真実の姿

 知らなくても生きてられるんだ。
 俺は一生知らなくてもいいと思ってる。

 □ ■ □ ■

 あの一件の後、俺達はベラヌールからムーンブルクへ引き返す事になった。
 ベラヌールからムーンブルクへ行くには二つの航路がある。
 一つがベラヌールからペルポイを経由してムーンブルクの風の塔近くの港へ行く便。
 もう一つがベラヌールからデルコンダル経由ムーンブルクの便だ。
 これで分かるかもしれないが、リウレムさんの行った外交の成果が着実に出ている。ムーンブルクへ向かう定期便が再開し、運行をはじめたんだ。それでもデルコンダルとムーンブルク間の海原は非常に早いが海が荒れるため、俺達はペルポイ経由でムーンブルクへ向かっているんだ。
 先導役のリウレムさんが居なくなったのが最も大きい原因だったが、ムーンブルクの復興の依頼をするべき所へは全て打診した後で、次に向かうべき場所はない。それに復興のための物資や情報が、かつての世界の中心に押し寄せる。それを得ないのは非常に勿体ないと、俺が提案したからだ。
 世界が滅びるなんて黙ってられる事ではないが、名案もない。とりあえず俺が一番欲しいのは情報なのだ。
 それでも一番積極的に動いているのは意外にもサトリなんだ。が、あいつにしてみれば世界自体が無くなればあいつ自身の人生プランが台無しになってしまう訳だから積極的なのだと思えば、その協力的な動きにはとっても納得できる。
 逆にルクレツィアが恐くて寝れない日が多くなり、一応二部屋借りるんだが俺達野郎共が寝てる部屋にやってくる。そして二つあるベッドのうち一つにルクレツィアが寝て、男二人が互いに部屋の真反対の床で寝るという不思議な夜を過ごしている。俺は野宿なんて小さい頃から当たり前だし床で寝るくらい問題無いが、サトリがうるさい。俺が良いって言うんだから、お前が開いてるベッドで寝てくれよ。
 憔悴して体力の落ちたルクレツィアの為にペルポイで、少し療養する事になった。
「おぉい、サトリ。もうじき買い出し行く時間になるけど準備はできてるのかぁ?」
「少し早い」
 眉間にしわを寄せてサトリが金の懐中時計を見ている。
 サトリは使い込んだ法衣の修繕を頼んでいるから否が応でも行かなくてはならない。魔法使いの衣服は俺が使っている旅人の服とは違い、専門の魔法具専門の仕立て屋に依頼して修繕してもらうのが一般的らしい。特にサトリは回復呪文の精度を増すという技術を施した僧侶が愛用する一般的な法衣なのだが、それでもちゃんと修繕してもらうのは奴なりに癒しの呪文の重要性やら他者の命の重さを理解しているからだろう。俺も助けられる時に用意を怠って助けられないのは悔しいから、すごく良く分かる。
「そう言うな。ルクちゃんは用意できて待ってるぞ」
「そうか。じゃあ行くか」
 俺の言葉なのにサトリは椅子から立ち上がって、さっさと出ていってしまう。
 あの一件以来サトリもうわべでは相当不満そうにしてはいたが、さり気なく気取られる事なくルクレツィアを庇っている。さすがに指摘すると本人が一番怒るので、優しいところのあるサトリ君は俺とルクレツィア二人だけの秘密である。
「おい!ロレックス!急げ!!」
「はいはい。今すぐ行くよ」
 宿屋の扉の前で二人が待っているのを、俺は向かう途中窓から見た。
 イライラと爪先で地面を突く金髪のツンツンとした頭が揺れ、腕を組んで宿の扉を睨んでいる。隣に並んで雲のような金髪がフワフワと浮かんでいて顔は見えないが、それでも両手を組んでじっと扉が開かれるのを待っているようだ。
 なんとなく、当たり前になっているその光景がそこにあった。

 さて、今俺達が滞在するペルポイはな、世界屈指の鉱山都市だ。
 この町が地下に埋まっているのは、掘り尽くした銀山跡を再利用しているからなんだ。
 真ん中の地割れのように上から下まで北から南へ長々と続く貫く大通気孔を中心に、左右どこまでもかつての坑道が続いていて、通気孔の近隣に家が建っている。ちょっとでも裏路地というか奥まで入っちまったら、二度と出れないかもしれないから気をつけろよ。年に一回大捜索と称して旧坑道の奥まで捜索隊が捜索するんだが、その時の仏の数はなかなか多いらしい。窃盗の数も多くてな世界最大の牢屋があって、牢屋にぶち込まれている者達が無縁仏と鉱山事故で亡くなった者達の供養と墓守りをする風習がある。
 世界中に流通している鉱物は金銀銅からレアメタル水晶金剛石紅玉まで、金属から宝石までほとんどがペルポイ産だな。ロンダルキアの巌を切り開いて産出する鉱山もあるし、川の下流にある砂漠を篩にかけて砂金を探す職業を生業にするものもいるが、なんといってもペルポイには精製技術と加工技術の卓抜した技術士が鉱夫に次いで多い。アレフガルドのメルキドには歴史的に技術的に劣るかもしれんが、その幅の広い産出力は世界最高だろう。
 だから、装飾屋が多いんだ。
 という説明をサトリにしてやる。
「女の買い物は長いからさ。先に自分の用事を済ませてこいよ」
「言われるまでもない」
 言い放って数日前に修繕を依頼した店に向かっていってしまう後ろ姿を見送り、装飾屋のショーウィンドウから動かないルクレツィアの後ろ姿を見て我ながら複雑なため息をついた。
 女の子だもんな。
 俺はちょっとうんざりしながら、物欲しそうに宝石細工を眺めるルクレツィアを見つめた。ペルポイには星の数ほど装飾品を扱う店が並んでいて、その多数の前を通り過ぎていながら彼女はこの店の前で足を止めたのだ。相当、彼女の趣味に合った店なのだろう。
「ちょっと店に入ってみるか?」
「いいの!?」
 振り返る台風の勢いで流れた雲からのぞいた太陽のような赤金は、きらきらとあけぼののように輝いている。いつもなら控えめにいつの間にか居なくなってしまったサトリについて聞くだろうに、今は神のように欲望を叶えてくれるだろう俺ばかりを見て期待に溢れた胸の前で拳を握っている。
 俺が呆れて顔が引きつってるってのも、今の彼女じゃ気が付かないだろうなぁ。
「あぁ」
 俺が頷いてみせると、意気揚々と可愛らしい木製の扉が開き扉に嵌った窓がキラリと光った。ちりんと涼やかになる来客が訪れた事を告げる鈴が鳴る。あんなに元気がなかったってのに…と同じ思いで扉をくぐった男は多いだろうなぁと、笑うように鳴る鈴を恨めしげに見上げた。
 目に呼び込んでくる精錬された金属の輝き、加工された鋭利な光に目を細めた。
 子供向けってよりも大人、貴婦人が好みそうな洗練されたデザインの店だ。細い鎖につながれる宝石はとても小さい物ばかりだが、控えめに主人を引き立てる感じの物が多い。道具袋の留め金は革ひもに動物と宝石をあしらった緻密な細工の物が置かれ、耳飾りは着ける人物の髪によく馴染みそうな流線的な印象ものに近海で採れたのだろう真珠が何かのシリーズを銘打たれて並べられている。
 どれもこれも丁寧で良い質の原材料が腕の良い職人を経由したのがよく分かる一品が並んでいる。
 それに売る者が品質を損なわない魅力的な展示を行っている。
 恵まれた品々。
 俺は装飾品ってのはあんまり好きじゃないが、そんな経緯があると感じられる空気が好きだ。
 一つ一つ検分するかのように徹底的に眺めるルクレツィアの後ろ姿を見つつ、買い物が長くなるなぁと実感した。
『ロレ!御覧!』
 輝くものに溢れた世界の遥か彼方から、どこかで聞いた声が俺に声をかける。いや、俺の声にそっくりじゃないか?
『見て御覧、これはルビス様のお守りだよ。ムーンブルクの神官さんと昔からずっと追いかけていた品物なんだ。奇麗だろう?』
 煌めきの彼方から金色の鎖を絡ませたような複雑な細工の首飾りが現れる。キラキラと自分から光る宝石が5つ飾られていて、とても触れそうにない凛とした印象を醸し出す。奇麗だという言葉が出なくって、息を止めた。息が掛かるのもなんだかいけない気がする。
 首飾りを持った大きいゴツゴツとした手が不釣り合いだが、その手の揺れ方は非常に高揚して嬉しそうでなぜだか俺も嬉しくなった。
 その手のさらに奥から落ち着いた俺にそっくりな声とは別の声が聞こえてきた。
 何を言ってるかは知らないが、不満そうで咎めるような禁めるような響きがある。ルビスといえばミトラ教では神に次いで讃えられる精霊の名前だ。そんな者の守りならゴツゴツした手で乱暴に扱うなとでも言いたいんだろう。俺の予想は正しかったらしく苛立った時の俺の声を聞いているかのように、男は怒鳴った。
『…わぁーってるって、たまにしか顔見せられない息子に良い顔したっていいじゃないか!』
 息子。
 あぁ、俺の声にそっくりだもんなぁ。この人、俺と血の繋がった父親なんだ。
『ロレ、このせっかちな神官さんムーンブルクに送ってきたら今度はずーーっと一緒だぞ!そう、一緒だ!良い子で待ってるんだぞ!!』
 嬉しくって仕方がないのか、大声で笑いながら頭を乱暴にぐりぐりと撫で回すもんだから俺は押される力に負けて尻餅をついた。
「おっと」
 背に持たれた壁に掛かった額縁が頭に当たって、びっくりする。
 女の買い物は恐ろしいなぁ。こんな昔の事を思い出させるほど暇にさせるんだからよ。しかし、ルクレツィアは相変わらず熱心に品々を眺めている。このままでは幻覚まで見そうな暇さに、俺は恐れをなして声を掛けずにいられなかった。
 あの後、ムーンブルクへの護送の途中で血の繋がった父親は死んだのだ。
 …そんな事まで思い出す必要など、今はない。
「ルクちゃん。俺、外で待ってるぞ」
 静かな店内では五月蝿いくらいの声だったから聞こえているとは思うが、それでも『うーん』と返事なのか品物定めする響きなのかよく分からない返事が返ってきただけだ。俺はそれを快諾と勝手に判断して、心は急いて、動きは店の物を壊さないよう慎重に店を出た。
 はぁーーーあ。
 思わず大きなため息を付いてしまったのを、目の前を通りすがる少し年上の男に驚かれる。
「あ。すみません」
「いや、こっちこそすみません」
 互いに何を謝っているのか知らないが、なぜか謝る。すると、年上の男は俺の喋り方に違和感を感じたのか、俺の顔をじっと見てしまってる。
 俺がアレフガルド地方とデルコンダル地方の混ざったようなイントネーションが特徴的な、ローレシア地方の言葉で喋るからだろうと思う。ペルポイは独自の警備が確立されていて傭兵など雇う事など滅多にない。ペルポイの人間にとっては初めて聞く者も少なくないはずだ。
「…もしかして、ローレシアの傭兵さんですか?」
「そうですが、何か?」
 よくよく見ればその男、ペルポイでは珍しい容姿をしている。
 筋肉隆々で体格がいいのは珍しくもなかったが、日の光を浴びないから肌が白い鉱夫と違ってこの男の肌は真っ黒だ。運搬船や漁船で働く者はペルポイには滅多にこない。もっと海辺に面したペルポイ港が我が庭と言っているように、肌の焼けた水夫達は働いているのだ。海と山の民きっかりと別れているのも、ペルポイの特徴でもある。
 男は俺の顔を見て少しだけ考えると、おずおずと尋ねた。
「時間がありましたら、少しだけお話しできませんか?」
 大歓迎ですよ。
 暇で暇でしょうがないくらいですからね。
 …口で言うより態度が先に出てしまった。俺が改めて頷くと男は抜け目なく言った。
「報酬は珈琲代だけでよろしいですか?」

 ルクレツィアが入り浸っている店が見える位置にある喫茶店を指定して入ると、男は改めて俺に尋ねた。
「貴方は私を知ってますか?」
「はぁ?」
「あっ、言い方が良くありませんでしたね。私は今、記憶がないのです。ですから貴方が私の事をご存じなのか聞きたかったのです」
 上擦ってしまった声に歪んでしまった顔をどうにか正すと、男の顔をもう一度よく見る。
 髪は赤っぽい焦茶色で、瞳も赤っぽい茶色だ。顔の彫りは深めで笑顔で話されると、とても人なつっこくて誠実そうで無邪気な印象を受ける。水夫らしい服装に日に焼けた健康的な肌は筋肉質で、首から下がった鎖に通されたリングが白銀に輝いて映える。
「やっぱり見覚えありませんね」
 そこで、俺はふと翳めた疑問を口にする。
「確か記憶が無いと言っていましたが、記憶がないのにどうして俺が貴方を知っているかもしれないと思ったのですか?」
「貴方の喋り方…というよりもローレシア独特の方言というべき喋り方を知っていたからです。貴方の声を聞いて確信したんです。もしかしたらローレシアに私の失われた記憶のヒントが隠されているのかもしれないと…」
 はぁ…なるほどなぁ。
 本気で記憶を蘇らせようとしている男を前に、俺も思ったことを口にする。
「記憶を失われたのは最近ですか?」
「たぶん、そうです。一年前に港に流れ着いたのです」
「一年前…。その筋肉のつき方は記憶を失う前から筋肉を鍛えていないとできないものです。そこでまず俺が思ったのは貴方がローレシア出身者であるかもしれないが、記憶を失う前はローレシアで生活はしていなかっただろうという事です。ローレシアには港はありますが、ローレシアの港は言っちゃ悪いですがあまり大きくないからかそんな筋肉隆々の水夫なんてほとんど見かけませんよ」
 俺が一通り言い終えるが、男が何かを言おうとする前に俺はさらに言葉を続けた。
「貴方は、本当に記憶を取り戻して平気なんですか?」
 一口珈琲を啜る間、男は質問の意味を掴み損ねて首を傾げた。
「俺が知る限り、立って歩けて判断能力もあって飲む食う寝るという自立した生活も営めるのに、ただ記憶がないという者達は何かしら酷い目にあって記憶がなくなった者ばかりです。ある者は魔物に殺されるほどの重傷を負って、ある者は依頼人が金を踏み倒すために仕込んだ毒の後遺症で、ある者は事故で…、おそらくそれら恐ろしい事柄の記憶が精神を蝕む事がないように自分自身が記憶を封じているからだと医者は言います」
 俺は改めて男の顔を覗き込んだ。
「記憶を取り戻す事は苦痛を伴うと聞きます。貴方はその苦痛と向き合う覚悟がおありですか?」
 男は唇を引き結ぶと、胸元に下がったリングをゴツイ指でつまんだ。エンゲージリングなのか内側に人名だと思われる名前が彫られているが、男が矯めつ眇めつ眺めている動作に読めずにいた。俺が名前が読めない事を諦めたころ、男が呟いた。
「記憶を失う前から持っていた唯一の物です。大切なものだ。忘れてはいけなかった」
 重く、悔やむ声。
 俺は男の事を少しばかり推測できていた。推測は形になって真実に近いものになっていく。
 しかし、今言うのは良くないだろう。旅先で記憶の断片を知り、記憶を取り戻す苦痛を味わう時、支える者がいなければ本人が壊れてしまう。結婚を約束する者が故郷に、彼の記憶の在り処に今もいるならば彼女こそ彼を支えるに相応しい適任者のはずだからだ。
「ローレシアの傭兵なら依頼を受けたり、依頼人の関係者で一度でも顔を見た事がある人物を忘れはしないだろう」
「そうなんですか!じゃあ、早速ローレシアに行ってみるとします!」
 男が何度も感謝の言葉を言って、席を立つ。時々振り返って、零れるような笑顔を向けて、人波に消える。
「結局、名前も言わなかったな」
 きっと彼はザハンの船乗りだ。
 ローレシアはザハンから一年に一回以上海の魔物の掃討の依頼を受けていて、それは半世紀近い歴史を持っていてローレシアにとっては伝統行事のようなものだ。定期的に旅の扉をローレシアの北に住む賢者に開いてもらって、もし魔物の被害で漁業がうまくいかない場合はローレシアの傭兵が派遣される。
 ちょっと喋っただけでローレシアの傭兵と分かる者が住む圏内は非常に狭い。
 隣国サマルトリアでも辺境ならすぐさま理解できる者は多くない。デルコンダル、リリザ、サマルトリア中心部、これくらいの狭い圏内の者が喋り方でローレシアの傭兵と分かる。だがザハンの者もすぐ分かるだろう。
 そして流れ着くといってもデルコンダルとの交流はそんなに多くないペルポイである。ザハンには遠くの沖まで出て漁をする事もあるらしいから、ペルポイ近くまで漁にやってきた漁船が魔物に沈められ、彼がペルポイに流れ着いたとしても不思議ではない。
 しかし…
「頑張るねぇ」
 俺はもう見えなくなった後ろ姿に言った。
 記憶なんて、どうでもいいよ。

 □ ■ □ ■

 サトリと合流してもまだまだ装飾品と睨めっこして、日も暮れそうだ。危機感が募れば、財布の紐を緩めてもどうにかしたいと思うのは罪ではないだろう。結局、ルクレツィアが大いに悩んでいたネックレスを買ってあげる事で満足してくれたようだ。
 当然サトリと割り勘だ。
 女ってのは恐ろしい生き物である。
 満足そうに胸元に掛かっているネックレスは、銀の鎖に四角くカットされたダイヤモンドが施されている。ダイヤはカット数の少ない加工が施せるだけある不純物のない透明度の高いものだ。高くて男二人、泣きそうになるぜ。
 そんな猛者を横目に見ながら、俺は何気なく聞いてみた。いや、答えを知りたくて聞いた訳でもなく、愚痴を聞いてもらいたいような心境で質問すること自体意味はない。それでも言葉は紡がれるのは早く、言った言葉は取り消せないことを酷く後から後悔した。
「ルクちゃん、ルビス様のお守りって知ってる?」
「知ってるよ」
 あまりの即答に俺がびっくりした。
「サラマクセンシスへ懇願のための長たる彼女の一粒、ラルバタスの救いを求める弱き乙女の彼女の一粒、長き年月を憂える生きる定めの彼女の一粒、炎の乙女が流す涙そのものの一粒、…そして愛しき夫の未来を祈る一粒。きっとルビス様が泣いている。声にできぬ涙が結晶となって紋章となって、最後に炎の姫の強い願いが守護の力になったんだ」
 そして、事も無げに言った。
「ハーゴンが昔、誰かと一緒に探して手に入れたルビス派の神具だよ」
「そうか」
 やっぱ、知ろうと思わなくていいなら知らなきゃ良かったな。
 あの男は血の繋がった父親を看取っただろう。お喋り好きだとも思わないし、知ろうと思わないなら告げる事もしないだろう心遣いも持ってるだろう男で良かったと根拠のない幸運に感謝した。お節介なら血の繋がった父親について根掘り葉掘り教えてくれるに違いない。
 ルクレツィアに慕われ、ムーンブルクの大神官を勤め、血の繋がった父親と共に旅して、こんな事をするだろうと察しられて追放されたとは言えムーンブルク国王に殺されなかった男。
 よけいな事を知らなけりゃ、普通にぶん殴れるのになぁ。
「ロレックスさん、サトリさん、プレゼントしてくれてありがとう!」
「ルクレツィア、今度は前もって寄りたいと言え」
 いや、女という生き物にそれをいっても無駄だろう。
 俺があきれて黙っているのを聞こえていないと思ったのか、ルクレツィアが駆け寄って再び言った。
「我が儘に付き合ってくれてありがとう、ロレックスさん」
 その居心地の良さが、どこかに痛みを走らせる。それでも俺は笑う。
「礼には及ばないさ」
「ロレックス、それは僕への嫌みか?」
「別にお前の真似をしている訳じゃねぇって」
「ほんと?似てたよ」
「こんな我が儘な男とそっくりだなんて冗談きついぜ」
「それは僕の台詞だ!」
 サトリが突っかかってくるのを俺が流してルクレツィアが笑う。
 いつの間にか当たり前になってきた。
 きっと永く続く。いつか終わる。