地図

 その地図を見る為には明かりを照らす必要がある。
 あたしは早速レミーラを唱えて光を灯すと、羊皮紙を見つめた。小さい島を中心にぐるりと大陸が取り囲んでいる地図は、今まで持っていたあたしの地図のどこにも乗ってない。
 ガライさんは言った。
「ここが、僕の故郷。アレフガルドです」
 と

 □ ■ □ ■

 その寒さ、尋常じゃないよ。
 あたしは吐く傍から凍り出す息と肌を切るような風を防ぐためフバーハを唱える。真っ暗な暗闇の中では薄く輝く光が煙のように周りを覆うと、ようやく寒さが薄らいだ。全く、ガライさんの忠告通り厚着をするだけしてきたが、意味がないんじゃないの〜?
 真っ暗で星すら見えない月も浮かんでいない空を見上げると、真上から凍るような風が吹き下ろしてきた!
「ぶえっくしょん!…っつくしょう!寒い!ロマリアの冬なんか温く感じちまうほどだ!」
 寒さに強い地方出身のカンダタが悪態をつく。
 先日バラモスとかいう奴の城を漁って見つけた魔人の斧のお陰で荷物が減ったはずなのに、厚着で着膨れてなんだかより大きく見える。カンダタは手袋を外して方位磁石を取り出すと、ガライさんがあたしに渡した地図を覗き込んだ。
「ちくしょう、月だけでも出てりゃぁ方位磁石なんか出さなくても済むんだがなぁ」
 ぶつぶつ言いながらさっき灯したレミーラの光の下で方位磁石の方向を合わせていると、銀の竪琴を袋から出しながらガライさんが笑った。
「どうやらアレフガルドに来た時間が昼だったようですね。夜ならば、星も月も見えるんですが、昼の時間帯は月も星もなくただ真っ暗なんですよ」
 不便でしょうがないよ。
 夜目の利くカンダタならまだしも、鳥目なくらい夜目の利かないあたしはレミーラの光がないと歩くこともできない。かといってカンダタも真っ暗な中にいることに精神的に辛いのか、平然としているガライさんをにらみ付けた。
 あたし達の無言の抗議にガライさんがちょこっと首を竦めた。
「まぁ、暫く滞在すれば馴れますよ。僕もこれが当たり前でしたから…えーっと…ここは何処でしょうね?」
 少し歩いた先にある見渡しのいい崖から、かなりの範囲が臨める。
 漆黒と言う言葉がよく似合う空に、黒い森と灰色の草原、そして白い雪。色を失ったような世界に星のように灯るのは、町の家の明かりだ。家の窓から見える暖炉の火が赤々と心臓のように燃えて光っている。
 ラーミアの背から見た世界とは対極的なモノクロな世界に、フバーハでは防ぎきれない寒さを感じさせる世界。
「ここが…ガライさんの故郷なんだね」
「えぇ」
 ガライさんが硬い表情を崩さず言う。その視線は手前に広がる平野にある城と城下町のさらに奥。海を隔てた島に注がれている。
 真っ白い外観が闇の中にそびえる神殿は、その島の山に突き刺さるようにある。明かりも灯されず、静かで佇む神殿は闇がうごめくように何か嫌な感じを与えてくる。圧迫感…だろうか、何か、いる感じがする。
「ついに、戻ってくる事ができました」
 ガライさんが拳を握りしめて呟く。
「しかし僕は、未だにゾーマさんの言葉の意味を掴みかねています。でも…僕は魔物達の居場所を奪ってなお、この地で暮らしたいとは考えていないのです。僕なりに求めた光が、本当にこの地にもたらせるのでしょうか?」
「難しいこと考えてるんじゃねぇよ」
 あたしが振り返ると肩ごしでカンダタが笑った。
「お前がそう思ってるんなら、そうゾーマって奴に言えば良い。ゾーマって奴とて主張すべき考えがあるだろう、それをふまえて考えりゃあいいのさ。それが話し合いって奴だ。一人で考える必要なんかねぇ」
 ガライさんがはにかむように笑った。
「本当は嬉しいです」
 ガライさんが微笑んで振り返る。
「帰って来れない可能性がとても高いのに、ロトちゃんやカンダタさんが来てくれて。…ハッキリ言って心細いんです。魔物達が協力してくれても、人間の協力者なんか心当たりといえる人は一人しか居ません。二人がいてくれれば、ゾーマさんと話し合える気がするんです」
 ガライさんがぺこりと頭を下げる。
「本当にありがとうございます」
「照れるよ〜。ガライさん」
「話し合いを済ませてから礼を言えよ」
 口々に言葉を返すと、ガライさんは平野の明かりを指差した。
「アレフガルドの首都、ラダトームです。まずはあそこで情報と準備を行いましょう」

 □ ■ □ ■

 アレフガルドの首都ラダトーム。
 あたしが今まで訪れたどの町よりも陰険な印象を受けた。
 そりゃそうだ。
 問答無用で牢屋にぶち込まれたんだから、最悪な印象以外何を感じろってんだ。
「ちくしょう!何なんだ!オイ、ガライ!」
 ぎゃっちゃんがっちゃんと城の地下牢に騒音をまき散らし、怒り狂うカンダタがガライさんをにらみ付ける。あたしだって何がなんだか分からない。
 町の兵士があたし達を認めた瞬間、槍を突き付けて牢屋に連行したのだ。カンダタも魔物でもないただの人間を斧で真っ二つにする訳にもいかず、大人しく斧を明け渡してしまったが良い気分でいる訳がない。
「う〜ん。僕としては何か犯罪を犯した記憶はないんですけどね」
 ガライさんが冷静なのかのんびりなのか腕を組んで考え込む。
 カンダタは呆れて物も言えない感じで鉄格子を背に座る。どんな鍵も開けられる手腕を持つカンダタも、逃げる前に状況を整理することを優先するみたいだ。結構快適な牢屋で調子は悪くないあたしは暇そうなカンダタの話しかけた。
「あたし達、魔物と勘違いされてるのかな?」
「それはないだろ。問答無用で連行なんて真似なんかしねぇで、その場でばっさり殺っちまうからな。…じゃあ、兵士は操られてるって可能性は?」
「あの兵士達に魔法がかかってる気配はなかったわ。第一、あたし達がこの世界に着いたのは半日前。魔法をすぐにかけられるとしても準備する時間が足りないと思うわ。あたし達を確認して、魔法をかける兵士のシフトを確認して、時間帯的に到着する時刻に見張りをする兵士に魔法をかけるのは難しいと思うの」
「じゃあ、誰から恨みを買ったか?」
「ガライさんが?」
 そんなの信じられないわ。
「だが、実際牢屋にぶち込まれちまったからな。兵士を動かすほどの権力者の恨みでも買っちまえば…」
「あ」
 ガライさんが思い出したかのように顔を上げた。
「そういえば一年ほど前にロゼ様を連れ出したな。ラダトームの前までお送りしたから無事に戻られてるはずですが…、そういえばロゼ様もほとぼりが冷めるまでラダトームには近付かない方が良いと言っておられましたね」
「ロゼ様?」
「この城の姫君です」
 …
 ……どう反応すべきなのかしら?
 カンダタがぼりぼりと頭を掻いた。
「もしかしたら『また』ロゼ様がいなくなったのでしょう。彼女は単独で町の外に出てしまうほどの行動的で実力も秀でた方ですからね。僕が連れ出し、引きずりまわしていると思っているかどうかは分かりませんが、去年の事は僕も関与しているので国王陛下のご機嫌を損ねて牢屋に入れたのでしょう」
 あたしはロゼって子の我が儘さに呆れるわ。ガライさんの迷惑くらい考えなさいよ〜。実際、ガライさんだけじゃなく、あたし達まで大迷惑被ってるのよ!
 あたしがふつふつと怒りを滾らせている間に、カンダタが耳打ちする。
「俺達の荷物の場所は分かるか?」
 ん〜。あたしはくるりと目を回すと、考え込む。
 どうやって荷物の場所を割り出すか……か。空間を識別する鷹の目って技術を応用すれば何とかなるかしら?えーと鷹の目は、空間に存在する風の精霊の意識に語りかけ、繋がる事によって遠くを見渡すことができるそうだから…あぁ、なるほど。風と相性のいい盗賊が使える理由はそれか〜。風は好奇心旺盛で素早い人やサバサバした人柄の人と仲良くなりやすいからね。
 って、違う違う。まずはバギの要領で風の力を汲む事から始めた方が良いわね。
 あたしは目を瞑り、風の力を体に呼び込むと瞼の裏に牢屋の風景が写り込む。
 バギの力を解き放つ要領でそっと呼び込んだ風を押し出すと、まぶたの裏の映像があたしの背中を映し出す。
 いい感じだ。
 そのまま映像を動かし階段を見つけると階段へ風の力を送り出す。階段を抜け、木と鉄枠の扉にぶち当たる。
 …どうしよう。風が進まないわ。
 矯めつ眇めつ扉を眺めわずかな隙間を見つけると、そこに風を滑り込ませる。
 意外に精密作業だなぁ。疲れてきたよ。
 兵士の詰め所っぽい所が映り込む。ランプの明かりでオレンジ色に色付く空間に、簡素な椅子とテーブルがあって兵士が一人暇そうに座ってる。
 ふと、モシャスの力を感じる。きっとあたしがセルセトアさんから貰った変化の杖だね。早速杖から漏れる魔力を辿ると、扉の横のあたしでも入れるくらい大きな木の箱の中から感じるみたいだ。
 目を開けて目の前にガライさんとカンダタが映る事に少し安心すると、あたしは少し得意になって笑って見せた。
「…このすぐ上の階の兵士の詰め所にあるわ。そこにある階段を登って木の扉を開けた所のすぐ脇に木の箱があるんだけど、そこからあたしが貰った変化の杖の力を感じるから全員分あると思って間違いないわ。見張りは一人で部屋の真ん中の椅子に座ってるわ」
「よし、ロト、ガライ。ここから脱走するぜ」
 カンダタが不敵な笑みを浮かべると、声を潜める。
「まずは俺が先頭で道を開く。すぐ後ろにガライ、そしてロトが続け。ガライはこの城に多少の土地鑑があるだろうから道案内と、ロトの面倒を頼むぞ。ロトは…後ろから追ってくる追っ手に呪文をかけて後続を断て。追っ手を振り切る呪文選ばねぇが、メダパニでけが人が出るかも知れねぇから、かける呪文はよく考えろよ」
「うん。分かった」
 あたしが頷くとガライさんが乗る気でないように唸った。
「仮にも姫を連れ出した前科がある身。いつまで拘留されるか判らない以上、脱走には賛成です」
 そこで心配そうにカンダタを見る。
「ですがここの兵士はとても強いです。アレフガルドの魔物を倒すほどの力量の持ち主と、戦う事になるかもしれませんよ」
「兵士もいるんだったな。負ける気はしねぇが、目的はあくまで脱走だ。足を止められると囲み込まれる可能性が出る」
 カンダタはそこで言葉を切って少しだけ考え込んで、あたしとガライさんを交互に見た。
「とりあえず、俺が三撃で仕留められない奴に出くわしたら援護だ。手段は問わねぇ」
「分かったわ」
 あたしが頷くとガライさんも神妙に頷いた。
「じゃあ、アバカム!」
 あたしが鉄格子の鍵を外すと、カンダタが音を立てないよう扉を開ける。
 暗闇を忍び足で進み、階段を登ると木の扉の前でカンダタが足を止める。あたし達に目配せすると次の瞬間扉を開け放ち中へ飛び込んだ!
「だ…!」
 『誰だ!』なのか『脱走だ!』なのかすら分からないうちに、カンダタの手刀が首に決まり兵士がばったり倒れ込んだ。
「この箱の中ですか?」
「うん。間違いないよ」
 インパスをかけて中身があたし達の荷物一式だと確認すると早速箱のふたを開ける。
 ガライさんが銀の竪琴を取り出し、荷物を肩にかける。続いてあたしが荷物と変化の杖を持つ。最後にカンダタが魔人の斧を腰に下げ、荷物を肩に下げる。そのままカンダタがこの部屋に立て掛けてあった鉄の槍を手に取ると、あたし達に振り返った。
「これで全部だな」
 カンダタが面白くて仕方がないように、気持ちが抑えられないのかウズウズしながら宣言した。
「さぁ、脱走するぜ!」

 なんか懐かしい。背後から追ってくる兵士の皆様にボミオスやアストロン、ラリホーなどの呪文をかけながら思う。
 カンダタが鉄の槍を振る度ごとに兵士が壁際にぶっ飛ばされていく。その様子にアリアハンで兵士を指南する母親の背中を見ている記憶が鮮明に浮かぶ。
「なんか家が恋しくなるわ」
「…ロトちゃん。何をどう見てそう思うか、僕にはさっぱり分かりませんよ」
 ガライさんが苦笑しながら、あたしから小走りで離れてカンダタの後ろにつく。
「そこを右に曲がると階段があります。そのまま真っ直ぐ進むと正門…出口です」
 カンダタが急ぎ足で頷くと壁にへばりつき、階段がある曲り角をうかがう。
 すっと上がる手を見てカンダタの横に寄ると、カンダタは神妙に囁いた。囁く声すら届くほど周りは静かだ。さっきの五月蝿さが嘘のよう。
「下の階が静かすぎる。ガライ、正門以外の出口はあるか?」
「階段を降りて右手の通路を行くと城の裏口に抜けます。ただ兵士詰め所の横を通らなくてはならないので待ち伏せが予測できます」
「いや、階段の前ですでに待ち伏せてると思った方がいい」
 唾を飲む音がやけに大きく響いた。
 カンダタがあたしの名を呼んで声を潜めた。
「マヌーサって呪文を階下に放てるか?」
「うん」
「とりあえず待ち伏せしてる野郎共をマヌーサで混乱させる。マヌーサを唱えて霧が充満した瞬間を逃さず階下に降りて、裏口を目指す。…いいな?」
 ガライさんがあたしを見ると、安心させる笑みを見せる。
 あたしはカンダタとガライさんに並んで、階段の前までやってくると意識を集中する。下の階を霧でいっぱいにするマヌーサの霧を生み出すための魔力を練り上げ、あたしは重く溜まった霧を吐き出すように呪文を解き放った!
「マヌーサ!」
 ミルクを彷佛とさせる真っ白な霧が爆発的に膨らみ、それがこの階と下の階に流れ込む。
 ざわめきが広がり、悲鳴が混ざりはじめる。
「今だ!走るぞ!」
 カンダタが霧に飛び込んだ!
「ロトちゃん!」
 ガライさんがあたしの手を取って一緒に霧に飛び込んだ。
 霧は光沢質な輝きを伴い、蜃気楼のようにその霧の中にいる誰かの姿を映し出す。右手に這わせた壁をたよりに進むあたし達は、左手に噴水のような水の流れる音を聞き、カンダタが薙ぎ払ってるんだろう兵士の悲鳴を前に聞く。
「慌てるな!脱走者を逃がすな!」
 冷静になった兵士の声が響く!
 っとあたしの腕が誰かに掴まれた!
「きゃ!」
「俺だ。カンダタだ」
 霧の中から生えた腕が霧を押しのけるとカンダタの顔が覗く。あたしと手を繋いでいたガライさんを見ると早口で言う。
「ガライ、お前はロトと一緒に先に行け。俺が殿をつとめ…っ!?」
 あたしの腕を強引に引きずり込み、カンダタはあたしとガライさんを突き飛ばした!霧を矢が打ち抜き、何本かがあたし達の上を霞める。
 低く、小さくカンダタの呻く声が耳に届いた。
「カンダタ!」
「行け、ロト!ガライ!」
 どこか苦しそうなカンダタの声が響く。
「一緒にいかなきゃダメだよ!」
 あたしは霧に向かって叫んだ声は、叫ぶような大声で返ってきた。
「必ず。必ず追い付く!だから…行け!!」
 弾かれたかのようにガライさんが強くあたしの手を引いた。
 カンダタの声が消えたと同時に霧の向こうに刃を交える音が、矢の放たれる音が響く。
 走った。
 ガライさんの手だけを頼りに走って、声や音から遠ざかるのを身が裂かれる想いで走って、誰にも会わない廊下を走って、裏口を走り抜けた!
 ようやく足を止めたガライさんは、あたしと自分に言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫ですよ。カンダタさんは必ず追い付くと言いましたから」

 一日待ってもカンダタは来なかった。
 何の印象もない白紙の地図に初めに刻まれたのは、苦しさと悲しい気持ちだった。