夢見るルビー

 女の人が泣いている。
 隣で寄り添う男の人が悲しげに町を見下ろす。
 その町に渦巻く魔法の気配から、なにかしら魔法が掛かっているのが分かった。
『あの…』
 声を掛け、二人が振り返る。
 そこで、夢が覚めるのだ

 □ ■ □ ■

「眠れん」
 カンダタが憔悴しきった様子でぽつりと呟く。その隣で、目の下にくっきりクマが住み着いてしまったガライさんが頷いた。
 今や、三人が三人、同じ問題で悩んで旅すらままならない状態になっていた。
「同じ夢を見るのも散々だが、その夢が進展しねぇのは一体どういう事なんだ?おい、ロト!」
「あたしに話を振らないでよ…。分かんないよそんな事……」
 船を停泊させている大都会に発展していた商人の町に戻ってすぐ、『それ』はあたし達に降り掛かった。
 『それ』とは睡眠不足なんだけど、ただの睡眠不足じゃない。三人とも同じ夢を見る。短く後味の悪い夢は眠る度に訪れて、あたし達は精神的に参っていた。
「この町に戻ってきてから、あの夢を見るようになったんだ。おい、お前らこの町に戻ってきてちょっと自由行動してただろ。何してた?」
 カンダタが眠くて回らない頭を必死で奮い立たせているらしい。口調に全く覇気がない。
「何って買い物よ」
「……同じく」
 もう夢を見始めて5日目である。あたしもガライさんもあくびが呼吸する度に漏れる。
 その欠伸を突き壊す鋭い眼光を向けて、大泥棒カンダタは有無を言わさぬ口調で命令した。カンダタの為に追記しておくが、今みたいな状況じゃなかったら、かなりかっこ良かったであろう。
「何を買ったか全部見せろ。プライバシー云々は一切受け付けねぇからな。このまま眠れねぇで死にたくはねぇだろ?」
「らじゃ〜…」
「はい……」
 それぞれに買い物の品々を見せあう事になった。
 一番手はカンダタ。
 あのでっかい剣を研ぐために砥石を一つ。実は料理全般をガライさんと分担してるけど、材料の選別は彼なので調味料などが袋9つ分。保存食が一か月分船の中にすでに運び込んであるそうだ。後はナイフが数本、解錠用の特殊な道具、細くて丈夫な特殊なロープなど盗賊としての道具がごろごろ……。
「何か…実用品ばっかりね」
「何か…地味ですね」
「誰がお前らの面倒見てると思ってんだ?」
 二番手はガライさん。
 竪琴の弦として使う特殊な線を数十メートル。音符を書き留めるために新品のインク数リットル。楽譜を書き綴る真っ白の本が6ダース。走り書きできるように紙束が木箱4箱分……。
「お前、滅茶苦茶な買い物するな」
「見た目によらず大人買いばっかり」
「だって、滅多に買い物できないんですから」
 最後はあたし。
 洗顔用の石けん。聖水が原材料の特別製シャンプー&リンス。嫌な臭いを消し去る脱臭袋と、海の上の湿気対策のために除湿剤1キロ分。洗濯用の洗剤を2ケース。ベッドのシーツと枕カバー7枚……。
「やっぱりロトちゃんって潔癖性なんですね」
「普通の人間はこんなものなくても生活できる」
「うっさいわね」
 あたしがそう返すと皆が黙り込んだ。夢に影響しそうな物が何一つ含まれてないから、絶望的な気分だ。
「あの夢に出てくる町はどこなんでしょうね?」
「ノアニールだ」
 ぽつりと呟いたガライさんの言葉にカンダタはテーブルに伏せながら答えた。
 次の瞬間にはもう寝息をたてている。今ごろ夢の中であのすすり泣きを聞いているだろう。
「ノアニール……?」
「ロマリアから北に向かう街道の終点にある、寒い地方の町よ。ふぁ〜…ごめん。あたしは行ったことないけど」
「その町に夢が関係してるんじゃないでしょうか?」
「関係…?」
 あたしはカンダタを揺すり起こすとカンダタの目がうっすらと開く。
「ねぇ、カンダタ。ノアニールで何かが起こってるんじゃないかしら?」
「ノアニール……?あの駆け落ち事件なら…とっくの…に……。ルビーは…じょ…う、に……ぐぅ」
 寝ちゃったよ…。
「駆け落ちとルビーですか…ふあ〜ふ…、失礼。もしかしたら、あの二人は駆け落ちした人なのかも知れませんね。ではもう一つのルビーがこの無限夢地獄から抜け出すキーワードかも知れませんね」
「ルビー…」
 そういえば…
 ざぁ、と血の気が頭から引いていく。
「ガライさん…」
「はい?」
「あたし、ただでルビー貰っちゃってたんだよね。オマケだって……」
 懐から大粒のルビーを取り出して見せる。それは買い物してシャンプーとリンスを買った時に、その商人がオマケだとつけてくれたルビーだった。思い返せば、その商人も目の下にクマがあったかもしれない。
「これが、原因ですか?……ふぅ」
 あくびをかみ殺すガライさんにあたしは頷いてみせる。
「原因が分かったら、夢も少しは変わるかもしれないわ。あふ〜…。ガライさん、今度こそ夢を…すぅ」
「夢が終わると…いいんですけ…ぐぅ」


 女の人が泣いている。
 隣で寄り添う男の人が悲しげに町を見下ろす。
 その町に渦巻く魔法の気配から、なにかしら魔法が掛かっているのが分かった。
『あの…』
 声を掛け、二人が振り返る。
 この二人が駆け落ちをする事になる人達なのだろうか?
 その二人はあたしを見てはいなかった。
「…ルビーの在り処が分かったんだ。俺達は少しこの地を離れるからな」
 あたしの後ろから声が聞こえてきた。さっきまで眠たげにしていた仲間の声。
 振り返るとガライさんよりも少し年上の男……、白髪と皺を取り除いて若くしたらそうなるんじゃないのかって思うんだけど、カンダタが立っていた。隣には若いけど母さんが、そして…
 歩み寄ってくる黒髪の男の人。
 母が昔一緒に旅をした人。あたしと同じ黒髪を持つ人。
 あの人がもしかして…
 心臓が高鳴る。
「これから取り戻しにいってくるよ」
「お願いします」
 男の人が頭を下げる。その男の人と女の人の手を取りながら、黒髪の男の人が言い聞かせるように囁いた。
 優しい、優しい声で。
「二人のせいじゃないんだ。悪いのはルビーを盗んだ盗賊達なんだ。だから自分を責めちゃいけない…、子供もいるんでしょ?子供のためにも、どんなに責められようが生きていかなくちゃ…な?」
 女の人が泣き出した。男の人の胸に顔を押し付けて、激しく辛く泣き出した。
 抱き合って涙を流す二人から離れて、黒髪の男の人はカンダタと母さんに言った。
「場所はアッサラームの近くだったな。行くぞ、クリスティーヌ、カンダタ!」
 黒髪の男の人が腕を上げると、青く輝く光が3人を中心に流れはじめる…。
 ルーラの呪文だ!
『待って……!!』
 あたしの手が後少しで黒髪の男の人に触れられそうなところで、青い光が舞い上がって行ってしまった。暗くなったばかりの空に青い光が吸い込まれるように消えて行く。
 あの人がオルテガ…?母さんと旅をしていた頃のオルテガ父さんなんだろうか……?
 あたしは体中の汗が吹き出た気分になるが、実際は夢の中。全く気持ち悪さも感じない。
 それよりも背後の魔法の気配が際立って感じるようになる。町を包む霞がかった力が町の人を、動物達を包み込んでいる。遠目からはよく分からないけど、どうやら立ったまま微動だにしない。死んでいるようには、さすがに見えなかった。
 何なんだろう?あたしの知ってる魔法の力じゃない。
 まるで時間が止められているようだ。
「どうして、どうして母様はこんな事をするのでしょう!?こんな…酷い事を…ノアニールの町の人は全く関係無いのに…!」
 女の人が錯乱した様子で男の人の腕の中で暴れ出す。
 尋常じゃない彼女を宥めるように彼はきつく抱きしめる。
「皆さんが言ってくれただろう?悪いのはルビーを盗んだ盗賊達だ。君が悪い訳じゃない」
「聞こえるの!町の皆が私を責める声が!!『お前が戯れに人里に降りて来なければ』と!」
「そんな声、俺には聞こえないよ。安心して…」
 あたしにも何も聞こえない。
 でも、彼女の腰まである長い髪は乱れて長い耳が覗いているのが見えた。彼女はエルフなんだ。人に聞こえないその声が、エルフである彼女には聞き取れるのかもしれない。
「母様は…母様は…どうしてルビーが盗まれた事にそれほど…」
「あのルビーはエルフにとって、とても大切なものなのだろう?世界に二つと無い秘宝だから…」
「私が貴方と駆け落ちする事に憤り、町の人を眠らせたのなら、すぐさま舞い戻り二度と貴方の前にも姿を見せないのに……」
 あぁ…
 原因は彼女と彼が駆け落ちした事が本当の原因ではないのだ。
 『人間』が『ルビー』を盗んだ事。
 だから『娘』を誑かした『人間』の住む町、自らの種族の一番近くに暮らす『人間』に罰を下した。
 それってさ……。八つ当たりじゃない?
 盗まれた『ルビー』を取り戻そうとしているのは『エルフ』じゃなくて、父さんや母さんやカンダタである『人間』なのに…。
 あたしは手に持ったルビーにインパスを唱えた。
 明るい光がルビーの紅を際立たせ、ルビーの力をあたしに感じさせる。特殊な力は特に感じない。いや、感じさせない。ただひたすらに深い悲しみが力を封じ込めている。
「さあ、元気をだして。君がそんな悲しみに暮れていては、お腹の中の子供も泣いてしまうよ」
 悲しい…。悲しい…。
「なら、どうして町の人を眠らせたの!?私の未来よりも、孫の未来よりも、町の人の未来よりも、ルビーの方が大事なの!?」
 哀しい…。哀しい…。
「子供が可愛くない親がどこにいるんだい?もし我が子が死んでしまったら、悲しまない親がどこにいるんだい?君がよく分かっているだろ?」
 かなしい…。かなしい…。
「オルテガさん達が頑張って下さってるんだ。俺達も頑張らなくては……」
「もう嫌…」
 カナシイ…。カナシイ…。
「貴方と一緒にいたいのに、認めてもらえない世界が嫌」
「俺も、そんなに君を悲しませる世界が許せないよ」
 悲しい…。悲しい…。哀しい…。哀しい…。かなしい…。かなしい…。カナシイ…。カナシイ…。
『じゃあ、今まで生きてきた世界は、貴方達に喜びや幸せをひとかけらも与えてくれなかったの?』
 カナシイ。スベテガカナシイ。
 あたしの問いかけが山彦のように帰ってくる。ルビーに言葉が届いたんだ!
 この悲しみがあたし達に夢として訴えるんだ。
 この悲しみを解き放たなくては夢から解放されないんだ。
 どうすれば良いかは分からない。でも、話さなくちゃいけない。
『嫌だから、許せないから、この世界から逃げ出してしまうの?』
 ソウスレバ、カナシミカラトキハナタレルカラ…。
 この声は生きている人の暖かさを感じなかった。きっとこの人たちは命を絶ったんだ。父さんも母さんもカンダタも若かった昔に、あたしが生まれる前に、悲しみのあまりに死んでしまったんだ。
『じゃあ逃げ出せばいいのよ』
 ニゲダセルノ?
 少しの時間があれば、悲しみなんかふっ飛ぶ喜びがある。貴方には子供がいる。
『世界はそこだけじゃないわ』
 ココダケジャナイ?
 狭いノアニールとエルフの里しか知らないんじゃ、まるでアリアハンしか知らないあたしみたいじゃない。
『あたしも最近知ったの。アリアハンから旅だって、オルテガ父さん追いかけて、ガライさんとカンダタに会って、それで知ったの。自分の見えている範囲以外にも、たくさんの世界があるって』
 タクサンノセカイ?
 そう、自分が小さく感じるほどに。
『山が同じ風景の中にあっても、川が変わらずに流れても、町が同じ場所あっても、未来にあればそこは全く違う世界だもの。あたしのいる世界のノアニールの町の人はとっくに目が覚めて、貴方達の知り合いは皆、年老いて子供や孫に囲まれているわ』
 ミライ…。コドモ…。
 一秒先に進む事ができれば、幸せも不幸せも全てが違うものになる。それは、心の持ちようってだけじゃないんだよ。本当に全く違う世界なんだ。
 あたし達は世界を旅しているんだ。
 あたし達が歴史の最先端を歩いてるんだ。
 悲しい事も嬉しい事も、あたし達が自分で生み出す事ができるんだ。
『さぁ、違う土地に行って、たくさんの時間を過ごして、貴方達がその世界から出て行くのよ!』
 チガウトチニイッテ、タクサンノジカンヲスゴシテ、ワタシタチガソノセカイカラデテイク!
 インパスをかけ続けて、感じていたルビーの力が変化する。
 悲しみが解けて、押し込められていた力が迸った!
 紅い、紅い力が神々しく、悲しみに満ちた世界を突き抜けて行く!

 □ ■ □ ■

 夢を見なくなって数日。ようやく体力が回復したので、あたし達は次の土地を目指す事になった。
 たくさんの船が出入りする商人の町の港で、あたし達は出航の準備を着々と進めていた。
 しかし潮風にあたしだけは回復した体力が減りつつある。うぷぷぷぷ…。気持ち悪〜い。
「ロト〜。吐くなら海の方行けよ〜」
「酷いよ!吐かな…い……。うぷ」
「行け。行ってこい。しばらく戻ってくるな」
 ひらひらと手を振ってカンダタが酷い事言ってくる。気持ち悪くて吐きそうなだけなんだから、大丈夫だよ〜。
「カンダタさんじゃないですか!お元気そうでなによりです!」
 いきなりカンダタより少し年下くらいのおじさんが、たくさんの人々が行き交う道の傍らにいるあたし達もといカンダタに話しかけてきた。カンダタは座って見ていた海図から顔を上げると、逆光で見えないその人の顔を目を細めて見つめる。
「ん?誰だ?」
「やだな〜。お忘れになりましたか?ほら、ノアニールの…」
 そこまで言ってカンダタが驚いて目を見開いて立ち上がった!
「お前…じゃあお前は…でも、お前達は俺の手で埋そ」
「お父さ〜ん」
 子供がおじさんの足下に駆け寄ってきた。その耳は心なしかとんがっているようだ。
「お船が行っちゃうよ〜」
 おじさんは『あぁ、そうだったね』と子供の頭をなでると、カンダタに向かってちょっと早口で捲し立てた。
「これから久しぶりにノアニールに帰るんです。そろそろこの子に、俺と妻の故郷を見せてあげたくて…」
 そこで少し声を潜める。
「妻も母親に孫を抱かせてあげたいみたいですしね」
 愉快そうに笑うおじさんのその耳を、後ろからツカツカと歩み寄ってきた女性が引っ張った!
「貴方!いい加減そろそろ船に乗らないと、出航しちゃうわよ…ってあら!カンダタさんじゃない!」
「え?じゃあそのガキは…」
 カンダタは目を白黒させて、もはや会話についていけないでいる。
「はい!あのお世話になった時に身ごもった子供です。ハーフエルフだからか、年齢よりかなり幼く見えますけどね」
 明らかに人間と違う耳を持つ女性は、子供の肩に手をおきながらとても幸せそうに微笑んだ。その女性の肩をおじさんが抱き寄せると、女性とおじさんは仲良くカンダタに頭を下げた。
「じゃあ、俺達はそろそろ…」
「お姉ちゃん!」
 一枚の絵のように幸せそうな家族から、子供が一人あたしの前に駆け寄った。
 年相応の笑顔をあたしに向ける。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
 ルビーに閉じ込められた悪夢は晴れて、ルビーに込められた力が一つの家族に未来を与えた。
 さすが、我が子より大事な秘宝様だ。