光の玉

 ダーマの北にそびえる人が越える事のできない天への階段ヴェリダヌス山脈を超えると、草原のように森が広がる。森には大きな巨木とイシスのピラミッドのような建築物が転々と朽ちた形で残り、古代文明の名残でもありそうな神秘的な匂いを醸し出していた。
 その空間の中に場違いな空気を放つ城がある。
 この世界のどの城よりも古めかしい造りで所々崩れ、タイルのはがれた床から巨木が生え、崩れている壁を這うようにツタが伸び青々と輝いているのは場に相応だ。しかし呪文が施された壁面や調度品は古くても誰かに磨かれ清潔に保たれ、つぼには澄んだ綺麗な水で満たされている。
 神々しい気配が教会よりも濃厚に漂う空間には、人が生きている空間に通ずる生活感があった。
 人の手が加えられていない世界に、人が暮らしている気配のある城が鋭い剣のように突き出た山にそびえ建っている。
 ラーミアが中庭に優雅に降り立つと、セルセトアさんは周りの景色に馴れきった様子で、あたしは興味津々で、ガライさんはおっかなびっくり、最後に降りたカンダタは胡散臭そうに周りを見ながらラーミアの背を降りる。
 そして真っ先に降りたセルセトアさんが両手を広げて振り返った。
「ようこそ!竜の女王の城へ!」
「竜の女王?竜なんか一匹もいないようだが?」
 カンダタがぐるりと見える範囲で城を見渡す。生き物がいる気配はあるが姿がないそこは、生活感があるだけになんだか無気味だ。しかしセルセトアさんは愉快そうに笑いを堪えると、先を歩きはじめた。
 崩れていない部分でさえ木の根が迫り出し床が凸凹している。崩れた壁を補修するように木々が茂り、城の中なのに森があるような鬱蒼とした空間には湧き水と小川まで見えるところもある。天井がないために窓以外からも光が差し込む廊下を進んでいくと、猫やら犬やら馬やらホビットやエルフや妖精など住民たちと幾度となくすれ違う。皆、人間のあたし達を物珍しそうに眺めて通り過ぎていき、こしょこしょと聞いたことのない言葉で囁き合う。
 だが、なぜかそれらはあたし達が知る物とどこか違う。
「ねぇ、ロトちゃん。何かここの住人は少し違うと思いませんか?」
 流石魔物とお友達になれる暦長いガライさんもあたしと同じ違和感を感じたんだろう。セルセトアさんに聞こえると失礼だからか小声で囁いた。
「あ〜、分かる。口でどこが違うかは説明できないんだけど…なんか違うのよね」
「そりゃそうよ。ここは最も天界に近い場所だからね」
 聞こえないように囁いたのに、しっかりセルセトアさんに聞かれてたらしい。どんな地獄耳持ってるんだろう。
「最も天界に近いが為に、天なる神々に育まれた失われた大地の、精霊や妖精達が最初に降り立った地でもあるの。ここは彼等の直系の子孫達が残っているのよ。だから地上の生物によく似ているけど、何か違うと感じるのは、彼等が失われた大地の精霊や妖精の非常に濃い血を未だに引きずっているからよ」
 セルセトアさんが後ろ歩きになりながら説明していくと、カンダタが首を傾げた。
「お前もそうなのか?」
 ん〜…とセルセトアさんが唸る。
「私って、やっぱり人間になりきれてない?」
「いや、人間にしか見えねぇけどな」
「良かった。私だって人間と対当でありたいからね。人間になりきる事で、人の気持ちを理解するができると思ってるから…って、カンちゃんどうして私がここの住民だって判ったの!?鋭いんだからぁ。…あ、着いた」
 前を向くとひときわ大きい木の扉を開いた。
 城の最上階、天井も柱も所々崩れた箇所を除けば、見渡す限り空しか見えない。
 この世界のどこよりも高い場所にあるんだろう広間には、深紅の天鵞絨に埋まるように純白の卵が慎ましく置かれていた。カンダタでさえ腕を回せない大きい卵。ここが竜の女王の城ならば、この卵が竜の卵であると考えるのが自然だろう。
 セルセトアさんが彼女自身の身長と変わらない卵の横に立つと、にっこり笑った。
「紹介するわ。私の自慢の子供よ」
 …
 ……
 ………え?
 かなり子煩悩な親バカだとあたし達は知っている。セルセトアさんが子供のお土産を欠かさず買ってるのはよく見かけたし、自慢話はほったらかすだけで半日は続く。会話にさり気なく混ぜ込んだ子供自慢の単語なんか星の数ほどあったに違いない。
 しかし
 子供が卵だとは聞いていない。
 あたし達が呆然と食い入るように卵を見ているのがよほど面白かったんだろう。セルセトアさんが苦しそうに体を折って笑いを堪えている。
 涙を浮かべる瞳を拭ってあたし達に向き直ると、厳かに言った。
「自己紹介をするならば、私がこの城の主。竜神の末裔」
 『末裔』という言葉が空の風に溶け込む時には、セルセトアさんはバラモスの城で見せた竜の姿になっていた。
 白銀の翼を広げ、鱗一枚一枚が鏡のように空を映し込み空色の輝きを得る。黄金の瞳は優しさと親しみを宿したセルセトアさんそのままに、漏らした吐息がそのまま雲となり空へ流れ、卵を抱き寄せようと寝そべった姿は頭を視界に映すので精いっぱいで、神秘的な剣のような尾まで収められない。
「ようこそ地上の親しき友よ。そして教えましょう。世界の事、光の事、そして闇の事…」
 そして竜は瞬きをした。
「って威厳ある態度って様になるけど疲れるのよね。やっぱり姿に見合った話し方した方が良いかしら?」
 ぷ
 尊敬するには、威厳が足んないわ。でも、そんなどこまで行ってもセルセトアさんな態度が大好きだな。
 あたしもガライさんもカンダタもそろって首を振ると、竜は嬉しそうに目を細めた。
「さぁ、どーーーんと質問してちょうだい☆」
 あたしはガライさんを見る。
 カンダタもガライさんを見る。
 そう、ガライさんが旅の目的を果たすのに一歩近付く瞬間を見届けるために。
 ガライさんは照れくさそうにあたしとカンダタを見ると、一歩前に出た。深呼吸で息を整え巨大な竜に向かい合う。
 なぜか、緊張する。心臓が胸を震わすほどにバクバクいってる。
「アレフガルドはなぜ神に捨てられたのですか?」
「アレフガルドも最初はほかの大地と変わらない世界だったと聞いているわ。そこは失われた大地が崩壊する際、黒き禍が最初に落ち、地上を突き破りこことは違う場所へ落ちたの。この世界に近く、天界から遠いそこを中心に禍つは広がり分裂し、禍つを追う勇者を追って精霊ルビスもその地へ道を開いた…、けれど禍つは強く、神はその地を放棄する事にしたのだそうよ」
 神話だわ。
 あたしはガライさんの背後でカンダタの耳に囁いた。
「分かった?」
「全然」
「セルセトアさん。『精霊ルビスもその地へ道を開いた』と言いましたけど、アレフガルドに戻る手段はあるんですか?」
「あるわ。けれど、それはラーミアの方が詳しいはずよ」
 『ラーミアを呼ぶ?』と首を傾げたセルセトアさんに、ガライさんは『あと一つ』と言葉を突いた。
「僕は何をするべきなのですか?」
 セルセトアさんは黄金色の瞳を白銀の鱗の瞼で覆い隠し、瞑目した。
 考えを忙しなく巡らす様子に『まだかな』と感じる時間が過ぎて、セルセトアさんは吐息を一つ吐いてあたし達を見下ろした。
「強い陽射しの中では日向と日陰がくっきりと別れるように、闇と光の境界線がくっきりと引かれている。今は、特にそう。曖昧な点が無くなれば無くなるほど、光と闇を行き来することはできなくなる。光も闇も循環が失われ、空気が淀み、やがて世界は崩壊することでしょう。そういった意味では闇に光を投げかけ、闇を薄くする事で世界は循環を取り戻すことができる。詰まる所、ゾーマと呼ばれる方がガライ君に求めている事はこの世界を救って欲しいって事なのよ」
 そこでセルセトアさんは一瞬だけ迷ったように言葉を切った。ガライさんの瞳を覗き込み、窺うように訊いた。
「闇を薄くする力。……欲しい?」
 風の愛撫すら聞き取れる静寂。
 ガライさんは苦しそうに顎に手をあて、視線を巡らせて考え込んだ。
 あたしだったらどうするだろう?
 その力がガライさんの故郷を救うなら、欲しいだろうか?でもそれを手に入れたら、ガライさんの故郷は大きくかわるだろう。
 変わったら
 そこはガライさんの故郷のまま?
 世界を救うってことは、何と対立しなくちゃならないんだろう?
「答えられないなら、答えるな」
 黙っていたカンダタが口を挟んだ。ガライさんが反論しようとした言葉を濁す。
「答えられない質問に無理矢理答えるような中途半端な答えに、俺は賛成しねぇぜ。お前がここまできた理由をよく考えて、考えて、考えて、それから答えればいい」
 そう言って肩を竦める。
「だが、お前がどんな答えを出したとしても責めるつもりはねぇがな」
 ガライさんが戸惑うように皆を見回すと、セルセトアさんが卵を抱き直した。
「私も考える事があるわ。今日はゆっくりして、明日、答えを出しましょう」

 城の客間を借りてあたし達はここに泊まる事になった。
 振舞われた料理も癖のある不思議な味覚の物ばかりだったが、それでも空腹をおいしく満たし、あたし達はふかふかのベッドで眠る事ができる。空気は新鮮で寒々しく感じるほどだったが、ベッドも布団もよく日に干されとても暖かい。
 それでも眠りが浅いのはこの地に空気に溶け込む濃密な魔力のお陰だろう。
 吸い込む度にむせ返りそうになるその空気のおかげで、あたしは歌に気がついた。
 山の遥か上を流れる風は強く速く過ぎ去る中で、急流の中の木の葉のように声は揉まれ翻る。翻る度に声色は風に反響し、木々に染み通り水のように滑らかに落ち、石造りの壁に愛撫して積年の埃を優しく払い落とし、時に涼やかな笛の音に、次に耳を澄ませば豊かな美声に、現せる事のできない不思議な声が太陽の光が降り注ぐように在る。
 世界そのものが楽器になったかのような、永遠に続くだろう音楽に、あたしはついついぼうっとしてしまう。
 優しい女の人の声は、なんだか母さんを思い出させる。そう、子守唄を歌う優しい響き。
 あたしはベッドから身を起こすと、声の方へ向かった。って言っても声がどこから響くかなんか分からない。ただ、セルセトアさんが歌っている気がしたんだ。
 階段を上りきり城の最上階の扉を押すと、ぴたりと歌が止んだ。
 白銀の小山からぬっと頭を覗かせたドラゴンは、金色の瞳を和ませた。
「起こしちゃったかしら?」
「ううん。眠れなかっただけ」
 あたしがそう答えるとセルセトアさんは子供の隣にあたしを招いた。
 真っ白いすべすべな卵は少し暖かい。
「もうじき生まれるのよ」
 セルセトアさんは嬉しそうに卵の表面をなぞった。
「私達は竜神の子孫だけど、天に君臨する事はできないの。人々と同じ大地に暮らしているのは、身分が低い証。天から見下ろす神々にしてみれば、私達は神の出来損ないなのよ。神と変わらぬ力を持っているのに、本当のすべての者の父にとって光も闇も神も人間ですら平等であるはずなのにね…」
 その瞳に深い憂いがある。しかしその憂いに勝る何かが光になって爛々と輝いている。
「もし、この子が独りになってしまったら、誰の加護も得られない。完璧を好む神々が、出来損ないの神の子供の面倒なんか見てくれるはずなんかあり得ないもの。この子が一人になる時、この子は竜神の末裔である事も知らず、何者にも縛られる事なく、守護者故に負うべき責任も背負うことのない、自由な存在になる」
 あたしはその時初めてセルセトアさんの瞳に宿る光が、狂気のように狂おしいものだと知った。
「私の死をもってこの子を運命から解き放つ」
 電気のような何かが突き抜けた。頭で理解するよりも早く、口が動く。
「駄目だよ!自分の子供を一人にしちゃうの!?それこそ、守ってあげなきゃ!」
 あたしは今まで一人じゃなかった。だから声を大きく張り上げてセルセトアさんの言葉を否定した!
 覚えてないけど父さんがいて、荒っぽいけど優しい母さんがいて、一緒に旅してくれるガライさんやカンダタがいた。どれもこれも一人じゃできない。守ってくれたから、一緒にいてくれたからここまで来れたんだ。だから、一人ってのがとても恐いことに感じる。
「セルセトアさんはあんなに子供の事考えてたじゃない!これからを考えて!今、セルセトアさんがいなくなったら、この子は死んじゃうかもしれないのよ!?」
 喉が焼ける。必要以上に声を荒げたからだ。
 そんなあたしにセルセトアさんは巨大な鱗が覆う頬を寄せた。
「優しいね。ロトちゃん」
 あたしの腕を牙で傷つけないように小さく呟く。
「でも、この子は強い子なの。卵越しに天上界でぐうたらしてる神々にも勝る、強い力と魂を感じるのよ。この子なら竜神の末裔の運命を変える事ができる、運命の鎖を解き放ち自由になることができる、この子はこの子の子孫を決して不幸にはさせない」
 あたしが卵を見ていると『親ばかね』と声が届いた。
「自分の子供の事しか考えてないみたいだけど、私の命をガライ君の求める闇を薄める力に換える事ができるのよ」
 セルセトアさんが身を起こした。
「光と闇とその挟間に生きる者の為に生きて……、そして死なねばならない」
 天上の月に接吻する白金の竜は、その逆らえない運命に静かに黄金の瞳を濡らした。
「それが、竜神の末裔の運命なの」

 □ ■ □ ■

 横を歩くガライさんが銀の竪琴を持ち直しながら道を歩く。
 あたし達はラダトームから東を目指し、山奥にあるマイラという町を目指していた。
「ほら、ラダトームで話したロゼ様って方がいたでしょう?彼女は妖精とかなり親しい間柄なので、城を抜け出しては妖精の里に近いマイラへ通っていたのです。ラダトームでは何の情報も集められませんでしたが、ロゼ様にお会いする事ができれば、人間の状況がどうなっているのか、妖精がゾーマさんについて何か知っているかお聞きしようと思うのです」
 そこでガライさんが寂しそうに俯いた。
「ラダトームの兵士の手荒な仕打ちを考えると、きっと何かが起きようとしているんだと思うのです。もし、魔物達と人間が本当に戦う事になったら…戦争になったら…アレフガルドの人々の中に残っている光すらロウソクの火を消すかの如く消える事でしょう。そうなる前にゾーマさんと話さなくてはなりません」
 ガライさんはあたしの顔を見て笑った。
「こんな非力な吟遊詩人が世界を救おうだなんて笑っちゃいますか?」
 あたしは首を横に振った。
「ガライさんが救おうって決めたんだもの。凄く、良いと思うよ」
 あたしは鞄をぐっと抱きしめた。
「セルセトアさんも、ラーミアも、カンダタも応援してくれてる。だから、あたしもがんばるよ」
 その鞄の中にセルセトアさんの命と、6つのオーブが入っている。
 闇を切り裂き照らす光となるのかは分からない。
 でも、今は確かにあたしの腕の中にある。