アスモデウスが降り立つ銀世界 - 後編 -

 ボクの名前はフロスティ。可愛い可愛い、氷の魔物だよぉ!
 白い新雪のような滑らかな肌、死に行く命を優しく包み込む包容力のあるボディ。氷の領界に住む竜族は『白銀の死神』なんてダッサイ名前で呼んでくれちゃうけど、顔はプリティーラブリーで人畜無害そのものさ! チャーミングだけじゃなくて、紺色のマントとナイトキャップってイカした差し色でカッコ良さも備えてる。
 そんな完全無欠のボクは邪悪なる意志に従って、解放者を妨害するお仕事をしてるんだ!
 『恵みの木』を凍らせて竜族達を困らせたり、『恵みの木』を枯らすヤバい枝を挿木して育てたり、解放者の仲間をカチンコチンに凍らして殺そうとしたんだよね。最初の二つも結局失敗だったけど、一番悔しかったのは解放者の仲間を殺し損ねたこと。フツーなら死んでるっしょって思って、逃した奴を追いかけてる間に、氷の領界を探索しているチビ共に助けられちゃった。逃げた連中も逃げ足がはぐれメタル級で、炎の領界まで逃げられちゃうしさー。二匹のはぐれメタルを追うものは、一匹も得られずって奴だね。ボクってば博学ぅ!
 まぁ、殺せなかった奴は解放者の仲間であって解放者じゃないから、生死なんて重要じゃないけどね。
 でも、ついに解放者が来たんなら話は別だ。流石、解放者って言われるだけあって竜族としての力量は桁違いだね。雪原竜の姿になって、氷の領界を爆走してくれちゃうんだもん。輝く嵐に巻き込んで凍え死なそうと思ったら嵐を突破しちゃうし、どんなに冷え込ませたってチビ共が作った拠点に駆け込まれて耐え凌ぐ。
 上手くいかないなんて、最高に腹立たしいんだよねぇ!
 だから、解放者が絶対に行くってわかってる、氷晶の聖塔に先回りさ!
 ボクは氷晶の聖塔で拾ったガラクタを見上げる。死神の騎士の鎧をゴージャスにして、足を取っ払っちゃったらこうなるかなって形。中身は空洞だったんだけど、ボクが操るために みっちり氷が詰まってる。動かしてみたけど結構強いガラクタだよ。頑丈だし、込められた魔力が氷に特化して凄く強い。これを使えば解放者もその仲間も、大いなる邪悪なる意志に従わざるえないねぇ!
 下から大嫌いな温かい空気が噴き上がって来て、緑の枝葉が伸びて包み込んでくる。太い枝が天井を覆い、大きな蕾がふっくらと膨らんで床の近くで首を垂れる。甘い匂いが包み込んだと思ったら、氷の階段が音を立てて架けられ、ボクが待ち構える最上階の空間に繋がった。
 そろそろ、来るんだね。ボクはにっこりと笑顔になるのが堪えられなかった。
 どんなに解放者が強くたって、ボクが操るガラクタの方がずっと強い。生き物のように怪我をして動きが鈍ることはないし、炎が苦手だからって怖気付くなんてしない。万が一バラバラに壊されたって、操るボクに気がつけなければいつまでも戦わされる。人数が多かろうと、強くても関係なんかない。ボクの方がずっと有利。ボクが勝っちゃうんだもんね!
 ボクがガラクタに触れて意識を同調させた瞬間だった。
『ぱんぱかぱーん!』
 頭の中に能天気な声が、至近距離で氷山が砕けたような大音量で響いた。驚く感情を踏みしだき、ボクの頭の中に苦痛を容赦無くねじ込む声は楽しそうに弾んで続ける。
『驚いた? おどろいた? 私はプクリポの神ピナヘト! 至上のエンターテイナーさ!』
 は? なにこれ? プクリポの神? ピナヘト? 何が起こってるんだ?
『もしもーし? もしかして、私の言葉が分からないかい?』
 いや、分かる。分かるさ。ボクはそこら辺の魔物と違って、インテリジェンスだからね! ボクがそう心の中で言うと、声が『分かってるじゃん!』と食い付くように反応する。
『いやぁ、嬉しいなぁ!このフィルグレアに私の意志を少し宿しておいたのは良いけど、ずぅーっと独りで寂しかったんだぁ! 塔が氷漬けになってからは、シナリディもファンナちゃんも遊びに来れなくてさぁ!』
 そんな事情なんか知るもんか。ボクはどうすればこの声が聞こえなくなるか考える。
 このガラクタに接続した瞬間に声が聞こえて、この声もフィルグレアって名前らしいガラクタに意志を宿してるって言ってる。ボクがこのガラクタから意識を分離すれば、この声ともおさらば出来るだろう。でも、頑丈なガラクタに包まれた操るための氷の中に隠れれば安全だし、攻撃の精度も威力も上がって良いこと尽くし。生意気な解放者とその仲間をボコボコにするなら、やらない訳がないっしょ!
 ボクは声を我慢することに決めた。ボクはプリティーでチャーミングなだけじゃなくて、パワフルでタフネスなんだもん! こんなちゃらんぽらんな声に、負けてなんかられない!
『ねぇねぇ、キミはフィルグレアで何をして遊ぶんだい?』
 ボクにはフロスティってイカした名前があるんだけどなぁ。ボクがそう心の中でボヤくと、ピナヘトの声は『キミ』の部分を『フロスティ』に言い直してもう一度聞いて来た。いや、しつこい。とても、しつこい。
 そうしている間に、解放者とその仲間達が階段を登りきった。ボクが殺し損ねた赤い髪の竜族の男に、解放者は寒いのかもう雪原竜の姿になってる。他は女子供って感じ。遠足みたいに和やかな気分だけど、そう思っていられるのも今のうちだからな!
 ボクが向けた敵意を感じて、声が大袈裟なまでに驚く。声はボクの真横で喋っているように聞こえるから、本当に頭の中に焼けた鉄の棒を突っ込まれるように痛い。
『あれが、解放者君かい! そうかぁ! ついに現れたんだね! 良かった良かった!』
 もし声の姿が見えていたら、満面の笑みで全力で手を叩いていると思う。真横から声が聞こえるような感覚だから、横を向いたら本当にそんな姿が見えそうだった。ボクは意識して雪原竜を睨みつけた。
『フロスティは解放者君と戦って試そうとしているんだね! 偉いなぁ! 私は階下にある芽を成長させて、目の前の蕾を咲かせることができたら試練達成で、鍵の円盤渡して、領界を繋ぐ者って認めるつもりだったんだよ。ガズバランの兄貴は手緩いって怒ったけどさ、解放者は腕っ節だけじゃダメだよ。そのために、私の試練は難しめに設定したんだ』
 じゃあ、なんでフィルグレアがいるんだ。確かに拾った時、ガラクタだと思ったけどさぁ。
『フィルグレアは私の意志を宿して留めるための器。解放者君がどんな子だか、興味あるんだもん!』
 氷山が崩れるのを見に来る、竜族の子供みたいな野次馬根性丸出しじゃん。良い例えーって喜ぶんじゃないよ! あー、もう! 調子狂うなぁ! ほら! 見てみろよ! 解放者とその仲間共が、戦う気満々でこっち見てるだろ!
 子供達を蕾のそばに下がらせて、戦う奴らが武器を構えて浮かんでいるガラクタを見上げている。魔力が練り上げられ、闘気が空気を張り詰めたものにする。
 そうだ。戦うんだ。戦って、倒して、ボクは使命を果たさなきゃならない。
 ガラクタとはいえ、魔力を十分に帯びていた鎧だ。ボクの氷を通して操りの魔力がクレバスを流れる冷風のように流れて、思うがままに動かせる。元々、氷の領界の輝く嵐を起こしているのはボクだけど、それ以上の力で解放者達を苦しめることができた。
 指先をも白く染め上げるホワイトアウトで視界を奪い、方向感覚を失わせている間に寒さが容赦無く体力を奪っていく。解放者の仲間を追い詰めたダイヤモンドダストは、輝きに触れるだけで奴らの鱗を切り裂き、傷口だけじゃなく体そのものも凍り付かせてしまう。氷で出来た床を叩くだけで振動した地面を、氷の領界に慣れていない竜族の女が転倒する。
 ボクの力が増幅されて、何もかもが思うがまま。いや、思うままだけなんてツマラナイじゃん。ボクは頭がすごくクリアになって、振りまく冷気の中で右往左往する連中を見て愉快な気持ちになる。チビがちょっと強いダイアモンドダストで堪えきれずに吹き飛んでいくのなんか、腹を抱えて笑ってしまったよ!
 楽しい。たのしい。タノシイ。もっと、ボクをタノシマセテヨ!
 あぁ。ボクは頭の後ろから、冷えた感情が這い上がってくるのを感じる。それに身を任せると、どうすればもっと強い力を放つことができるのか、どうすれば目の前の連中を嬲り殺せるのか、誰かが教えてくれるように理解できるんだ。それがとてもタノシイことで、ワクワクが止まらない!
 ボクの限界がドコなのかシリタイ。
 目の前の竜族達もナカナカ死なないし、チカラを試すにはチョウド良いね!
『あーーーーーっ!』
 ピナヘトの大声が頭の中を貫いた! 折角、声が掻き消えるほどに集中していたってのに、どうしてこんなに声が煩いのかなぁ! ボクの怒りが折角の楽しみを掻き消してしまったけれど、声はそんなのお構いなしだ。
『見て見て! 蕾のところに集まっている子供達を、雪原竜の姿の解放者がずっと庇ってるんだ。あの子供の一人は緑の者だね。あの子が蕾が枯れないように、解放者の体力を注ぎ込んでるんだ!』
 声に促されるように蕾の方を見れば、仄かに光る蕾の傍に子供達が固まっている。雪原竜が体を丸め、抱かれた子供達の一人が手をかざして緑の光を蕾に注ぎ込んでいる。
 ピナヘトは感動しているのか、涙声になりながら早口で言う。
『弱き者を守り、強き者に屈せず、己の命を仲間に託す信頼たるや! ナドラガの兄貴の子供達は、やっぱり兄貴の心をきちんと受け継いでいるんだよ! あぁ、なんて感動的な光景なんだろう!』
 あんなに脆い花弁で出来た蕾が、ボクの全力でも凍りついて砕けていない。その事実がふつふつと腹の底から怒りとなって湧き出してくる。
 ボクの力が劣っている?
 そんな訳がない。ボクはこんなにも強いんだ。ガラクタの魔力の馴染みも良くて、普段よりももっと強く力を放てる。氷の輝きは命だけじゃなく魂を砕くほど。冷たさは希望を奪い絶望に塗り替えるほど。それなのに。それなのに…!
 雪原竜が薄目を開けて、ボクを見た。真っ白で、濁っていて、何も見えちゃいない。それなのに。
 目が、笑った。
 強い殺意が甲高い音を立てて凍りついた。
 コ ロ シ テ ヤ ル … !
 ボクは凍りついた殺意を冷静に抱きながら、ボクの考える絶対に殺せるだろう方法を手際よく選んでいく。ボクの振り撒いたダイアモンドダストの冷気で凍りついた塔の内部は鏡のように内部を写し、万華鏡のように沢山のボクと解放者とその仲間を映し出す。
 その鏡の中のボクを、ボクは魔力で操る。
 鏡の中にいる沢山のボク達が、ボクの指示通りにマヒャデドスを唱えた。反響し響き渡る澄み渡った氷の合唱が、巨大な氷の塊を作り出していく。天空のオーロラの光を取り込んで七色に輝く氷の天板にヒビを入れ、氷は塔を突き破ってまで、何もかもを押しつぶすまでに成長していく。
 僕達はそのまま、その氷に向かって光を放った。光は線となり、鏡のように張り付いた壁の氷を反射して駆けずり回り、空間を真っ白に染め上げていく。それがボクの手元に収束すると、頭上の氷を破壊するために直角に折れて打ち上がる。
 氷が眩いばかりに束ねられた力に、鋭い亀裂が走る音を響かせたと思った瞬間、粉々に砕け散った! 氷の天板を穿ち、オーロラの光が視界の中に飛び込んでくる。
 甲高い音を響かせって砕けた氷が、いやにゆっくりと降り注ぐ。この氷の塊一つ一つが、目の前の雪原竜の姿の解放者すら押しつぶす大きさだ。それがたくさん。降り注ぐ先にいる何もかもを押し潰して、殺すことができる。
 あれほどの大きさだ。頑丈なガラクタだってペシャンコに決まってる。
 ボクも死ぬんだ。他人事のようにそれを見る。
 死んじゃう? このボクが? あの光の見えない目に笑われただけで、ボクも連中も死んじゃうような攻撃を選んじゃうんだ? ヘンだなぁ。こんなことに予定になかった。ボクは華麗に解放者達を倒して、邪悪なる意志に従った功労者としてバンバンザイになるはずだったのに…!
 氷を見上げていたボクの視界が、下からの光に眩む。
 何が光っているんだろう? 目を向けると雪原竜が子供達を庇うのを止め、ゆっくりと身を起こすところだった。守っていた子供達の影に隠れるように、同じくらいの大きさの結晶が光を放っている。
「竜気を十分に貯め込みました! 結晶の力を解き放ちます!」
 女の声が響き、気合いと共に結晶が砕けて光が迸った。
 雪原竜が大地を蹴り、降り注ぐ氷に向かって飛び上がった。氷に触れると、降り注ぐはずだった氷が伝播するようにその動きを止めていく。攻撃が届かない。先ほどまでの轟音が嘘みたいに静まり返り、外の潮騒と、中の木の葉が擦れる音で満たされていく。氷を取り込んだ竜が、ゆっくりと顔をボクに向けた。
 ひぇ…。
 氷の鱗一枚一枚が大盾のように大きく、オーロラの光を受け入れて七色に移ろう。ツノもツメも不純物がなく圧縮されて、流氷の下の冷たい海のような濃い色。翼はない代わりに微動だにしない要塞のような巨大な竜。眼差しが向けられ、圧倒的な気配に喉が押しつぶされて、考えていた何もかもが掻き消される。
 その視線は突然飛びついてきた影に遮られた。
 ボクが殺し損ねた竜族の男が、長い両手杖をガラクタの中に突っ込んできたんだ。男が高らかにイオナズンを唱える。ガラクタの内部に満ちた氷が掻き回され、ガラクタが音を立てて壊れていく。
『フロスティ! すっごく楽しかったね! 私も年甲斐もなく興奮しちゃったよ!』
 死んじゃうかもって怖さは、全く空気の読まない明るさで塗り替えられちゃったよ。ねぇ、ピナヘト。シリアスって知ってる? ボクは死ぬところなんだから、こう、しんみりと送り出したり名残惜しんだりしてくれないのかなぁ?
 けらけらと笑う声は、頭の内側にとげウニを転がすような致命的な痛みと情けなさを突きつける。イオナズンで掻き回された氷でズタボロなのか、ピナへトの大音量で頭の中がぐちゃぐちゃなのか、もうわけわかんない。
 ボクも自分が死ぬときなんか想像もしたことなかったけど、一言で言うなら最悪だよ。何が悲しくて、大音量の笑い声の中で死んでいかないといけないのさ。
 『ねぇ。聞いてよフロスティ』って言ってくるけど、聞くか聞かないかの選択肢、ボクにはなかったよねぇ?
『私はね、ナドラガの兄貴があんなことになって、誰も笑えない最悪のエンディングになったことが本当に辛かったんだ』
 聞いてよって言ってる割に、ボクには理解できないことを言ってこないで欲しいなぁ。しょんぼりした声出したって、同情なんかしないからね。
『だから兄弟達にナイショで、こっそり『恵みの木』を植えたんだ。バレたら毛皮を全部毟られちゃうって、スリリングでドキドキで楽しかったよ! あ、兄貴の子供達に笑ってもらう為だからね。本当だって』
 あの木を植えたのってピナへトだったんだ。
 思い浮かべる大きな木は、ボクも長く生きてるから思い出もあるかな。たまに『恵みの木』の果実は食べに行った。最後の熟れた時の激甘が大好きなんだけど、村の竜族が採っちゃうからレアだったんだよなぁ。氷の領界の魔物達は、別に甘く熟してないのも喜んで食ってたけど。
『キミも喜んでくれてたんだね! 嬉しいなぁ。エンターテイナー冥利に尽きるよ』
 べ、別に喜んでないからね! ぷくぷく笑うんじゃない!
『この蕾はこの領界の全ての生き物が、笑顔になっている時に花開く。寒さを堪える精神力、この塔の諍いを鎮める優しさ、緑の者と協力する協調性。そして試練を乗り越える力。兄貴の子供達が最高の笑顔で未来を歩み出そうとしていると、私は確信しているよ!』
 ちなみにね。ピナヘトが笑う。
『果実が熟れ切ると種が出来るんだけどね、その種を植えると『恵みの木』が育つんだよ。シナリディは真面目だから、過労死しちゃうかも! ねぇ、フロスティ、手伝ってあげてよ! キミの氷の力なら、氷の領界の冷気から新芽を守ってあげられるだろう?』
 一方的に言ってくるけど、ボクは死んじゃいそうなんだけど…? ほら、梯の先でも元気でねとか、星降りの夜に会いましょうとか、言って送り出してくれていいんじゃないの? 気の利いた言葉が言えないなら、さよならだけでも良いんだけど。
 呆れ果てるボクの思いに、ピナヘトは大笑い。絶対、腹抱えて転がってるよ。
『あはは! 死なない。死なないよ! 私がプロデュースする企画に、死ぬ役は存在しないんだから!』
 死なないだって? イオナズンで氷がぐちゃぐちゃになって、その中に隠れているボクが無事だって本気で言ってるの? いい加減気がついちゃうんだけど、いつまでぐだぐだピナヘトの話を聞いてなきゃいけないんだろう?
 もしかして死霊系の魔物になって、この能天気な声と永遠に一緒なの? それ、かなり嫌なんだけど…!
 底抜けに明るい声は晴れ晴れとして、本当に空に飛び立ってしまいそうだった。
『楽しかったよ! フロスティ! 解放者君! キミ達になら、兄貴の子供達の未来を安心して託せる!』
 じゃあね! そんなあっさり過ぎて別れの言葉とは思えなかった一言を最後に、ぱったりとピナヘトの声が聞こえなくなる。真っ暗な中で一人きり。え? ボク、置いていかれたの? いや、ボクはどうなっちゃうのさ!
 不安が這い上がってくる中で、がちゃがちゃと闇が音を立てて動く。覆いかぶさっていた闇が取り除かれて、氷の眩さとオーロラの曖昧な七色が目に突き刺さる。刺激的な光を遮ったのは、ボクが半殺しにした竜族の男だ。
 光を背に暗く影を落として顔はよく見えないけれど、光るように黄金の双眸がボクを見下ろす。
「こいつが、解放者の試練の番人の正体?」
 いいえ、違います。
 この男はボクが永久の氷原で半殺しにした憎っくき魔物だって、わからないのか。輝く嵐や、氷の領界の光の反射でボクの姿がよく見えなかったんだろうな。このまま黙ってれば、逃げられちゃうかな?
 赤い髪の真後ろから見下ろしていたピンク色の髪の女が頷いた。
「そのようですね。手に円環の遺跡の起動に必要な、円盤を持ってらっしゃいますもの」
 言われて初めて、ボクは手に何かを持っていることに気がついた。いつものプリティーな雪だるまをてっぺんに飾ったスティックじゃなくて、輪っかを掲げた女性らしきものが刻まれた分厚い円盤だ。氷かと思ったけど、氷のように見える透明感のある石で出来ている。
 その円盤を覗き込んだのはボクだけじゃない。解放者も円盤の匂いを嗅ぎ分けるように、鼻面を寄せた。
「この塔の試練っぽいのもクリアしたし、お前さんも倒した。解放者と認めて、俺達に円盤をくれるんだよな?」
 ボクが邪悪なる意志に言われたのは『解放者の妨害』だ。この石板を壊したり隠したりするだけで、解放者は闇の領界に行くことができなくなる。そうだ、丁度天井も壊れてることだし、ボクでも力一杯石板を外に投げれば海の中にぽちゃん出来るかも! さすがだなぁ、フロスティ! 惚れ惚れする意地悪っぷりだ!
 ボクが緩んだ口元から、いつもよりも長めに舌が出てしまった時だ。解放者はボクの顔に頬擦りでもするように、ぐっと顔を寄せた。鋭い牙が擦れる音すら聞こえる至近距離で、解放者が囁くように口元を動かした。
 黙って渡せば、お前がトビアスを半殺しにした仕返しはしないでやる。そう、聞こえた。
 ひぇ。ボクはブルリと縮み上がった。
 ガラクタで調子良く追い詰めていれば、ピナヘトの声が煩くて集中できない。解放者が必要な重要アイテムを手にしておきながら、隙のない解放者のせいで手に入れた意味すら無くなっちゃう。
 すっごく楽しかったね! 本当に嬉しそうなピナヘトの声が響いた。
 あーあ。なんだか、全部馬鹿馬鹿しくなっちゃった。邪悪なる意志に従うのも、どうでも良くなっちゃったよ。
 さっさと円盤渡して、あまーい果実でも探しに行こう。