千年告げた鐘の音は何処へ還る -後編-

 踝丈の草に埋もれるように、朽ちかけた石碑が円を描くように並べられている。子供の背丈くらいの石碑は、酷く苔生していて風化が酷い。自然ではあり得ない凹凸の名残だけが、ただの石に見えるものが石碑であると訴える。気を抜けば蔦が絡み、人が訪れなければ藪が茂って呑まれてしまう。それでも、その小さな森の小さな空間に差し込んだ日差しに、美しい花が咲いて蝶が飛び、近くを流れる小川から蛍が舞う。草原の風が流れ込んで清々しい空間に、なぜか魔物達は住み着かなかった。
 エテーネ村を包み込む深い森は、北の草原に出るまで数時間は掛かる。そんな森の北の端っこ、草原にたんこぶのように突き出た小さな森は村の子供達の隠れ家だった。かつては子供だった大人達も、安全な場所だからと見て見ぬふり。
 秘密基地にしたり、宝物を隠したり、遊び場所であったり、色んな理由で代わる代わる子供達が訪れる。今日は顔を真っ赤にして息を荒げた、俺の弟が森に飛び込んできた。
 俺と同じ青紫の髪をさっと左右に振って、日に焼けた顔が上を向く。見下ろしていた俺と、弟の青紫の瞳がばちっと合わさった。
「兄さん! また、こんな所に隠れて…!」
 しっかり者の弟ルアムが上げた声に、寛いでいた鳥達がバサバサと飛び立って行った。魔物みたいに釣り上がった目で俺を見上げて、早く降りてくるようにって腕を振る。
「アバ様がすっごく怒ってるよ! 一緒に謝りに行こう!」
 えー。俺は木の枝の上に寝そべりながら、弟の言葉を聞き流す。
 俺がこの森に来る理由は、大抵、錬金で失敗した時だ。失敗でもただの失敗じゃない。
 錬金は呪文みたいに、何もない空間に火や氷を出すような魔法じゃない。いくつかの材料を元に凄い物を作り出す。簡単に説明するなら料理だ。小麦と水と塩と、酵母を混ぜて焼くとパンが出来る感覚。錬金は材料に魔力を注ぐ事で、パンじゃなくてキズモみたいな大きいわたあめが出来る感じだ! すごいだろ!
 錬金には材料が必要で、成功すれば凄いものが出来る。
 でも、失敗したら材料が無くなるんだ。
 別に無くなっても惜しくない材料なら良いんだ。良い物を作ろう、凄い物を錬金しようとしたら、それ相応の材料が必要になる。それ相応の材料を失敗でダメにしたら、そりゃあもう、村中の大人にめちゃくちゃ怒られる訳だ。
 俺は滅多に成功しないから怒られ慣れてるし、『テンレスだからなぁ』って村人達も呆れてる。俺の錬金の材料にされちまったら、基本的には無くなると思われてるし。
 だから隠れる必要なんて、ないと思うだろ?
 今回は材料にしたものがいけなかった。
 俺は今年不作だったハツラツ豆を、錬金で増やそうとしたんだ。材料が多ければ多いほど、結果の量も増える。俺は今年十分な量を収穫出来なかったハツラツ豆を、全部錬金の材料にしたんだ。
 結果は言うまでもなく大失敗。
 材料のハツラツ豆は、失敗の爆発で全部ダメになってしまった。
 ハツラツ豆はふっくらして食べ応えがあって、とても美味しい。どんなに痩せた土地でも良く育って沢山収穫出来るから、この豆はエテーネ村になくてはならない食材だ。すりつぶして練って団子にすれば子供のおやつ。乾燥させて煎れはお酒の肴。発酵させて調味料に。ご飯と一緒に炊き込んだり、肉や魚と一緒に包み焼いたり、ハツラツ豆が食卓に上らない日はない。
 そのハツラツ豆がなくなってしまったのだ。
 大好物でハツラツ豆がないと癇癪起こす、巫女のアバ様のレッドオーガみたいな顔が目に浮かぶぜ。
 よく育つハツラツ豆だけど、凶作で収穫出来ない時は度々ある。数十年前の大凶作で、苗も豆も全て無くなったこともあるらしい。その時は、エテーネ村の開祖の一人、ジーナフって錬金術師が残したレシピで、ハツラツ豆を復活させたらしいんだ。俺だって出来るかもって、ここで一人頑張ってたんだけど無理だった。
 これで成功出来りゃあ『俺は伝説の錬金術師だ!』って大手を振って帰れるのになぁ。
 はぁ。溜息を零した俺に、ルアムがベルトから巾着袋を外して掲げた。ざらりと中身が音を立てる。
「村の人達から個人で持ってた豆を集めて、来年の作付け分を確保したんだ。これを持って行って、謝りに行こう」
 ぱっと弟に後光が差した。
 ゼロからハツラツ豆を作り出す錬金は難易度が高いって思い知らされたから、ハツラツ豆を材料に増やすことは簡単だ! 俺は枝から飛び降りて、満面の笑みで弟を抱きしめた。
「さっすが、俺の弟! これを俺の錬金でぱぱっと増やしちゃえば、お咎めなしだろ!」
「失敗して全部ダメにしたの、兄さんでしょ!」
 可愛くて頼りになる弟が、村人に謝り倒して集めた貴重な豆だ。全部使ってパァにしちゃったら、弟が兄弟の縁切って家出しちゃうよ。全部なんか使わない。ちょっと、ちょっとだけ。そうしたら、ダメにしちゃった分の倍にすぐに増えちゃうさ!
 頬擦りする俺の顔を、弟はぐいぐいと押し返す。
「ほら! 兄さん! 行くよ!」
 抱きしめて引っ付いたまんまの俺を引き摺って、ルアムは村に向かって歩き出す。きっと、このままアバ様のお屋敷まで行って、一緒に謝ってくれるんだ。
 俺が兄貴だから、ルアムが弟だから、ここまでしてくれる。
 ぽんぽんと頭に触れる弟の手を感じながら、俺の全部を受け入れてくれているのを感じていた。ごめんな、こんなダメな兄貴で。これでも明日は今日よりも良い兄貴になるからって、毎日思ってるんだ。

 ■ □ ■ □

 俺はナドラグラムの城壁を破壊して突き立った巨大な剣に触れ、魔力を通して構成する成分を読み取っていた。未知の素材で出来た刀身、構成する人類が未踏の力。それらを今まで手に入れた知識を総動員し、走馬灯のように経験を振り返り、神の遺産を解析する。
 まさに魂を搾るような作業だった。あまりの集中と常に魔力を流し続けた疲労から、体から滝のように汗が流れ落ちる。顎から滴る汗を拭う時間、瞬きひとつ惜しい。
 満天の星空を溶かし込んだような剣には、なんの力も残っていない。だからこそ、この剣にはアストルティアを丸々一つ収めてしまいそうな、膨大な空白があるのを感じることができた。もし、限界まで力を満たすことができたら、アストルティアを一つの剣に凝縮したような想像もできない代物になるだろう。
 この破損部分は宿した膨大な力が、ナドラガにトドメを刺しただろう瞬間暴発した為に出来たもののようだ。グラスが割れれば中の水はヒビから流れ出る。同じことがこの剣にも起きていた。
 かつてナドラガを滅ぼす為に、神は世界を構築する力と等しいものを剣に込めたのだ。
 俺は熱い息を吐き出し手を剣から離すと、集中が霧散して世界が押し寄せてくる。神獣達が竜の神と争う音が、灼熱に溶岩と化し飲み込まれて瓦解していく都の音、今にも胸を突き破ってしまいそうな己の心臓の音、どれもが頭を叩くほどに響いてくる。
 傍で俺の様子を見守っていたシンイが、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか? テンレスさん」
 あぁ。俺は頷きながら、剣に視線を戻そうとする。
 シンイがふっと笑みを浮かべたので、俺は戻そうとした視線を眼鏡の幼馴染に向けた。純朴そうな雰囲気が、竜の神が復活した地獄のお膝元も故郷の空気に変えてしまう。ふわふわと癖の強い髪の下で、眼鏡の奥の瞳がぱちぱちと瞬いて『どうしましたか?』と首を傾げた。
「なんで、笑ったのかと思ってさ」
 俺が無言の問いに答えれば、シンイは『あぁ』と朗らかに笑った。
「あぁ。昔のテンレスさんなら、とっくに諦めて床に大の字で寝そべってるだろうなって思ったんです。でも、とっても頑張ってるので偉いなぁって思ったんです」
 昔の俺って、そんなに諦め早かったっけ?
 確かにナドラガを殺す為に神々がこの剣に蓄えた力を、どう補填するかって難題が目の前に現れはした。でも、まだ剣を解析しただけだ。この程度で匙を投げちゃあ、何の錬金も成功しないぞ。
 呆れた顔になってしまった俺の二の腕を、幼馴染は親しげに叩いた。
「僕は頼もしくなって、とても良いことだと思ってますよ。ルアム君の言った通りになったんですから」
 ルアムの? 弟の名前に前のめりになった俺に、シンイは笑う。
「兄さんは世界一の錬金術師になるんだ、っていつも言ってたんです」
 へ? さっきまで真剣に考えてた全部が、アストルティアの彼方にすっ飛んでいった。
 ルアムが、俺が世界一の錬金術師になるって言った? 俺の失敗の尻拭いをする為に何も悪くないのに村中の大人達に謝りに回って、森で不貞腐れてる俺を迎えにきた弟が? 誰よりも俺が才能のない錬金術師だって思っていて当然で、誰よりも俺の失敗に怒ってたルアムが? 大きく見開いた目をぱちぱちと瞬いていると、シンイは堪えきれずに吹き出した。
「何度失敗しても、錬金に挑む姿勢が真剣な貴方の背中を、貴方の弟はいつも見ていたんですよ。貴方の失敗を謝罪して、貴方の挑戦の為の素材を集めて回っていたのは、貴方が世界一の錬金術師になるんだって誰よりも信じていたからです」
「でも、失敗すると怒るだろ? あれって、俺の代わりに怒られて謝ったりしなきゃいけないのが、腹立たしいからじゃないのか?」
 あぁ、まぁ、それもあるでしょうけど。シンイはごにょごにょと言葉を濁す。
「貴方の失敗が、自分の失敗のように腹立たしかったみたいですよ」
 錬金中の兄さんの周りに虫が飛んでたから集中が途切れて失敗したんだ! もう少し大きかったら、短剣投げつけて当てられたのに! もっと投擲の練習頑張らなきゃ! って、怒涛の勢いでハツラツ豆を炒るんですよ。そう思い出し笑いを浮かべながら語る横顔を、俺は呆然と見る。
 な、なぁ。シンイ。俺の声に幼馴染は振り向いた。
「俺、ちゃんとルアムの兄貴してたか?」
「ルアム君のお兄さんは、テンレスさんしか居ないじゃないですか」
 何を言ってるんですか? そう大袈裟に首を傾げられる。俺はそんなシンイに頭振ってみせた。
「二人は俺と再会するのは数年ぶりって感覚だろう。だけど、俺は違う」
 俺の言葉にシンイは頷く。
 エテーネ村で眠るカメ様を目覚めさせる為、輝くテンスの花を手に入れる道中は俺の人生を辿る旅だった。俺が二人と再会するまで、長い旅をしてきたことを薄らと分かってはくれている。
「再会するまで長い…本当に長い時間の間に、二人には話せない経験を沢山してきた」
 イッショウのおっさんに出会って、錬金釜に出会ってから俺の成功と失敗率は逆転した。料理で言えば焚き火でフルコースを作ろうとしていた料理人が、調理器具に出会って料理に使えるようになったくらいの大進歩。
 どうして、エテーネ村ではこのくらい出来なかったんだろう?
 メラゾ熱の特効薬を飲んで、状態が落ち着いてきたリリオルのベッドを挟んでルアムが座っている。リリオルの額に乗った布を取って濡らし、手際よく絞りながら弟は言うのだ。
『リリオルさんが元気になりそうで、よかったね』
 嬉しそうに弟は言いながら、リリオルの額に冷たさを取り戻した布を置く。
『兄さんが今の半分くらいでも錬金術が使えたら、村の人は皆死なずに済んだのにね』
 それが看病の合間の微睡で見た夢なのか、特効薬を作った疲労で見た幻覚かはわからない。弟の幻は時々現れては、俺の功績を共に喜び、ちくりと非難する。
 『輝くテンスの花を作るの? 凄いね! 兄さんは世界一の錬金術師だよ!』そう喜んだ次の瞬間には『その花があればネルゲルに村が見つかることはなかったのに、どうして作ってくれなかったの?』と言う。今も傍には弟の幻が立っているのだ。
 弟の幻は俺を許さなかった。許さないでいて欲しかった。
 エテーネ村が滅ぶのを回避しようとどんなに頑張っても頑張っても、どうしても回避できない。考えられること、ありとあらゆることを試したつもりだった。そうして手を尽くしたつもりになって諦めて、俺は故郷が焼き払われ滅んでしまうのをむざむざと見ている。
 そんな俺が許されて良いはずがないんだ。二人と幸せそうに笑って生きるテンレスは、この世界に存在しちゃいけない。
 苦い感情が言葉となって吐き出される。
「俺はもう、二人の知るテンレスじゃないんだ」
 シンイが何かを言おうとして口を開いた時、強い風が吹いて互いに身構えた。見上げれば白銀の翼竜が、剣の傍らの少し広くなった空間に降り立つところだった。こちらに向かって来ているルアムに気がついて、迎えに行ったクロウズが戻ってきたのだ。魔瘴の嵐が吹き荒れる前に迎えに行って無事か心配したが、銀の背中の上には幼さの残る弟の姿がある。黒く染めた原始獣のコートセットを翻しながら、弟は竜から軽やかに降りた。嬉しそうに笑顔を浮かべて、俺達の前へ駆け寄ってくる。
「兄さんもシンイさんも、無事で良かったです」
 俺もシンイもルアムを笑顔で出迎える。だが、たった一人だ。クロウズに乗ってきた弟を見て不吉な予感が這い上がってくる。
「ルアム。仲間は…」
 弟は小さく頭を振った。目の周りが痛々しく赤く腫れあがっているのが、全てを物語っていた。シンイの予知は外れない。ルアムの友人達の死は避けられなかったんだ。
 どう言葉を掛けるべきか迷っている俺達は、ルアムに『何かわかりましたか?』と逆に聞かれてしまう。ルアムとシンイとクロウズ、最初からずっと近くにいたハナやプオーンに後押しされるように俺は口を開いた。
「見た通り剣は破損していて、ナドラガを倒す力は残されていない」
 言葉とは裏腹に、俺の顔が暗いものではないからだろう。誰も落胆した表情を見せず、俺の言葉に耳を傾ける。
「しかし、この剣は膨大な力を蓄える素材として使える」
 アストルティア全てのエネルギーを圧縮して刀身に宿したような、規格外の存在だ。錬金の素材として使用すれば、人の身には十二分すぎる力を宿す許容量を持つ武器が生み出せることは間違いない。武器に力が宿っていれば、抽出して込める事が出来るのだが、欲張りを言っても仕方がない。
「この剣の一欠片を材料に武器を生成し、力を込める事が出来たなら、ナドラガを倒せるかもしれない」
「僕らに出来る最善の手段ですね」
 顎に手を当て聞いていたシンイが深々と頷いた。『それで、武器は何にするんですか?』そう言い切る前に、弟の凜とした声が被さる。
「矢にして。兄さん」
 誰もが弾かれたようにルアムを見た。夕暮れのような青紫の瞳の中に、一番星がぎらぎらと輝いている。真一文字に弾き結ばれた唇は、決して譲らない固い決意を感じさせた。
「僕が必ず、ナドラガの眉間を射抜く」
 幻のどんな非難も、どんな冷たい眼差しよりも、その決意が魂に突き刺さる。
 まだふっくらと丸みのある幼さが残る顔立ち。俺の記憶にあるしっかり者の弟の姿はそのままに、表情は俺の記憶のルアムのどれでもない。今まで苦楽を共にした仲間の死にいつまでも嘆き悲しんだり、憎しみに仇を打とうと燃えるでもない。まだ仲間の死が胸に重くのし掛かっても、自分ができる役目を探している。
 そこにはエテーネ村で共に暮らした弟はいない。
 俺に多くの命を脅かそうとする竜を仕留める一撃を強請るのは、己の弓で射殺さんと心に誓った射手。冷静で冷え切った眼差しで、どう竜の眉間を撃ち抜くかを考えている。
 お互いにエテーネ村を出て、互いの知らない時間を過ごしたんだ。成長するし、変わりもする。俺は変わってしまった。それなのに、弟だけは変わらないと思っていた。いや、変わらないでいて欲しいと願っていた。村を出る前の世界を知らない子供のままだなんて、あり得ないことを知っているはずなのに。
 弟と同じ名前のプクリポが、兄と呼ばれるのに身を焦がすほどに嫉妬した。
 俺はルアムのたった一人の兄貴のはずだ。弟と二人で生きてきて、これからも生きていく。弟は俺の全てだったし、弟の世界が俺で占められていたはずだった。でも、そうじゃない。あの小さな村を出て、広い世界に放り出されて、俺達は互いが絶対に必要ではなくなってしまったんだ。それを突きつけられ、俺自身が否定されているのを感じずにはいられなかった。
 体が世界に溶けて消えていくような感覚に視線を落とせば、指先が透けて地面に転がる瓦礫が見える。ナドラガンドに流れ着いて、かなりの年月を過ごした。今、このタイミングでとは思ったが、このまま消えてしまいたいと願ってしまう。
 言葉を失っている俺が、不安がってるとでも思ったのだろう。弟はふわりと笑った。
「僕は兄さんが世界一の錬金術師だって、信じてるから」
 現実の弟が幻を容赦なく粉々に砕いてしまう。もう、幻の声はなんの意味も音も紡げず、弟の放つ眩しい光にサラサラと砂のように崩れてしまった。
 俺の許されたくない願いなんか、知ったこっちゃないと言わんばかりに踏み込んで、俺の気持ちも知らないで俺が心の底から渇望する言葉をくれる。その笑顔が向けられるだけで、なんでも出来ると奮い立ってしまう。
 分かっている。最初から分かりきっていたんだ。
 しっかり者の弟には、敵いっこないんだって。