痛恨の一撃

 ロンダルキア大陸は東は肥沃な森林地帯、南が積雪に閉ざされる山脈地帯、そして西が不毛なる砂漠地帯と分かれている。
 ムーンブルクは東の海岸から定期船が出ているから、この砂漠地帯を越える者は滅多にいなかった。
 それどころかこの砂漠は古代テパ人が裁きの砂漠と呼び、罪人がこの砂漠から生きて帰れれば神から罪を許されたと免罪される風習がある。罪人が易々とひょっこり簡単に帰れる砂漠なら裁く意味がない。おそらく想像を絶する難所だろうと、共に砂漠を越えるキャラバンのメンバー達と気合いを入れあったものだ。
 だが、リウレムさんのお陰で大分楽な砂漠越えだった。
 リウレムさんは砂漠を見渡すだけで流砂を見分け、オアシスの蜃気楼も本物かどうか識別し、果てはオアシスの場所すら探り当ててしまったのだ。俺も砂漠を越える為の様々の知識や経験は、リリザ砂漠で経験済みだったが、こればかりはどう頑張っても得られるモノじゃないだろう。
 さり気なくそう言えば、リウレムさんは汗でぺたりと頬についた髪を剥がして照れくさそうに笑った。
「ロレックス君が言うほど大層なものじゃないですよ。私は何度もこの砂漠を越えていますからね。もう慣れたもんですよ」
「わざわざ砂漠を越えるのか?」
「今も昔もラダトームとムーンブルク間の海路は荒れて定期船はありません。アレフガルドのガライ港へ行く定期便はルプナガとベラヌール、そしてサマルトリアの西端にある港からしか出ていません。ムーンブルクからアレフガルドを目指すには風の塔の東にある港からベラヌール経由で行くか、サマルトリアに入国して西端を目指すか二通りの道があるのですが…」
 今現在もムーンブルクの崩壊によって定期船は止まったままだ。
 だがサマルトリアなら定期船の可能性が…
 俺は馬車の横を歩くサトリを見る。そのぼさぼさと帽子から貫かんばかりに突き出た髪を揺らし、緑の法衣とオレンジのマントを翻して黙々と歩いている。面倒は嫌いだと言っておきながら、移動の時は文句一つも零さないのが実は不思議なんだよなぁ。
「サトリ君にサマルトリアの土は二度と踏まないと猛反対されまして…」
「やっぱり…」
 予想通りの答えに俺はがっくり項垂れた。
 すると魔法で生み出した氷の上でシクラを冷やしているルクレツィアが、その暑苦しそうな金髪の髪を結い上げて馬車の中から顔を出した。
「…どうして砂漠越え何度もした事あるの?」
 やはり王族の脳みそは苦難に突っ込める構造ではないらしい。海路が全くないという訳ではないのに砂漠越えを何度もするというリウレムさんの言葉を、素朴な疑問を感じたらしい。
 その質問にリウレムさんは笑って捲り上げていたローブの袖を下ろした。
「海で暇してるよりも楽しいからですよ」
「リウレムの為なら〜…砂漠だって〜…溶岩の〜…洞窟にだって〜…い〜っしょだ〜ヨ〜〜ン〜……」
 シクラが力なく触手をあげる。相当熱さに弱いのか氷の上にへばりついていないと、今にも蒸発してしまいそうだ。
「ドラゴンの角が見えてきたぞ」
 サトリの声に顔を上げると砂漠の先に緑の地平線が見えて、さらにその奥に双子の塔が揺らめいて見える。
 ルプナガのある島とロンダルキア大陸をつなぐ吊り橋があるドラゴンの角と呼ばれる塔だ。
 ほんの数百歩の距離の狭い絶壁の崖の海峡だが、激しい海流の飛沫と吹き上がってくる強風に石橋でさえ一年も経たずに崩壊してしまう。だから塔を築きその塔から吊り橋を渡す事で、ようやくロンダルキア大陸との行き来が可能となった。吊り橋も家の柱よりも太い綱を使い、ちょっとの強風でも揺れない為にルプナガの観光名所の一つになっているらしい。
 遠巻きからでも観光客と売り子の賑わいが見えそうだ。
「ふん。こっちは苦労して砂漠を渡って来たというのに、脳天気な連中だな」
「砂漠を越えたヨ〜ン。ここはパラダイスヨ〜ン」
 サトリが鼻で笑うと、シクラが虫の息で触手を嬉しそうにくねらせている。その姿を見てサトリは明後日の方向を眺めて嘆息する。
「ねぇねぇ、何か飲み物買っても良い?」
「ここまで来ればキャラバンの人達と解散だから、一段落ついてから買い出し行こうなぁ」
 もう足下に草が広がり横には木々が茂っていると、何だか張りつめた気が緩んで俺もにこやかにルクレツィアのおねだりに応じてやる。こんな子供が馬車の中に一か月近く揺られて砂漠をこえたんだ。どんなに俺が旅費を節約して工面しているといっても、それくらいのご褒美はあげたって罰は当たらないだろう。
 そこで一人だけ遅れて歩いているだろうリウレムさんに振り返る。
「…リウレムさん、どうしたんだ?ローブが圧っ苦しくて気持ち悪くなっちまったか?」
「そんなんじゃないんですけど…、何なんでしょう。何だか…気持ち悪い気がするんですよ」
 なんだか気持ち悪そうな表情でのろのろ歩いている。すると背後でサトリの声が響く。
「おい、ルクレツィア。今頃馬車酔いか?」
「ううん…違う。だけど、何か変」
「何なんだヨン?二人して気持ち悪いヨン?胃腸薬の毒注入するヨン?」
「今はするな。シリアスだ」
 すぐ傍にいるルクレツィアに刺す気満々のシクラを制すと、俺は追い付いてきたリウレムさんに向き合う。その表情がすごく固い。
「来ます」
「吐き気が?」
「いえ…」
 リウレムさんが顔を上げて来た道を振り返る。いや、正しくはムーンブルクの方向を…
「『何』かが…」
 瞬間
 青かった空に稲妻が落ちたような光が走って俺達の影を大地に焼きつけようとしたかと思えば、鼓膜を破るような爆発的な轟音が轟く!ムーンブルクの方向から天に真っ直ぐ伸びる純白の柱は絶え間ない膨大な魔力の流れに虹のような煌めきを宿し、時折無気味な漆黒の稲妻を伝わせる。そんな光景が目に入って、俺だけじゃない誰もが呆然と、そして確実に不吉な予感で体の芯を寒くした。
「皆、森の中に…!!」
 たぶんルクレツィアの声だったろう。
 だが、誰でも良かった。その声に弾かれたように、俺達も、俺達と共に砂漠を越えたキャラバンのメンバー達は這々の態で森へ駆け入った。意識の片隅に馬車を連れて行こうと思った者がいなければ、誰もが馬車を置いて行ってしまうだろうというほどの慌てぶりで…。
 なかなか深い森へ入って一段落と思った瞬間、凄まじい暴風が突き抜けた!
 木々が折れてしまいそうな無気味な音が周囲を包み、俺達も森を突き抜けてきた強風に身を堅くして堪えた。木々の隙間から空を見上げれば砂埃が灰色の雲のように空を覆い、あまりの力に地面から引き抜かれた木が空を舞っていた。おそらく、森に入らず平野に居たままなら、馬車ごと吹き飛ばされていたに違いない。
 静かになって少し経った頃、サトリが顔を上げて呟いた。
「…収まったか?」
 その問いに、俺もどう答えて良いかなんて分からない。リウレムさんを見ると、真剣な顔つきで囁くように提言する。
「津波がくるかもしれません。高台を移動しながらドラゴンの角を目指しましょう」
 その予測は正しかった。ドラゴンの角を目指す途中で海が捲り上がり競り上がり陸を飲み込む勢いで迫ってきたが、ドラゴンの角がある絶壁は城よりも高くなっていて、津波は届かなかった。しかし平野には多くの折れたり根こそぎ飛ばされた木々が散乱し、飛ばされてきた何かの破片で馬車の移動が困難になっていた。まだ先にドラゴンの角が先ほどと変わらず建っている。
 空も雲一つなく高く澄んで、さっきまでの出来事が嘘のようだ。
 世界は異様なほど静かだった。

 □ ■ □ ■

「酷いものだな」
 サトリが珍しく顔をしかめて呟くほど、ドラゴンの角の惨状は酷かった。
 巨大な吊り橋は塔の一部ごと吹き飛ばされ、塔の一部が崩落して地面には多くの瓦礫が転がっている。ただでさえ風の吹き付ける高台であるのに先ほどの強風で、多くの屋台や煉瓦の小屋ですら基礎を残して吹き飛ばされる有り様だ。
 先ほどの衝撃波のような突風に、塔が崩れて下敷きになった者も居れば、吹き飛ばされて何処とも知れぬ地で息絶えたものもいるだろう。傷付いた人々の呻きが地を這うように広がり、死した者の為に泣く者の声が遠吠えに似た声で舞い上がり、行方の知れぬ者を探す声が風のように通り過ぎていく。
 そんな状況の真ん中へやってきた俺達は、皆を見回して肩を竦めた。
「とりあえず、怪我人の手当とか救助活動でもするか」
「そうですね」
 リウレムさんが二つ返事で即答すると、シクラもルクレツィアも頷く。
 もちろん、サトリは頷かない。
「なんで俺達がそんな事をしなくてはならない」
 『俺達』ときたか。
 俺は説明するのも馬鹿馬鹿しいと感じながらも、駄々を捏ねる…いや、己のペースをかき乱されようとするのを必死で妨害しているサトリに向き直った。
「その1、この状況がどのような事になっているか全く判断できないから、目撃者及び体験者に接し情報の収集をさり気なく行う。その2、塔の崩壊によって寸断されてしまった進路の確保の為、人手と知恵を確保する」
 憮然としてもこめかみをひくつかせるサトリと視線を合わせて、俺は意味ありげに笑った。
「そんで最後。黙って見過ごせない…だろ?」
 確かにシクラは魔物だし、ルクレツィアは子供だ。だが、薄情者じゃないからな。
 黙り込んだサトリの背後で、リウレムさんが塔を見上げた。
「ドラゴンの塔の管理者かそれに準ずる者を探し出して塔を解放させましょう。とりあえず雨風を凌がなくてはなりませんからね。店を出していた商人に物資の提供を命じて、この地に住う職人の知恵を集めましょう。まぁ、ギリギリムーンブルク領土ですし、外交官命令でどうにかなるでしょう」
 そこで腕に絡み付いたシクラを、腕ごと俺に寄越す。
「シクラはロレックス君と一緒に救援活動を援助して下さい。回復呪文も攻撃呪文も使えるので、私と一緒にいるよりも力を必要とされるはずです」
「リウレムの頼みヨン。仕方ないヨン」
 そう言いながら差し出した俺の腕に渡ってくるシクラ。しかし、しびれクラゲであるからクラゲなんだろうに、何でシクラの触手に吸盤が無いんだろうなぁ?それでいてねっとりと粘着質かと思えば、意外にサラサラしている。呪文が使えると言うのなら、魔法の力でしがみついているのか?
 …今、それをじっくり考えている場合ではないな。
「ルクも回復呪文も攻撃呪文も使えるよ。一緒に行った方が良い?」
 青い俺の服の袖を引っ張ってルクレツィアが見上げてくる。俺は少し屈んでルクレツィアの肩をポンポンと叩いた。
「瓦礫を退かすにも攻撃呪文が下に埋まっている人に当たったら危ないからな。シクラだけで攻撃呪文の需要は足りるよ。それよりも怪我している人を塔に集めるから、その人達に回復呪文を施してやってくれ。大丈夫、サトリも一緒だから」
「ちょっと待てロレックス!」
 ペースを合わせなくてはならないと察したサトリが、俺に掴み掛かる勢いで怒鳴る。
「ルクレツィアを一人にさせたら不安に感じるだろ? ただ一緒にいれば、回復呪文で治癒活動してほしいなんて望まないからさ」
「だが…!」
「サトリも救助に参加したくなったらいつでも参加してくれよ♪」
 そう言い残すと俺はシクラと一緒に救援のために塔に踏み込んだ。
 ある程度覚悟を決めてはいたが、それを覆すほどの状況だった。
 吊り橋を繋ぎ止めていた巨大な石の柱があった階から上は完全に崩壊していた。もともと海峡から吹き上がってくる強風対策に強固な石柱と縄を用いていたのが災いし、先ほどの強風で吊り橋もろとも吹き飛ばされたようだった。対岸の俺達がいる塔からでも、遠くない双子塔も同じような状況だと視認できる。
「相当強い強風だったようヨン。でも魔力を感じたからただの風じゃないヨン」
 シクラの言葉に先ほどの光の柱を思い出して身震いする。
 あれの衝撃がこんな遠方でこれほどの被害を及ぼす強風になったと思えば、ただの暴風とは到底思えない。
「だろうな。どんな強い魔物が起こしたんだろうな」
 俺の呟きに腕に絡み付いたシクラはその青銀に見えそうな薄い水色の瞳を見開いて、ぺしりと腕を触手で叩く。
「冗談じゃないヨン!あんな強力な呪文が使える魔物がいる訳ないヨン!」
「そうなのか?魔王って呼ばれるくらいになれば使えるんじゃないか?」
「でもこの世界に器がある以上、その器を超える呪文は使えないのが魔法の摂理ヨン」
 へぇ〜。
 何げにシクラ賢いなぁ。
「じゃあ、賢者様になるほどの存在はそれほど器がでかいんだな」
「人の身で生まれた以上、人が扱える呪文以上を行使する事はできないヨン」
 そこでシクラは俺の肩までよじ登って囁いた。
「器を超える呪文は死を招くヨン。リウレムとも話したヨンけど、もしムーンブルクを崩壊させたのと今回の光の柱を生み出した者が同じ存在だったら、きっとこの世界の存在じゃないヨンよ。それか複数で大きい呪文を制御しているか…ヨン」
「ま、すげぇ大変ってのは分かるけど、今、目の前の大変な事態をどうにかしないとな!」
 俺が腕を捲って目の前の惨事に向き合う。
 近くにいた軽傷の人に声を掛け、負傷者の救出と誘導を行う。塔の天井が崩落した為に、瓦礫も一つ一つがちょっとした子供並の大きさを持っているものばかり。しかし塔の修繕に使えそうなほど状態が良い訳ではなく、大きくひび割れたものも多い。剣を差し込んでも割れない物以外は、シクラのヒャドという氷を生み出す呪文で隙間に氷を入り込ませ膨張させて割るか、床に氷を張って滑らして動かす。
「呪文って便利だなぁ!」
 俺が心底羨ましそうに言うと、シクラが『そうかヨン?』と帽子の上で首を傾げた。
「シクラはロレックスの方が羨ましく感じるヨン。だって素早く動けるし剣も扱えるヨン」
「ま、無いものは羨ましく感じるもんだ。おぉい、大丈夫かぁ?」
 壁と瓦礫に挟まっていた商人風の男の体がようやく圧迫から解放されて、ぐたりと床に倒れる。壁には血が付いていないものの男には血の気がなく、脈も呼吸も既にない。
「どうだろシクラ。回復呪文で助かりそうか?」
 回復呪文とは対象者の体力を借りて治癒を施す呪文。
 生命活動する事すら難しい意識のない状態で、生命活動分の体力を治癒に回してしまうと命を落としてしまうのだ。薬草を用いるとしてもここには設備と医師がいないから不可能だ。先ほどの暴風から半日近くが経とうとしているし、意識のない者に回復呪文を施せないとなると手遅れかもしれない。
「ちょっと難しいヨン。というかロレックス、この階は確かに怪我人がたくさんいて被害も多いかもしれないヨンが、もう死んでしまっている人間ばっかりヨン。地上に降りて地上の手助けをした方が的確かもしれないヨン」
「そうかもな…」
 先ほどからこんな重傷者や死亡者ばかりしか発見できない。生存の可能性の高い地上を回った方が、より多くの人を助ける事ができるだろう。
 すると階下から10人ほどの人数が上がってくる気配が響く。振り返るとそこにはリウレムさんの頭が階段から見えている。俺達を認めると疲れたような表情でも、気づかう笑みを見せる。
「ロレックス君、シクラ。もうこの階は大丈夫ですか?」
「さぁ…。まだまだ瓦礫がたくさんあってどうなんだろうって感じだな。死んでる人ばっかり見つかるけど、生きてる人間がいるかもしれないと思うと離れられないし」
 ふむ、と頷いたリウレムさんはシクラを受け取ると目をすっと細めて部屋を見回した。
 瓦礫が山積みになっている箇所で視線を留めると、歩み寄って瓦礫を凝視する。
「まだこの瓦礫の下に4体ほどご遺体があるようですね。彼等には申し訳ないですが、後回しにさせてもらいましょう」
 そして振り返ると丁度先ほどから上がってきていた10人ほどの人々が到着した。屈強な出で立ち職人のような集団にまぎれて、サトリとルクレツィアが一緒だ。サトリとルクレツィアが俺達の傍に歩いてくる。たぶん職人の中にいるのは嫌だったんだろう。
 リウレムさんが俺達と職人の間に歩み寄ると、互いを紹介し出した。
「彼等はこのドラゴンの角の釣り橋の補修などを行っている職人の方々です。塔の地下の詰め所に居た為に全員が無事だったようです。…みなさん、彼等は私の友人です」
 互いに軽く挨拶を交わすと、職人達は早速崩落した吊り橋…を固定していた柱や器具を見回した。
 そのどれもが原型を留めていないほどだ。職人達は皆首を横に振った。
「駄目だな。修復ってレベルじゃねぇ。一から作り直す必要があるだろう。早くて数カ月…見積もってもらわなくては」
「そうですか。困りましたね」
 何か真剣に相談し出したリウレムさんと職人さん達を遠巻きに見ながら、俺はサトリに訊いた。
「何が困ったなんだ?」
「予想以上に生存者が多かったんだ」
 サトリが簡素すぎる答えを返すと、ルクレツィアが付け足した。
「ルクとサトリさんがいっぱい回復呪文で助けたんだけど、助かり過ぎちゃって食料が足りないんだって」
 ここは観光地。観光客も日帰りがほとんどだろうから、食料の貯蔵がほとんど成されていないのだろう。いや、成されているとしても助かった人間すべてを賄えるには限界がある。
 最も近いルプナガへもこの海峡を越える吊り橋は落ちてしまっているし、津波で船も全て駄目になっているはずだ。ルプナガも救助に手が回せるほど被害が軽くはないだろうし、こちらがこんな状況になっている事を知らせる手段もないから救助が来てくれる望みは薄い。ムーンブルクに引き返すにも砂漠を越えるほどの馬車と水と食料の補給はできないはずだ。
 八方塞がり…先にも後にも進めぬとはこの事か。
「どうするんだろうなぁ…。せめて前々から分かっていれば多少は被害が抑えられたかもしれないのに…」
 呟くとルクレツィアがもじもじとサトリの背後に隠れた。
 ちょっと体を動かして追うと、下ろした金髪で表情は見えない。が、何かありそうだ。
「ルクちゃん。どうした?」
 びくりと身を硬くした。金髪の隙間から赤金色の瞳がのぞくと、消え入りそうな声で言う。
「夢を見たの」
「夢?」
 俺とサトリが顔を見合わせて首を傾げる。
「巨大な光の柱が天を貫いて、世界中の物を薙ぎ倒していく夢…」
 その内容、どっかで見たような…つーか今さっきあった事じゃないか?
「先ほどの事と一致するな。もしやルクレツィア…お前、こうなる事を予知夢で知っていたんじゃないか?」
 そう言い放つとサトリは腕を組んでルクレツィアを見下ろす。
「ムーンブルクの災害も予知夢で知っていなければ、逃げ遂せるはずがない。お前はもしかしたら災害を予知夢で予め知る事ができるのではないか?」
 サトリの言葉にルクレツィアがキッと顔を上げた。涙と悔しさに溢れた表情に、俺は思わずたじろいだ。
「予知夢が見れたって何時起きるか分からないもん!どんなに頑張ったって予知夢の結果を変えるなんて出来なかったもの!!」
「それでもお前が予知夢を見たお陰で、あの光の柱が天を突いた時、暴風が来ると思ったのだろう?あの時のお前の言葉がなくては、僕達は今頃生きてはいない。お前はもっと活動的になるべきだ。一人で抱えることなく、おっさんにでも相談してみろ。雑学の固まりみたいなおっさんに話せば、もしかしたら予知夢の起きるタイミングすら測る事ができるかもしれん」
 確かに的を得た発言だが、興奮したルクレツィアには火に油。
「サトリさんの馬鹿ぁ!!」
 すると両手に光が集まり、枯れてしまうほどの大声でルクレツィアが叫んだ!
「イオナズン!!!」
 呪文が放たれる一瞬前、俺の腕を誰かが引っ張った。誰かといっても隣にはサトリしか…
 そして目の前が真っ白になった。

「おぉい、兄さん。大丈夫かい?」
 野太い声が先ほどの職人に良く似ている。
 声が届いて薄ら目を開けると、ぼんやり暗くてよく見えない。それでも耳は正常らしく周りが「おぉ」とどよめいた。
「向かいの塔で爆発が起きたようでな、それで兄さん吹き飛ばされて来たみたいだぜ。真っ黒焦げで即座に回復呪文を施して傷は治ったが、助かるか分からんでなぁ!はっはっはっは!」
 体の異常なだるさは回復呪文の影響なのだろう。
 イオナズンとは人が唱えられる呪文の中でも最高の攻撃呪文として名高い呪文だ。よく生きてられたもんだなぁ、俺。
 それにして『向かいの塔』って事は…
 すると視界に白いものが映った。目を凝らすとそれは羽。キメラの風切羽を束ねて作り出したルーラの効力のある道具だ。
「体力回復したら、縄一本もって向かいの塔に戻ってくれ。縄一本でも繋がれば吊り橋を作れるし、物資の補給もできるからな!」
 豪快な笑い声とともに、向かいの塔に残された人々も助かるだろうという安堵の声も聞き取れる。おそらくイオナズン食らって酷い状態になっている俺も、一命を取り留めた安堵からか笑いたくなってきた。
 世界中が大変な事になろうとしているかもしれないだぜ。
 逞しいもんだ。