オーブ

 この世界に生まれてきた者には選べない事柄が存在するのよ。
 親を選べない事。
 だから不安とか、猜疑とか、憂鬱とか、怒りとか、憎しみとか、ありとあらゆる感情をもって呪ったの。
 何に?……そりゃあ親とか、神様とか、世界とか、いろいろよ。
 私の子供も私を呪うでしょうね。
 私がそうであるように。

 □ ■ □ ■

 はらり。はらり。
 エジンベアなどから極東と呼ばれる国は、他の国々と全く違った自然の溢れる豊かな国だ。ちょうどその豊かさを垣間見える季節に来られたのはとても運がいい。『紅葉』とジパングの人々が呼ぶ葉の彩りはとても奇麗で、紅、赤、茶、黄、の暖色系の色が冬の前の最後の温もりのように大地を染めあげている。
 さく。さく。さく。
 落ちて絨毯のようにつもり柔らかく積もった葉を踏み締めれば、軽やかな音が響く。その音を聞きながら自然の紅の中に作られた人工的な紅の建物を目指す。遠く遠く感じるように等間隔で建てられた『鳥居』は一種の結界なのか、人里から離れた場所でも魔物の影すら見当たらない。
 ここが世界の一部なのか疑いたくなるような、現実離れで幻想的な風景だ。
「どうじゃ、影は捕まったか?」
「うわぁ!!」
 何の気配も感じさせずに、積もった木の葉の隙間からにょっきり出てきたみたいに女性が立っている。
 深紅に金の模様が縫い付けられた美しい長衣に、漆黒の髪が優雅に結い上げられている。白く化粧した肌はうまく年齢を押し隠し、目元と唇には紅をさしてきつく感じさせてしまう。
 この女性がこの地に住う一族を取りまとめる族長、卑弥呼ちゃんだ。
「八岐の大蛇の影が勝手に動き回っているのじゃ。しっかりせんか。このままではジパングが荒らされてしまうわ」
「ごめ…ってちょっと待ってよ〜!」
 金箔と銀箔の扇子で上品に口元を隠すと、上品な仕草とはかけ離れたドスの利いた声を潜ませて言う。謝ろうとする前に卑弥呼ちゃんは、厚く着重ねた衣の重さ感じさせない足取りで私を追い抜いて行ってしまった。
 かつてこの地にやってきた異人の旅人が討伐した、八岐の大蛇という竜が復活した。そう彼女は発表した。
 でも人々は気が付いたかな?卑弥呼ちゃんに影がない事に…。
「これでは弱くて意気地なしで弱い者いじめが大好きなまな板の上の羽なし七面鳥や、突撃魚だし仕立て味噌汁な脳みそのお馬鹿で脳足りんな筋肉団子に馬鹿にされてしまう」
 頭を抱えて真剣に落ち込んでいる卑弥呼ちゃんである。
 うわぁ。自分の事完全に棚に上げてるよ。私から見れば意地悪性悪口うるさい八岐の大蛇じゃない。
「影がなくなって憂鬱になっておらんかったら、焼き殺してしまえたのに」
 あわわ…。私を見てくる目が本気だよ。
 女の勘の恐ろしさを垣間見たわ。
「と…とりあえず火山に追いつめたし、揃ってないから完全じゃないけど宝玉の力で結界を張ってはあるわ」
「そうか」
 卑弥呼ちゃんと私は、紅葉し舞い落ちる葉をかき分けるように奥にある建物に向かう。
 建物も目にまぶしい深紅がきれいに磨き抜かれ、自分が床に映り込むほどだ。その建物の階段を上り廊下を跨ぎ、中心と言える広い場所には剣と鏡と紫色の宝玉が見える。
 あれが探し求めてる宝玉の一つ、パープルオーブなのよね。
 でも今持っていこうとすると卑弥呼ちゃんに八つ裂きにされるだろうし、まさにお預け食らった犬状態なのよ……。
 台座の目の前の広間に強い魔力が高まってくる。卑弥呼ちゃんはさっと腕を振るうと、澄み切った青い光が渦巻く『旅の扉』を開く。
「火山に連なる竜脈がこの真下に走っておるから、旅の扉もこうも簡単に開く事ができるとはいえ、八岐の大蛇を鎮める為に人間達が造った神社がこんな形で役に立つとはな…。準備は良いかな?」
「何かすることってあるのかしら?」
「責務を果たせ。それだけじゃ」
 旅の扉を潜ってしまった卑弥呼ちゃんの、簡素で飾りっけも気遣いもない率直な言葉に怒りと安堵を感じる。
 そうだ、生まれてから課せられた責務が私にはある。それはとても腹立たしい事だった。
 その腹立たしく感じる事を濁す事なく言った、卑弥呼ちゃんの言葉が嬉しかった。 
「あの子にはこの責務、負わせたくないなぁ…」
 ため息と本音を吐き出して、新たに息を吸い込むと私は卑弥呼ちゃんに続いて青く輝く渦に飛び込んだ。


 暑い。熱い。暑い。熱い。
 フバーハの呪文を掛けても、溶岩がぼこぼこを沸騰している火山の中では体感温度は真夏だ。汗がじんわり滲む私の横で、目に見えないほど薄い水の膜をはり巡らした卑弥呼ちゃんが冷ややかな笑みで言った。
「ばか者。今の時代はフバーハより水のカーテンの時代じゃぞ」
「ごめんね時代遅れで」
 酷く緩慢な歩調で私と卑弥呼ちゃんは歩き出した。
「そういえばお主はパープルオーブを借りにやってきておったが、なぜ集めておるんじゃ?」
「ハゲ鳥が要るって言うんだもん」
「禿鳥…。あぁ、万年羽が抜けまくっておる奴じゃな。お主、まさがあの禿鳥に嘴で使われておるのか?」
 今の会話を私達にハゲ鳥呼ばわりされている奴に聞かれたら、間違いなく大気中の寒波で隕石大に育てたマヒャドを地上にぶん投げて来るだろう。怒ると誰よりも恐い。
「卑弥呼ちゃん曰く『弱くて意気地なしで弱い者いじめが大好きな、まな板の上の羽なし七面鳥』をギャフンと言わせるために必要なの。あいつってば闇の結界張って、闇の力をほかの世界から勝手にこの世界に持ってきちゃってるのよね。このままじゃ世界のバランスが崩れちゃうわ」
 実際はかなり崩れていて、賢者と呼ばれるくらいの存在ならばもう気が付いてもおかしくはない。
 んで宝玉は闇の結界を打ち壊す為に必要なものだとハゲ鳥は言う。
「なるほど。合点がいったわ。おそらく全ては腐った七面鳥が原因のようだな」
 卑弥呼ちゃんの瞳がメラメラと怒りに燃えている。
「妾の日常に心労の種を蒔いた事とくと後悔させてやる!しっかりみっちりがっちり妾の怒りを代理して参れ!」
「やっぱり私が行くの〜?卑弥呼ちゃんも来てよ〜」
 拓けた空間に溶岩の赤い光に照らされた真っ黒い影が見えた。頭がたくさんみょろみょろと気味悪い様子でのたくり回っている八岐の大蛇の影を囲むように、4つのオーブが輝いて浮かんでいる。
「さて、始めるか。……良いかね?」
 卑弥呼ちゃんの言葉に私は頷いた。それを見届けると卑弥呼ちゃんと私は影に近付いてゆく。
 川の深さを測るような慎重さで、卑弥呼ちゃんは八岐の大蛇の影に足をつける。
「く……」
 呻いたと思ったら人の姿では声帯がぶっ壊れそうな咆哮をあげ、そのまま倒れる。
 こうなってしまうと卑弥呼ちゃんの意識があることを隣で確認しながら、ひたすら見守ることしかできない。
 体から離れてしまった影を取り戻すことは、とてつもない苦痛であるらしい。
 影に触れれば氷に身を浸す冷たさと炎に焼かれる痛みが交互に訪れる。それは影がいる闇の世界から光の世界に引き戻す際に通る『境界線』を強引に通るための痛みだという。やがて体が引き裂かれ、ねじ切られるような痛みが走るという。それは影が元の主のところに戻る際に、影が変形部分を正しながら元の形に戻ろうとするために感じる痛みなのだという。
 その痛みに耐えかねて意識を手放せば、意識は影に飲まれて死んでしまう。しかし影に食われぬほどの力を持っていると、影に残った闇に徐々に自我が侵食されてしまう。
 最後は魔王となるのだ。
 その魔王となる存在を潰すのが私の役目だ。
「そろそろかな?」 
 影が揺らぐ。『境界線』をこえて影が持ち主の体に戻ろうとしているのが分かる。
 影にくっ付いた闇を浄化すれば、魔王にはならなくなるんだよ。
 私は影の傍らまで歩み寄って屈んだ。
「私はね、奴らのように高みの見物なんて出来ない質なの。だから、ごめんね」
 闇は何も悪くない。だから謝るのが癖だ。
 影が勝手に動いてしまうのは、この世界のバランスを保つ為のものだ。このような事を経て、混乱と平和が繰り返され、闇と光が共存してゆく。
 私が手のひらをぐっと握り込むと、小さな丸い玉を握っている感覚が肌を伝わる。その手をそのまま八岐の大蛇の影に突っ込むと、地面にひれ伏している影に私の腕が吸い込まれる。
「うっ…ぐ……」
 影が主のもとに戻ろうとする痛みが、私の腕に伝わる。骨が粉砕され、螺旋を描くようにねじ曲げられ、溶けてしまいそうになる。もちろん幻なんて楽観できるものじゃないんだけどさ。
 痛みに続いて脳裏を貫く負の感情。その感情に自分の望みが同調してしまう。
 闇も光も無くなってしまえばいいのに…。
 そうすれば、私は私として自由でいられるのに…。
 なんでこの世界を守って行かなくてはならないんだろうか?
 あの子の為に世界のルールを作り替えてしまいたい。この世界のバランスなど知った事か。そして…
 ……だめだ。
 しっかりしなくちゃ、呑まれちゃう。
 私は頭を振って意識をしっかりさせ、握った手を広げた。
 手の中から広がる光を見るたびに、子供を見るたびに思う。あの子もきっと私みたいにやりきれない思いを抱えて生きていかなきゃならないんじゃないか…と。
 闇にも受け入れられないだろうし、光には厄介者扱いだし、かといって人間にはなれないし。
 でもさ。
 でもさ。
 幸せになってくれと、願う。
 一族の呪縛を解き放って自由に生きてほしいと、願う。
 光に打ち消されたように影が黄金色に輝き、影に埋め込んだ腕が影から千切れそうなほど強く弾き出された。そして八岐の大蛇の影は消えて、そこには女性の細い影がのびていた。


 夜の空気らしい冷たい風が熱風を押しのけて吹き込んだ。
 その風に乗って祈りの声が聞こえるんだ。低く高く、厳かに、人の声と聞き慣れない楽器の音が混ざりあって、うなり声のような不思議な音になって響く。
「卑弥呼ちゃん。この国の人はいったい何に祈りを捧げているの?」
 人は自分の為に祈る。
 この国の人の神はいったい誰なのだろうか?
「死した魂は仏という名の神となる、長く生きた大樹には神聖な意志が宿り神と奉り、道に転がる石にさえ神が宿ると信じておる。荒ぶる神は宥める為に、良き神は讃える為に祈りを捧げるのじゃよ」
 精霊信仰みたいなものかな?
 でも、人が神を信じている感じがする。信じる自由と、その信じる事で神が存在する存在感がある。
「良いわね。私には祈る神もいないし加護を賜れる存在でもないから、新鮮な信仰だと思うわ」
 書物で神はこんな存在だと伝える宗教がある。でも、それよりも神様を見ている、神様は見られている。ここの人々にとって神は近い存在なのだ。ジパングの人々の目には『神』以前に『力ある何か』であると理解している。
 神なんか居るなどと信じないでほしい。本当は神は居ないんだよ。
 神を求めないでほしい。神は何も応える事なんかないんだよ。
 でもそれは言ってはならない事だった。
 だから代理が必要だった。『神』でもないのに『神』の存在を知らしめる、そんな代行者が必要なのだ。
 それは時に人であったりする。
 『勇者』と呼ばれる人を見て、人々は思うだろう。
 『勇者は神が遣わされたのだ』と。
 人は人であって勇者じゃない。人は無理をして勇者を生み出してはならない。
 『見知らぬ他人のために、世界のために、命を賭けろ。力ある魔王に立ち向かえ』と、私だったら言えないよ。そうして人が傷付くのなら、悲しむのなら、私が課せられた責務として神の代行をすればいいじゃない。
 悲しむのは少しで丁度良いのよ。
「セルセトア」
「なぁに?」
「お主は一向に救われぬな」
 私はきっとひどい顔だったろう。卑弥呼ちゃんの前だからつい出てしまったが、平和的な何かを何も感じない顔に違いない。それがこの世界を守る者の正体だと知ったら、人々はどう思うだろう?
 でも
「しょうがないわよ」
 光と闇とその挟間に生きる者の為に
 私は生きていかねばならない。