私たちは死ぬために生きている -前編-

 炭で塗りつぶしたような空の下に放置された、竜の神様の城ナドラグラム。城の片隅に着地し、飛竜の姿を解いたダズニフさんは僕に振り返り首を傾げた。
「どうした、ルアム。乗り心地が悪かったか?」
 否定すれば、『あんまり我慢すんなよ』と言ってダズニフさんは視線を先に向けた。
 すごい密度だ。僕は先を行く仲間を追いながら周囲を見渡した。
 冥王ネルゲルが支配した冥界と同じくらい、神居ナドラグラムは死んだ竜族の魂で溢れかえっていた。目が合って僕が見えることに気がついた男性は、寂しげに微笑んで空を指差して言う。真っ黒い闇の中を凄まじい魔力が渦を巻き、ナドラグラムが放つ怪しい光に紫に照らされた空はどの時間にも属さない不気味な色をしている。
『ご覧。空に星が浮かんでいないのは、星空の守り人の導きがないことを示している。我々は昇天の梯を昇ることは出来ないのだよ』
 カーラモーラ村で聞いた御伽噺では、ナドラグラムはルティアナの子供達が集まる荘厳華麗な城だった。全ての兄弟の長兄であるナドラガ神の威を表現しようと、さまざまな竜族の職人が集まって力を競うように建てられた。そんな城の建築だけで御伽噺はいくつもある。個性的な弟妹神の要望に、個室を担当する職人達が鱗が禿げるほど悩む話。ナドラガ神の玉座を担当する者達に、竜の神が課題を出す話。いがみ合う二人の職人が互いを妨害するのに熱中するあまり、職を失いかける話。
 ナドラガンドの中心として最も栄えた華やかさが廃墟であっても残る、荘厳な都だった。不思議な婉曲を描く塔はひたすらに天を目指し、竜族の鱗を彷彿とさせる彫刻が隅々まで施されている。モザイク模様に敷き詰めた石畳の橋は、人々の営みを繋げる為に網目状に張り巡らされていた。竜化した者も暮らしていたのか、道幅も橋が交差する天井の高さも、家の入り口でさえオーグリードの街並みよりも大きい。立派な街灯が道に設られ、憩いの場らしいベンチもある。巨大な牙を模した飾りがまるで槍衾のように突き立っていて、竜族の強靭さを表しているようだ。この都のさらに先に、ナドラガ神の居城らしき豪華な建物の外壁が聳えている。
 だが、視線はどうしても城の背後に聳える山に向いてしまう。
「あそこで、ナドラガ復活の儀式を行うんでしょうね…」
 山の頂上には禍々しい紫に染め上げられた雲が、渦を巻いているんだ。絶対に何かあると思わせる雰囲気を指差せば、『一番怪しいもんな』とダズニフさんが頷いた。
 しかし、かつての街並みが残っているのは一部分だ。それ以外に目を向ければ、広がるのは廃墟というよりも、強いていうなら戦争の跡。見渡す限りに広がる瓦礫の合間に、辛うじて舗装された道や建物の一部が残っていた。しかし、それらも吹き荒れる魔力の渦に砕かれ風化して虚空に飲まれていく。
 城の外壁を破壊するように、一本の巨大な剣が突き立っていた。それは城の地面から尖塔のてっぺんまでありそうな、巨大な剣だ。金色の柄と鍔には繊細な彫刻が施され、刀身はまるで晴天の空と満天の星空を溶かし込んだ美しい青い宝石のようだ。それは大きく欠けてヒビ入っていて、衝撃からか刀身は紫電を散らしたような変形を見せている。巨大な剣に触れながら、ガノさんはそのふさふさとした顎髭を摩った。
「武器のバランスから察するに、どうやら片手剣のようじゃな。かつてウルベア帝国が最も栄えた時代に作られた、大魔神が振るったとて使いあぐねる巨大さじゃろうて。竜の神ナドラガと直接に対決した神もまた、巨大であったのじゃろう」
「種族神って大きいんですか?」
 オーガの神様が大きいのは想像できても、プクリポの神様が僕より大きいってイメージは湧かないなぁ。
「極論ではあるが、技術の粋を極めた小型化より大型の方が出力はある。この神々しい剣の有様を見ても、種族神達が長兄を止めるのは決死の覚悟であったじゃろう。従来よりも大きな力を発揮する。その手段の結果巨大化した、と考えられるのぅ」
「なんだろうが外壁の一部が崩れてたお陰で忍び込めた。ありがてぇこった」
 ダズニフさんが剣に向かって、竜族の仕草で深々と礼をする。その下げた頭の向こうに、立派な身なりの神官が立っていた。このナドラグラムの竜族を纏め上げナドラガ神に仕えていたと思わせる威厳ある佇まいだったが、その顔は疲れ切っていた。
『我らは悠久の年月に何の為に戦っているかすら忘れ去り、ただ自らの命を燃やし尽くしていた』
 神官は泣きそうな顔で剣を見上げ、深々と首を垂れた。
『私はこの一振りの剣が都に突き立った時、ようやく救われると悟ったのだ…』
 数千年に及ぶ戦いが終わった瞬間。救われたと思ったのはこの場で死んだ彼らだけで、生き残った竜族達にとっては途方もない贖罪の日々の始まりでしかない。この神官はそれが分かっても、戦いが終わったことに安堵したんだろう。それくらい酷い戦いだったんだって、僕は思うしか出来ない。
 僕達は仲間達がナドラグラムにいる教団の戦力が引きつけている間に、神居ナドラグラムに潜入する役目を担っていた。運び込まれた神の器である友人達が、ナドラグラムのどこかに囚われているだろうと踏んだからだ。
 正面の入り口から離れた壁から侵入した僕達だったが、城の奥の方は随分と崩れている。山へと続く大門は大きく破壊され、手前に広がる広場には瓦礫が散乱して荒れ果てている。暗がりに目を凝らせば、広場の奥には大きく破壊された石像があるみたいだ。
「復活の儀式が行われる山に、神の器全員がいるのでしょうか?」
 山へ至る門を見ながら言った呟きに、ガノさんは『得策とは言えんのぅ』と唸る。
「先ずは創世の霊核の封印を解かねばならんのじゃ。我輩達の友人は別の所で、封印解除の為に試行錯誤させられていると考えるべきじゃろう」
 手慣れた様子で地図を描いている老人の横で、竜の頭が跳ね上がる。吃驚する僕達を置いて、ダズニフさんは広場へ駆け出した。
 広場の中心で二人の竜族が周囲を見渡していたが、突撃するダズニフさんに驚いて身を竦める。一人は曙色の長髪を風になびかせる女性神官。もう一人は肩で切り揃えた赤い髪の男性神官。エステラ! トビアス! ダズニフさんが赤い髪の男性の首に齧り付くように抱きついた。
 そのまま首に腕を回して引っ張ってくるダズニフさんに、周囲を警戒しながらもついてきたエステラさんが問う。
「皆さんもご友人を助けに?」
 口元に手をやり、小首を傾げるエステラさんの呑気なくらいの穏やかさ。その雰囲気にげんなりしたように、ダズニフさんが『そうだよ』と返す。
「お前達は何しにきたんだよ」
「ナダイア様がオルストフ様を、このナドラグラムへ連れてきたようなのです」
 僕達も疾風の騎士団がエジャルナに潜ませた間諜から、教団の様子は聞いている。
 神官長ナダイアが総主教を更迭したとも、老齢のオルストフ様が体調を崩され重篤な状態だとか噂は流れている。暫くすると神官長ナダイアが教団の実権を握り、教団から多くの神官達と共に姿を消したという。
 位の高い神官達が軒並み空席になる中、全ての領界を繋げたエステラさんとトビアスさんが教団の実権を託されることとなる。そして、その実権を行使して大神殿内を洗い浚い捜索したところ、総主教と一人の女の子の行方が知れないことが分かったのだ。
 エステラさんがそれらを簡潔に伝えると、トビアスさんが言葉を引き継ぐ。
「ルビーも一緒のようでな。我々はオルストフ様とルビーを救う為に、忍び込んだんだ」
 なんで、ルビーなんだ? ダズニフさんが小さく零す。
 元々ルビーさんが教団によって囚われたのは、解放者としてトビアスさんを意のままに動かす為だ。解放者としての役目も不要となったのなら、ルビーさんは解放されて良いはず。
 神官長ナダイアがこの地に連れてきた二人。そのどちらかが竜の神の器なのだろうか?
 でも、オルストフという総主教が神の器であったなら、ダズニフさんと妹さんがナドラガ神を降ろす必要はなかった。そう考えればルビーさんが神の器と考えられてしまう。友人が我が子同然に慈しむ娘を殺さなくてはならないのかと、ダズニフさんが苦虫を潰したような顔をする。
 そんなダズニフさんの表情を、トビアスさんは別の意味に解釈したらしい。居住まいを正したトビアスさんは、会心の一撃が出そうな魔神斬りの勢いで頭を振り下ろした。
「ダズニフ。お前を裏切り、全ての領界を繋げる一端を担った俺をどう裁こうが構わん。だが、ルビーとオルストフ様を助けなくてはならないんだ。どうか、力を貸してくれ!」
「お前とルビーを守れなかったんだ。俺も同罪だよ」
 深々と下げられて上がらない赤い髪を包み込むように、ダズニフさんはトビアスさんを抱きしめる。震える肩を摩り、ダズニフさんは『じいさんとルビーを助けに行こう』と囁いた。
 感動的な雰囲気を断つように、ガノさんが手を叩く。
「この場で人手が増えたこと、大変僥倖。二手に分かれて捜索しようではないか」
 ガノさんは手早く山の上を捜索する者にダズニフさんとエステラさんを、残りを城の捜索に割り当てる。その采配にエステラさんが納得したように頷いた。
「ナドラグラムの最奥には竜神の柩があり、眠りに就いたナドラガ神が目覚める場所と伝えられています。儀式の場には恐らくナダイア様が居られるでしょう」
「最も強い戦力が割り振られておろう。二人には危険な場に赴いてもらうことになるが、山の上は屋外。竜化の術が存分に使えるならば、我々よりもお主らが適任といえよう」
 望む所です。高揚して頬を赤めたエステラさんが、きゅっと唇を引き結んだ。竜の獰猛さを隠しきれない黄金の瞳が、ぎらりと光る。
「ナダイア様には、オルストフ様の居場所を聞かねばなりませんので」
 ずずんと、足の裏を振動が突き上げた。教団と疾風の騎士団との戦いが、激しさを増しているんだろう。ガノさんは立ち上がると、片眉を上げて皆を見回した。
「この先は何が起こるかわからぬ。皆に種族神の加護があらんことを」
 僕達は頷き、それぞれ向かう場所に散っていく。
 アストルティアから切り離し隔離されたナドラガンドは、閉鎖された空間を創世の霊核の膨大なエネルギーが反響してどんな強靭な竜族でも生身では超えられぬ奔流になる。各領界は種族神が施した加護なのか、結界に覆われて守られていた。しかしナドラグラムには結界はなく奔流に対して野晒しだった為か、生者は誰もいない廃墟だ。
 でも、死者は橋から零れ落ちそうなくらいに、通路に溢れんばかりに犇いている。
 すれ違いざまに厳格な視線を向けた男性は、僕越しに昔を懐かしむ。
『グランゼニスの子か。この短き時の間に二人も見かけようとは…』
 僕以外にもう一人、ここに人間がきた。ミシュアさん。いや、アンルシア姫様か。
『私はエジャ聖堂の司祭として、エジャの民にレンダーシア強襲を命じた。一騎当千の働きをした我が神の先兵達は、人間共を圧倒した。火蓋を切って落とされた戦争は、竜族の勝利で終わるであろうと我々は確信していた』
 誇らしく語られた口調が、苦渋を滲ませる。
『陥落間際のレンダーシアに、山を越えて屈強なオーガ共を率いたガズバラン神が現れた。かの神が神器を振り下ろすと、大地は大きく切り裂かれ吹き上がる溶岩はエジャの民を飲み込んだ。その剣撃はエジャ聖堂にまで到達したのだ…』
 男性が顔を覆い後悔に項垂れるのを、僕は黙って歩み去るしかできない。
 窓枠から差し込む光を頼りに、僕は弓に矢を番えた状態で殿を務める。先頭を走るのがトビアスさん、地図を描き経路を指示しながら進むのがガノさんだ。魂が見えない彼らは、遥か昔に死んでしまった竜族達の中に恐れることなく突っ込んでいく。生者がぶつかってきても魂達は何の反応もしないけれど、僕はハラハラするよ。
『魂から花の香りがする。プクリポと魂の絆を結んでいるのかね?』
 ふと僕を振り返った男性が、表情を和ませた。
『極光都市アヴィーロの民はエジャの民の後詰めとして、レンダーシア攻略の戦線に加わった。粘り強く戦う人間に他の弟妹神の民が加わり変化する戦況の中で、私は不思議な光景を見たのだ。なんと、七色の光を纏うピナヘト神の姿だ』
 なんだかスポットライトを浴びてる中、満面の笑みでポーズを決めるプクリポが目に浮かぶ。生死を分つ極限の戦場に笑いを持ち込もうとする、魂にまで染み込んだ芸人根性だな。
『かの者が神器を楽しげに振ると、我らの武器は魔法のように花に変えられた。槍は見事な向日葵に、片手剣は大ぶりな百合に、薔薇になった短剣を握りしめていた戦士は棘が刺さって悲鳴をあげる。極め付けは大盾だ。なんとラフレシアに変じて悪臭を撒き散らしおった!』
 愉快そうに笑う声が、先を進む僕の耳にいつまでも残っていた。
 城の地下まで進んでくると、暗がりに蹲っていた竜族が仄暗い瞳をガノさんに向けた。
『我がカーラ郷にまで雪崩れ込んできたドワーフが、ついにナドラグラムに到達したか…』
 よろりと立ち上がり、ガノさんに向かって腕を伸ばす。
『辺境故に戦う力のない者達しか残されていないカーラ郷が、地を這いずる侵入者に毒を浴びせかけて何が悪い…! たとえ大地が腐り、侵入者が惨たらしくもがき苦しみ死のうとも、厚い岩壁の内側で震えるしかない我々は何も悪くない!』
 僕は清めの水で刀身を濯いだ短剣で、ガノさんの首に伸ばした手を切り払った。切り裂かれた手を胸に抱き悲鳴をあげる魂は、憎々しげにガノさんを睨みつけている。
『憎きドワーフの神、ワギ! 我々を守る岩壁を、よくも神器で破壊してくれたな!』
 ぶるりと身震いしたガノさんは、喚き散らす魂の方角を一瞥した。
「ご老体。寒いのですか?」
 トビアスさんの言葉に、ガノさんは『いや、問題ない』と進み出す。僕は怒れる魂が追ってこないのを確認して、二人の後に続いた。
 崩落もあって入り組んだ様相になってきた地下で、僕は突然話しかけられた。豪奢な身なりの女性の魂は、僕にふわりと笑いかける。瞬き一つするたびに、磨き抜かれた彼女自身の鱗が宝石のように輝いた。
『ここには誰も来ていませんよ』
 僕は小さく女性に礼を言い、先を行く二人に声を掛ける。二人が戻ってくる間、女性はまるで賓客を扱うように僕の傍で背筋を伸ばして立っている。
『貴方はルシュカを見た事がありますか? 天の海に築かれた、この世のありとあらゆる宝に天の枕詞を被せることで表現された我らの美しき都。ナドラガ神は戦況が悪化したことで、我らが宝を戦の道具とせよと命じたのです』
 まるで能面のような柔らかく優しい笑みに、深い悲しみが滲んだ。
『堤を切り落とされた天の海は、想像を絶する洪水となって大地に流れ込みました。我らが愛した海が、竜族と戦う戦士だけでなく、戦う力のない者達が身を寄せ合う遥か後方の町まで津波となって及び、甚大な被害を出したのです』
 一つ手前の分かれ道まで戻ろうと言いながら、二人が戻ってくる。
『我らが所業に怒れし女神マリーヌが、天の海に向かって神器を掲げました。ルシュカが海の底に沈み滅ぶことは、我らが大切にしてきた海で数多の命を奪った報いなのです』
 昇天の梯を昇れずここに縛られている気の遠くなる年月、彼女はここで罪を反芻し悔いているのだ。それ以外に何が出来るというのだろう。そうしていなければ狂ってしまいそうな切迫した想いが、血が今にも溢れそうなほど強く噛んだ口元に現れていた。
「ルシュカは今も海の底で美しく栄えています。フィナ様が民を守ったんですよ」
 瞳からどんな宝石にも勝る涙を流した女性は、僕に深々と頭を下げた。
 随分と進んだと思った頃、トビアスさんが足を止めた。ガノさんが素早く手に持ったカンテラの灯火を消す。
 これから進む真っ暗な通路の先に、明かりが灯っていた。慎重に近づいて覗けば、見張りであろう教団の神官が二人、扉の前に立っている。地下で出会ったドマノとロマニと呼び合っていた、恐ろしい二人ではなさそうだ。
 ガノさんがラリホー草を潰して丸く捏ねた丸薬に火をつけて投げ込めば、神官達の足元に転がった丸薬からもうもうと煙が立ち上る。息を止めたトビアスさんが煙の中に飛び込めば、短い悲鳴が二つ上がって静かになる。
「良い手際じゃな。優秀。優秀」
 ガノさんはさらに扉を小さく開けて、中に火のついた丸薬を放り込んだ。戸惑う反応が聞こえた瞬間に、勢いよく扉を蹴り開け鞭を振るって声の方向を強かに打つ。僕が気絶した神官達を縛り上げている間に、『見張りは全員静かになった』と部屋の中からトビアスさんが声を掛けてくる。
 中は比較的状態の良い小部屋で、既に気絶した教団の神官達が部屋の隅に拘束されて重ねられている。そして、大の字に床に転がったダストンさん、銀の髪を床に広げ仰向けに倒れるマイユさん。床に転がった王冠の傍で丸くなって横たわるラグアス王子、うつ伏せに倒れた金髪のアンルシア姫は腰に剣を穿いたままだ。真っ白い服を着た竜族の女の子は、トビアスさんと一緒に水の領界へ向かうので見かけたルビーさんだろう。皆、気を失っているのか、立ち入った僕達に気がつく様子はない。
「ルビー!」
 トビアスさんがルビーさんを抱き上げる。小さく胸が上下し、大きな傷はなさそうだ。娘の無事を確認し強く抱きしめる父に、ガノさんがうんうんと頷いている。一頻り頷いて、毛むくじゃらの顔がくしゃりと歪む。
「心操術が施されておる二人はおらんな。既にマリーヌ神とエルドナ神の封印は解除し用済みとなったか、我輩達へぶつける戦力として差し向けたか…」
『竜の民に敗北は決して許されぬ!』
 見張りは静かになったが、魂はうるさい。オーガのような立派な体躯の男は、まるで命令するかのような強い口調で言い放つ。
『我がムストリア砦は堅牢なる防衛戦の要! 浮遊大陸ナドラガンドの複雑な気流が生み出す風の盾によって、いかなる地上の侵攻も強大な魔法も届かぬ。この天然の要塞に立て篭もり、持久戦に徹することで瓦解する戦線を立て直す時間を生み出すのだ!』
「とりあえず、運び出しましょう」
 トビアスさんが竜の姿になると、ひょいと大柄なオーガの女性とアストルティアの勇者様を片手に抱き上げた。もう片方の腕にルビーさんだけ腕に抱いて特別に扱っているのが、お父さんらしいなって思う。竜化したトビアスさんには少し狭い廊下を、体を下げて腹這うように戻り始める。
 魂は怒り狂って唾を飛ばすような剣幕で言う。
『なぜ、竜族が下賤な弟妹神の民を救う! 我らは負けぬ! 負けておらぬではないか!』
 疲れを知らぬ魂の声は、どんどん大きく裏返っていく。
『エルドナ神が神器を振るい、巨大な竜巻が砦を破壊した。しかし、我々は戦略的撤退を選んだ。我らはナドラグラムが陥落するまで、最後の一人の竜族が死ぬまで、敗北することはあり得ぬのだ!』
 敗北を認められない魂が、肩を震わせ笑い始める。それを横目に見ながら、僕はラグアス王子を抱き上げた。兄さんによく似た甘い花の香りを嗅ぎながら、魂から冷え切った視線を外す。
「行くぞ、ルアム君」
 ダズトンさんを担いだ背を追いかけた僕の後を、狂ったような高笑いが押し寄せる。
『ナドラガ様! 万歳! 我らが竜族に勝利を…!』
 千差万別に狂わされた竜族達。ナドラガ神は、苦しみ、嘆き、殺されていく子供達をどんな気持ちで見ていたんだろうか。ナドラグラムに逃げ延びた者達の言葉に神は耳を傾けたとして、絶望する子供達になんと声を掛けたのだろうか。
 僕には分からない。分かりたくもなかった。