達がいるけど、やっぱり一目見て大人なトビアスの兄ちゃんの存在感は抜群だ。さっきの悪ガキ共が縮み上がったのが伝わっているのか、ヒソヒソ交わされる声も形を潜めている。
 村長の家のカーテンは巨大な城のような影の上にオーロラが掛かる美しい布だ。村長の家の前に立つと、嬢ちゃんは大きく深呼吸を一つしてカーテンの横に備え付けた鈴を鳴らす。女性の声が応じると、カーテンが間も無く開けられた。カーテンの向こうにいたのがリルチェラの嬢ちゃんであることに気がついた女性の肩が、大袈裟なまでに跳ね上がる。
「お久しぶりです。ヒヤーネ奥様」
 すまし顔で挨拶した嬢ちゃんの冷静さに、村長の奥さんであるヒヤーネ奥さんは動揺を隠せていない。
「リルチェラ? な、なんの用かしら?」
 笑っちゃうよね。村長の奥さんだって、考えてる腹の中はあの悪ガキ達とそう変わらない。村人達に『元気泥棒』と笑われている娘が、村で一番偉い村長様に用事なんかないって思い込んでるんだ。オイラ的には嬢ちゃんこそ、一番村長に言いたいことがあると思うぜ。
「村長様にご用事があるって、お客様を案内しました」
 半歩横に下がると、ヒヤーネ奥さんは嬢ちゃんの後ろにいたトビアスの兄ちゃんにようやく気がついた。一目見てイーサの村の者ではない、只者ではない男が訪ねてきたことに理解が全く追いついていない。カミハルムイの城の中庭で餌を強請る鯉のように、口がパクパクしてらぁ。
「何をモタモタしているんだ、ヒヤーネ。リルチェラには、村にあまり近づくなと言っておけ。儀式の準備で忙しいのだ、さっさと追い返せ!」
 カーテンを払ってヒヤーネ奥さんの後ろに立ったノグリッド村長は、いつもの調子で嬢ちゃんに投げつけた言葉が拾えぬことに青ざめた。なにせ、言葉を受ける嬢ちゃんは一人ではない。嬢ちゃんの仲間が雁首揃えて、とても快く思えない言葉を聞いているのだ。
「これはこれは、偉大なるイーサの村の長殿。お初にお目にかかります。私はトビアス。炎の領界のナドラガ神に仕える神官です」
 うくく。兄ちゃん、怖い顔で笑ってくれるねぇ。
 兄ちゃんの挨拶に、村長も奥さんも腰を抜かしそうな顔で驚いた。この村の狩人は北の氷原で滅多に狩りをしないから、北の果ての遺跡が炎の領界と繋がっているのを知らないんだ。オイラも別に伝えちゃいない。嘘だって言われたら、シラけちゃうじゃん。
「炎と氷の領界は解放者の手にて、ついに繋がることが叶いました。竜族の念願が果たされる時が迫っているという吉報を伝えに参ったのですが、どうやら、それ以上にご多忙な様子。また、機会を改めましょう」
「お、お待ちください! まさか、貴方様は解放者様であらせられるのですか?」
 踵を返そうと翻ったコートの裾に縋りついた村長を、兄ちゃんは冷たく見下ろす。
「私は解放者ではありませんが、解放者の先駆けとしてここにおります」
 兄ちゃんは乱暴にならない絶妙な加減で、縋り付く村長の腕を払った。村長を正面に見据えた兄ちゃんは、ふっと表情を和らげた、ように見える表情を浮かべる。
「リルチェラ達より『恵みの木』の凍結による食糧難は聞き及んでおります。しかし既に解決を目前にしているとは、同胞として誇らしい限りです。私は炎の領界に戻り、村長殿の辣腕を報告せねばなりませんね」
 オイラは兄ちゃんのコートの影で、笑いが漏れるのを必死で堪えてる。
 リルチェラの嬢ちゃんへの暴言に怒っているならば、誤解と弁明できただろう。しかしトビアスの兄ちゃんは村長の言葉には全く言及せず、ただ事実を褒めちぎって相手の言葉を封じ込める。何も言わないことが、恐ろしいまでの圧力となって村長夫婦を押し潰す。
 まぁ、挨拶する前に食糧事情を案じて、炎の領界に引き返そうとしたんだ。村長達と協力し合う利点は、兄ちゃん側にはないのだろう。村のことや氷の領界の伝承はリルチェラの嬢ちゃんが知ってるし、氷の領界のことは村人よりもオイラ達の方が詳しいってくらいに調べ尽くしてる。兄ちゃんにはオイラ達が協力すれば良い。
 歩き出そうとした兄ちゃんに続こうと、オイラ達も体の向きを変えた時だ。ノグリッド村長が倒れるように地面に身を投げた。額を氷の床に擦り付け、叫ぶように訴える。
「お、お待ちください、神官様! 炎の領界から氷原を渡って来られる力量、解放者様に勝るとも劣らぬお力をお持ちと存じます! どうか、我らを哀れと思い、言葉に耳を傾けくださいませ!」
 凍傷で死にかかってたことは、黙ってよう。オイラがきゅっと口を引き結んだ先で、村長は畳み掛ける。
「伝承の通り危機が訪れし時、緑の者が現れてくださいました! しかし儀式には必要な極光の魔鉱石は、凶悪な魔物の棲家となったアヴィーロ遺跡でしか採取できないのです!」
 ほう。兄ちゃんは冷えた声色で相槌を打った。
「では、この村の優秀な狩人を向かわせれば良いでしょう。『恵みの木』の凍結の際に村人達の命を支えた腕利き達なら、きっと期待に応えてくださるはずです」
 そうでしょう? そうトビアスの兄ちゃんが、オイラに振ってくれる。オイラはにっこり頷いてやったよ。
 村長が愕然とした顔をする。きっとオイラに『村人達にそんな危険なことさせらんねーよ! オイラ達が取りに行ってやろうぜ!』って言って欲しかったんだよね。でも、残念でした。悪ガキ共が言うには余計なお世話だったみたいだしぃ? 優秀な狩人様に行っていただいて良いと思いますよぉ。
 歩き出した兄ちゃんに、オイラ達はついていく。オイラ達の背に村長の悲痛な声が響き渡った。
「そんな! お願いです! 我々を見捨てないでください!」
 ごめんなさいねぇー。そう、心の中で舌を出しながら謝罪する。オイラ、この村が氷の領界並みに嬢ちゃんに冷たいの知ってるんだぜ? たまには大人でどーにかしろってーの。
 隣に並んだトビアスの兄ちゃんが、オイラを見下ろして訊ねた。
「ルアム。アヴィーロ遺跡とはどこにある?」
 にっと笑ったオイラに、兄ちゃんも意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「兄ちゃん、優しいなぁ。オイラ凶悪な魔物の棲家まで、ご案内したくなっちゃうよ」
 なかなかの役者で、演出家で、台本は投げ出さないってか? ちょっとはスカッとしたけど、最後は皆が笑えるハッピーエンドを目指してくれちゃうわけ? そんなの、好きに決まってんじゃん!
 『めでたしめでたし』でお話を締め括るまで、お付き合いしなくちゃな!