光届かぬところをすなわち闇と名付けた - 後編 -

 影の谷と呼ばれる道は、毒の海の上を横断するように伸びておる。所々舗装された跡が見受けられるのは、この道がナドラガ神の祠への参道であった名残であるそうだ。上弦の月の谷に『月』の光が差し込んでおれば、下層の海際まで行くこともできよう。しかし『月』を失ってから下層は完全に毒の海に沈み、橋のように続くこの道の際にまで打ち寄せてきおる。
 カーラモーラ村も崖が盾になり被害を免れた家屋があったが、魔物達も流されずに無事だったものもそこそこにおった。『月』が無い状態では、なるべく毒は吸い込まぬに限る。やや閑散とした道を、我輩達は足早に進んでいく。
 我輩は閃光弾で目眩ししたブラックドラゴンの脇を抜け、安全なところで同行者に振り返った。
「カイラム殿、なかなかの腕前をお持ちじゃな」
 追いついたカイラム殿は、照れ臭そうに白髪を掻いた。
「なに。カーラモーラの男は狩りが出来ねば、一人前とは認められぬからな」
 カーラモーラ村の村長殿は、普段着込んだ黄色の衣を脱ぎ狩人の装いで背後に続く。領海に馴染む暗い衣の上に、艶を消した胸当ては随分と使い込まれておる。そして手には引き金を引くと装填した矢や弾を打ち出す、弓弩が握られている。ルアム君の弓よりも殺傷能力の高い一撃を放つことができるが隙が大きいため、安全な後衛が使うことが求められる武器じゃ。旅人よりも軍隊での運用実績が多い武器じゃろうな。
 流石は村一番の知識人。闇の領界の魔物は毒による視界不良から、外部の情報を得る手段を視力に頼っておらぬ。音や体温、匂い、そんなものから我輩達の居所を察知する。魔物達の特性をよく理解しており、適切な閃光弾や音響弾、火炎弾の使い方を心得ておる。
 カイラム殿の対応で、我輩達は全ての戦闘を回避して先を進んでおった。
「そろそろナドラガ様の祠だ。先日の津波で保管庫がダメになっておらねば良いがな…」
 周囲に竜の腕が生える密度が増してゆく。発光するように光を帯びる爪に照らされ黒曜石のように鱗を輝かせたそこは、竜の手に包み込まれたかのようだ。その圧迫感は本能的な危機を感じ取らざる得ず、魔物達の姿がないのはその為じゃろう。我輩も居心地は悪いが、それでも魔物がおらぬ安全地帯であることには変わらぬ。
 警戒を解き、祠の中央にある天へ突き上げるような竜の手に向かい拝礼する。一足先に拝礼を済ませたカイラム殿は、祠の隅に足を向け備え付けられていた石扉を開けておった。そこそこの広さのある空間には、所狭しと鉱物などの素材が置かれている。その一角に堆く積まれている鉱物へ足を向ける。
「これが、サルファバル鉱かね?」
 カイラム殿の肯定を横に聞きながら我輩は一つを手に取る。透明度は高いが波打つように屈折しており、武器に使うような強度はなさそうに見える。
「魔獣サルファバルを解体した際に取り出せる、体内で結晶化した素材だ。精製した液体を塗ると、塗った素材が活性化する作用がある。武器に塗れば結合が強固になり頑丈になったり、苗木の肥料に混ぜれば成長が早まる。カーラモーラ村の子供達が逞しく育つようにと、生後間も無く額に塗るという風習もかつてはあったものだ」
「今は使わぬのかね?」
 我輩の問いかけに、大袋を広げ手近な鉱石を放り込んでいくカイラム殿は振り返らずに答える。
「元々、精製の難しい素材であったが、私の代から生物に使うことは禁じている。サルファバリンを施した作物は急激に成長するが、その分、実りは少なくなる。かつては狩人が服用して強大な魔物を仕留めたそうだが、そんな伝説的狩人ほど短命であったと記録にある。恩恵の分、対価が存在するのだろう」
 なるほど。相槌を打つ我輩の前で、大袋が2つほど出来上がった。カイラム殿は『この程度で足りるだろう』と顔を上げた。
「老骨に鞭を打つ前に、休憩を挟まねばな」
 流石に蜻蛉帰りができるほど、互いに若くはないの。焚き火を囲み、毒苔茶を入れ、村人が用意してくれた簡単な食事の包みを開く。そうしてお腹がくちくなり、体が休まってきた頃じゃった。
 ガノ殿。そう我輩に声をかけるカイラム殿の顔は、緊張に満ちていた。
「『楽園』が如何なる場所であったか、話してくれないか」
 楽園から戻ってきたサジェ君は、興奮した面持ちでカーラモーラ村の者達に楽園のことを語って聞かせた。
 薄明かりに満たされた、毒のない正常な空気。見たことのない金属で作られた、どこまでも真っ平らな地面。美しい宝石のような神殿。そこには竜を追放した悪魔は存在せず、新しい『月』を上げ、崩落した地面を直そうと規律正しく動くカラクリ達がいたこと。僕はそのカラクリ達にサルファバリンを持ってくるよう頼まれたのだ、と。
 村人達は怪訝な顔でサジェ君の話を聞いておった。
 なにせ、共に『楽園』に至った我輩達が、浮かない顔をしておったからの。
「『楽園』には確かに悪魔がおったよ」
 我輩はカイラム殿に語り始めた。
 『楽園』は毒とは無縁の美しい場所であった。幾重にも薄雲に囲まれた空は薄明るく、地の果てまで続く美しい金属で加工された大地はまさに神の御技と言って良い。『楽園』の中心には神殿のような建築物が建ち、闇の辺獄の外れにあった円環の遺跡と同じものがある。
 新月の海の上にある地面は『月』の墜落で、大きく崩落しておった。その規模はカーラモーラ村から見下ろす毒の海と同じくらいと例える。
 その崩落を修繕するのは、夥しい数のカラクリ達じゃった。
 我輩もドワチャッカの歴史に精通してはおるが、あんな形のカラクリは見たことがない。鈍い金色の外装は見たことのない金属であり、大きさはドワーフの背丈ほどの筒のような形。蛇腹で覆われた腕は大きく伸びて、巨大なものも簡単に持ち上げる。カラクリ達のプログラム解析は不可能だったが、問えば答える。目らしい二つのレンズから我輩達を視認し、言語システムを介して電子音でコミュニケーションを図る。その無駄のない受け答えは、ドワチャッカの神カラクリを彷彿とさせる。
「『楽園』に存在したのは、『楽園』を維持する無数のカラクリ達じゃ」
 大地の修繕と予備の『月』の復旧に整然と動くカラクリ達は、我輩達にサルファバリンを要求した。それを使えば、復旧までの日数が大きく短縮されるとのことじゃ。
 『月』を一刻も早く上げたいサジェ君は、目的を同じくする同士にでも感じたんじゃろう。顔を輝かせカラクリ達に混じって作業を覗き込んだりと、存分に好奇心を満たしておった。
 じゃが、我輩は分かる。このアストルティアにて、我輩こそが最も分かっていることじゃろう。
 カラクリは所詮カラクリ。設定されたプログラムを超えた選択をすることは出来ない。生物が持つ感情をどんなに複雑なプログラムを組んで再現したとて、プログラム通りに再現して実行したに過ぎぬ。あのカラクリ達は『楽園』の維持というプログラムを実行する際に、サジェ君を含む我輩達にサルファバリンを持って来させることが最も合理的と判断しただけなのじゃ。
「そのカラクリが、『楽園』の悪魔なのかね?」
 村長の問いに、我輩は小さく頷いた。
「カラクリ達の『楽園』維持プログラムには、今回のような崩落の修繕や『月』の復旧はもちろん、竜族の排除も含まれておった」
 設定された命令は絶対。書き換えることも考えたが、実行に至ろうとして害を齎す者と認定されたら厄介じゃ。神の御技と思う技量の前に、何かできるとは思えぬ。
 『月』が復旧し、竜族の排除が優先事項としてあがった場合どうなるか。
 当然。あのカラクリ達は竜族を排除しにくる。抵抗すれば殺すじゃろう。そこに痛む心はなく、躊躇いなどない。アストルティアには敵意をプログラムされたカラクリは魔物扱いされておるので、ルアム君もクロウズもなんとはなしに理解しておろう。しかしサジェ君は違う。あの子がどんなにあのカラクリ達に親近感を抱き、サルファバリンを手に入れようと心を砕こうと、決して届くことはない。
 絶望するじゃろう。あの子はカラクリと心を通わせたと思うておるから、話せば分かる、なんとかなる、希望はあるとでも思うておるじゃろう。そんなものはない。
 設定は全て。実行は正義じゃ。
 我輩は己の手を見下ろした。クイックに親しみやすい反応を組み込み、サジェ君の抱く幻想と同じものを広げているのは、他でもない我輩だということが胸に重くのしかかる。
「竜族の存在は『楽園』の維持において、総合的に不要と判断された可能性がある」
 我輩の言葉が闇の中に吸い込まれる。元々静かな領界であるが、ナドラガ神の祠の中は更に静謐であった。幾度か焚き火に焚べた薪が爆ぜた後、カイラム村長は重く深い息を吐いて呟いた。
「だから、我々の先祖は『楽園』を追放された…か」
 賢い村長殿だ。我輩の述べた可能性が、最も現状に付合すると納得しておろう。『楽園』を捨てることは、闇の領界の毒の中をもがき苦しみながら生きねばならぬこと。『月』の光以外に解毒方法のない毒の中を生きていこうなど、誰が望もうか。どんな犠牲を払っても、しがみつこうとしたじゃろう。
 何十、何百、いや、あの広大な楽園を埋め尽くすほどの黄金の丸いカラクリの頭。あれらが並んで機体の中に仕込んだ銃火器を放ち、武器を持った竜族達を薙ぎ払うように葬っていく。キャタピラは竜族達の亡骸を轢き砕き、バリケードを粉砕し、爆発物が投げ込まれ裏側に隠れていた者の四肢が引きちぎれる。例え竜族の戦士の奮起によってカラクリが数体倒れようと、ダズニフのように竜化した者が何百のカラクリを焼き払おうと、後から続く黄金の野は何事もなく迫る。
 我輩は身震いする。我輩の反応が視界の隅に入っていたのか、村長が自嘲気味に微笑んだ。
「我々にとっては、まさに悪魔という訳か…」
 いや…。我輩は頭振って否定した。
「『世の太平以外全てのものを作り得る』と謳われし、ドワーフの黄金時代と呼ぶに値する栄華の時代。リウという天才技師の登場により、神カラクリの技術が飛躍的に向上した」
 そして、その黄金時代にドワーフの虐殺の応酬で彩られた歴史が最も極まった。この時代に至るまでの各国の所業は正に悪逆非道の限りであったが、ビャン君の故郷ガテリア皇国とウルベア地下帝国との大戦末期は最も苛烈で被害が甚大だったのである。
 この時代の戦いは、ドワーフとドワーフが切り結ぶ戦いでは無かった。魔神兵と呼ばれる神カラクリによる代理戦争だったのだ。
 我輩はそこまで説明し毒苔茶を啜った。毒のエグ味が今の我輩にはちょうど良い。
「敵国を滅ぼせ。そうプログラムされた魔神兵は、敵を掃討し敵が守っていた集落に押し入り、集落に隠れていた敵の家族の命を根こそぎに奪った。老いも若きも男も女も赤子も、魔神兵にとっては敵でしかなかった。命乞いは意味をなさず、疲れを知らぬ魔神兵は逃げる者を地の果てまで追った。結果、互いの国に甚大な被害が生じることとなった」
 最悪は行き着くところまで行く。ガテリア皇国があった最果ての地下遺跡の最下層に置かれた玉座は、盗掘もできぬほどに融解していた。それを見たビャン君の絶望は、筆舌に尽くし難い。凄まじい熱量により皇国の民は、一人残らず蒸発するように消え失せてしまったのだ。
「カラクリを兵器として運用する。その過ちの結果を思えば、悪魔として回避すべきは竜族だけに止まらぬ」
 あのカラクリに施された命令は『楽園』の維持。『楽園』を脅かす者の筆頭として竜族が設定されているが、魔物一匹おらんかったところを見るに侵入者は須く排除の対象となり得よう。
 対処法は『楽園』に立ち入らぬこと一択。『障らぬ神に祟なし』じゃ。
「幸いなことに『楽園』へ行く方法は、今の所、竜化した者の翼のみ。村人達が傷つくことはあるまい」
 村長は瞑目しじっと動かなかったが、しばらくして小さく息を吐いて金色の瞳を向けた。
「いつから気が付いておられた?」
「初めて会った時から、かの」
 アストルティアから来た我輩達を、初めて見た闇の領界の竜族の眼差し。それは安全な村が厄介事に巻き込まれるのではという警戒と疑心か、狩人達のように苦難の中を超えてきた同情と労いのどちらかである。
 しかし、村長だけは違った。人垣の向こうから我輩達を見ている村長を思い返し、我輩は笑いを噛み殺した。
「爛々と黄金に光る好奇心。まるで少年のようじゃったぞ?」
 恥ずかしさのあまり鱗を赤く染め項垂れた村長の肩を、慰めるように撫でる。
 村長の家に置かれた闇の領界の情報が書き込まれた書籍の数々。サルファバル鉱を精製できる機械に、鍛冶屋か何かと思うほどに様々なものを生み出す工具が揃っておる。手先が器用で研究熱心。村人達の評判を聞けば、黄金の好奇心が向かう先も自ずと知れる。
 先代の死を切欠に村長として職務を全うしていると聞くが、血が騒いでしまうのじゃろう。こうして自ら原料をとりに来てしまうんじゃから、我輩も一生涯隠居など出来まい。
 村長は立ち上がり祭壇を回り込み、御神体であろう天へ突き上げる竜の手に背を向ける。祭壇を一段高くするために積み上げた石垣の一つを両手で掴むと、力をこめて引く。年月が感じられる苔を払い、交代しながら根気強く石を引っ張る。お互いに腰が悲鳴を上げ始めた頃、ついに根負けしたと石が動き出した。石が退けられ空いた穴に村長が腕を肘まで突っ込むと、簡素な箱が握られた手が現れる。
 箱から取り出したそれを、よく見えるように差し出してくる。
 握りの部分には大ぶりの黒い水晶が嵌まっており、帯びた魔力が炎のような揺らめきを宿している。それから伸びる金属の中央に溝が作られ、魔力伝達の高い金属が流し込まれている。鍵としては変わった形をしているが、差し込んだ先にある魔力感知の部分に黒い水晶の魔力を感応させる仕組みなのであろう。なんとまぁ、手の込んだ鍵であることか。金型を取っても製造できんのではないか?
「私が『闇底に伏す者』の協力を得て作った、楽園へ昇る道の扉を開ける鍵だ」
 ふむ。探索で古めかしい壁画のようなものを見かけたが、あれは扉じゃったか。
 『楽園』へ至る道を示す『闇底に伏す者』か…。
 竜族を『楽園』より叩き出したカラクリ達とは、異なる思惑を持っている者がいる。その者は竜族に『楽園』へ赴かせ、何かを成し遂げさせようとしておるのだろう。
 心当たりがダズニフ君の姿を作る。解放者と呼ばれる竜族の若者は、全ての領界を繋げると言っていた。この領界の解放者が現れナドラガ神が蘇り竜族を救うという伝承と、ダズニフ君が言う竜族にはナドラガ神のご加護が必要だという内容と通じるものがある。
 このような状況を竜族が打破することを、望んでいる者がいるのだ。しかし、それは然るべき者と時にしか福音とはなり得ぬ。
 我輩は鍵の上からカイラム村長の手を握った。ぎゅっと両手で握った緑の鱗が体温で温まる。
「よく…、よくぞ、堪えたの」
 もし使っていたら、死んでいただろう。『楽園』へ行った者は二度と戻らないと伝えられたとしても、鍵が残される限り被害者は増える。これだけの技量が必要な、伝説の地へ至る鍵。我輩だったら、酒がちょっと入っただけでペロリと自慢してしまうわい。
 村長が鍵の存在を悟られず封印したことは、まさに最善の選択だった。
「恥ずかしい話、『楽園』へ行けるとなった途端に恐くなってな。丁度、先代村長である父が死に、村を頼むと言われたことに託けて『楽園』を諦めた。私は『楽園』より村を選んだのだよ」
 自嘲気味に微笑んだカイラム殿を見上げる。
「直感を信じれることは、良き探索者の条件じゃ。お主は後に続く者達をも守る、偉大なる先駆者じゃ。お主の切り開いた道をいずれ歩く者は、皆感謝するじゃろうて」
 とは言え、村長の口堅さに救われたサジェ君は、命を間接的に救われたことにも気がつけぬじゃろうな。若さ故になぜ教えなかったのかと噛みつきそうじゃ。なかなかに難しいものじゃわい。
 カイラム殿は空いていた手で目頭を拭った。感極まった横顔に、我輩は告げる。
「あと、5491年だそうじゃ」
 カイラム殿の口が『何が?』と動いた。
「『月』がこの闇の領界の浄化にかかる年数が、あと5491年なんじゃと」
 途方もない年月を掛けて『月』は闇の領界を浄化する。粛々と浄化を遂行するカラクリ達の任務は、最終的に闇の領界を救うじゃろう。何が正しく、何が正しくないのか。もしかしたら何もかも悪ではないのか。それとも悪など存在しないのか。全てが闇の中で謎となっている。
 顔を片手で覆った指の隙間から、透明な水が滴るのを見る。
「そうか…。伝承の通り、月は全てを癒すのだな」
 何も言えなんだ。
 ただただ、その透明な水が、この領界で最も清らかな物だというのは分かる。その神聖さに、伝承の重みを垣間見た気がした。