ゴールドカード

 最近、本当に最近できた、まだ名も無い商人の町があるそうだ。
「こりゃすげぇもんだな」
 カンダタは驚きと感心が半分半分の声を上げてその町を眺めた。
 見渡してあるものは売り物の入った樽に袋に木箱、木箱に山積みにされた色とりどりの果物と野菜に、柱に渡された紐にくくりつけられた巨大な肉塊、布袋に収まった香草。見渡す限りの露天ばっかり。
 食べ物だけの通りから一つ路地に入ると、鮮やかな深紅の布に広げられたきらびやかな貴金属や、細工された瓶につめられた香水や、見たことのあるものから見たことの無い布を扱う店、その隣に仕立て屋。
 ロマリアにポルトガ、イシスにアッサラームなどなど、いろんな商店街を見て来たがこれほどのものは見たことは無い。
 でもそれとは決定的に違う空気がそこにあった。
 『戦場』という言葉が一番似合うだろうか?
 定住する気の無い少しでも荷を軽くしようとする投げ売りと、旅立つが故に少しでも荷を揃えようとする箱買いが競うように行われていた。商品の金額が魔法を唱えるよりも激しく交わされ、通貨が剣のきらめきに似た動きで行き交い、店が畳まれ、その後すぐに店が起こされた。
「…………」
 あたしもガライさんも声が出ない。
 ポルトガで船を買ったあたし達は、その商人の町へ行くという船団と一緒に海を渡り、サマオンサの遥か北の商人の町にやってきた。その船団の人達もとっくに店を起こして商売に勤しんでいる。
 完全に取り残された。
「さて、とりあえず宿屋でもとるか」
 カンダタの言葉でようやくあたしとガライさんはハッとなる。なんだかんだ言って頼りになる最年長者だ。
 とりあえず宿屋をとらないといけないもんね。
 そうして町を歩き出すと、とてつもないことに気が付いた。
「ねぇ…ロトちゃん、僕の目がおかしくなったんでしょうか?この町、何かが足りないと思いませんか?」
「あたしもそう思ったところよガライさん。たぶん『船で寝ろ』って遠回しな表現なんじゃないかな?」
「ですよね。そうじゃなきゃ、みなさん寝るとこに困りますもんね」
 ぐるりと町を一周して気が付いた事とは『建物が一つも無い』事である。
 即席の店とあたし達みたいに外からきた船ばかりで、どこの町でもありそうなレンガ作りや木造の建築物が一軒も存在しない。
 とりあえずそこいらにいる商人に宿屋の所在を聞いてみる。
「そんなものありませんよ」
「…」
 あたしもガライさんもカンダタも何の反応もできない。だって、宿屋のない町って、あると思わないじゃん。
「ど…どうしようか?」
 ハッキリ言って船室の揺れ具合と潮の香りと湿気の三重奏で、棺桶に片足突っ込んでいたあたしである。海に近かろうと日に干された布団と揺れない床と湿気のない室内で眠りたいと思うあたしは、はたして贅沢者だろうか?
「ロトちゃんの体調もあれですが、海風吹き付ける砂浜で野宿なんてできないでしょう?」
「そりゃ…そうだけど…」
 いざとなったら気絶して寝るしかない。でも気絶しても疲れは取れないんだよな〜…。
 船旅をしている間に熟睡できた日は一日たりともない。だからこそ睡眠不足と滅多にない情緒不安定さに、自分を見失いそうになるほど怒りがふつふつと煮えたぎってきた。
「なんか…腑に落ちない」
「しょうがないですよ」
「商人なら宿屋の一つくらい建ててくれたっていいじゃない」
「必要がないんでしょうね」
「………やる」
「え?」
「宿屋を建てなくちゃいけない状況にしてやる」
 目が真ん丸のガライさんの脇を通り過ぎ、そのさらに奥にいたカンダタがあたしを止める。
「ロト、何をするつもりだ?」
「言った通りの事をするのよ」
 あたしは来た道を戻り、うっかり海に足を突っ込んで溺死しそうになった。

 どんなに入手困難な材料も、この市場と呼べる町で薬草を買う以上に簡単に手に入る。資金は黒胡椒を売ったお金で船を買った今でも、一生3回分遊んで使っても余りある。だから『これ』を作ることは別段大変でじゃあなかった。
 マホトーンと弱いメダパニを封じ込めた米粒サイズの赤い宝石と、目立つように金のコーティングを施した、手のひらより少し小さめに作られたカードに、天使と細かい模様を刻んで反射をより際立たせる。
 このカードは見せるだけで効果を発揮する。
「…なんも変わった気がしないんだが。ガライ、何か変わったか?」
「見せるだけで効果を発揮すると言われても…。ねぇ…」
 首を傾げるカンダタとガライさん。でもあたしは寝不足も相まって無気味な笑いが込み上げてくる。
「これを配ってくれば分かるわ…。うふふふふふふ…」
 その様子に二人が脅えた表情だったのはきっと気のせいじゃない。

□ ■ □ ■

 一週間と経たずに町に巨大な宿屋ができた。
 その宿の一室でふかふかのベッドに寝転がりながら、あたしは達成感に浸っていた。
「嬉しーーーっ♪揺れないお部屋に、ふかふかベッド!湿気無い室内。快適〜!」
 ガライさんとカンダタも窓際や椅子にそれぞれ腰掛けて、大量生産と言っても100枚限定の『ゴールドカード』を眺めている。そのカードはもはや商人の天敵であり、恐れられる存在に成長していた。
 大満足。
「しっかし、恐ろしいカードだな。見せるだけで4分の3の値段で買い物ができるなんざ、今でも信じらんねぇぜ」
「でも、気が付きました?商人達は自分で4分の3の値段を提示したのに気が付いても、撤回できないんですよ」
 あたしは枕を抱き寄せて二人に顔を向ける。
「それはね、その赤い宝石に封じ込めた魔法の影響なんだよ。軽いメダパニで値引き値段を言わせて、それからマホトーンで撤回発言を封じるの」
「売り値が安くなっちまって商人達は儲からない。だからこの地から故郷に帰れない、故郷に帰るための資金のない破産者がでる。そうして宿屋の需要ができて宿屋が建つ…か」
 カンダタがゴールドカードをちらつかせて言ってくる言葉に、あたしは正解って答える。
 高ければ高い売り物ほど、売り手の損失は高い。しかし、商人達も黙って見ているわけもなく、ゴールドカードを買い取ったりと取り引きの道具の一つとして流れはじめた。
「きっと世界に名を馳せる商業の町になるわ」
 そう続けたあたしの言葉に、ガライさんはぶるりと震えた。
「素でそう思ってるんですか?」
「うん」
「ある意味、営業妨害と他人を破産に追い込んでいるんですよ?」
「長く先を見れば些細な事よ」
 今までは町とは言い難かったけど、定住する人が現れれば、この地は町となる。しかも今まで通り商人達の取り引き場所として、さらに賑わう事だろう。
「……」
 ガライさんが黙るとカンダタが呆れきった溜め息をついた。
「気に入らないことは、どんなに無理だと思うことでもねじ曲げちまう。そんでもって悪意がない」
 カンダタは額に手を当てて天井を仰ぐ。
「おめぇは、とんでもない娘だな」
 あたし達の手の中で輝くそのカードは、人手を渡り海を超え金を積まれて大富豪なんかが手にして、さらに手に入りにくくなる場所へ行くだろう…。
 そして平和的に、自然に、封印されてしまうだろう。
 金でも、実力でも届かない場所へ…。