光届かぬところをすなわち闇と名付けた - 前編 -

 初めて棺に花を入れたのは曽祖母の葬儀だ。棺の中で眠っているような老女は美しかった。油を染み込ませた櫛を丹念に通して艶めく白髪。女性達が施した化粧は、青褪めていた彼女の頬や口元に血色の良さを取り戻した。咳き込んで苦しそうだった背中を見ていたせいで、まだ死を知らない幼い俺は良く眠っているなって思ったものだ。
 幾許かの硬貨が添えられ、彼女が普段使いしていた日用品が棺に収まる。その上に村人達が花を手向けていくと棺の中は花でいっぱいになった。聖水が撒かれて雫が輝く。
『クロウズ。ひいおばあちゃんはね、再び目覚めるその時まで眠るのだよ』
 不思議そうに見上げた俺を、じいちゃんは愛おしげに見下ろして微笑む。
『竜の王は不滅の魂を持ち転生を繰り返す。その竜の民である我々も、死から目覚める時が来るのだよ』
 そうなんだ。俺は棺の中の曽祖母が目覚めることを、明日か明日かと楽しみにしながら墓参りに行った。じいちゃんと繋いだ小さい手は大きくなり、繋がなくなった頃には目覚める時など来ないと分かる。父と母が死んで村のお年寄り達の葬儀は年に何度も行われ、竜族の隠れ里は瞬く間に閑散としていった。
 村が死んでいく。
 だが俺の力では、どうにもならないことだ。隠れ里に暮らす竜族は血が濃くなり過ぎて、折角授かった子供が成人に達することすら難しかった。アストルティアには隠れ里の他に竜族は住んでいない為に、他所の血を入れることは叶わない。里長であるじいちゃんも大人達も、里の滅びを受け入れつつあった。
 どうして、俺達が滅ばなくちゃならないんだ!
 竜族の隠れ里には、記憶を操作する術が代々受け継がれていた。それは隠れ里の竜族が人里に降りる時に、自分達の存在を残さないための手段。変化の術と記憶操作の術を体得できなければ、人里に降りることは絶対に許されなかった。気に入らない。なぜ、隠れなくちゃならない。知られたって良いじゃないか。
 怒りがふつふつと次から次に湧いて、胸を焼いていく。
 何一つ悪いことをせず慎ましやかに生きている俺達が、一体何をしたっていうんだ?
 嫌だった。俺が生まれ育った故郷か消えてしまうだなんて、認めたくなかった。女神ルティアナの長子にして最も秀でた種族である自分達が、滅び去るなどあってはならなかった。
 穏やかで優しいじいちゃんが、神聖なものに見えた。いや、村の何もかもが俺の抱える感情の前では、清らかで汚したくない存在になっていた。
 守りたい。失いたくないと強く思う。
 隠れ里が滅び俺一人が取り残された未来は、直視したくないほどに恐ろしかった。その恐ろしさを突き付けているのが、ナドラガ神より劣っている弟妹神とその民だと思うと怒りが熱を帯びる。
 物心ついた時には燃え盛っていた激しい憎悪に追い立てられ、俺は里の歴史で最年少で記憶操作の術を体得した。神童と持て囃される中で竜化の修行を行い成し遂げた時には、俺はもう里から飛び出していた。弟妹神の民に助けを求めるなど、したくもなかった。俺達のことを知りもせず、知らぬままに生きていく連中が憎くてたまらなかったから。
 俺は隠れ里を興した先祖の故郷、ナドラガンドを目指した。
 同族ならば助けてくれると、蜘蛛の糸に縋る思いだった。
 ナドラガンドには、アラハギーロのように多くの竜族が行き交い暮らしているだろう。グランゼドーラのように民を纏める王がいて、国が栄えていることだろう。ダーマのように我らが種族神が奉られ、隠れることなく大手を振って信仰されているに違いない。俺は輝かしく繁栄するナドラガンドを、ありありと思い描いていた。
 ナドラガンドへ行けば、全てが解決する。竜族が暮らしていた伝説の地へ至るまで、そう頑なに信じていた。

 ■ □ ■ □

 巨大なデスゴーゴンが地響きを立てて倒れ、歓声が上がった。
 アストルティアでもヌーデビルとして見かける、獣系の魔物と同じ種族だ。普段は攻撃を加えなければ真横を歩くことすらできる、やや鈍感な性格も変わらぬようだ。立派な角や牙が危険に思えるが、大木のような4本足が支えるちょっとした家くらいの巨体の方が脅威である。非常に分厚い皮で覆われていて生半可な攻撃は弾かれ、万が一足で踏まれたり倒れた巨体の下敷きになったら命がない。
 そんな巨体を誇るデスゴーゴンは、闇の領界において肉の塊のごちそうだという。岩場の高低差を利用して上を取り、ガノと呼ばれていた老ドワーフのハンマーで一撃必殺を狙う作戦で狩りをしたんだ。
 シンイの幼馴染である青紫の髪の人間が、巧みにデスゴーゴンを誘導する。大きすぎて追い立てるのは難しい。獲物の移動ルートを塞ぎ、音などで引き付けたりして、待ち伏せしている場所に誘導する。移動が遅い魔物だから時間は掛かるが、環境さえ整えれば怪我人を出さずに狩ることができる。
 実際に狩りは大成功だ。竜族の狩人達はその手際の良さを、両手を上げて称賛した。
「アピアン殿。この魔物はどう村に持ち帰るのだね?」
 ハンマーで肩を叩いているガノが、食材となったデスゴーゴンから、この地で出会った竜族に振り返る。アピアンと呼ばれた狩人は、茶色い髪の下で猫のように光る金色の双眸を瞬かせながら頷いた。
「あぁ。この場で解体する。注意点としては、毒を溜め込む内臓を傷つけないことだ。内臓の中は凝縮された毒で満たされていて、闇の領界の魔物ですら死に至るからな」
 物欲しそうなルアムという人間の少年の横で、アピアンが剣を引き抜いた。
 他の狩人達も続々と剣を引き抜き、デスゴーゴンの皮を削いでカーペットのように広げ出した。なるほど、こうすれば毒に汚染された地面に触れずに肉を捌くことができるのか。荷車を寄せる者、切り出した肉を皮袋に詰める者、獲物を横取りしようとする魔物を警戒する者と、手慣れた様子で狩人達が動き出した。
「本来なら村で解体した方が毒の汚染の心配がないのだが、この巨体だからな。皮を開いてその上で肉を解体して村に持ち運ぶんだ。狩人総出で綱を角に掛けて顔を狙ってようやく倒せる獲物なのに、ルアム殿の知恵とガノ殿の力で村の者達は暫く飢えずにすみそうだ」
「なに。この領界を生き抜く知識は、吾輩達の命と同等の価値がある。この程度の協力は造作もないことよ」
 解体作業を手伝いながら、ルアムとガノは狩人達から危険な臓器の場所や捌き方を教わっている。村人の糧となる肉を積み、皮や角や牙を載せると、荷車は何台にも及んだ。
 狩人達の列は足取り軽やかに、彼らの暮らすカーラモーラ村へ進み出す。
 闇の辺獄と呼ばれた狩場は、この闇の領界ではかなり高い場所にある。山の稜線のような細い道は多くの人々が何億と行き交ったが為に平にすり減り、少し下方を見れば気化した毒が雲海のように満ちている。それが見渡す限り。真っ黒い空から地面に向けて突き出た塔の向こうに、帰るべき村の明かりが灯っていた。
 闇の領界は名の示す通り、闇に閉ざされていた。
 新月の夜の底ですら、ここまで暗くはないだろう。どれほど闇を煮詰めれば、指先を蕩かすほどの泥炭のような黒となるのか。その黒の中を生き抜いた植物や生き物は、アストルティアに存在するありとあらゆる存在からかけ離れている。地面から養分と共に吸い上げた毒素を、胞子と共に放出する植物。発光する昆虫。植物は光苔のように光っているが、その背丈は僕よりも高い。真っ黒い空から地面に向けて突き出た塔の下に広がるのは、高濃度の毒が溶けた海だ。波打ち飛沫が上がる度に、毒が舞い上がり霧のように立ち上る。
 そしてこの闇の領界には、鋭い爪を持つ太い竜の腕のようなものが生えている。硬い岩盤や毒の海と所構わず、数えきれない竜の腕が生えている。一枚一枚が大盾くらいの大きさがある鱗は剥がすことができそうで、その内側には固く乾涸びた肉らしきものが詰まっている。淡く発光する爪はガノ曰く、プラチナ鉱石よりも硬いらしい。
 竜族が一体何をしたというのだろう。
 害意で溢れかえり生きることすら許さない環境でも、カーラモーラ村の村人達はどうにか生きている。

 狩人達の凱旋を迎える村人達は、食材を荷車から下ろして満月の渓谷に運び出す。まるで蟻のようだと、俯瞰するように眺めていた。
 クロウズさん。名前を呼ばれて振り返ると、ルアムとガノが歩み寄ってくるところだった。
 ルアムは老ドワーフよりも一歩前に出ると、シンイを彷彿とさせる笑みを浮かべる。シンイは穏やかな男だが、彼の幼馴染も同じ雰囲気を持ったいかにも優しそうな子供だ。故郷を焼かれ、昨日まで挨拶を交わした同郷の者達が死んでいく地獄を見てきて、故郷を滅ぼした元凶に命を狙われ続けてきたとはとても思えない。こんな真っ直ぐな子供の魂を抱えていたプクリポの底知れなさを感じる。
 原始獣のコートセットの毛皮の部分をこの領界の毒と同じ色に染め上げた彼は、目の前に立っていても見分けづらい。日に焼けた肌色と夕暮れを思わせる青紫の瞳が浮き上がるようで、生首が浮かんでいるように見える。
「体調は大丈夫ですか?」
 心の底から心配している声と聞き慣れた訛りは、シンイに話しかけられたように錯覚する。
 体調は最悪だ。闇の領界の毒は、常に魚の小骨が喉に引っかかるような違和感を齎す。それでも毒そのものの症状は軽く、命を脅かすものではない。
 毒の症状よりも、闇の領界の環境を体が拒絶することの方が重い。食物は全て毒に冒されていて、浄化しても消えぬエグ味が存在する。満月の渓谷の水も綺麗に見えて、言いようもない臭みが鼻を抜ける。慣れなければ口にしただけで吐き気が込み上げ、とてもではないが飲み込めなかった。俺は今、殆ど飲まず食わずで過ごしている。空腹や栄養状態の悪さが、体調悪化に拍車を掛けていた。
「これから下弦の月の丘に『月』の光が差し込むはずなので、一緒に行きませんか?」
 闇の領界の毒は『月』の光でしか解毒できない。
 慣れていないアストルティアの民には、ほんの少量とはいえ毒に侵されればキツい。克服したとはいえ同じ道を歩いてきたルアムとガノは、俺のためにと提案してくれたのだろう。
「助かる。そうさせてもらえるか?」
 ルアムはふんわりと喜びを顔に広げると『じゃあ、参りましょう』と踵を翻した。背に背負った弓と矢筒、矢筒に収められた何本もの矢がざらりと音を立てる。
 ルアムの狩人としての基本は観察にあるという。ルアムは事前に数日を掛けて動物や植物を観察し、対象の行動や生態を具に観察する。そうして近づいては危険な植物でも安全に横切れる頃合いを導き出し、昼夜関係のない暗闇の魔物達の行動を予測した。
 最低限でしか村から出ない竜族達と異なり、かなり離れている下弦の月の丘に気軽に行けるのが探索慣れているのを物語っていた。先を進む彼らの腰に吊るされたランプの灯りを追うように、目的地を目指す。
 口や鼻を水で湿らせ極力毒を吸い込まないようにした布ごしに、俺は先行く二人に声を掛けた。俺から話しかけてくるとは思えなかったのだろう。談議に花を咲かせていた二人は、驚いて振り返った。
「ルアム、お前はシンイと幼馴染と聞いている」
 シンイは故郷のことを語る時、よく二人の幼馴染を話題にあげた。失敗ばかりの錬金術士の兄と、しっかり者の狩人の弟の話を面白可笑しく話したものだ。滅ぼされた故郷を思い返す顔は苦しげだったが、その二人の話題だけは明るく楽しげに語ってくれた。
 肯定するように頷いたルアムに、俺はずっと喉の奥に引っかかっていた問いを吐き出した。
「シンイは、ナドラガンドがこの有様であることを知っていたんだろうか?」
「知っていた? どういう意味じゃね?」
 ガノも俺の質問から浮かんだ疑問をルアムにぶつける。ルアムの返答は世間話をするようだった。
「エテーネ村には不思議な力を持つ人がいるんです。特に巫女のアバ様は、未来予知に秀でておられました」
「シンイも未来を予知できていた。俺はシンイの『ナドラガンドへ行くことができる』という予言を信じて、共に行動していたんだ」
 ふむ。老ドワーフは顎髭を撫でながら黙り込む。『未来予知を知っているなら、なにを聞きたいんだろう』と、足を止め首を傾げるシンイの幼馴染を真っ直ぐに見つめた。
「シンイは未来予知で、ナドラガンドの竜族達のことを知っていたんじゃないのか? どうして、俺に教えてくれなかったんだ?」
 俺の言葉にルアムは唸りながら口元に手をやった。眉根を寄せて考え込むことしばし、ルアムは顔を上げた。
「実は同じように未来を予知できる方に、似たような質問をしたことがあります」
 未来が視えるというプクリポの王子曰く、未来は最も可能性が高いものが視えるそうだ。災害など多くの未来に影響を齎すものが視えやすいが、些細な切欠でコロコロと変わってしまうらしい。さらに視え方も様々で、細切れの情報の断片であったり、忘れてしまうほどの未来のことであったり、目の前で見るかのように鮮明であることもある。視え方や指定した未来を選ぶことは、その王子にはできないそうだ。
 そう説明したルアムは、申し訳なさそうに目を細めた。
「エテーネ村に暮らしていた時は、未来予知は特別な力だって知らなくって…。ただアバ様やシンイさんが『こうなる』って言ったことが、明日とか明後日に起こるんだろうなって程度で…だから、あんまり知らないんです」
 ごめんなさいと頭を下げる青紫の後頭部を庇うように、ずんぐりとしたトレジャーコートが遮った。
「クロウズ君。そういうことは、シンイ君に直に聞けば良いじゃろう」
 その通りだった。ルアムが謝る必要も、申し訳なく思うこともないのだ。
「なんか、怖くて…さ」
 俺は居心地の悪さを感じながら、意味もなく髪を梳いた。長い絹糸のような金髪が、さらさらと指の間を擦り抜けていく。重い気持ちが視線をどんどん地面に落として、毒の海を覗き込みそうだ。
「シンイって良い奴で優しいんだ。誰かに意地の悪いことなんか、する訳ない。ただ、俺が疑ってるだけだ。浅ましい奴だなって、怒ったりがっかりさせたりすると思うと…。なんだか、聞けなくてさ」
 言ってるうちに情けなくなって、最後の方はもう、ごにょごにょと言葉にならなかった。
 ぷっと吹き出す音がすると、目の前からくすくすと笑い声が漏れ出した。
「ほらー、ガノさん。言ったじゃないですか。クロウズさんは良い人だって」
 バンバンと広い背を叩く音を響かせると、ルアムは足取り軽く先を歩き出す。
「でも、クロウズさんの気持ち、僕、分かりますよ。大人達は理由を教えないで『あれはいけない』『これはダメ』『あそこは危ない』って言うんです。シンイさんも歳が離れていたので、子供に見えて大人の仲間でした。幼い僕は生意気で、すごく腹立たしくてですね…」
 俺は驚いて思わず目を見開いた。シンイが語るルアムという弟に、生意気というイメージがなかったからだ。
 実際に闇の領界での立ち振る舞いや、竜族との関わり方を見るに見た目の幼さ以上に大人びている。確かに故郷が焼かれた時の姿形だが、魂は数年の年月を経ている。だが、それ以上に冒険の中での経験が、この子を成長させているのだろう。
 ルアムと再会したシンイの喜びを今更ながらに実感する。
「ダメだって言われていた、森の奥に一人で入って迷子になってしまいました。村中大騒ぎで、篝火上げて夜通し捜索されちゃいましたね」
「ほっほ! ルアム君にも生意気盛りなんてものがあったんじゃな!」
 横から茶々を入れるガノに、ルアムが止めてくださいよと笑う。
「木の根っこの隙間に隠れて、膝抱えて泣いてる僕を見つけてくれたのはシンイさんでした。泣いてる僕が視えたんですって。シンイさんの顔を見たら、ものすごくホッとして、抱きついて大泣きしましたよ」
 ルアムが振り返って俺を真っ直ぐ見上げた。邪心も疑念もない、水鏡のように美しい瞳だった。
「シンイさんは、皆の為に力を使う優しい人です」
 この言葉だ。
 ずっと、この言葉が欲しかった。
 俺は受け取った言葉が、すとんと胸に収まるのを感じていた。
 シンイを疑うことが馬鹿げていることは、誰より俺が分かっていた。あのシンイが俺を騙したり、陥れる訳がない。ナドラガンドの悲惨さを言わなかったのは、知らなかっただけだ。いや、シンイは冷静だから敢えて伝えなかっただけ。俺がカッとなって暴走したり、余計な不安を抱かせないためだ。一緒にナドラガンドへ行きましょう。その言葉がどれだけ俺を支えてくれていたか、忘れたなんて言わせない。
 それでも不安だった。ぐるぐると考えが巡って、澱んでいくのがわかる。
 誰かに言って欲しかった。シンイは良い奴だって。シンイは優しい奴だって。俺が信じているシンイを肯定して欲しかった。俺は口元が、どうにも歪んでしまうのを堪えられなかった。
「あぁ、そうだな…」
 いつの間にか下弦の月の丘に到着していた。黒か白く発光するかのどちらかでしかない闇の領界の植物だが、この丘に限っては緑に色づく草が生えている。淡い光に照らされていると胸が痞えるような毒の苦しさが和らいだ。
 僅かに光が降り注ぐ丘から見上げれば、真っ暗い空にぼんやりと半月が浮かんでいた。その半月の光が刻々と強くなっていき、ついには足元に薄く影が出来るほどの光量に達する。それらを眩しく見上げていると、いつの間にか喉のいがらっぽさが消えていた。
「『月』は本当に不思議ですね」
 『月』が何なのかはわからない。だがこの領界を満ち欠けながら照らす光を、竜族達は畏怖を込めて『月』と呼んでいる。満月の渓谷や下弦の月の丘といった特定の場所に、一定の周期で輝きを増す浄化の光の源だ。
 ルアムもガノも翳した手の隙間から『月』の光を見上げていた。
「やはりこれ程の光量に至らぬと、解毒できぬようじゃな。淡い程度では予防が精々か」
「定期的に『月』の光を浴びないと、死んでしまうなんて厄介な毒ですね」
 闇の領界の毒は体に蓄積し排出できない。『月』の光を浴びずに過ごせば、一年も生きることは難しいらしい。さらに植物が放出する高濃度の毒を吸い込んでしまったり、狩りの獲物の臓器に凝縮された毒に汚染されたものを摂取すると瞬く間に死に至る。
 実際にこの闇の領界で唯一の村、カーラモーラの村人は年に数人が毒で死亡しているそうだ。
「領界の生物は毒を濾過して、臓器に溜め込んだり放出する進化をしているものが多いようです。しかし竜族は闇に慣れて夜目が利くよう順応はしたようですが、毒の耐性は今だに獲得できていません。どうにかしてあげたいですよね…」
 ルアムの声は深い同情からか、我が事のように悲嘆に暮れているのが分かる。
 毒に詳しい彼は闇の領界に存在する様々な植物や魔物の毒を、採取しては瓶詰めにしている。なんでも、仲間に腕の良い薬師がいるらしい。その薬師と合流したら、解毒薬の開発に役立ててもらおうと集めているそうだ。
 なんだかなぁ…。その横顔を見ていると、お人好しが過ぎてどっかの誰かを思い出す。
「どうにか出来るのか?」
 俺の問いにガノは不敵に笑った。
「やってみなければ、なぁんも分からんじゃろう?」
 闇の領界の竜族は生きるので精一杯だったが、力の限り生きている。ナドラガンドが奈落となりアストルティアの神々に見捨てられた神代の時代から、力の限り生きて、命を繋いで今に至っている。血の涙を流し歯を食いしばり誰かの亡骸を踏み越え這ってでも、滅んでなるものかと生きてきた。
 正直、ナドラガンドの竜族に失望した。
 助けてもらおうと縋った相手が、貧困で地面を舐めているような有様なのだ。俺の思い描いていたナドラガンドの繁栄は、シンイと別行動をし領界を巡る度に粉々に砕け散った。
 だが、全ては俺の勝手に期待し勝手に失望した、身勝手な感情でしかない。
 どこかで諦めていたら、カーラモーラ村の竜族はいない。俺が諦めなければ故郷を救えると、足掻いた日々に重なって見えた。
 厄災は強大だ。俺達がどうにか出来る規模じゃない。
 それでも、ガノの言う通りだ。やってみなければ、わからない!
「その通りだな!」
 俺は故郷を救いたい。隠れ里の皆だけじゃなく、遥かなる竜族の故郷ナドラガンドの民も救たい。苦しみから解き放たれて、幸せになってもらいたい。今が底なら這い上がるだけだ。そう、心から願った時、前が拓けた気がした。
 何が出来るか分からない。それでも、進むべき方角が定まって見えた。