サキュバスが夜を手招く - 前編 -

 冥闇の聖塔の試練を乗り越え、床に円盤らしい石が落ちた音が響いた。
 ナドラガンドの領界を繋ぐ円環の遺跡を起動させる円盤は、変わった素材で出来ている。金属のように溶けた塊が響かせる音でも、石のように粒子が固められた物が擦れ合う音でもない。魔力を物質に変えたような、世界に反響する音を響かせる。
 それを円環の遺跡のしかるべき場所に嵌め込んで、領界を繋ぐと世界が震える。竜化した時に腕が変化して巨大化するような、切断されて直ぐの尻尾が結合するような、領界そのものが身震いして全く別の何かに変わっていく。
 全ての領界が解放された時、竜の神ナドラガが復活すると多くの竜族は信じている。その表現を、解放者になる前の俺は例え話だと思っていた。
 だが、領界が繋がる毎に大きく響く。
 首を刎ねられ、骨を抜かれ、牙と爪を毟り取られ、鱗を剥がされ、翼をもがれた神。それが領界が繋がる毎に、傷を癒し、結合し、かつての姿を取り戻そうと蠢くのだ。血液のように魔力が巡り、極端な属性で病んだ悪しき場所を中和していく。全ての領界を解放したら竜の神ナドラガが蘇ると、俺は冗談抜きで感じていた。
 ふと、空気が揺らいだ。
 突然その場に現れたように、気配と音が発生する。円盤が拾い上げられた時、床に触れた音がからりと乾いた音を立てる。
「何者です? その円盤から手を離しなさい!」
 エステラの緊張に張り詰めた声が、突然現れた者に向かって放たれる。大きな布で体を覆っているのか、甲高い声が布に絡んで大柄な体格を浮かび上がらせた。匂いが、声が、鼓動が、俺にそいつが何者であるかを如実に語った。そいつがどの領界でどんな行動をしてきたか、今朝は何を食ったかすら言い当てられる。それなのに何故か、そいつの名前だけが抜けている。
「我らの崇高な理想を共有するに至らぬ、愚かなる者達よ。貴様らは我が名を知るに値しない。だが、貴様らの都合で呼ばれるのは良しとはしない」
 忘れてなどいない。忘れる訳がない。だが、俺は目の前の存在の名前を呼ぶ事が出来なかった。声を紡ごうとしても、ひゅうひゅうと空気だけが喉を過ぎていくばかりだ。
「そうさな、邪悪なる意志と呼んでもらおう」
 思わず笑い声が漏れた。そんな名前じゃないくせに、こんな下手な芝居に付き合えってか。
 相手の名乗りにガノが反応し、癖で顎髭を触ったらしい。ざらざらと砂が擦れる、とても髭が擦れる音とは違うものが耳の底を這う。
「邪悪なる意志。竜族の種族神ナドラガを陥れた、現在のナドラガンドの諸悪の根源…とカーラモーラ村の民からは聞いておる。相違ないかね、エステラ殿?」
 エステラの緊張した声で返した肯定に、ガノは髭を触りながら頷いたようだ。
「このナドラガンドの厄災は、竜族であっても制御出来る術を持たぬもの。聖鳥が闇に穢され多くの若者達が死に、恵みの木が凍結し氷の領界の全ての生命が脅かされ、現在も『月』が落とされてカーラモーラ村に暮らす全ての者が命の危機に瀕しておる。少し脇腹を突けば、わずかに残りし竜族を全滅に追いやるなぞ容易なことじゃ」
 老人とは思えぬ闘気が立ち上り、じゃりっと重いブーツが地面を擦る。エステラが発しようとした息を詰まらせ、俺も思わず固唾を飲む。
「その姿、アストルティアで狼藉を働いた、白いローブの者を思い出すわい。それも含めて主らの所業と思うておるのだが、どうじゃね?」
 ガノの問いに、何の感慨もなくただ事実を肯定するように、邪悪なる意志は大きく頷いた。体を包み込んだゆったりとした布が、空気を取り込んで吐き出した。
「その通りだ、下等な種族の老いぼれよ。我が恩寵が齎す混沌の芽、絶え間なき苦悶が竜族が罪を償う唯一の術だ」
 エステラの感情が弾け飛んで、魔力が閃光のように溢れる。普段は冷静で温和な優等生のエステラだが、許容出来ないことには烈火のような反応を見せる。堪え性のなさが、激しい怒りを吐露して燃え上がる。
「その言葉、真実ならば許しておけません!」
「早まるでない、エステラ殿!」
 ガノの静止も振り切って、瞬く間に練り上げた魔力が、一呼吸のうちに呪文となって迸る。威力はないが速度のある一撃は、邪悪なる意志の腕の一振りで掻き消える。その術に対応している間に生まれた時間で、エステラは更に強力な呪文を練り上げていた。
 成人の竜族すら飲み込むだろう熱を蓄えた一撃が、邪悪なる意志に向かって放たれようとしている。腕で払おうとしようものなら、腕そのものが消し飛びそうな密度ある一撃だ。
「若き神官よ。それが、本気か?」
 ねっとりとした声色で、邪悪なる意志はエステラに訊ねる。どういう意味か理解する前に、堂々と待ち構えるように言葉が紡がれる。
「待ってやる。貴様の全力を放つが良い」
 挑発に聞こえたのか、エステラの感情が振り切れる。咆哮が迸るとエステラの質量が瞬く間に膨れ上がり、グレイトドラゴンはあろうかという竜の姿に変じた。エステラの竜の姿は変わっていて、全身が鱗ではなく羽のようなふわふわに包まれている。風の流れでは全身像は掴みにくいが、その羽毛一つ一つに魔力が込められていて俺には光って感じられる。
 腹の辺りが輝いて目を灼く。炎の領界に生まれ育った竜族の火炎に対する耐性は、他の竜族の比較にならない。ぐっとエステラが前足を地面に置き、体を支えるべく全身を緊張させる。エステラの溜め込んだ力と、邪悪なる意志が一直線に結ばれる。
「ガノ! 来い!」
 ガノを引き寄せ抱き込むと、俺は瞬時に最も重くて防御力が高いだろう竜の姿に変える。
 耳に刺さって脳髄を吹き飛ばすような高い音を引き連れ、エステラの高圧縮の火炎が邪悪なる意志に放たれる。それは一般的な竜が吐き出す息のような扇状ではなく、魔力と火炎ブレスを織り混ぜ渦を巻き凝縮した磨かれた玉のよう。邪悪なる意志に命中し、爆ぜる。炎の領界の竜族でさえ命を落とすだろう熱波が、全てを薙ぎ倒す暴風となって吹き荒れる。邪悪なる意志の背後の塔の壁が、爆発と熱で音を立てて崩壊した。
 鼓膜すら破ってきそうな轟音が鎮まると、耳が痛いほどの静寂が満ちる。がらがらと崩れた塔の破片が床や遥か下の毒の海に落ちていく中、エステラの喘鳴が苦しげに響いている。
 敵の状態を探ろうとする意識の中で、ぱちぱちと拍手の音が響いた。
「流石、ナドラガ教団の精鋭。ドラゴンですら一撃で屠れる、素晴らしい一撃だった」
 エステラの愕然とした声が漏れる。
 当然だ。エステラの魔力量はナドラガ教団でも指折りのもの。扱う魔力は基本的に使用者の耐久性を超える場合は、使用者の身を守る意味で制御か防御の術が必要になる。炎の呪文を使っても術者本人が燃えないのは、無意識に術者が炎を制御し燃えないようにしているからなのだ。しかし、竜化の耐久性をもってすれば全て攻撃に力を振ることが出来る。
 この竜化したエステラのメラガイアーは、炎の領界の如何なる魔物であれど屠る必殺の一撃の技だ。アペカの村に単独で出向いた自信も、この力故だ。魔炎鳥が炎で再生する能力を持っていなければ、恐らく殺すことが出来ただろう。
 魔力の扱いが苦手な俺が持ち得なかった、エステラ最強の武器。
 それが、邪悪なる意志の身を包む衣の端すら焦げ付かせていない。
「敬意を表し、直々に力の使い方を伝授してやろう」
 邪悪なる意志は感嘆を滲ませた言葉を吐くと、拍手を送った手をふらりと振った。
 俺はエステラの前に駆け出す。重い体は塔の最下層の床を砕き、底から闇の領界の酷い毒の匂いが巻き上がってくる。匂いを振り切り、俺は蜜のように重い空気を掻き分けて、光の塊のように感じるエステラの前を目指す。
 邪悪なる意志が放った力が、触手のようにエステラ目がけて駆けていく。光ではない。俺の光の感じない闇の中でより黒く、鱗という鱗が逆立つような悍ましさを放つ力だ。強いて言えば、この地を脅かす毒を煮詰めた感じに似ていた。光の速度で迫る力に、反動で動くことのできないエステラは防御の姿勢すら取れない。
 立ちはだかるには一歩及ばない。
 俺は腕を伸ばし、エステラの翼を引っ掴んだ。柔らかいものに覆われた翼だったが、構造は竜と同じ。竜化した巨体を浮かす骨格と筋力は、俺が力一杯引っ張っても千切れない。
 俺に傾いてバランスを欠いた体を引き摺り込むように寄せて、及ばない一歩を埋めた。俺は闇が届く寸前にエステラを胸元に引き寄せることが出来たのだ。
 背を砕かれる衝撃の次の瞬間には胸が貫かれ、激痛が走った。俺の変化出来る竜で最も硬い鱗が、薄く焼いたビスケットのように砕かれていく。腕を足を尾を、体のありとあらゆる部位を貫かれ、熱が体からこぼれ落ちていく。鮮烈な痛みの後を追うように、凄まじい寒さが襲ってくる。寒さが深くまで入り込んで、生きている俺の体を壊して砕いて、どこかへ持っていく。掻き寄せようと思っても、俺の腕そのものがもう無い。黒しか見えない視界が反転する。思考を全て凍て付かせ粉砕する脅威に晒され、本能が俺の何もかもが壊れまいとしようと悲鳴をあげる。
「この程度も防げぬとはな。だが、即死しなかった事は褒めてやろう」
 邪悪なる意志の明確な殺意が、刃のように突き立つ。
 殺されると思った体が、生きようと聴力を復活させてくれたんだろう。それでも、俺の意識があるだけで、体はどこにも無い。
「解放者よ、貴様の存在は目障りだ」
 吐き捨てた声には、凄まじい嫌悪感が込められていた。
 知っている。邪悪なる意志と名乗った奴が、俺を疎ましく思っていることを初めて会った時から知っていた。俺が父親の庇護の元、聖地エジャルナの神官長の一族の末裔の恩恵に浴して、炎の領界の竜族の辛酸を知らなかったからだ。燃えるような怒り。粘着く憎しみ。出会った時から何一つ変わりはしない。
 いつでも殺せた。力のない子供の時に殺せば良かったのに、しなかった。無知は無知なりに、傀儡として扱うことが出来ると思ったんだろう。解放者となって、ナドラガンドを繋げる使命は相手にも利益になるから生かされていたのだろう。
 だが、今向けられている殺気は、今までのものとは違う。
 こいつには、俺を殺す理由が出来たのだ。
 布の内に閉じ込められていた敵の体温を鼻先に感じる。染み付いた血と泥と汚物の匂いが香木と混ざり合って、吐き気が込み上げる。頭が胃が、俺のところに戻ってくる。
 アストルティアに行く前であったら、大人しく殺されてやっても良かったと思えるような理由だった。だが、仲間を得て、領界を繋いでいる道半ばで、殺されてやる訳にはいかない。
 俺は最後の力を振り絞って、胃と頭を掻き寄せる。このままでは確実に皆殺しだと思えば、もう、形振り構っている場合ではなかった。胃が破裂しても構わない。頭が吹き飛ぶ前に、力を放たなくては…!
 渾身の力が床を破壊し、俺達は闇の領界の空に投げ出された。

 □ ■ □ ■

「さぁー 目覚めなさぁいー。わたしー のぉ かわいーい 勇者よー」
 世の中には音痴がどうしても存在する。その音痴の原因は人を不快する音程をどうしても踏んでしまう、センスのなさだと思っている。音階はめちゃくちゃで、高い音の次は低い音。低い音が心地よく続きそうだと思った瞬間に、出鼻を挫くように高音に移行する。さらに、高い音を出そうとする声が裏返り苦しげだ。
 だが、歌が下手だろうが音痴だろうが、自力はすごい。全身を揺さぶる声量、しっかりと意味をお届けする滑舌の良さ、伸ばしたらどこまでも伸びる肺活量。腹の底から震わせる張りのある低い声は、心地良く感じる柔らかさすらある。
 完全に神が与えた才能の無駄遣いだ。
「今日はー あなたのぉ たんじょうびー。あなたのぉ 旅立ちのぉ ひぃー なぁのですよー」
 何の罰ゲームなんだ。
 あれか、俺がトビアスに火竜でさえ火を吹く酒を飲ませて寝込ませちまって、仕返しに歯が溶けるって噂の激甘い果実を口に突っ込まれて悶絶したんだっけ。本当に甘過ぎて歯が凄く痛くてさ、マジで溶けたと思ってひっくり返っちまったんだよな。あれじゃあ、まだ足りないってか?
 違う。俺は常闇の聖塔の最上階の床をぶち抜いて、毒の海に落ちたはず。
「新たな裁定者よ。寝てはいけない。汝の冒険はこれからなのだから」
 さっきのふざけた歌から、いきなり大真面目に語ってこないでくれ。
 下から慎重に抱き上げられる。大きくて太い、まるでギガントドラゴンのような腕で包まれるようだ。それでいて甘くてふわふわのルアムのほっぺのような柔らかさ。俺は久々にふかふかの寝床で寝たような心地を味わっているが、のそのそと抱き上げている誰かが移動するのを感じている。
 誰なのだろう。闇の領界の匂いが染み付いているが、『楽園』で感じた魔力を宿している。カーラモーラ村の竜族でも、アストルティアから来た仲間の誰でもない。なんだか、魔物っぽくないか?
「誰…だ?」
 思った以上に掠れた声が喉を通ると、口から胃へ続く全てが焼けるように痛む。恐らく、床を破壊する為に放ったブレスが竜化した喉の耐久力を超えてしまったのだろう。竜化の際の傷は、解いた後も残ってしまう。俺の状態は死んでないだけで酷い有様なのだろう。
 俺の問いに美声の主は、待ってましたと弾んだ声がする。
「我が名は聖獣パチャティカ。『闇底に伏す者』と名乗ることもある。大地の神ワギより、闇の領界とこの地で暮らす竜族の行く末を見守るよう遣わされた」
 俺も名乗るべきか考えたが、パチャティカは俺を『新たなる裁定者』と呼んだ。裁定者とされたのは常闇の聖塔の中でのことだから、相手は闇の領界の全てを把握しているに違いない。
 しかし、ドワーフの種族神の遣いか…。
 俺は首の力を抜き、胸らしい温もりに頬を委ねる。俺を抱き上げる腕と同じ、沈み込んでしまいそうな柔らかい胸。その奥には確かに心臓の鼓動が等間隔で打たれている。『楽園』の機械という冷たい動くものとは違い、パチャティカは確かに生き物のようだ。
 竜族を裁いた神は、敢えて見届け役として生き物を選んだんだろうな。
「ダズニフよ。我は汝の存在を嬉しく思う」
 やっぱり、名前を知ってたか。そう思いながら、感慨深く語る声に耳を傾ける。
「罪人達の救いとなるワギの『月』が巡る度、常闇の聖塔は下へ下へと伸びていく。気の遠くなる月日の果てに大地に至りし時、赦しの時を迎えたことを告げる役目を我は与えられている」
 なんか、上から下に向けて塔が生えてるとは思っちゃいたが、あれって地上目指して伸びてたのか。カーラモーラ村の誰もが気がついちゃいないところを見るに、髪が伸びるよりも遅いペースなんだろうな。
「竜族は他者の命を脅かすに留まらず、大地を汚した。その傲慢さ、自分勝手さに、ワギは恩赦の考えを捨て厳刑に処した。そのワギの裁定を、我は今も支持している」
 それでも。美声にありったけの苦渋を込めて、パチャティカは言う。
「罪人の子供達が、そのまた子供達が、何も知らぬ子孫達が苦しみ生きる様を見続ける事は苦痛であった。ワギが裁きの時に抱いた苦しみを、我は数百年の年月の後に知った」
 神話の時代から見守り続ければ、流石に情が湧くのだろう。この苦しみから逃れるまで、あの髪の毛より伸びるのが遅い塔が大地に付くほどの時間が必要だった。パティチャカの希望のなさは、竜族の苦しみに似ている気がした。
「彼らは十二分に苦しんだ。贖罪は為されたと我は思う」
 俺はその言葉に、少しだけ安堵した。
 俺達が罪人であるならば、俺達が勝手に罪滅ぼしに十分なくらい苦しんだなんて判断して良い訳がない。誰か、公平な第三者の言葉が欲しかった。そして、パチャティカが見ていたからこそ、彼らの苦しみは理解され報われている。
 礼を、今、言わなくてはと、体を叱咤する。
「あ、りが…とう…な。一緒に、くる、しんで…やっ て、くれ、て…」
 痛む喉を励ましどうにか呟いた言葉を、パチャティカは辛抱強く待ってくれた。
「そして新たなる裁定者である汝が、許してくれと懇願した。汝が頭を下げた先に、ワギが、戦争で死んだ無辜の民が、戦争で散った戦士達が、戦争で許されざる罪を犯した竜族が、その子孫達、この闇の領界に関わった全てが立っていただろう。誇り高き竜の頭を持つ者が罪を認め、深々と頭を下げて許しを乞う姿に、誰が許せぬと言えるだろうか」
 ぽたっぽたと、体に温い水が落ちてくる。涙にしては大粒過ぎて、涙なのか疑いたくなる。
「凶刃に倒れず不遜な笑みを浮かべる汝に、我は感動すらした」
 僅かに弾んだ声にガノを感じる。同じ種族神を戴く彼らは、どこか似ているのだろう。
「水の領界への道は間も無く開かれよう。我がワギ神が、いや、全ての種族神がお考えになっていた時よりも、ずっと早くに赦しの時が訪れるのやも知れぬな」
 安堵したような希望を帯びた言葉に、俺はパティチャカ越しにナドラガの弟妹神達を見る。やはり、彼らも兄神を許したいと、心の何処かで願っている。
 しかし、そうは簡単に事は運ばないだろう。俺はこの先に聳える困難を憂う。
 神話の戦いは、ナドラガと弟妹神達の壮大な兄弟喧嘩であった。ワギの言葉が正しいならば、ナドラガ神を殺めナドラガンドを分断し厄災を齎し、俺達が邪悪なる意志と憎んでいるのは弟妹神達となる。ワギ神の裁定と『月』の救いを思えば、その仮定は限りなく真実に近い。
 俺が各領界を解放していけば、今回のように種族神の赦しも得て竜族は許される。一つになった竜族が、アストルティアの弟妹神の子供達と和解する事だって、ただのダズニフで駄目なら、解放者だろうがナドラガ教団の神官長の立場だろうが利用して成し遂げてやる。
 だが、竜族に罪を贖わせると宣った、邪悪なる意志と名乗ったあいつ。アストルティアで神の器を集め、混乱を振り撒いたアンテロと繋がりがあると認めたあいつ。奴はどういう思惑があって動いているんだ?
 エステラをガノが制したのも、矛盾を感じたからだ。明らかになる前に事態が動いて、うやむやになってしまった。
 兄弟喧嘩の陰に、別の何者かが潜んでいるのか?
 どちらにしろ、あの邪悪なる意志と名乗った奴。あれのせいで、この先は俺が領界を解放させようとする度に、存分に引っ掻き回してくれるに違いない。強くならなきゃならねぇ。だが、どうやって? 前回寒さを克服する方法を教えてくれたケネスは、アストルティアだ。それに竜化の術も俺以上の使い手を知らない。
 俺がうんうん唸っている間も、パティチャカはのしのしと進んでいく。
 村が遠退いていくんだが、俺は何処に運ばれて行ってるんだろう?