今、ロトの親父探しの旅は蹴躓いちまった。
 生死不明は元からそうだが、手がかりがない。
 ガライは特に行く先は考えちゃいない。でもロトの親父の行方がそれなりに気になっている。
 つー事はだ、問題の焦点はロトの親父探しをどうするかだ。
 ロトに墓を見るまで探し続けるのか?それとも、適当に見切りを付けるのか?訊いてみた。
 答えは「適当に見切りなんかつけたら、母さんに月までぶっ飛ばされちゃうよ!!」だそうだ。冗談ではなくあいつならやる。
 ってことは、ロトの親父探しをどうするかって判断を下せるのは、ロトの母親だけっつー事だ。
 はい、行く先決定。

 □ ■ □ ■

 アリアハンは夏真っ盛り。
 ロマリアの夏と違って、相当に暑いわ蒸すわで鎧を着込むなんてなかなかできないだろう。
 大盗賊カンダタで通る俺は盗賊でも鎧を着ることができるくらいの体力を持っていたが、それでも鎧は邪魔臭い代物でしかない。少し前を歩くガライも吟遊詩人という職業らしい細い体では鎧は無理だろう。そしてロトは女らしく細いわ小さいわ剣は持てないだろうわで、鎧は全然似合わない。
 ガライの特技のおかげで戦う必要もなく俺も不精させてもらってるが、鎧を着ないで世界中旅できる一行も珍しいだろうな。
 そんな気温の中で再会したかつての仲間は相変わらずだ。
 明るい金髪は色あせる事は無くても汗臭く、青い瞳は輝いているよりぎらついているがしっくりくる。筋肉の衰えなどみじんも見せないそのぶっとい腕には、どこから調達してきたのか紙袋一杯に力の種が入っていた。
 その力の種を食べながらロトの報告を聞いていた。
 彼女の父親オルテガの消息は誰も知らない事とか、いろんな所を旅してきた事とか…。
 ロトの報告は知ってる事ばかりだからどうでもいいとして、顔色一つ変えないで聞いているロトの母親クリスティーヌが無気味だ。昔からそうだがこいつは黙っていると何をしでかすか分からない女だ。唐突に行動を起こされ、俺やオルテガやサイモンがどれだけ苦労した事か…。 
「オルテガは貴女みたいに子供じゃないわ。帰ってこないなら死んでるのよ」
 さばさばとした口調で抱えていた紙袋をテーブルに置いた。
 クリスティーヌの奴…疲れたってより吹っ切れたって感じだな。まぁ…十年経てばそうなるかもしれねぇ。
 俺もサイモンもオルテガの家にすら寄り付けない多忙さは知っていた。実際、失踪と断定されたのもオルテガならこなせるだろう日数経っても任務から帰ってこないし、それから一年経っても戻ってこなかったからだ。オルテガに舞い込んだ依頼は相当数があり、俺やサイモンが手分けしてもどの依頼の任務に赴いたのかすら分からなかった。
 それをかつて共に世界を回った仲間である俺達は、クリスティーヌに知らせた。
 子供のロトには知らせなかったのには驚いたが、恐らくロトにさせたかったのがオルテガ捜索ではないと察している。旅でも目新しい情報もなく、俺ですら悪いが死んでると思ってる。
「じゃあ、帰っていらっしゃい」
 空気が凍った。
 ロトもガライも俺ですら、そんなクリスティーヌの言葉など予測できた訳がない。
「……え?」
 誰の声だったか分からないが、誰かが聞き返した。
「だから帰ってらっしゃいって言ってるのよ」
 クリスティーヌが苛立ったようにロトに言った。

 □ ■ □ ■

 さすが旅人に良心的価格で宿を提供するルイーダの酒場。
 泊まってる奴らに隙さえ見せなければ、同じ町の宿屋の半額以下で泊まれるのは嬉しい限り。酒場の酒も安くてまずい酒も、美味しくて高い酒も古今東西揃っているから、大盛況で深夜まで大騒ぎだ。
 そんな酒場でも夜はくる。
 泊まってる客や酒場の客が引き払ったのは後数刻で朝が迎えられる時間帯だ。そんな時間に隣のベッドで寝ていたガライが動き出す。ずいぶん経っても戻ってこねぇからロトん家にでも行ったのかと思ったら、どうやら階下でカタコト物音がする。
 意識を集中しちまったからか、寝付けなくなった俺はその物音を探り起き上がった。下の階に降りると、誰もいない店内の隅っこでランタンの灯が光を控えめに放っている。
「あ、カンダタさん」
 しまったって感じでランタンの向こうでガライが驚いた。が、旅を長くこなしてる俺にすれば猫が部屋に入っても起きるぞ。
「もうじき朝だぞ。何してるんだ?」
 別に明日どこかへ向かうわけでも、旅の途中でもないんだが…訊いてしまう。
「眠れないもので…。でも騒がしい中では僕は飲めないんですよ」
 ガライの奴、全然酒なんか興味を持たないと思い込んでいただけに驚きもんだ。
 俺が前の椅子に腰掛けると吟遊詩人は苦く笑った。
「僕、ロトちゃんと別れる事ができて、少しホッとしてます」
「…?」
 一番執着するかと思ったのに、やけにあっさりしてやがる。
「僕は故郷に帰る覚悟ができました。故郷はとても危険な所で、僕が話し合うべき人も本当はとても恐ろしい人かも知れません。そんな所へロトちゃんやカンダタさんを連れて行くなんてできません。僕の旅は、まだ、終わっていないのです」
 温厚でぼんやりしているガライではない一面がそこにあった。
「あてがあるのか?」
「ありません。でも、これからは今までのような遊び半分ではありません」
 ガライは旅に馴れているとは思っていた。しかし、その笑みと言葉にガライの底知れぬ何かを感じる。
 闘気…いや殺気に似ているような鋭い何かが、ガライが今浮かべている不敵な笑みとよく似合っている。
「俺達は足手まといか」
「そ…そんなつもりはないです。ただ…危険ですから」
 足手まといだって言ってるじゃねぇか!癪に障る!
 俺はガライの握っていたコップを奪うと一気に中身を煽った。予想以上に強い酒を空きっ腹に流し込んで頭がクラクラする。
 目の前のボトルは半分が既に無くなっているのに、ガライは顔すら赤くなっていない。こいつ…どういう肝臓もってるんだ!?
「…お前、ロトが何を言って欲しかったか分かってたろ?」
 必死になって見上げてきた縋るような視線。ハの字になった眉毛の下に震える長いまつげと不安が溢れかえった瞳。
 俺もガライもその目を見ていた。ロトが何かを言いたくて、言って欲しくてたまらない様子だったのはその場にいた誰もが分かったはずだ。俺もガライも共に旅をした仲間で、クリスティーヌはロトの母親だから。
 えぇ…。 消え入りそうな声が耳をくすぐった。
「一緒に行きましょう……って言って欲しかったんでしょう。今の僕らの関係を持続させる魔法の言葉です…が」
 ため息を零す。
「帰ってらっしゃいと言われて振り切るほどの決意があれば、ロトちゃん自ら旅がしたいと申し出るでしょう。きっとお母様が心配なのでしょうから、優しい子ですね。僕には……真似できない」
「ロトは決断ができねぇんじゃねぇんだよ。欲を捨てきれてねぇんだ。父親がいなくて心細い母親を支えてやりたい事と、楽しかった旅を続けたいって事……どっちも捨てたくねぇんだ。しかし…親の顔なんか覚えちゃいない俺にしてみりゃ分からん悩みだ」
「そうですか」
 曖昧に濁したように言うガライに引っかかりを感じた。だが、世界中の家庭がロトんちみたいに上手く行ってる訳じゃない。すれ違いがあり、憎しみがあり、悲しみがある家庭だってあるだろう。それを詮索するのはまずいよなぁ…。
「カンダタさんはこれからどうするのですか?」
「ん……」
 引きずられるように旅に出た。ロトもガライもばらばらになるなら、俺が共にいてやる必要などないだろう。
 実際、ガライのように旅の目的などないから『また盗賊ライフに戻る』。選択肢はそれくらいだ。
 だが…
 これで終わって良いものかと…考えちまう。
「ガライ」
「何ですか?」
 俺は波々と酒を注いで煽ぐと、酔いにぼやけた頭でガライに切り出した。
「くだらねぇ話だが、まぁ聞けや。
 サイモン、覚えてるか?サマオンサで会った男だ。
 昔って言っても今のお前よりもう少し俺が年上だった頃だな…計算は後でしておけよ。今はするな。
 気持ちの沈んだサイモンに言った事があるんだ。
 その頃のサイモンは故郷の冷遇にすっかり落ち込んじまってな。人間達を魔物から救う勇者の一員としてどんな魔物とも渡り合える実力があっても、人間の冷たい言葉や態度には何の免疫もない。だから傷付いてはいたが、どうするか解決の意図も見えない。
 だから俺を頼ってきた…そう思うと重苦しくてよ。ずいぶん長く言葉を探したが、慰めとかが意味がないのはよく分かっててさ。
『なぁ…サイモン。俺が調べたところによるとお前の親父は相当忠誠心のある騎士で、国民から勇者と慕われ国王の絶対の信頼を持つ男だった。だがそんな男が国王を暗殺しようとしたのは、国を自分のものにしようとしたからだと国民達は誤認した。本当は違った。国王は偽物だと一番に気が付いたからこそ、混乱を未然に防ごうとしていたんだ。誤認の原因は魔物達のデマだった』状況を整理する意味で話しかけた。
 なんだ?初耳か?
 お前の大好きな英雄譚だからとっくに知ってると思ったぞ。…今その話を長々とする気分じゃないっつーか俺の話聞けよ。
 サイモン親父であるサマオンサの勇者は、汚名を着せられて妻と生まれたばかりのサイモン共々追放し自然の牢獄に幽閉されたんだ。幸運にも生き延びたのはサイモンだけだった。…目が輝いてるのを突っ込みたくはないが、それはまた今度にしてくれ。
 だがサイモンは父親の事なんか記憶の片隅にもなくて、覚えのない奴の事で責められてるのが理解できないみたいでよ。
 しかし現実は国民は認めちゃくれねぇ、謝罪しねぇ、目を正面から見れねぇで最低でよ。
 いっそ全てが無かった事になれば良かったと思っているようだった。
 そんな事から来る後ろめたい気持ちが、嘘を真実にしてしまったのは分かるが簡単な問題じゃねぇ。
 真実を嘘と認めれば、『勇者を疑った事』『その勇者と妻と何の罪もない赤子を追放した事』『それに自分も加担した事』全てを肯定してしまう。肯定した時自分が汚い事をしたと認める。
 人は汚れたくない。なるべく奇麗でいたいんだ。
 ……なんだよ心当たりでもあるのか?いや…触れられたくねぇんならいいんだけどよ。
『お前にはいくつかの選択肢がある。『故郷に留まる事』『故郷を出てどこか違う所へ行く事』お前はどちらも選べる』って言ってやったんだ。さすがに『そんな国捨ててしまえ』と言いたかったが飲み込んだ。気休めの意味に受け取るほどには、選択を促す意味に受け取るほどには、サイモンは成熟していなかったからだ。……んな顔で見るなよ、恥ずかしいだろ。
 しばらくすると小さな掠れた声で『あそこにいたい』と返ってきた。
 何を思っての言葉だかは分からない。だが、サイモンは留まる事を望んでるみてぇでな。
『なら、追放された勇者の息子だろうが何だろうが、お前が気にする事ないんだ。お前はお前だ。お前がどんなに強いか、俺もオルテガもクリスティーヌも知ってる』嘘じゃねぇぞ。
『相談も協力もしてやる。疲れたらいつでも休みに来い』
 道を共に歩いてくれる者がいる事は頼もしい。いつでも協力してくれるからな。
 逃げ道があることはいい。いつでもやり直せるからな
 あいつは共に旅をした仲間だ。心配だし…何かしてやりたいと思う事は悪い事じゃねぇと思うぜ?」
 頭の中にも現実にも、逃げ道なんか存在しなかった男は気が抜けたような惚けた顔になった。
 ガライはすでに冷遇に耐えた者の諦めというかなんて言うか雰囲気がある。
 腹の中では随分と世の中を冷めた目で見ているところがあった。純粋なロトに眩しさすら感じているガライが、一人になった時にはそんな自分に嫌悪するだろう。誰かの影響でいつの間にか変わった、その変わった自分を受け入れるには今の旅では短すぎる。
「…目的ってさ、一人じゃ達せられねぇぜ?」
 念を押すように言ってしまった。テーブルで見えないが、ガライがきつく手を握り込んだのか腕が突っ張った。
「…ぷ」
 ?
「あはははははっははは!!」
 な…なんなんだコイツ!俺がせっかく恥ずかしい思いしながら昔を語りつつ、助言してやってるってのにっ!!本当はサイモンなんか引き合いに出さなくたって良いんだけどよ…、何て言って良いかなんて分からねぇから思い付くままに言っちまったが…俺は口下手なんだよ!!
 テメェみてぇに文才もない不器用なおっさんなんだ!笑うんじゃねぇ!!
 俺の顔が相当怒ってたんだろう。ガライは涙目になりながら平謝りした。
「すみません。カンダタさんって優しい人だなぁって思って」
「…フン!どうせ優しさなんて似合わん男だよ、俺は!」
 にらみ付けるとガライは悪びれた様子もなく、可笑しさと神妙さが同居する不思議な表情で言葉を紡いだ。
「僕の故郷でそんな言葉…掛けられた事ありませんでしたから。実際こんな優しい気持ちぶつけられるの初めてで…」
 ガライが堪えきれずに笑う。
「優しい言葉が…こんなにくすぐったいものだなんて……思いませんでした」
 く…くすぐったい?
 吟遊詩人の感覚センスには付いて行けんものがあるな。
 こん
「?」
 何か小さい音が二人しかいない酒場に響いた。
 壁際のテーブルに座っていたから俺もガライも外は見えないが、音の原因は入り口の方から聞こえたみたいだ。月明かりが差し込んで明るくなっている入り口には誰の影もない。
 こん
 小石だ。小石が外から投げ込まれてそれが床に当たった音みてぇだ。
「何でしょう?」
「さぁ?」
 俺とガライが揃って入り口に出向くと、犯人がしゃがみ込んで石を持っていた。何がしたいかよく分からんし、月明かりの逆光で表情はよく分からんが、俺もガライもよく知る人物で行動がアホなのはよく分かる。
 ロトだ。
「なにしてるんだ?おめぇ?」
「だってお酒臭いんだもん。なんだか二人とも楽しそーだし」
 すべらかな頬が膨らむと、旅装束の出で立ちで立ち上がった。
「あのさ…」
 ロトは俺とガライを交互に見た。
 父親譲りの黒い髪が月明かりに黒曜石みたいに輝き、母親譲りの瞳が潤んでいるのか鮮やかに世界を映し込む。手はやり場のないようにそわそわと落ち着きなく、足はすくんでいるのか緊張してるんか棒を突き立てたように動かない。小さい背が精いっぱい背伸びして、精いっぱい考え抜いた言葉を紡いだ。
「皆と、一緒に、行きたいんだ」
「だってさ。ガライ」
「どうして僕に振るんですか?」
 ガライが憮然とした態度で俺を睨み返した。面白くねぇんだろが分かりやすい奴だ。
「俺の答えはもう出てるからな」
 ニヤニヤと意地悪く笑うとガライは居心地悪そうにロトに向き直った。
 ロトが緊張して
 ガライは考え込んで
 俺はそんな二人を観察して
 長い、長く感じる沈黙が流れる。
 ロトは寝もしなかったのか少し眠たそうだが、眠れもしないほど考えてたんだろう。どこに行きたいなんて目標はないが、どこへ行けるかも分からないが、それでもどこかへ行きたいと願っている。だから一緒に行く事を選んだんだろう。
 ガライはどうだろうな?
 どこで何をしなくてはならない目標はあっても、目的地の行き方や目的を達する方法を知らないが、それでも目的を果たしたいと願っている。他人を巻き込みたくないと思うほど危険な目的らしいが、こんな生っ白い腕でこなせる程度じゃぁたかが知れてるよな。
 悪くないと、上手くかみ合ってると思うのは俺だけだろうか?
 まぁ、俺は…
「……急ぐ旅ではありませんしね」
 ガライが気弱に笑うとロトの顔がぱぁっと明るくなった!
 どこがどうOKな返答なのかさっぱり分からないが、どうやら旅を続ける事をガライは承諾したようだ。
 後は俺の知ったことではない。ガキ共の青臭い青春の一幕を見るなんて、俺にしてみれば賞味期限切れの牛乳を飲むようなもんだ。つまり腹を壊す。いいんだよ。そんなことは若者同士ですりゃあいいんだよ。
 こんな光景も『凍える事のない所に住みたい』とガキの頃から願っていたからか、気まぐれに拾った孤児共のやり取り以来だな。
 親子ほどの年齢差がある部下であるあいつらが、アッサラームで牢獄から脱走したと噂を聞いた。あいつらには俺の知識や技能を全て授けたから上手くやってる事だろう。もう商人達のルートも海賊達との駆け引きも理解している一人前だ。
 しかしロトもガライもまだまだガキだな。
 『どーするって…』『どうしましょう…』って顔を見合わせて、先のことを考えねぇんだ。こっちが見てらんねぇ。
 ……昔もそんなことがあった気がする。
「そう言えばカンダタさんの答えって何なんですか?」
「てか、お酒臭いよ二人とも」
 そんな事を聞きながら俺はロトとガライの肩を背後から叩いた。
「まぁ、お前らを育てたら考えるさ」
「何ですかそれ!?」
 守ってやる?
 そんなつもりはないさ。
 見てるだけで、何でもかんでもしてやる必要はない。出来ることは自分でさせる。
 種から芽を無理矢理引っ張り出すなんて、誰もできねぇんだからな。