幸せの靴

「カンダタさん。転職して足洗ってみたらいかがですか?」
「バカ言うんじゃねぇよ。俺は気ままな盗賊家業が気に入ってるんだよ」
 あたしの前で細いガライさんと大柄なカンダタが話している。なんだかんだ言って仲良く旅をしているな……と、思ったりするが、口に出せばガライさんもカンダタも怒るだろうから言うつもりはない。
 街道をさらに東へ東へ進み、アッサラームの東に聳える山脈に穿たれた通路を抜け、暖かい黒胡椒の産地を通り抜け、街道の終点である超有名な神殿に至ったのである。
 かの有名なダーマの神殿だ。
 あたしも本で読んだことがある。
 農民からピチピチギャルまで、あらゆる職業の転職を斡旋する神殿である。しかし近年は魔物の被害が多発していたりと戦闘向きの戦士や魔法使いなどの傭兵が、就職率の高さを誇っている。物騒な世の中だ。
 世界中から新しい仕事や人生を手に入れようと、世界中から人が集まるからどこの城下町よりも混雑してる。
 神殿に向かうメインストリートの半分は靴屋だ。確かにダーマへの道のりは長いので大分靴の底がすり減っている。今が買い時かと思わせる商人たちの哲学は感心の一言で十分。
 しかし、それが見抜けていてもあたしも年頃らしい。
「すっごい可愛い〜☆」
 ふわふわウサギの靴である。靴屋の前で立ち止まるあたしの耳をカンダタは引っ張る。
「旅する気あんのかてめぇは!?」
「いたーーーいっ!!」
「んな靴で長旅ができるもんか!」
「僕もやめておいた方がいいと思いますよ。履きやすい靴で旅をしなければ、体調を壊しますからね」
 非常に珍しいカンダタとガライさんの意見の一致。いつもならもうちょっとごねるけど、この二人がこうも息ピッタリで言い募ってくるとさすがに気圧される。
 でも、悔しいからほっぺたを膨らませる。
「ぷーーーーだっ!!」
「ガキかてめぇは……ってまだ18歳にもなってねぇんだもんな」
 カンダタは額を押さえる。
「そう言えば………お前、職業は何なんだ?」
「へ?」
「だからよ、職業は何なんだって訊いてるんだよ」
 まっすぐ見下ろしてくるカンダタの目を見上げて、あたしの頭ん中は真っ白になっていく。
 えーーーと…
 『職業は何なんだ?』
 カンダタのその一言がぐるぐると頭を回る。
 ガライさんは吟遊詩人というメジャーではないが、職業として通るものだ。カンダタは盗賊という全うな職業ではないが、生活ができる仕事をこなしている。セルセトアさんは冒険者と自負していて、世界を股にかけて飛びまくっている者に相応しい職業の呼び名だ。
 なら、あたしは何なんだろう?
 オルテガ父さんを探してはいるものの、ガライさんにくっついて旅をさせてもらっているにすぎない。途中でカンダタも引っ張って来たが、あたしの職業とは全く関係ない。
 何なんだろう?
 あたしは他人からどんな風に見られているんだろうか?
「カンダタさん!ロトちゃんをいじめないであげて下さいよ!!」
 ガライさんが深く考え込んでいるあたしを見て、落ち込んでいると思ったらしい。あたしを背後にかばうように立ちはだかるガライさんの向こうで、カンダタの顔がバツの悪そうな表情から怒って険しくなっていく。
「うるせぇなガライ!あぁ…もう、頭くるぞガキども!別行動とらせてもらうぞ!!」
 ずんずんと人波をかき分けて白髪まじりの後頭部が見えなくなってしまった。
 あたしの思わず肩まで上げた腕が宙に泳ぐ。
「行っちゃった…」
 まぁ…宿屋は一緒だし、『別行動』って言ってるから、ちゃんと帰ってくるでしょ。
 しかし横で珍しく、いや、初めて見るんだけど、物腰穏やかなガライさんが怒っている。きっとカンダタはこんな顔のガライさんに驚いて、『どうしてそんなに怒るんだか…』って逆ギレしたんじゃないかな?
「いいじゃないですか!旅をするのに一々職業なんて言ってられませんよ!」
 手が真っ白になるほど竪琴を握りしめ、カンダタが消えた人波をにらみつける。その瞳にははっきりとした怒りがある。全くの他人のあたしの為にそこまで怒れるはずはない…けど、それを問うことはできそうになさそうだ。
 あたしはさっきから泳ぎっぱなしだった手を、ガライさんの肩に乗せた。
「ガライさん…。別に落ち込んでる訳じゃなかったんだよ。ただ、自分の『職業』って改めて訊かれると、何なんだろうって思ったんだ」
「そうなんですか」
 ガライさんから大きな溜息と一緒に怒りが吐き出されて、いつも通りの穏やかさに戻る。
「僕も故郷では散々言われましたからね。そんな職が何の役に立つ……って」
 寂しそうに笑うその顔に、思わず息が詰まる。
 ガライさんの口から故郷の話が聞けるなんて会った時以来だ。自分から話そうともしなかったから、きっと触れられたくないことなんだと思ってた。カンダタは基本的に過去にはこだわらないから、一人で聞こうなんてできなかったし…。
「今はてんで役に立たない職業であっても、いつか、きっと、役に立つものです。僕の作った歌も曲もずっと先の未来で、平和な世界で歌われて、昔を知るための手段になるんだと思ってるんです」
 胸が痛くなる。
 だって、立派な目的があるんだもん。
 旅に出て世界を巡ってるのは、そんな信念を具現化させる為だなんてちっとも知らなかった。
 あたしなんか…
「あたしなんか父さん探す為だけで、信念とか、目的とか、そんなもの何一つ持ってない」
「ロトちゃん…?」
「父さん探すのも立派な理由だけど、やりたい事とか、なりたいものとか、得意な事とか何もない。……だから職業がないのかな?」
 そう言ってみて改めて思うけど、何かになりたいなんて、一度も考えたことがなかった。『何になりたい?』とも訊かれたことがない。『父親を探しに行ってこい』と母さんに言われても、どうにかするために何かしただろうか?
 たぶん………何もしてない。
「じゃあ、調べに行きましょう」
「ん?」
 考え込んでたから、よく聞き取れなかった。
 ガライさんは大通りの終点にある神殿を指差しながら言葉を続けた。
「ここは職業に縁のある地ですからね。職業に対する文献も辞書も豊富にあるはずです。それらを調べればロトちゃんにあてはまる職業が分かるかもしれませんよ」
「でも、ガライさんも調べものがあるんじゃないの?」
 いろんな地の伝説を調べる事よりも、あたしの職業を調べることを優先しようとするガライさんに戸惑う。
 あんな立派な志を聞いちゃったら、何か悪いじゃん。
「そんな事、気にしなくて良いですから」
 ガライさんがあたしの手を引いて人波をかき分ける。
 それぞれ職業を持っている沢山の人々の間を、たった一人だけ無職のあたしが吟遊詩人に連れられて進む。置いていかないで引っ張ってくれる。……すっごい嬉しいな。


 広大な図書館で見つけた書物は天井にまで届きそうだ。
 ガライさんはあたしと向かい合う形で、過去の職業履歴や歴史の本を流し読みしている。
 あたしはあたしで『職業人気ベスト50』を眺めてる。なんでもここ5年間に転職希望の多かった職業がランキング型式で載っている。あたしも今時の子供なんで、ここいら辺に自分の職業があるかもしれない。
 1位/ぴちぴちギャル。
 ……あぁ…そうですか。なんでも最近の転職者の高齢化に伴い老人の男女を問わず大人気らしい。
 2位/戦士
 傭兵や兵士としてもやっていける就職先の広い職業だ。でも武器が使えないので却下。
 3位/商人
 武器、道具、防具。ジャンルを問わず商いをする者がここに入る為、3位という輝かしい……
「あら、ロトちゃんじゃん」
 ぼんやりと『職業人気ベスト50』を読んでいたあたしの後ろから、声がするので振り返ればセルセトアさんが立っていた。軽い挨拶を交わすと、あたしの隣に座る。
「一人なの?」
「ううん、ガライさんと一緒。今、本を取りに行ってるんじゃないかな?」
 あたしが本を読んでいる間に、ガライさんは別の本を取りに席を離れたらしい。ざぁっと辺り見回しても、ガライさんの姿はどこにもない。
「セルセトアさんは、どうしてここにいるの?」
 この前会ったのはアッサラームじゃなかったっけ?
「宝玉の伝説を求めて賢者の文献を調べにきたのよ」
 手に持った文献は転写されたものでもかなりの年代を感じさせる内容で、古代語もところどころ混じったものである。そしてもう一冊は見たことがある。
「あ。悟りの書」
「読んだことあるんだ。賢いなぁ、ロトちゃんは。うちの子ほどじゃないけど」
 うわぁ、親ばか。ナチュラルに子供自慢しないで。
 悟りの書とは初代にして最高の賢者と称された者がしるした世界の理について記された書物である。それを理解した時、初代賢者と同等の知識を得たとされ、あらゆる呪文を使いこなせるという。
 読破も理解もしたのだが、あたしにとって『腐った死体に金貨』だ。
 セルセトアさんは悟りの書ではない本を軽く持ち上げて言った。
「実は初代賢者は7つの宝玉を扱ったんじゃないかと思ってね。でも残念。記述にあるのは6つだけ。でもいろいろ有力な情報が得られたわ」
 セルセトアさんの目がきらきらと輝く。しかし次の瞬間には首を傾げた。
「どったのロトちゃん?暗いよ?」
 そういう目的に向かう姿を見ると、無意識に沈んでしまうのが顔に出ちゃうらしい。あたしはまっすぐ見てくるセルセトアさんに自分の職業がないって事を、かいつまんで説明した。
 説明し終わって、セルセトアさんは『ほえ〜』とため息だか感心の声だか分からない声を上げる。
「ロトちゃんって恵まれてんのね〜」
「へ?」
 予想を超えた反応である。
「だって、職業が選べるって事とか探せるって事は、良い事じゃない」
 そう言ってセルセトアさんは『さっきカンちゃんに会ったのよ』と続ける。
「言っちゃ悪いかもしれないけど、カンちゃんだって好き好んで盗賊始めた訳じゃないんだと思うんだ。生まれた頃から貧しくて、食べ物盗まなきゃ飢え死にしちゃうかもしれない生活だったのかもしれない。だから盗賊になったのかもしれない」
 そう言えばカンダタの昔話なんか聞いた事ない。
 でも、付き合ってみると面倒見の良いカンダタの事だから、本当にそんな理由で盗賊をしてたのかも…。
「ガライ君もそういう目的を持っているけど、魔物と仲良くなれる力がなかったら、きっと戦士とかになっていかなきゃならなかったでしょうね。運が良かったのよ。目的に合った力だったのね」
 そうかもしれない。
 その力がなかったら、きっと今のガライさんはいないんだ。
「王様もそうよ。生まれた時から将来王様になるって決まってる。それは逃れられない事なの……だって血が繋がってる事は変えられないからね。もし血の繋がり以外の人が王様になれば、今まで築いてきた信頼やらいろんなものが崩れてしまうもの。親子は似てるものだからこそ、国を背負わすに足りるのよ」
 あの親の子供だから大丈夫…。そんな信用があるから、王国は血統で引き継がれるのかぁ…。
 ロマリア王の『代わりに国を治めてみないか』って誘いは戯れだったのかな?ずいぶんとマジみたいだったけど…。
「セルセトアさんってすごいな〜…」
 説得力のある言葉にあたしは目を見張る。感心しちゃうし、尊敬しちゃう。
「ふふん♪私って結構すごいのよ」
 前言撤回。
 尊敬するには、威厳が足んないわ。
「今、私の格を下げたでしょ?」
「そんな事ないよ。変わんないよ」
「うそ〜。こんな良い事言わせておきながら、格が上がんないなんて〜。ロトちゃんのめくら!くすぐっちゃうぞ〜」
「きゃあ〜!!首は駄目なんだよ〜!背中もやめて〜!!」
「ふふ…さっきよりも随分と明るくなったよ。やっぱロトちゃんは笑ってる方が可愛いわ」
 セルセトアさんがそう言って、ずいぶんと気が楽になったな〜って、自分でも驚く。
 慰めて貰ったって訳じゃないんだろうけど、話を聞いただけでこんなに気持ちが軽くなるんだな。
 あたしの悩みが空気なみに軽くなって驚いてからしばらくして、ガライさんが戻ってきた。セルセトアさんに気が付いたのか軽く頭を下げる。
「あ、お久しぶりです」
「お久し振りね。で、ガライ君、それ何?」
 指差す先にいるガライさんは、何故か本じゃなくて箱を抱えている。
「いえ…この地域の伝承を見つけまして…ちょっと外で買ってきたんです。ごめんなさい。ロトちゃんの職業探し放っといたみたいで…」
「もういいよ」
 セルセトアさんの話を聞いて何か分かった気がしたから、もうくよくよしないよ。
「それより、これ履いてみてくれません?たぶんサイズは合ってると思うんですけど…」
 箱を開けて中から取り出したのは、履きやすそうな一般的な旅の靴だ。
「これがこの地の伝説なんですよ」
 ガライさんが箱の中から本を取り出すと、くるりと回して見せてくれた。ページをめくればめくるほど靴ばかりだが、一足一足が違う靴が丁寧に描かれている。その下には送られた人の名前と、その人の夢が書かれていた。
「なんでもダーマに靴のお店が多いのは、この地の靴に関する風習に由来しているそうです。この地に転職にやってきた者の新たな人生の門出に、ダーマの神官は新品の靴を与えて幸せを祈ったそうです。人生という旅に願いという靴を履き、幸せを求めて進めるように……って。それがいつしか『幸せの靴』と呼ばれるようになったんでしょう」
 そう言ってガライさんは穏やかな笑みを浮かべる。
「これからもいろんな地に赴いて、これから見つければ良いんですよ。職業も信念も、何もかも…」
「ガライ君も良い事言うじゃない」
 セルセトアさんにはやし立てられて、ガライさんは頬を赤くする。
 あたしが『ありがとう』を言うと、真っ赤になった。

 □ ■ □ ■

 神殿の図書館を出た時には、町は明かりが灯って闇の中で色付いていた。
 宿屋に戻ると一階の食堂でカンダタが一人で晩ご飯を食べていた。帰ってきたあたし達に、海老フライが刺さったフォークを向けながら訊いてきた。
「職業は見つかったかよ?」
「これから探すよ」
 もう、凹んだりなんかしない。
 あたしのその返事にカンダタが少しだけ首を竦めた。
「ふん。そんなこったろうと思ったぜ」
 そう言うとカンダタは何か長い物をあたしに投げてよこした。
 道具袋などを縛るための丈夫な革ひもだ。だが先っぽについた銀の留め金がウサギの形になっている。小さくかわいらしいウサギの留め金が、お守りに用いられる小さい宝石に寄り添っている細かい丁寧な細工だ。
 カンダタはガライさんにもセルセトアさんにも、それぞれ革ひもを投げてよこした。
「まだまだ若いガキ共だからな。年長者からのプレゼントだ」
「ちょっと待ちなさいよ。あたしはガキじゃないわ!」
 ほっぺを膨らませるセルセトアさんにカンダタは肩を竦める。
「子供ほったらかして、世界を股にかける女が一番ガキだ」
 一瞬。
 一瞬だけセルセトアさんの顔が泣きそうになった。
 が、次の瞬間には髪が逆立つほど、怒りで顔が歪む。
「よっくもそんな事…言ってくれるじゃないのーーーーっ!!」
「ぎゃああぁあああーーーーーっ!!」
 剣を抜きはなった本気のセルセトアさんから、カンダタは外に逃げ出した。『私は誰よりもあの子の事を考えてるのよーーーっ!!ばかーーーーーっっ!!』等の悲鳴に似た叫び声が遠くから聞こえる。
 後に残ったあたしはガライさんと目が合う。
 ガライさんは恥ずかしそうに革ひもに目を落とす。銀の留め金が竜で、小さな竜が小さな緑色の宝石を抱く、小さくても立派で精密な細工だ。ちょっとした靴よりも高いかもしれない。
「お礼……言わなきゃ駄目ですよね?」
 カンダタらしい励まし方だよね。一応、あたしを凹ましちゃった事とか、理由を知らなくてもガライさんを怒らせちゃった事とか、いろいろ気にしてたんだな。
 気まずそうに呟いたガライさんの言葉にあたしは笑って答えた。
「一緒に言えばいいよ」
 どうせ恥ずかしいから、聞いてないふりするんだろうし。
 やっぱ、旅に出て良かったな…。
 アリアハンから出なかったら、きっと分かんなかったと思う。