空を見上げたひとたちの望みと祈りでできている - 前編 -

 ハナ。後の事は頼むな。
 お兄ちゃんのお願いを叶える為なら、ボクは何にだって耐えられるプッケ。ご飯も要らないし、お水も飲まなくても平気。人間は一人ぼっちだと頭が変になっちゃうらしいけど、ボクはどんだけ長く一人でいても誰とも喋らなくても大丈夫。魔物に叩かれても、齧られても、崖から落っこちても、どこも壊れない。お兄ちゃんは、ボクを頑丈に作ってくれたんだもん。
 花畑を荒らす悪い奴は死んじゃったし、錬金釜はイッショーっておじちゃんに返したし、お兄ちゃんのお手紙はお兄ちゃんの弟のルアムに渡したプッケ。キラキラな特別なお花は、食べたくて食べたくて堪らなかったチョコレートと交換しちゃったプッけど、大きな亀にお供えして空飛ぶお馬になって飛んでっちゃったから、もうどーにもならないプッケ。
 お兄ちゃんのお願いは全部叶えたプッケ。
 その後の事は何も言われていないから、お兄ちゃんの故郷でうとうとしてたプッケ。お家を立てるから退けって言われたって、退かないプッケ。力づくで運ぼうとして、何人かが腰を痛めたプケ。ざまーみろプッケ。誰かが撫でてくれたり、横で一緒に寝たり、チョコレートくれたりしてたある日の事プッケ。
『ハナ…』
 聞き間違える事はあり得ないプッケ。
 ずっと聞きたかった声にボクは飛び起きて、覗き込むお兄ちゃんの胸に飛び込んだ。ボクに飛び付かれて倒れ込んだお兄ちゃんが、ボクをわしわしと撫でてくれる。お兄ちゃんの大きくてあったかい手、ボクは大好きプッケ!
『テンレスお兄ちゃん!』
 青紫のさらさらとした髪を真ん中で分けて、同じ色の瞳がボクを見下ろす。赤と緑の見慣れた服から香るテンスの花の匂いが、とっても懐かしい。にっこりと笑った口元が、嬉しそうに綻んで楽しそうに笑い声を溢す。
『元気そうだな、ハナ』
『ハナはいつも元気プッケ! お兄ちゃんが、そう作ってくれたプッケ!』
 そうだな。そうだな。そう言いながら、お兄ちゃんはボクを抱きしめてくれる。
『ハナ。力を貸してくれないか?』
 お兄ちゃんのお願いを、ボクは全部叶える。最初はそう作られたからそうしてきたけど、今はそうじゃない。お兄ちゃんが大好きだから、お兄ちゃんの喜ぶ顔が見たいから、ボクはお兄ちゃんのお願いを断ったりしないプッケ。

 □ ■ □ ■

 ごうごうと吹き荒れる風に、霞んで遠くが見えない程にばちばち仄かに光った砂塵が詰まって、ラゼアの風穴に良く似てる。風があっちこっち駆け抜けて、楽しく遊んでる声がびゅうびゅうごうごうざわざわ響いてくるプッケ。
 お兄ちゃんとやってきた、風がごうごう強くって雨が時々ざんざん降って雷がどんがらがっしゃんな場所。風は空に浮かんだ大地を揺らして流して、時々大きな島同士がぶつかり合う。大きな黒い雲がもくもく湧き上がったと思えば、滝みたいな雨が降って何もかもが流れて行っちゃう。雷は雨も風もお構いなしで落っこちて、ボクは何度も撃たれてまっくろけ。お兄ちゃんが頑丈に作ってくれてなかったら、死んじゃってたプッケね。
 そんな空に浮かんだ島が風と雨と雷で、ばらばらぐしゃぐしゃにならないのは木のお陰プッケ。
 地面の奥深くまで伸びた根っこが、地面をがっちり掴むプッケ。雨が降っていっぱいの水が木に凄い勢いでぶつかっても、太い木はどっしりびくともしない。風で島がぶつかって砕けたって、根っこ同士が繋がってたら真っ二つになんかならないの。雷に打たれてまっくろけなお揃いになっても、根っこから新しい芽がでるの。木は強くって、びゅうびゅうごうごうおっかない風の世界から生きてる皆を守ってるプッケ。
 でも、もっと怖い風があるプッケ。
 角が生えて、お肌が鱗でスベスベなりゅーぞく達が『ごーふー』って呼んでる黒い風。大地に染み込んだ毒が巻き上げて黒くなった風は、雨と溶け合って地面に染み込んで木を枯らす。この風に巻き込まれて黒い空気をいっぱい吸い込んでしまうと、人間達は死んでしまう。
 ボクは息しなくても死なないから平気プッケどね。
『あぁー! アタシの艶やかな葉っぱが砂まみれよ! こんな風が強くって、愛らしい花弁が全部散っちゃうわー!』
 帽子の切れ目からニコニコ笑顔の花が顔を覗かせて、文句をキンキン響かせる。ニコニコな目尻が吊り上がって、目の間に縦皺が二本並んで、すごく綺麗な声台無しの文句がいっぱい。
『ニコちゃん、うるさいプッケ。ボクが運んであげてるのに、文句ばっか言うなプッケ!』
『だってー! アタシが愛らしくって素敵じゃないと、テンレスから託された役目が果たせないわー! アタシはこの嵐の領界に咲く、一輪の可憐な花でなくちゃいけないのよー!』
 ニコちゃんはテンレスお兄ちゃんが作った、ボクの妹プッケ。お兄ちゃんはルアムって弟のこと、すごく大事ですごく可愛いって言ってたから、妹が作られたって教えてもらった時すごく期待したプッケ。
 でも実際は、とってもうるさくて、文句ばっかりで、ちっとも可愛くないプケ。お兄ちゃんから大事な役目をもらってなかったら、てきとーな所に置いてきちゃうプッケ。
 キャンキャンプッケプッケ言い合っていると、ころころとツボが転がってくる。
 苔むした茶色い壺は、ぴったり蓋がされて、ちょっと小柄なプクリポなら入り込めるくらいの大きさだ。ボクの前で止まると、ごろんと斜めに揺れて底を地面につけて立ち上がる。かぱりと壺と同じ陶器の蓋が開くと、中からきらりと三つの光が瞬いた。
「二人ともうるさいプー。少しは静かにするプー」
 壺から頭を出したのはプクリポサイズの魔物だ。でも、ボクがアストルティアで見かけた沢山の魔物達の、どれとも似ていないプッケ。目は三つ目で、額の目はぎょろりとしてるけど、フツーの位置にある目は点目だ。子供だって一目で分かる頭でっかちで、鼻からてれんと鼻水が下がってる。声も間伸びして、全体的にぬいぐるみみたいで魔物って感じの覇気がないプケ。
 蹄のような手で腕を組んで静かにしろって言うけど、うるさいのはニコちゃんでボクは静かだったプッケ!
 ニコちゃんが帽子の切れ目からぐぐっと顔を出して、プープー注意する鼻水を笑った。
『あら、プオーンったら外の魔物達に気がつかれるのが怖いのね! 魔物に追いかけ回された時、一番に物陰に隠れちゃったものね!』
 一瞬で顔にデカデカと書かれた『ムカッ!』って言葉だったけど、全然怖くない。むしろ、ぶんぶん振り回される鼻水がボクの毛皮にくっつくのが嫌プッケ。下がりたいけどニコちゃんが前のめりになってプオーンにガンつけてるから、バランスが悪くて動きにくいプッケ!
「オイラは誇り高き魔神族の戦士、ブオーンの子だプー! 真の強者は無用な暴力は振るってはならないって、とうちゃん言ってたプ!」
『暴力は振るっちゃいけないって、逃げちゃうんじゃ臆病者と変わらないわ。プオーンのパパって本当に強いの?』
 ニコちゃんの言葉にプオーンの顔が見る見る真っ赤になって、耳からぷしゅーって煙が出たプッケ。鼻水が勢いよく噴き出して、大きく空いた口が耳まで裂けた。カンカンプッケ。
「とうちゃんは世界で一番強いプッ! 城より大きくて、山なんか一撃で粉々にするプッ! だから無用に力を振るわない事で、世界の平和にこーけんしてるんだプッ!」
『城より大きな魔物なんか聞いた事ないわー! プオーンったら、パパが大好きだからって嘘はいけないわよー!』
 ほ ん と う プ ッ !
 プオーンの叫び声がびりびりと空気を震わせた。ぷるぷる震えて今にも目と同じ大きさの涙が溢れてしまいそうプッケ。プオーンはとうちゃんが大好きだ。ボクもお兄ちゃんが大好きで世界一の錬金術師だって思ってるから、ニコちゃんに嘘だって言われたらすごく嫌だ。
 ボクは勢いよく帽子を閉じた。ぎゅっと力を込めて閉じた帽子の中で、ニコちゃんの悲鳴と文句が反響して頭がぐわんぐわんするプッケ。
 鼻先でプオーンの涙を掬い取る。鼻水は嫌プッケ。
『ニコちゃんが酷い事言って、ごめんなさいプッケ』
 ずずーっと床まで垂れた鼻水を啜り上げ、プオーンはふにゃりと笑った。
「小さい生き物は弱いから大きな心で許してやるもんだって、とうちゃん言ってたプー。とうちゃんみたいな、大きくて強い男になる為の修行だプー」
 どぉん! と地面から揺すり上げられるような衝撃と一緒に、雷が近くに落ちた。帽子の中のニコちゃんが悲鳴をあげ、プオーンが飛び跳ねて慌てて壺の蓋を閉じて閉じこもる。ばりばりと放電する音がぎしぎしと揺れる家の音を踏み潰す。
 風に巻き上げられた陸地のずうっと下に広がる海に差し込まれた竜巻が水が巻き上げて、ぼたぼたと大粒の雨が降ったと思ったら、滝のような大雨になった。全ての音をかき消すような豪雨に、町が真っ白に霞んで見えなくったプッケ。
 その様子を小さく開けた窓から、プオーンが背伸びをして覗き込んだ。町に入り込んで居着いた魔物達で溢れかえってるプッケど、大雨で雨宿りでもしてるんだろう。魔物達が喧嘩する音もなく、ただざんざんと雨が降る音でいっぱいプッケ。
「とうちゃんが海を叩いた時みたいだプー」
 ボク達がいるのはムストの町だった場所。少し前から『ごーふー』が強くなって息苦しくなってきて、魔物が町を襲って住み着いちゃったから、住んでた人達は出て行っちゃったプッケ。今はもう住む人のいない廃墟。いつか戻ってこようって入り口を塞いだりして魔物達が入ってこないようにしてるけど、雷も雨もお構いなしで降ってくるから家はちょくちょく壊れてる。
 この家も少し前までお兄ちゃんが研究に使ってたプッケ。
 色んな錬金の為の素材。もう必要のない計算式の紙束。『ごーふー』で苦しむ人を助ける為の薬の調合の手順。色んなものが吹き込んだ風に掻き回されて散らかっている。
 雨が吹き込んで、割れた屋根から雨水が雨漏りして床を濡らした。
 すごいプーね。隣で外を見るプオーンが囁く。
「アストルティアでも、こんなむちゃくちゃな天気はないプー」
 ボクもラゼアの風穴とエテーネ村しか知らないけど、こんなめちゃくちゃな場所は行ったことがないプッケ。ラゼアの風穴は風がびゅうびゅう吹いていて、いつも乾燥してて雨なんか降ったことがなかった。エテーネ村は時々土砂降りの雨が降るけど、ここまで酷くない。雷はたまにしか落ちてこないから、あんまり眠れないなんて事はなかったプケ。
 お兄ちゃんは言うんだ。
 この地に暮らすりゅーぞくって種族が、昔悪い事をしたから、罰として苦しめられてるんだって。でも、悪い事をしたのは昔のりゅーぞくだから、今のりゅーぞくは悪くない。だから助けてあげたいんだ、って。
 ボクもここで暮らす皆は角が生えて鱗ですべすべしてるだけで、エテーネ村の皆と変わらない。お兄ちゃんの言う通りだし、お兄ちゃんのやることは正しいって思うプケ。
 しばらくして巻き上げられた水が落ち切ったんだろう。雨の勢いが弱くなってきた。
 ボクはプオーンに声を掛けて、家から飛び出した。
 石畳を流れる水は弱くなってるプッケ。雨が止む直前は風もまだ弱くて雨宿りしてる魔物も出てこない、一番移動に良いタイミングだプッケ。誰もいない廃墟の町を、ボクとプオーンは駆け抜ける。まるで城壁のような頑丈な家の壁が迷路みたいに入り組んで、瓦礫がいっぱい地面に転がってる。転がって移動するプオーンが入った壺が引っ掛かったら、鼻で押して動くようにしてあげるプッケ。
 そうして辿り着いたのは町を見下ろす高台だ。
 大きな木が生えていて、その根がムストの町の奥深くまで根を張っている。そんな大樹の根元には真新しいお墓がぽつぽつと建っていた。ボクはその真新しい墓一つ一つに鼻を近づける。
『ハナは目的のお墓がどれか分かるの? アタシだったら文字が読めるから、探してあげられるわよー!』
『ニコちゃん、うるさいからダメプッケ』
 えー! お外の空気吸いたいー! ニコちゃんの文句が帽子の中をぐわんぐわんと跳ね返る。帽子を貫通してるみたいで、プオーンが呆れた顔でボクの帽子を見上げてるプッケ。
 ニコちゃんの力は必要ないプケ。
 ボクにはこの鼻があるプッケ。
 クンクン。お墓の下に埋められた匂いを嗅ぎ分ける。ブレエゲおじちゃんの家族の匂いなら、おじちゃんの匂いによく似てるはずプッケ。くんくん、クンクン。ボクはぶうぶう鼻を鳴らしながら、一つ一つお墓の匂いを嗅いでいく。そうして、見つけたプッケ。
『ここプッケ!』
 ブレエゲおじちゃんの匂いがするプッケ。たまにお墓参りにきてるのかもプッケ。
「ここがブレエゲおじちゃんの家族の墓かプー」
 隣に転がってきたプオーンが、壺の中からずるりと長い物を取り出した。ぺにょんぺにょんでふかふかした、布で出来た剣の形の縫い包みだ。お墓に掛けられるよう紐がくっついていて、ボクとプオーンは二人掛かりでお墓に剣を引っ掛ける。吹き飛ばされないよう大きめな石を紐の上に乗っければ、依頼達成プッケ!お礼は甘いお菓子が貰えるプケ。チョコレートじゃなくて残念プッケど、美味しいから良いプッケ!
 じゅるり。甘いお菓子のことを考えていたら、ふと周囲が明るくなった。
 大雨を降らす黒い雲が強風に切り裂かれ、雲の隙間から光が差し込んだ。眩しい光が丘から見える全てを優しく包み込む。雨が止んだから空を飛ぶ魔物が飛び立つ。大地から生えた翼みたいな大岩は何度も雷が落ちていて黄金の塊みたい、光を受けてぴかぴか光ってる。遠くでカーテンのように土砂降りの雨が光を吸い込んで、虹色に光った。ムストの町の砂色の壁が黄金色に染まってる。
『太陽よ! お日様よ! あー! 生き返るわぁ!』
 ニコちゃんが帽子をこじ開けて顔を出す。ボクの背中の上でご機嫌な調子で踊り出した。
 これからこの世界で何が起きるのか、ボクはまだ知らない。
 ここは恐ろしくて、優しくはない世界だってことくらいしか分からないプケ。でも、お兄ちゃんのする事は正しい。お兄ちゃんを信じていれば、どんな大変なことが起きたって絶対上手くいくプッケ。
 光に照らされた黄金の大地はとても綺麗だったプッケ。