ルシフェルが囁いたその果実の味は - 中編 -

 ナドラガ教団の総主教オルストフ様は大変ご高齢だ。
 炎の領界の過酷な環境で短命を運命付けられた同胞を考えれば、これほど長寿であることは奇跡としか言いようがない。多くの竜族が刻むことが出来なかった皺深い顔に、民は畏敬の念を払う。口元に蓄えた豊かな白髭は総主教というお立場に威厳を添えたが、それでも多くの民に寄り添われた。瞼は垂れ下がり絶えず微笑むような目元になってしまわれたが、元来の穏やかな気性に相応しい。我らが誇る偉大なる総主教様だ。
 民が心を込め過ぎたクッションに埋もれるオルストフ様は、ダズニフ生還の報告に耳を傾ける。最後まで聴き終えると、お顔いっぱいに喜びを示された。
「そうですか…。なんと喜ばしい知らせでしょう」
「水の領界の竜族は我らの進言を退けました。ダズニフは水の領界の竜族と争ってでも、嵐の領界の道を開くことを決めました」
 私の報告に破顔していたオルストフ様は、悲しみに顔を曇らせる。
「種族を同じくする者同士が争うことになろうとは、なんと嘆かわしい…」
 傍に置いた杖を握り地面を突き、クッションに沈んだ体を引き上げる。老齢により縮んだ体よりも長い節くれだった杖は、コツコツと音を響かせながら足腰を痛めているオルストフ様を助けてくれる。
 『どっこらしょ』と己を鼓舞して立ち上がる。
「ナダイア。炎の用意を…」
 私は傍に慎ましやかに置かれているランタンを捧げ持つ。ランタンの中に、まるで止まっているかのように青い炎が灯っている。
 ナドラガ教団の本堂の最上階で燃え盛る、青い炎の火種だ。聖都エジャルナの元となったエジャ聖堂の時代から、絶やされることなく引き継がれた神聖な炎でもある。
 ナドラガ神が竜族に与えてくださった炎であると、伝えられている。
 ランタンの蓋をそっと開けると、種火に乾燥した木の枝を差し入れる。枝の先端に青い炎が移ると、ランタンの蓋を閉じ、枝を篝火台に積んだ薪の中に焚べる。薄く削った木屑を舐めるように青い炎は広がり、薪を齧りながら青い炎は安定して燃え出した。
「如何に炎の領界の熱気に慣れた者でも、この神技は身を炙る行為と等しい。覗き込み、竜族の未来を問いて幾星霜。私の眉毛も前髪も、すっかり燃えて無くなってしまいましたね。髭を守り抜けたことは僥倖でありましょう」
 ほっほっほ。オルストフ様は飄々と笑うと青い炎に向かい合う。
「揺蕩う炎よ。解放者が歩み行く新たなる未来を、今ここに示しておくれ」
 ナドラガ神の目は万物を見通し、未来をも見る千里眼。炎を通じてナドラガ神の目を拝借する神技の一つだ。
 炎は赤から青、緑や黄色に移ろい、その内に未来を映し出す。今、未来を映す炎は清らかな白金。外の熱気を遮断する為に明かりが必要なほどに暗い部屋の隅々にまで光が行き届き、薄らと舞う銀の火の粉が影を薄くする。魔瘴の被害の拡大を告げるような黒い炎であった揺蕩う炎の色に、ふと灯った黄金の光。それは次の瞬間に黒い炎を完全に浄化し、燦然と輝いて燃え盛った。
 おぉ。オルストフ様が感嘆の声を上げる。
「竜族の夜明けは近い」
 ナドラガンドの竜族が邪悪なる意志に脅かされ、この厄災が支配する地にて強いられた日々が終わろうとしている。解放者が現れ、アストルティアの風が吹き込み、断絶された領界が全て繋がろうとしている。ナドラガ神が復活され救済が齎される悲願が達せられる。
 夜が明ける。
 悠久の年月を待ち続けていた竜族が、ついに報われる時が来るのだ。
 その事実にオルストフ様は身を震わせる。
「しかし、夜明け前の空は最も暗いもの。我らの道は苦難が待ち受けている」
 頭振ったオルストフ様は、腰に手をやり杖を突きながら私に振り返った。
「ナダイア。貴方も解放者の力となりなさい」
 御意に。最上位の礼を捧げた私に背を向け、オルストフ様は炎に祈りを捧げる。
「我らが神、ナドラガ神よ。どうか竜族の民をお守りくだされ…」
 静かに揺らめいている炎から、私は視線を外す。私が開け放った扉から熱風が吹き込み、私の紫の外套を大きくはためかせた。

 □ ■ □ ■

 それは苛烈と表現するべき感情だった。炎の領界の大地を駆け抜ける溶岩の奔流のように、ありとあらゆるものを飲み込む。トビアスから迸る感情は、水の領界の竜族を圧倒した。
 怒号から放たれる爆発呪文は、海底から海面へ向かって伸びる聖塔を根底から揺さぶる。我々を迎え撃つ為に身構えていた青い鎧の騎士達は、爆風が掻き回す水の流れに翻弄された。ある者は壁に叩きつけられ、ある者は爆発の熱によって沸騰した湯に火傷を負う。騎士達の戦列は瞬く間に瓦解し、その間をトビアスが駆け抜けていく。
 稀にトビアスの呪文にも気圧されず向かってくる気骨ある騎士もいたが、ダズニフがアストルティアで出会ったラチックという大柄な人間が大楯を振るえば、生じた水圧に接近戦を挑もうとする騎士達が吹き飛ぶ。まるで歌うように絶え間なく氷の呪文を放ち続けるイサークの猛攻を、掻い潜ってまで迫る騎士はいなかった。それでも我らに攻め入ろうとする騎士は、私の闇の呪文で戦闘不能にさせる。
 我々は火砕流が如き勢いで、上階を目指していた。いや、火砕流が如きと表現する勢いにならざる得なかった。
「トビアス! 急ぐ 危ない!」
 我々を置いて進もうとするトビアスを、ラチックが静止しようとしたが手は空を掴む。海水で満たされた塔内を泳ぐように移動するイサークが、溜息を大きな泡にして吐き出した。
「ラッチー。もう止めるの無理だよー。ナダイアさんの声だって届かなかったじゃん」
 我々はトビアスの後を必死に追う形になって、塔を登っていた。
 トビアスは若くしてナドラガ教団の幹部生に上り詰めた、優秀な若者だ。ナドラガ神に仕える多くの神官が持つ、努力を惜しまず篤い信仰を捧げるだけではない。トビアスは目的の達成に貪欲だった。トビアスの推進力は結果多くの神官達を引っ張って、目的の達成に繋げたのだ。他の神官が尻込む難題にも果敢に挑む勇気もあり、トビアスは多くの成果を上げてきた。
 しかし、当然良い所ばかりではない。
「自分を責める必要ないのに、真面目だなー」
 氷の領界で保護されたトビアスを父と慕う娘が、魔瘴よって体調を崩した。
 安静にすれば問題なく日常生活を送れる程度に回復するのだが、娘を危険に晒したことにトビアスは自責の念に駆られてしまった。娘を待機させた安全圏まで魔瘴が及んでしまった量を想定できなかったと言うイサークの言葉も、娘自身の『とうちゃんは何も悪くない』という言葉も届かない。
 トビアスの責任感の強さは、時に暴走の引き金になる。自責の念が嵐の領界への道を解放するという目的に結びつき、一目散に円盤の守護者を目指させていた。己の身の安全ですら此奴の頭にはないだろう。 
「我々がトビアスを助けてやれば良い」
 ですねー。だな。戦場慣れした冒険者達が、同意の声を返してきた。
 明らかに息苦しさが軽減してきたと分かる。生きる為なら息苦しさはない程度の空気を放出する神秘の珊瑚の影響下とは違い、海上の空気を波が取り込んでいる為だろう。
 水の領界の聖塔は、海底から海面に向かって建っている。竜化したエステラの調査では、最上階に建てられた円環の遺跡や海上に出ている側壁に塔の中に侵入出来る入り口はない。それでも塔が海面から突き出している部分に、海水が満ちているとは考えられぬ。海底に暮らす竜族は、丘に上がって空気を吸うことに慣れていないそうだ。青の騎士団という水の領界の勢力の最終防衛線は、この塔における海面の真下になるだろう。
 イサーク。声に顔を上げれば、ラチックが顔だけ振り返っている。
「前に出る。トビアス 止めて」
 りょーかい。そう軽く答えるイサークは、トンブレロソンブレロのツバを握って短く呪文を囁く。次の瞬間小さいドルマが弾け驚きに身を竦めたトビアスを、ラチックが抜き去る。盾を構え階段から躍り出たラチックに、待ち構えていた騎士団達の呪文が土砂降りのように注いだ。
 大柄な体の半分を覆うほどの大楯に、氷の刃が突き刺さり、闇が破ぜ、爆発が炸裂する。ラチックはそれらを冷静に見定め、的確に受け止め、受け流し、時にスペルガードで無効化させながら捌き切る。ゴーグルで目元は見えないが、息を呑むほどに鮮やかな盾術だ。
「…!」
 何かに気がついたラチックが両脇を締め腰を落とし、ぐっと力を込めた瞬間、盾に水が刺さる。そう、水が刺さったのだ。揺蕩う海水とは明らかに違う勢いである為に、線を描くように軌道が見える。細い糸のような水は、凄まじい密度で盾を貫通した。ラチックの太腿を貫き、鮮血が海を漂う。ぐっと呻き声を漏らしたラチックだったが、膝を付くことなく踏み留まった。
「ラチック!」
 トビアスが果敢にラチックの前に躍り出ると、イオナズンの爆風が床の上にいた有象無象を薙ぎ倒す。正面を見据えていた真紅の髪が、ふと顎を上げた為に流れる。
「水の聖塔の守護者か!」
 視線を追えばそこに浮かぶのは、深い青の金属で出来た鎧のようなもの。報告に聞いた領界の守護者と色は違えど形は同じだ。手甲に覆われた手が胸元に置かれると、黄金の光が鎧に広がっていく。ぐっと拳を握り込み、暴力は床に突撃した!
 床に走った大きな亀裂は壁にまで到達し、轟音を立てて床が破壊される!
 海中である為に崩落は比較的ゆっくりではあったが、これらが全て下階に落ちれば下にいる騎士達は壊滅するだろう質量と重量を持っている。イサークが咄嗟にマヒャドを歌い上げると、壊れた床に氷の珊瑚が生え、それらが絡み合って崩落を食い止める。
 咄嗟にこれだけの術を展開したからか、イサークは腰が抜けたように座り込む。鼻を押さえた指の隙間から、血が漏れ出した。
 水の領界の守護者は両手を大きく広げると、胴体と頭と腕だけの体がゆっくりと回り始めた。それは瞬く間に速度を速め、守護者は独楽のように本来の体の形を見定めることすら難しくなる。海の水が回転にゆっくりと引っ張られ、珊瑚がぎしぎしと音を響かせる。
「水の領界の民なんて、どうでも良いってこと? ちょっと酷すぎない?」
 ぜいぜいと荒く息を継ぐ肩が動き、帽子が揺れる隙間から鋭い視線が守護者に向けられる。歯を食いしばり、指を黄色い帽子が歪むほどに食い込ませると、珊瑚が光を放ち成長する。
 守護者の回転は止まらない。もはや守護者が生み出した渦が、暴風のように塔の中を駆け巡っている。珊瑚がひび割れる音が聞こえだす。
 ラチックは足を撃ち抜かれ、イサークは呪文の酷使で戦闘も難しい。この珊瑚が壊れれば、瓦礫を取り込んだ渦潮によって塔の中は全てが破壊される。
 聖塔の守護者は竜族に試練を与える。この塔に多くの竜族が入り込んだことで、守護者は全てを試練の挑戦者と認識したのだ。この塔の中にいる全ての竜族に相対する方法として、この攻撃手段が選ばれた。結局、カシャルの巫女の戯言に多くの民が無駄死にすることになるのだ。
 皮肉も通り越して清々しさすら感じた。
 所詮は異教徒だ。ナドラガ神を侮蔑し、我らが総主教を悪し様に言った天罰よ。
 最早、守護者を討伐し、円環の遺跡の鍵である円盤を手に入れるどころの話ではない。今は生き延びねばならぬ。その後のことは、その時考えれば良い。私はリレミトの呪文を唱えると、目の前に夜空を凝縮した宝玉のようなゲートが浮かび上がるのを確認する。
 床の割れ目に両手杖を差し込み、暴風に耐える背に大声を張り上げる。
「トビアス! 撤退する!」
「参りません…!」
 赤い髪が頭降った拍子に立ち上がり、天に向かって灯る火のように見えた。
「トビアスよ、戻るのだ! 異教徒など捨て置け!」
 渦は氷や小さい瓦礫を含み始め、容赦無く渦中の全てを打ち据える。私達を守るように掲げたラチックの盾には、絶え間ない衝突音が響いている。それらを押し退けて、トビアスが拒絶を叫ぶ。
 トビアスに瓦礫が降り注ぐ。当たった箇所の鱗が弾け赤い血を衣が吸い上げる。それでも膝を屈せず、杖を立てて仁王立つ。青の中に一つ灯る火は、今は激しく燃え上がる炎のようだった。
「思想は違えど、我らはナドラガ神の子に変わりはありません!」
 トビアスは高らかに杖を掲げると、渾身の力を込めてイオグランデを解き放った!
 イオグランデの爆風が守護者に直撃し、渦潮が大きく揺らいだ。天から吊るされた糸のように真っ直ぐ伸びていた渦が、ぐらぐらと曲がりくねる。ありとあらゆるものを薙ぎ倒すような水の流れは乱れて穏やかになり、守護者の動きは緩慢になっていく。
 攻撃の好機…! 私はリレミトの呪文を解除し、魔力を練り上げる。
 守護者が反応し手甲を掲げると、ぱきぱきと音を立てて巨大な氷が生成される。海水の温度が急激に下がり、暴走しただろうマヒャデドスの氷は巨大なものになっていく。
 展開していたリレミトを解除する間が仇になった。
 私に向かって投げ落とされる建築物と変わらぬ氷塊を、ドルマドンの闇を打ち込み粉砕するしかなかった。壊れかかった床に、巨大な魔物と変わらぬ大きさの氷塊が落ちる。トビアスが避け、床が抜けぬようイサークが氷の珊瑚を育て、ラチックが盾を構えて私達を守る。
 氷の隙間を縫うように、天井から差し込む光を一つの魚影が駆ける。
 いや、それは魚影ではない。
 イサークと同じ種族の男だ。彼は氷が降り注ぐ海の中を火の粉のように避けながら泳ぎ抜く。その脇には青い鎧を着た竜族の男を抱えていた。
 何をするつもりだ?
 恐らく最も警戒するべき青の騎士団の団長ディカスと、巫女フィナの専属騎士というヒューザというアストルティアからの来訪者だ。我らの妨害をするだろう両者が、我らではなく守護者に向かっている。
 私に攻撃を向けていて無防備な背中に迫るヒューザだったが、守護者は頭だけがぐるりと後方を向く。不可思議な音が響くと、頭の前から円状の衝撃波が水の中に広がっていった。間近に接近した為に正面から衝撃波を受けたヒューザが、体制を崩す。
「行け! ディカス!」
 ディカスが体制を崩したヒューザの肩に足を掛けると、その肩を蹴って守護者に肉薄した。剣を振り上げ、守護者の首筋に差し入れる。ディカスの雄叫びに呼応するように剣が輝き、守護者の動きが明らかに鈍くなる。鎧の中から渾身の力を込めて拳を叩きつけるような音が響き、痙攣するように守護者が震える。
 ばつんと弾ける音と共に、片腕が吹き飛んだ。凄まじい金属音を響かせて腕が壁に激突し、ひしゃげて落ちる。間を置かずもう片手が吹き飛び、中から輝く水が渦を巻いて噴き出してくる。
 ディカスが更に深く剣を差し込み、自身の体重を掛けて剣を倒す。ぽん!と間の抜けた音を立てて、守護者の首が飛んだ。
「は?」
 それは誰の声だったろう。私の声だったかもしれない。
 光る水を迸らせながら、守護者の胴体は砕けた床に落下した。床を一度弾んで低い音を這わせながら床を転がると、一つ鈍い音を立てて動かなくなる。戦意を失ったディカスもヒューザも離れた所に着地し、妙な静けさが聖塔の海を浸した。
「なぜ…」
 そう呟いたトビアスの問いは、耳が痛むような静けさの中で殊更大きく響いた。居住まいを正したディカスが、剣を鞘に収める音が耳の中を引っ掻く。ディカスの金の瞳が私をちらりと見遣った為に、一瞬視線が交わった。
「貴様の仲間の言う通り、俺達は思想を違え信仰するものも異なる異教徒だ。俺が逆の立場なら、なんの躊躇いもなく脱出した。俺は貴様ら嘆きを齎す竜の神の信奉者が何人死のうが、構わないと思っただろう」
 ディカスの何の感慨もなく告げられた言葉に、トビアスが頭に血を昇らせる。氷の珊瑚を蹴散らしながらディカスに迫ると、その胸ぐらを力任せに掴んだ。額を突き合わせるほどの距離で、トビアスは敵を睨め付ける。
「貴様…! 命を何だと思っている!」
 炎の領界でも、今まで巡った領界も痛ましい死を迎える同胞の何と多きことか。それらを目の当たりにしていたトビアスにとって、敵であっても命を軽んじる発言は許し難い。正義感に溢れる若者の怒りを至近距離で浴びたディカスだったが、無感情な顔色は変わらない。
 小さく息を吐きゆっくりと吸うと、呟くように言葉を紡いだ。
「あのままでは、俺の部下の多くが死んでいた」
 当然だろう。聖塔の守護者が竜族の見分けなど付く訳はない。今まで巡った聖塔での試練が守護者の打倒であったことを思えば、戦闘し挑戦者を返り討ちにしようとする守護者の行動は正しい。
 『部下の命を救う方法は、フィナ様の告げたカシャル様のお言葉に反することだった』そう告げたディカスの声が苦しそうに掠れたので、トビアスは手を離す。
 ディカスは小さく咳き込んでから、息を整えた。
「同じ竜族だから。そんな理由の為に、貴様は俺の部下を助けようとした…」
 ゆっくりと守護者の胴体へ歩み寄ったディカスは、傍に膝を付き両手で胴体を起こした。中で何か硬い物が転がる音が響くと、抜けた頭の穴を下にして何度か振る。そうして転がり出たのは円環の遺跡を解放し、嵐の領界への道を開く為の円盤だった。
「貴様なら、ルシュカの民を見捨てないだろう。…そう思ったんだ」
 そう言いながら、ディカスは円盤を拾い上げる。それをじっくり眺めていたディカスは、小さく息を吐いてトビアスへ向き直った。小さく、だが洗練された動作で頭が下がる。
「貴様の神を、貴様の友を、侮辱したことを詫びる」
 顔を上げると、円盤を拾い上げた手を真っ直ぐトビアスへ向けた。
「誠意は、目を逸らし続けた同胞を正面から見据えることで示していこう」
 互いに結びつきあった視線は外れることなく、トビアスはディカスに歩み寄り円盤を手にする。
「俺は詫びるつもりはないからな」
 やや拗ねたような声色で、トビアスは言った。
「エステラに殴りつけられなかったことを、感謝してほしいくらいだ」
 この杖の先端で殴られたら、涙が出るほど痛いんだからな。そう両手杖の先端に施された竜の彫刻を指差したトビアスに、ディカスは愉快そうに笑って手を離した。
 こうして、水の領界の解放者は円盤を手に入れたのだった。