見えているものは全てではない、覗けば違うものが見える。
 見えていないものは知れないものではない、入れば知らなかった世界が見える。
 穿たれたものは小さくとも、世界は豹変してしまうのだ。


 そこにはロンダルキアにある塔の中でなくてはならなかった。
 堅牢なレンガを積み重ねた無骨な壁面があり、金属に木の板を張り合わせる事で触れる事による凍傷を防ぐ造りの窓枠から見える外は吹雪であるはずだった。暖炉の中には赤く灼熱した金属が置かれ、それを納めるように金属を加熱する魔法陣が描かれている。それがこの塔の暖房施設で、空気を汚さずに暖かい空間を生み出すムーンブルク出身者ハーゴンの知恵だった。床にはこの地域の魔物なのだろう毛皮で作られた絨毯があり、ベッドの寝具は余所には無いほどの保温性を持った物が置いてあった。
 しかしどうだろう。
 そこはサマルトリアの僕の私室だった。
 白い壁面には本棚が立て掛けられ、気の窓枠から向こうは豊かな森林が見える。棚の筆記道具の置き位置も侍女がしてくれるベッドメイキングの具合も、暖炉の煤け具合に至るまで僕が最後に見た部屋のままだ。磨き抜かれた一枚板の机には、城を出る最後の日に整理したはずの本が置かれている。何かが足りなくて見回すと、聖書がない。本棚にあった神にまつわる書物も一切無く、代わりに歴史の書物や薬草学の指南書が増えている。
「僕が喜ぶとでも思っているのか?」
 僕は背後にいるポヴォイルという女性を見遣った。色彩のない埃に塗れたと思ってしまうような艶のない金髪、鎧の他は薄布の露出度の高い装いから窺える褐色の肌に引き締まった筋肉が見える。真っ赤な瞳が黒くなりはじめた血溜まりのように禍々しくも、戦場に立てばこれ以上もなく似合うだろう美女だ。アトラスという巨神の王の仮そめの姿でもあるらしい。
 彼女は心外だと言わんばかりに、目を閉じた。
「文句はべリアルに言え」
「ラベールと名乗っていた女か?」
「ベリアルの力だ。バズズかもしれない事もあるが、十中八九ベリアルだと思えばいい。例え奴が関与していなくても、リウレムは苦情を奴に言くらいだ。この幻惑を消せというならそうしよう。それはできる」
 アトラスもといポヴォイルは暴力や破壊専門の悪魔らしい。ぶっきらぼうと言うよりも辿々しい言葉使いであり、知識は他の二人に劣るとすれば解除を頼むのは専門外だと言いたいのは理解できた。簡単に消せるというのは、僕も含めているのかどうかも分からず背を向けている恐ろしさはあった。しかし、確かめたいと思って振り返ったそこには、変わらず自室に限りなく似た空間があった。
「自分で解決する。それよりもこれは、どんなものなんだ?」
「誘惑の力だ。お前の気に入りそうな、求めていそうな要求を映し出しているだけだ。この塔にいる全ての人間に作用する。現実を捉えれば簡単に弾き返せる弱い力ではある。しかし望めば溺れるほど手に入り、自ら望んで堕落して行くのを眺めるのはベリアルの趣味だ」
 なるほど。
 幻は幻なのか。
 僕は納得し、ロンダルキアの塔の冷たい廊下とポヴォイルが居る事を意識して振り返る。いや。意識など必要ない。それが当たり前なのだ。サマルトリアは遥か彼方であって、ここではない。そんな事すら通じない世界は普通ではないのだ。その意識が必要なのだ。
 同時にこのような卑劣なる悪魔に勝利した、ミトラ神の偉大さに感謝する。
 『望めば溺れるほど手に入り、自ら望んで堕落して行く』そう、ポヴォイルは言う。それはそうだ。幻では腹は膨れない。幻で現実を失ってしまえば、死んでしまうのだ。死ななくとも、現実に干渉しないそれは生きているとはいえないだろう。人を堕落させるとは、良く言ったものだ。強敵で、悪魔といえる存在だ。
 振り返ったそこは冷たい石造りで窓のない通路が延々と続いている、ロンダルキアの塔の廊下だった。廊下を照らす魔法照明は炎の赤さを含まない青白い光で出来ていて、石を煉瓦のように積み重ねた廊下を酷く寒々しく演出した。
「全く、疲れる所だ」
「お前はここに慣れるのが早い」
 素っ気なく言った言葉に、僕は心の中で嘆息した。まさか昔から心を閉ざしていると錯覚するほどに、甘えず許容しなかった事がこんな所で生かされてしまうとは。普通の人間なら誘惑によって自らが生み出した都合のいい幻に、踊らされ衰弱しきってしまうだろう。しかし僕は甘い幻惑など許しもしない。
 感謝はしたくもない。声にならない言葉は苦い息になって体から出ていった。
 ここに滞在する時から共にいる事になったポヴォイルは、そうなった時に横っ面引っ叩いて正気に戻す役回りなのだろう。シクラに引っ付いていればいい。あいつはきっと人間になっておっさんと一緒に暮らす幻惑に溺れているだろうに…。
 ポヴォイルが顔を上げた。何かを警戒するかのように、気配が張りつめてゆく。
「どうした?」
 廊下を照らす光の色が変化する。遠くから赤い光が侵食してくる。
 いや、赤は炎の色だ。目の前の照明が松明の物に変わり、煉瓦の壁になる。煉瓦が剥がれた所は地下の硬い地層を彫り貫いたもののような剥き出しの地面で、地下なのだろう事が分かる。天井は大聖堂の天井に匹敵するほどに高く感じられ、光が届かないのか松明の煤で黒くなってしまったのか全く見えない。
 慌てて背後にあったサマルトリアの幻が見えた扉を開け放つと、そこは地下にしつらえられた書斎のような所だ。小人になってしまったのだろうかと錯覚するほど、何もかもが大きい。目の前は現実ではない、幻と思って振り返っても廊下の何もかもが変容したまま揺るがない。
「どうなっている?」
 ポヴォイルが腕を組んで思案して、ようやく口を開いた。
「ベリアルの力は働いている」
 おそらく、僕が見ていたサマルトリアの自室もポヴォイルには見えていたのだろう。
「だとすれば、これは誰かの希望や願いが奴の力で幻として生み出されたものを見ているということか」
 この幻を見ている奴を引っ叩けば解けるのかもしれない。
「発生源は分かるか?」
「あっちから広がったとすれば、あっちだろうな」
 ポヴォイルが指を指したのは、照明の色が変わり始めた方角だった。僕もそれには異論がない。源から現象は広がるものだ。
 歩き出して暫く。地下階から地上階に出た。そこは礼拝堂のような大きな教会だ。広がる大きな空間には長い椅子が整然と並んでいて、深紅の絨毯がまっすぐ教壇にまで伸びている。教壇の後ろから遥かな天井まで巨大なステンドグラスがそびえ立っていて、昼の日差しが色とりどりの光をここに差し込んでくる。ステンドグラスは五つの属性を従え、陰と陽を掲げる、顔の見えないミトラ神の一般的な認識を表したようなものだった。おそらく相当な規模を誇るミトラ教の教会だろうが、僕にはどこの教会かは分からない。
 それよりも今まで歩いて誰もいない。人影も気配も感じないのだ。
 静寂は、耳に痛い。
 外が見える場所に出て初めて鳥が飛ぶ姿を見いだしたと言うべきだろう。一体、誰のどんな願いなのだろう?
 鐘突き台は上にあるだろうか? 上から見下ろせばここがどこだか分かるだろうか? いや、ハーゴンの支持者の誰かだとすればその数は相当数であり、誰かを特定するのは難しいだろう。それでも、ここが世界のどこかに存在する何処かであるならば、それは僕にとって少しでも安心できる要素に違いない。
 教会の構造はどこも似通っている。上への階への階段も簡単に見つけることができた。
 内装は質素ではあったが、窓枠も扉も絨緞でさえ使い込まれても大切に扱われているのが伺える。調度品は何もないが、すっきりとした清楚で落ち着いた印象がある。ほとんどの部屋は客室ではなく、事務や政を行うような資料で溢れた部屋が多数を占めていた。しかも、地下階は巨人が住んでいるよな巨大サイズな世界だったが、地上階は人間の暮らすごく普通の変わりない世界そのものだ。それでも誰にも出会わないが。
 そしてそこは城のように高い建物だったが、建っている場所も高台というよりも山の中腹か山頂に築かれたようで余計に高い。窓から見る風景は見下ろすように広がり、流れの速い大河か海峡といった場所を挟んで山や森や平原といった表情豊かな大地が遠くまで見通せる。最上階に上れば地平線を超えて水平線が見えるのではないかと思うほどだ。
「アレフガルドのようだな」
 後ろに続いていたポヴォイルが呟くように言った。
 僕も見える風景に記憶を重ねて見遣ると、なるほど、確かに見覚えがある。しかし…
「アレフガルドのどこだ?」
 僕の記憶が正しければアレフガルドのラダトームでさえ、これほど立派な教会は存在しない。いや、ラダトームの造りはムーンブルクのように大聖堂と一体化した城の構造ではななかった。僕の知らないアレフガルドの地方の教会か、既に閉鎖されている教会のどちらかの可能性はある。それでもこれほどの規模なら知らないはずがないのだが…。
「ここは…勇者アレフの時代の言葉を借りれば、『竜王の城』と呼ばれているところだろう」
「『竜王の城』…!? ここが!?」
「我々魔族には縁遠い場所だ。ここは我々から見れば動物程度の低級魔族…お前達が魔物と呼ぶような者が根城にしている場所だ。それでもこの幻は魔物が見ているものではないだろう。魔物は現実を伴わぬ幻などに惑わされない」
「あんたは?」
「魔族は魔物とは全く異質な存在だ」
「…では、ここを知る人間だというのか? 一般市民が出入りできる場所ではないだろう?」
 今でもアレフガルドの中央の島に居を構える居城は、勇者ロトの時代から存在する。勇者ロトの時代には大魔王ゾーマの居城として、勇者アレフの時代では竜王の城として名を変えながらも伝説に登場している。どんなに月日が経ったとしても、人間がその城に近付くことはなかった。なぜならその城は数百の年月を経ても朽ちる事なく、魔物が今も住み着いているのだと畏れられていたのだ。
「リュゼルだろう」
「は?」
 思い掛けない名前に唖然とする僕に構わず、ポヴォイルは続ける。
「彼は初代竜王のひ孫であり、現竜王の地位を襲名しているからな」
 リュゼルはラダトームの士官で、将軍の地位にあったはずだ。ラルス政権を転覆したほどなのだから、人徳も実力もあるとはおもっていたがそんな存在だったとは…。ルクレツィアもおっさんも何も言ってなかったぞ。
 僕もイライラを募らせながらも、最上階にたどり着いた。人影が見える。
 ラダトームのリュゼルだ。
 薄い金髪なのか茶髪なのかよく分からない長い髪を後ろで結わき、ラダトームの士官の服装ではなく貴族が旅に出るような上等だが機動性のある服をまとっている。マントも一般的なものをゆったりと纏っている。荷物は肩に掛けられ剣も腰に下げられていて、品のよさそうな顔立ちであっても普通の旅人にしか見えない。
「おい」
 僕の声掛けにリュゼルは気が付かないのか、そのまま扉を開けて入ってしまった。
 僕らも後を追って扉を開ける。
 広い執務室だろう。大きい窓から外に出られるベランダがあり、ちょうどそこから光が強く差し込んでくる。壁には大量の本と資料が置かれ、テーブルの上にも地図やインクや羽ペンなどが置かれている。執務する人間の座る机は磨き抜かれているのか飴色に似た色彩に落ち着き、落ち着いた空気がただよっている。
 机の前にリュゼルが立っている。
 その奥に、机を挟んで座っている人物が見える。リュゼルの姿に遮られて見えなかったから、わずかに体を動かして人影を見ようとする。ターバンを巻いた黒髪の男が見えるが、僕達から背を向けているからよく見えずにいる。
 彼がリュゼルの望みか何かなのか?
 リュゼルは話しかけたくても話しかけられないような、戸惑うような身じろぎをしている。僕は、その姿に苛立を隠せなかった。
「おい、リュゼル」
 実際話すのは初めてと言ってもいい。紹介されて挨拶を交わした程度だ。
 リュゼルも僕が誰だかは知っていたが、どうしてここにいるのか不思議でならないような表情になった。
「そいつは幻だ」
「なんだって?」
 リュゼルの視線が机の向こうに座っている人物を凝視する。僕はリュゼルの肩を強引につかんだ。
「お前がそいつに何を期待しているかは知らん。それでもそいつはお前に作られた幻てあって、決して本人ではない。お前が望んだように話し掛け、応えるただの人形だ。そんなのから何を得るんだ? 現実を見ろ。お前は今、ロンダルキアにいるんだぞ!」
 その言葉に金色の瞳の奥に怒りが灯る。
「曾祖父さんは偉大な方だ!」
 なんなんだ!? その盲信的で狂信的な発言に、僕は背筋に寒いものすら感じた。信じているものを貶された屈辱によって灯された怒りの炎だっただろうが、僕にしてみれば根拠のない事に怒り出す赤児のような態度である。それを大の大人が、しているのだ。
 まるで現実を夢見心地に歩いている大人を、僕は吐き気がするような思いで見ていた。
 欲望しか頭に無く自分の事しか考えない大人。体裁を気にして回りに要求を突き付ける大人。己が勝者で他人は敗者という訳の分からん理屈を信条とした大人。こいつは何に当て嵌まるのだろう?
「貴様はそいつを知っているのか? どんな性格で、どんな物が好きで、どんな口調なのか知っているのか? 知っているとしても、それは本当の事なのか!? そいつは、お前の幻はお前が生み出した虚像でしかない。お前は、お前が慕い敬う存在を自ら穢しているんだぞ!」
「幻の本質をよく心得てますね。サトリ君」
「おっさん!?」
 いきなり、おっさんの声が響く。
 そこには僕と変わらない年齢のおっさんが、リュゼルの曾祖父さんが座っていた椅子に座っている。そしてその腕に絡み付いているのは雪のように白い肌と青い髪と瞳を持った…たぶんシクラの願望の姿だろう人間の女性だ。
 若い姿のおっさんは苦々しく笑い、シクラは殺気立つ。
「今の私の姿は君と大差無い年齢のはずですよ。竜王さんがいる時代を想定して作られた幻の様だったので、私もそれくらいの年齢を意識して幻に同期してようやく入ることができましたよ」
 にっこりと若々しい顔で微笑まれて、気持ち悪い。
「しかし、この幻はリュゼル殿が幻を振払ってもどうにかなるものではないです」
「どういう意味だ?」
「この幻は実体化しているんです。つまり、リュゼル殿の幻であって幻ではない、そういうものです」
 そこまで言って、リュゼルに手を差し出す。
「復活の玉でしたっけ? それを持ってらっしゃるでしょう? 私も現物を未だに見た事はないのですが、なんでも命すら蘇らすという神話の時代の遺産だとか…。どうせ暇持て余した女神の悪戯の産物でしょうから、ミトラの両拇指がそれそれの役職に就く前のものでしょうけれど」
 そして、視線が強くなる。
「その玉の力は強力です。おそらく破壊神復活の促進に悪用されてしまう可能性もある。さぁ、お渡し下さい」
 何かが引っかかる。
 僕は荷物に目をやるリュゼルを見て、そしておっさんを見た。
 若い姿でも、言動はやはり僕の知るおっさんのものだろう。シクラも幻の世界を体感するのであれば、人間の姿でおっさんと共に過ごす事でも望むだろう。そうだ、違和感を感じるのはシクラだ。
 確かにポヴォイルが言ったじゃないか。『魔物は現実を伴わぬ幻などに惑わされない』と。
 ここではシクラが居るのはおかしいのだ。
 幻でも、僕らがここにいるのは現実である。魔物が幻に惑わされないのも、また事実で現実なのだ。
「おっさん」
「サトリ君。どうかしました?」
 おっさんが笑顔はそのままに応えた。
「僕はさっさとこの幻を取っ払ってほしいんだ。今すぐリュゼルから復活の玉を受け取る必要などないだろう。さっさとしろよ、おっさん。僕の予定を狂わすな」
「サトリ君…ですけどねぇ」
 濁すような笑みを浮かべたこいつは、おっさんでないと確信する。
 僕がこう言う限りおっさんは僕の希望に応じてから、リュゼルから復活の玉を得ようとするだろう。幻を解く方法が今のところないのなら、『今はできない』と即答するに違いない。僕の希望の返答も、この事態の打開の方法も言わず、ただリュゼルの持つ玉を欲するのはおっさんらしくない。
「僕の要求に応えてから、玉を受け取ればいいじゃないか。 それとも……幻を解いた後に受け取れない理由でもあるのか? あるなら言えよ。弁明を聞く時間は用意してやる」
 僕は強い口調で言い放った。その僕の態度を見てか、おっさんは、いや、リウレムの姿をした誰かは笑った。決して、おっさんがしないだろう悪意の籠った表情で。不気味に堪えるような笑いをした後、僕らに顔を向けた。
「君は凄いね。完敗だ。何がいけなかったのか、聞きたい所だが止めよう。それを考えるのも、これからの永い月日を生きていくための一つの楽しみだからね。そう、私はリウレムじゃない。べリアル。ラベール」
「なんだって…!?」
 驚いた顔のリュゼルを目の前でシクラの願望だと思い込んでいた幻は消え、リウレムの姿がラベールに変わる。金髪の波打つ髪に赤い瞳と紫の瞳を持った美女は、組んだ手の上に色っぽく顎を乗せその形の良い深紅の唇を開いた。吐息が薔薇のように香る。
「見破れなかったでしょ。曾祖父の偉大な力に頼り過ぎるのは貴方の悪くい癖よ、リュゼル。私はかつてリウレムからある約束の対価として片目を互いに交換したの。だから、魔族であって聖なる属性を持つ存在でもある。魔力は非常に弱くなるけれど、聖なる守護の施された結界に入る事もできるし、聖なる力が魔を破る様々な影響を防ぐこともできるの。見破れなかったのは、リウレムの瞳の影響よ」
「それは、今のおっさんからか?」
「いいえ」
 にんまりとラベールは笑う。
「貴方の知っている今の彼ではなく、もっと未来の彼からよ。責めないであげてね。悪魔と渡り合って、眼球一つは歴史上類を見ないほどの軽傷なの。賞賛されて然るべきよ。本当は彼の魂が欲しかったから、後悔してるくらいよ。でも今は無理。歴史も変わるし、彼にはやってもらう事がある。本当に残念ね」
 壁が解けるように消えていく。
 冷たい風が吹き付けてくると思った瞬間、不安定に思えた足はしっかりと床についていた。
 僕がいるのはロンダルキアの塔の屋上。空が広がる。青いアレフガルドの空ではなく、薄い色彩のロンダルキアの青空だ。
「さぁ、魂に刻み込みなさい。世界が繋がる、歴史的瞬間よ」
 ラベールの言葉の先にはリウレムのおっさんが立っている。瞳はここではないどこかを視認しているようで、虚ろと言っても良いほど遠くを見ている。そして朝焼けと夕焼けの色彩が左手を高々と挙げて高らかに言葉を発した。
「……天に在あられる我等が父よ……」
 ……天に在あられる我等が父よ……
 男の声に女の声が応えるように、響き山彦のように世界に染み渡る。雪は声を吸い込み、山は声を響かせ、空気は震え、風は運び、人は聞くだろう。まるで世界そのものの声のように、低く高く遠ぼえのように囁き声のように有りと有らゆる音域を網羅した音楽を。
「我等はあなたの試練に臨む者と共に」
 我等はあなたの恩寵に応える者と共に
「歩もう」
 添おう
「悠久に」
 永遠に
「我等は繋ぐ」
 我等は築く
「私は父の左拇指」
 私は父の右拇指
「ラルバタス」
 サラマクセンシス
『我等は今、世界を繋がん!!』
 世界が爆発した気がした。
 リウレムとルクレツィアが手を繋いでいる。互いが精一杯上へ手を伸ばし、互いの手を繋いでいた。
 ルクレツィア達が立っているのは、巨大な火口でありそれに連なるように山々が僕達に山頂を向けている。雲はそのままに、空は雪に染まった大陸が広がっていく。まるで空が鏡になったかのように、ロンダルキアではない雪原の大地が広がっている。天と地が逆転してしまいそうな恐怖の中で、驚いた顔のロレックスと目が合った。その隣にいたハーゴンも僕らの世界を見上げている。
 あれが、イーデンなのか。
 ルクレツィア達の立つ火口の遥か下で、星のような小さき光を強め溶岩が沸騰する。溶岩が波打ちて巨大な緑の鱗に包まれた腕が突き出し、僕らの鼻先で三本の指をもがき鋭いかぎ爪でのど元を裂こうと蠢く。手は火口の淵に掛かり、手の主が頭を溶岩から擡げる。角が溶岩から迫り出し鱗に覆われた顔から溶岩よりも濃厚な深紅の双眼が覗く。瞬間、新たな腕が淵に掛かる、その数は3本。溶岩から閃光のように翼が殺気と溶岩の飛沫と共に現れ、一瞬にしてそれが上半身を露にした。
 ポヴォイルが膝を折って頭を垂れる。
 いつ間にいたのか目に入らなかったのか、モートが慇懃に畏まる。
 ラベールが微笑んだ。
「これが破壊神の姿。かの世界とこの世界の境界線に身を裂かれし姿が、一つになる事で取り戻される。魔峰オーブの深淵に繋ぎ止められし肉体。この世界に吹き荒ぶ暴力のような殺意という意志。それらが一つになりついに、復活される。ようこそ我等が神。ようこそ邪悪なる王」
 これを倒すのだ。
 僕は見上げた。
 共に旅をした仲間と呼べる存在を。
 一国の領土ほどあるだろう巨大な火口から身を乗り出す破壊の神の姿を。
 空を覆う精霊の大地を。
 世界は予言書は最後のページへ向かって疾走しているのだ。
 与えられる最後の恩寵。
 ミトラよ。
 それが未来であれ。