王女の愛

 やはり砂塵は防げても自分自身から出る汗は防げなかったらしい。
 意識が朦朧としているうちに、イシスに着いていたりする。
 カンダタは気絶した私を抱えて、えっちらおっちら砂漠を越えてくれたみたいで若干ラクダ酔いもしている。まぁ、あんな太い腕が見せ掛けでなければ、あたしみたいな細い女一人抱えるなんて楽勝でしょうけど…。
「お前、本当に足手まといだな。どうして旅がしたいんだか」
 カンダタの悪口を首をすくめて躱すと、どうやらイシスの宿屋の一室にいるらしい。オアシスに生い茂る草木が砂漠の熱気を和らげて、涼しげな空気をイシスに送り出している。
 そして新たな町について、いつものようにガライさんはウキウキしながら話しかけてきた。
「知ってますか?イシスにはとても悲しいお話があるそうです。楽しみですね」
「っていうか、『黄金の爪』の話だろ?」
 ガライさんは意外そうに振り返った。
 そこには伝説や物語に一番疎遠そうな盗賊しかいない。
「あれ?カンダタさん知ってたんですか?」
「お前の悲しいのレベルの話はそれくらいしかない。今のイシスの女王が王女だった頃の話で、そんなに古い話じゃねぇよ」
「どんな話なの?」
 あたしが身を乗り出すとカンダタはめんどくさそうに白髪まじりの頭を掻いた。
「ここの女王がまだ王女だった頃、旅の武道家と恋に落ちてな。純金製の『黄金の爪』って武器をプレゼントしたのさ。だが間もなく魔物に殺されてしまってな…、王女は一生独身を誓ったんだと」
「あぁ…!!なんてロマン溢れる悲恋なんでしょう!!メラゾーマ級の情熱的な恋愛だったでしょうに!!」
 ガライさんが取り乱しそうな勢いで感動している。
 生まれてこのかた16年。この人生の間に『恋』なる感情を抱いたことのないあたし、ロトには、『一生独身を誓わせる旅の武道家の良さ』が全く分かりません。しかも『メラゾーマ級の情熱的な恋愛だった』というガライさんの感想は、どこからくるものなのやら…。
 感動するガライさんを黙って眺めていたカンダタは大声で笑い出した。
「ははははは!!こんな話、ロマンの欠片もねぇよ!」
「なんて夢のない事言うんですか!!」
 ガライさんが体格では頭一つ以上高いカンダタに掴み掛かる。当然カンダタをどうこうできないのだが、このガライさんという人、伝説や歌の話となると人が変わる。絶対かぶれてると思う。
 カンダタはガライさんの聞く耳持たない勢いに、ひらひらと手を振って見せた。
「まぁ、そんな事は当人から聞くんだな。イシスの女王も英雄オルテガの娘を門前払いできないだろうからな」
 かくしてカンダタは見事に、ガライさんをあたしに押し付けることに成功したのだった…。
 別にいいけどさぁ…。

 イシスの王宮は頑丈で厚い石作りの城で、その厚い壁が太陽の熱をシャットアウトしている。それだけでなく風の通りを計算し尽くされた城内の構造は、オアシスに冷やされた砂漠の風を見事に取り込んでいた。
 緑の多い城内を兵士について歩くことしばし…。あたし達はイシスの女王の御前に至ったのであった。
 まぁ、それはいいのだが、この女王陛下はガライさんと同じくらいの年回りそう。肌はあたしよりもすべすべしてそうなくらい奇麗だし、旅をしているとはいえ清潔にしているあたしの髪よりも艶やかで手入れが行き届いている。なんか、ムカムカしてくるよ。
 女王は笑いながらずいぶんと気さくに話しかけてきた。
「あらあら、オルテガ様の娘さんですか。こんな砂漠の王国にわざわざ来ていただいてありがとうございます」
「いえ、女王陛下に挨拶しなくてはならないと思ったまでです。父オルテガの足取りを得るためにはあらゆる地へ足を向けなくてはならない故に」
 深々と頭を下げたままの姿勢と堅苦しい挨拶で迎え撃つと、女王は『顔をあげて下さい』と柔らかに言う。
「残念ながら、イシスに訪ねられたのも随分と昔のこと…。オルテガ様が今どうしているかを知ってはおりません。しかし、彼の親友であるサマオンサのサイモン殿なら、何かご存じかもしれません」
 そっか〜。何も知らないんですか〜。
 そういえば、母さんが何度か話していたけどサイモンさんという友達がいるらしい。父さんと母さんとサイモンさんとあともう一人誰かと、昔、世界中を巡り魔物退治や悪党討伐をしていたらしい。だからオルテガ父さんは勇者と呼ばれていた。
 別にがっかりしたわけではないけど、黙ったあたしの後ろに控えていたガライさんに女王は話しかけた。
「そちらのご友人もご苦労。砂漠の熱に加え魔物も住み着く道を行くのは大変でしたでしょう」
「そんなことはありません女王陛下」
 ガライさんは改めて頭を下げたみたいだった。
 それからおずおずと女王に声をかけた。
「あの〜…」
「何でしょう?」
 女王にひたと見つめられモジモジするガライさん。深呼吸3回分は迷っていたみたいだが、決心決めて例の話題を切り出した。
「僕は世界の伝説を聞いては歌にする事を目的としておりまして……この度は女王陛下に黄金の爪の逸話をお聞きしたくて…」
「あぁ…あの話ですね」
 ガライさんの願いを理解したのか、女王は威厳のある美しさの中に確かな疲れを滲ませて呟いた。それもあからさまに。
 実は地雷? お話聞く以外特に用事なんかないけど、印象が悪いと後々めんどくさい。
「ダメ…でしょうか?」
 今にも打ち首に処せられてしまいそうな囚人の声色でガライさんは女王を見つめていたが、女王は微笑むとゆっくりと首を横に振った。
「そんなことありませんわ。むしろ噂ばかりが一人歩きして困っていたのです」
「……?」
 顔を合わせるあたし達の前で女王は席を立つと優雅な手つきで手招きした。
「では、わたくしに付いて来て下さい」
 女王の後にくっ付いて玉座の奥に続く通路を進んでいくと、もしやもなくそこが女王のプライベートスペースだと分かった。太陽の暑い日差しを和らげる緑が上品に覆い、花々が芝生よりも多い面積で埋め尽くされている。噴水からあふれだす水が小川となって城内に流れるようで、地下水の冷たい冷気でイシスのどこよりもひんやりしている。
 というか、贅沢の限りじゃないか。さすが、女王は違う。
 ようやく終点らしい女王の私室についたら、普通は侍女の一人や二人いそうなのに人一人居ない。
 そのかわり真っ黒い猫が女王のベッドの上で丸くなっている。薄い絹の布がかけられて黒猫がうたた寝していた。あたし達が近付くと黒とは別の鮮やかな一対のエメラルドが薄く開いて見つめてきた。
李鳳リーホウ
 女王が愛おしげに黒猫を撫でると黒猫もゴロゴロと喉を鳴らして目を細めた。
「紹介しますわ。私の恋人にして黄金の爪を差し上げた思い人、李鳳ですわ」
 ………。
 ゴシゴシゴシ。
 だめだ、目を擦っても目の前の存在が猫以外の何かに変わらない。
 どうやら本物の猫のようだ…。
「……猫に…見えるのですが?」
「李鳳、彼等は私達の話を聞きにきて下さったの。あの一人歩きした噂とは違って、しっかりとした真実を人々に伝えて下さるはずよ」
 冷静を装うガライさんが女王に尋ねたのに、見事なまでのシカト。
 さすが、女王は違う。
 猫の李鳳が私達に向き合うと、隠れていた右腕に黄金の爪が装着されているのに初めて気がついた。人間サイズで作られた黄金の爪は、猫の腕には細すぎるのにしっかりとベルトで括りつけられ、小手のように腕を守る装飾は背中にまで回っていた。かくして、体には全く合わない黄金の爪を装備した猫は、丁寧にあたし達に頭を下げたのだった。
「初めまして、俺は李鳳という」
『猫が喋った!!?』
 あたしとガライさんの見事なハモリに李鳳は喉を鳴らして猫のように笑う。いや、実際猫なんだけど、人間の発音は声帯の条件なんかで結構限定させられてるのかも。こう話せるのも李鳳の努力の結果なんだろう。
 目を細めてあたし達の驚きが静まり返るのを見計らって、李鳳は経緯を話しはじめた。
「少し昔に俺は城に襲ってきた魔物の群れと戦い、そして城を守りきった替わりに命を落としてしまった。最後に身に付けていた黄金の爪を抱いて泣いていた姫の傍らで、猫が戯れに爪に腕を通したのだ。その時爪に残っていた俺の意識が猫を乗っ取ったんだ…」
「つまりその黄金の爪を付けると李鳳さんに取り憑かれちゃうのね」
 ばっちり呪われてるよ☆ シャナクかけましょうか?
「そうだ。まぁ、ほとんどこの猫に取り憑いていることが多いのだがね」
 李鳳が気恥ずかしそうに左手で頬を掻く。
 その黒猫を女王が胸元に抱き寄せた。幸せいっぱいの表情で囁いた。
「猫でも李鳳を愛しています。別の人と添い遂げるなんて考えられませんわ。……ぽっ☆」
「やめてくれよ。くすぐったいじゃないか。全く客人の前なのだから少しは控えないか?」
「あら、客人の前でもすり寄ってくるくせに」
 おいおい。惚気話始めてんじゃないよ。
 しかも超ど級に甘い。汚れなきゃ気分なんか悪くならなかったのに、なぜか胃がムカムカする。
「はは…そうなん…で……すかぁ…」
 引きつった声が隣から聞こえたので見てみると、ガライさんが痙攣を引き起こしていた。
 命に別状は多分無いんだろうけど、とりあえずキアリクをかけてあげた。
 のはいいんだけど、このいつ終わるか分からない惚気話聞かないと帰れないんですか〜?気持ち悪いんですけど〜。
 お〜〜〜い…

□ ■ □ ■

 死ぬかと思った。
 解放されたのは夕ご飯がとっくのとうに終わっている時間である。
 宿屋に戻るとあたしは部屋にガライさんを送るついでに、カンダタがいないことに気付いてオアシスを散策した。
 カンダタはオアシスを中心に広がる草に腰掛けて月を肴に酒を飲んでいた。カンダタはにやにやと笑いながらあたしを迎え、小さいグラスを少し掲げると愉快そうに言ってきた。
 隣に立っても冷たく感じるほどの夜風が酒の匂いを打ち消しているのでありがたい。
「どうやら李鳳に会ってきたようだな」
 私は腕を組んでカンダタを睨み付けた。
「カンダタは知ってたのね」
「昔…といっても数年前にこの城の星降る腕輪ってお宝を盗もうとしたんだ。そしたらあの猫が邪魔してきやがってな。結構苦戦しちまった挙げ句に、兵士が集まってきやがってしっぽ巻いて逃げたのよ」
 盗賊カンダタと知られた男が逃げて帰るのなら、あの李鳳という猫は実力的に本物なんだろう…。猫ってすばしっこいし、小さいから剣もなかなか当たらなかったんだろうなぁ…。
「逃げたけど一応覆面してたし体格もよく見られてなかったからよ、そう易々と見つかりっこねぇって読んでな、ここいら辺で一杯やってたらよ〜…」
 ほら、と顎でオアシスの向こう側を示す。
 そこには女王と李鳳が月を映し込むオアシスの周辺をゆったりと歩いている。
 一人と一匹は砂漠の夜みたいに静かで涼やかだが、まだ熱の籠った砂のように愛し合ってるみたい。お互い愛おしそうに語らっている姿は、なんだか恋愛が分からないあたしですらも、カップルの醸し出す甘ったるい雰囲気で胸焼けしそうだ。
 胃がムカムカムカ…。
「あの二人のデートスポットなんだ。李鳳に見つかって事の次第を聞いたのよ」
 げんなりした様子で酒を継ぎ足す。
 おそらく散々惚気話を聞かされたんだろう。
「で、ガライは?」
「な〜んか引きこもっちゃってるみたい。ベッドの上で膝を抱えて『知らなきゃ良かった』とか『こんなんじゃロマンの欠片もない』とかぶつくさいってるわ」
 別にショックを受けるような内容ではないと思うのだが、ガライさんはガライさんで夢を膨らませ過ぎたみたい。だから本当の事を知って一人じゃ歩けないくらい落ち込んでいたのかもしれない。
 あたしもそれなりに想像してはいたから、ちょっとがっかりだったけどね。
「猫とお姫さまの恋愛が受け付けないってか? 昔はカエルにされた王子に、姫君がキスをすると人間に戻れるって童話があったが……猫にキスしても人間には、もう戻らねぇんじゃねぇの? つーか、女王は猫でも十分に満足してるみたいだし、それならそれでいいんじゃねぇの?」
 カンダタはもうどうでもよさそうに呟いてグラスの酒を一気に煽った。
 少しだけ酔ったような目で対岸の仲むつまじい二人を見つめる。
「死んでなお爪に魂を宿らせて姫君と居たいと思った。姫君だって姿形ではなく奴自身を必要としてる。お互い一途に慕いあってるなんざ、いい話じゃねぇか」
「カンダタも意外とロマンチストね」
「るせい」
 からかうようにいってやるとカンダタは酔いとは違う意味で赤くなる。
 月に照らされた熱砂は星のように輝き、恋人たちは星の海を泳いでゆく。
 そう語るは美しいけれど、真実はそうじゃない。その美しい部分だけ伝えると、人々は甘い想像力で自身も幸せになろうと、頑張ろうとするのだろう。
 ガライさんの仕事も大変だな〜。