主無き神殿

 見上げる程の高さの塔は雲を突抜けそうな程に高く聳え立っていて、私は反り返りながら塔を見上げていました。
 アユルダーマ大陸の北東に位置するダーマの塔は、この大陸の象徴でありダーマの神殿より古から神々と賢者が対話したという由緒正しい塔です。白亜の建材は周囲に吹き荒れる潮風にすら影響を受けないと言いたげに新品のような側面を日差しの中に示し、ぴったりと隙間無く1つの筒の様に遥か上まで続く有様はどんな技術が使われているのか全く分かりません。目を細め霞むような上部に、テラスのような突起や窓が見えるだけです。長い歴史、盗賊一人入れなかった塔は、私達のように疚しい心なく用事を携えた存在すらも弾くのでした。
 上から下に視線を戻すと、唯一の入り口らしき扉の彫刻の前に女性が一人立っています。そんな彼女は大きく手を振って私に満面の笑みを向けるのです。
「はぁい、あたしの天使ちゃん!」
 私は少し渋い顔をして彼女の前に歩み寄りましたが、少し間を空けて立ち止まりました。隣に並んで顔を見ようとすると首が疲れてしまう程、私が会った人々の中では最も背が高いだろう女性だからです。彼女の名前はヴィータさん。白髪のさらさらした髪を短く切りそろえ、整った顔立ちにケネスさんよりも深い深紅の瞳が印象的な女性です。肌の色はとても白く髪と同化しそうな程ですが、健康的な赤みの差した頬と艶っぽい唇が色香を醸し出しているようです。すらりとした体格で体のラインを強調するような露出した服装です。真下から見上げると胸で顔が見えないかもしれません。
「私はアインツです。恐れ多いので天使様と呼ばないでください」
「細かい事は言いっこ無し! ほら、妖精ちゃんも可愛い顔が膨れっ面で台無しよ!」
 笑いながらぱたぱたと手を振る先は、私ではなく私の背後で疑わし気に彼女を見ているサンディに向けられているのです。ヴィータさんは不思議な事にサンディを見る事が出来る人間なのです。しかし声を掛けられればサンディはさっと私の背後に隠れて『怪しいんですケドッ!』と呟いているのでした。
 サンディも勿論、名前を呼ばれることはありません。
「恥ずかしがり屋さんなのね」
 多分、違います。
 それでも私達の反応に関心も無いのか、ヴィータさんは目の前の彫刻に手を掛けて言いました。
「これがダーマの本神殿と呼ばれる塔の入り口。見た通り彫刻なので開けるなんて無理て感じなんだけど、実はコレは魔法仕掛けなのよね。塔を一周して壁を入念に調べてみたけど、やっぱり魔法の気配はここが一番強い。天使ちゃんはこの扉を開ける謎が解けちゃうかしら?」
 私はもう修正するのに疲れて、ヴィータさんの隣に並んで石像を見上げました。
 太陽と月に深々と会釈する双子の守護天使の彫刻です。守護天使は本と剣をそれぞれに持ち、しっかりと眼をあげて足元を見ています。ちょんちょんと彫刻を触っても、特に何の変哲もない飾りに見えます。
 その様子にヴィータさんが嬉しそうに言いました。
「目の付け所が良いわぁ! でもそれだけじゃあ扉は開かないの」
 そう言うと、ヴィータさんは彫刻の視線の先を指差しました。天使達の彫刻の間、太陽と月を正面にして立つ一の足場。石畳の隙間に覗き込まねば見えない、巧妙に隠された隙間があります。しっかりと頭を下げて覗き込めば、太陽のような赤い輝石と月に例えられそうな真珠が嵌め込まれています。でも、指も入り込めない隙間では取り出す事は難しそうです。
「この輝石と彫刻に着目してみましょうね、天使ちゃん」
 そう言うとヴィータさんは壁を前にして立つ。そしてお辞儀をする様にして輝石を覗き込んだ。そして再び壁を見つめて歩き出すとそのまま壁に吸い込まれて消えてしまったのです!
『……!?』
 その様子を私もサンディも目を真ん丸くして見ています。ヴィータさんが吸い込まれた壁を押したり叩いてみても、返って来るのは壁の感触だけです。『なになに、どーなってんの!?』と耳元に怒鳴りつけるサンディから距離を取ると、彼女は相変わらず興奮した口調で続けました。
『アインツ! アイツちょーアヤシイんですケド! 本気で一緒に行くつもりなの!?』
 サンディが見えてる私は怪しく無いんですか? 項垂れたくなる私ですが、確かにヴィータさんが怪しいのは頷けるのです。
 ダーマの神殿に私用があって訊ねた時には既に、転職の全てを司るダーマの大神官が不在であり捜索が掛けられている時でした。まだ、不在が確認されて半日も経っていない状況であり、神殿内やその周辺を捜索するに留まっていましたが大騒ぎであったのです。そんな騒ぎの中で私達は、旅人が献上した黄金の果実を大神官が食べたという話を聞きます。黄金色の果実なんてこの世界には存在しない。そんな事を考えている時に話しかけて来たのが、ヴィータさんだったのです。
 宝の地図と呼ばれる古の羊皮紙に記された場所や、口伝や伝承を元に古代の遺産を捜索する冒険家と自称していました。その言葉は偽りではなさそうで、とても旅慣れている様子でしたし、腰に結わえた鞭や短剣は使い込まれている様です。
 彼女は私達に持ちかけたのです。大神官を追って、黄金の果実を手に入れてみないか…と。
 もう食べてしまったのだから追いかけたって手に入りませんよ、私がそう答えればヴィータさんはにやりと笑って言ったのです。果実は一つの木に複数生っている物だから、世界中を探せばまだある筈だ。しかも大神官がその果実を食べたのなら、果実が毒なのか美味しいだけなのか凄い力を与えてくれる物なのか分かるじゃない。そう、嬉しそうに言ったのです。
 そう、怪しいのです。
 その話を何故私に振って来たのかとか、どうして大神官を実験台にするような事を嬉しそうに言うのかとか、私はその人が一緒に居たい人種だとは到底思えなかったのです。サンディにすらアヤシイと言われるのでは、きっと相当怪しい人なのでしょう。
「でも、行かないとダーマの大神官がなにされるか分かりませんよ?」
『そ…そりゃそーね』
 下手をしたら凄くお腹が痛くなって苦しい思いをしてるのを、観察してるだけで手を差し伸べないかもしれないし…。実は蘇生呪文が使えて、縦に二分割 横に四分割にして調べ尽くした後蘇生してお帰り頂くなんて事もしそうじゃないですか。そう思うと、現実味が増して来てしまうのです。サンディも今までのヴィータさんの様子から私の言いたい事について想像ができたのか、引き攣った笑みを浮かべながら同意してくれます。
「それにもしあの人が危険な人だったとしたら、一緒に居た方が安全です。先に行かせて何か罠でも仕掛けられたら避け様がありません。サンディだって見えているんですから逃がしてなんてくれませんよ?」
『うぅ。凄い説得力だわ』
 今までは他人に見えないからやりたい放題だったサンディでしたが、見えていて油断出来ないだけにヴィータさんへの警戒心は強くて疲れているようです。このままお客さんの痴情や愛の囁き合いを覗きに行かないくらいまで、懲りてくれると良いんですけどね。
 サンディが腕を組んでふわりと浮かび上がると、蝶のような妖精の羽から七色の鱗粉が香りの様に漂って溶ける。その顔は仕方がないと言いたげです。
「とにかく、後を追いましょう」
『できんの?』
 ………。がんばります。
 私は先ほどヴィータさんが立っていた場所に立つと、守護天使達がするように深々と辞儀をする様に下を向きました。先程見た石畳の凹みには、陽光の光を反射して透明な光を放つ輝石がちょうど見える位置にあったのです。その後に私は顔を上げて驚きます。
 彫刻だった守護天使は、町で見かけるような像になって居たからです。塔の主に首を垂れる守護天使の像の間には人が一人通れる程の空間が開いていて、私は急いで駆け込みました。先を進めば明るい聖堂の様な広間の真ん中で、私を嬉しそうに出迎えるヴィータさんの姿がありました。
「扉の問題は天使ちゃんが満点ね。でも妖精ちゃんには難しかったかしらね」
 慌てて背後を振り返りましたが、そこには外と同じく壁と床に輝石が嵌め込まれているだけでサンディが来る様子は見られません。すると天井に近い窓からサンディが入って来て、飛びながら私の所に来ました。吃驚したんだからと怒った様子のサンディと、宥めようとする私を見てヴィータさんはにこにこと笑います。
「二人共、仲が良いのね。迷子にならないよう、お姉さんに付いて来るのよ」
 何か言いかけたサンディの口を、私は思いっきり塞いだのでした。このような人は怒らすと凄く怖いのです。
 ダーマの神殿よりも造りや彫刻は皆古風な物でしたが、塵一つなく床は磨かれて自分が映り込む程です。生活感や生物の居る気配が全く感じられない程に清められた空間を、私達は高い靴の音を響かせながら歩いて行きます。ヴィータさんはその長身に更にハイヒールを履いているので、まるで鉄琴を叩いているかのような高い音を立てるのです。
 神々しい像が抱える巨大な石盤には、転職へ贈る希望と警告の言葉が刻まれています。それを見上げていたヴィータさんに私は声を掛けました。
「黄金の果実を大神官様に贈ったのはヴィータさんなのではありませんか?」
 私を見た深紅の瞳には特に感情を帯びず、再び前を見て歩き出しました。
「違うわ。大神官に果実を献上したのは、神殿の言う通り旅人よ。僧侶だったわ」
 その言葉は淡々としていましたが、私は彼女の口元が笑っているのを見たのです。まるで可笑しいのを堪えている様です。
「拾った人間が魔法使いであったら、その果実が帯びている魔力の強さに魅了されてしまっていたかもしれないわね。盗賊や商人でなくとも金銭に関して執着がある人間だったら、その絢爛豪華で普通の黄金よりも美しい輝きに売ろうと考えたでしょうね。拾った人間が信心深い僧侶だったから、大神官の手に渡ったのよ。何故だか分かるかしら? 天使ちゃん?」
 問いかけに私を見て来たヴィータさんだったが、私は顔を横に振る事しか出来なかった。
「金細工にしては柔らかく、香りは熟れた果物よりも甘く、色艶は本物の黄金に勝っていた。そんな果実を手にした時の僧侶にあったのは恐怖よ。明らかに人間の所業で生る果実ではなかったという事は、非道な実験の成果であったり、悪魔の関わった品であるかもしれない。でも、本当に神が召し上がる果実であるかもしれない畏敬の念もあったの。だからダーマの神殿に訪れ大神官に献上したのよ」
 そこでヴィータさんはついに笑った。大声は高く吹き抜けた塔の中を震わす程に響き渡る。
「僧侶の期待は何処へやら! 大神官様は食べちゃったけどね!」
 背の高い彼女は顔を上げて笑っていて表情が見えません。愉快そうな響きだったけれど、複雑な思いがあるようで本当に愉快そうに笑っているように思えませんでした。ヴィータさんは大神官さんが心配なんでしょうか? 訊ねるには不確か過ぎて、私は少しだけ首を傾げたのです。
 大神官さんの話はそれで終わりだったんでしょう。それから他愛のない話がぽつぽつあるだけで、周囲の風景ばかりに目が行ってしまいます。
 外から見た塔よりも遥かに広い空間の壁は遠く、城が丸々入ってしまう錯覚を覚えます。乱立する柱と熱心に祈っている群衆の石像達を見下ろし、天から砂の様に落ちる雫を何度も見送って、私達は上へ上へ登って行きます。窓辺に差し掛かると外は既に暗くなっているのか、小さな星が幾つか見えました。
 丸一日登っている感覚があるのに疲労が感じられないのでしょう。サンディですら文句を言わないのを不思議に思う頃になって、先を行くヴィータさんが私を招きました。
「お疲れ様! 終点よ!」
 彼女の言葉の通りそこは終点であるらしく、等間隔で立つ柱の上には屋根がありません。輝く星達ですら足下に見下ろせる程の高みに居るのか、夜の闇に灯る人の営みすら見る事が出来ません。一段高くなった場所の上に、一つ、光り輝く扉がありました。立派な竜の彫刻がされた把手付きの扉でしたが、それだけでその後ろには建物はありません。
『なにこれ。扉だけなんですけど?』
 サンディが扉の後ろに回り込んで、ひょっこりと私の顔を見ました。把手以外の場所は突き抜けるのか、にょきにょきとサンディの色黒い腕が生えたりします。
「この場所だけでも天界に近いんだけどね、この扉はダーマ神の家の玄関みたいな物よ。おっじゃましまーす!」
『ちょ…! それ、神様んちの玄関に入る挨拶っ!?』
 サンディ、そのツッコミ痛い程分かります。
 思いも寄らぬ程に素早いヴィータさんが躊躇いもなく扉を開け放ち、神々しさを感じる暇も吹き飛びます。
 私も慌ててヴィータさんを追いかけて扉を潜ると、そこには何もありません。只管に暗い空間に一条の光が差し込んでいる様で、光の中心には老人といえる年齢の男性が立って上を見上げていました。ダーマで見かけた神官より華美には感じませんが、刺繍が細かかったり布地の質が良さそうな感じがします。彼はぶつぶつと独り言を呟き光を見上げていました。
「私は今まで多くの人間を導いてきました。彼等に良い職業を、彼等に良い人生を、私はそう願い心の底に留めながら助言と指導を繰り返してきました。ダーマ神。私はただ只管に、人々により良い道を選択させたいと思っているの。私はより良い導き手となりたい」
 入って来た私達の事に気が付いていないのでしょう。男性は祈る様に喋り続けます。
『あの人が大神官ってエライ人なのかな?』
「そのようですね。金色の果物だなんてどう考えても体に良くなさそうな物食べた割には、腹痛の症状もなさそうで安心しました」
 サンディが何か言いた気に私を見ましたが、心当たりが無く首を傾げて見返します。その合間にも、男性の独り言は続くのです。
「私が導いた物達が全て良い道を辿ったとは言い難い。ある者は命を奪い殺す立場になり、ある者は他者を苦しめる存在にもなった。私が示した道を踏み外すから…」
 彼から悪意が滲み出す。
 そう思った瞬間、彼の体から黒い霞のようなものが溢れ出す。黒いだけで形の無かったそれは、徐々に男性の体にまとわりつき人ではない何かを形作って行く。体が鈍い音を立てて大きくなり、巨大な蛇を思わせる尻尾のような物が地面に垂れる。鱗も見えないのっぺりとした光沢のある皮膚が覆い、鋭い槍の様な角が体の所々から生えるのです。大神官さんは、腹痛どころか人間じゃなくなる症状に陥ってる様に見えます。
 これは連れて帰れそうな気がしません。
「力が溢れる…そうか、この力で人々を導けば全て上手く行く。愚かなる人間達が私の命に従えば…」
 とても愉快そうに肩を震わし笑う背中があります。どうやら彼は今の彼自身の状態に悦っているらしく、さっきから居る私達に気が付かない様子でした。サンディは呆然とし、ヴィータさんは見世物小屋で最も珍しい見せ物を見る様に目を輝かせています。
「先ずは我が名を決めなければな。人間共がその名を聞いただけで恐れ戦くような名前を……。さも邪悪そうな、人間達の前に立ちはだかる…そしてダーマの大神官であったという経歴も織り交ぜておけば覚え易かろう。アク…ワルダーマ……うーむ安直じゃな。邪…じゃま…ダーマ…」
『必死で名前考え出したんですけど』
 可笑しそうに言うサンディの口に、ヴィータさんが人差し指を当てる。
「駄目よ、妖精ちゃん。ここは黙って見てる方が面白い所なんだから、突っ込んだりして妨害しちゃ…だ・め」
 まるで絶世の美女を一服の絵に納めたような、素晴らしい笑顔でヴィータさんは元大神官さんの背中を生暖かく見守っている。私の隣では元大神官さんの独り言を、力一杯口に当てる事で笑いを堪えるサンディの姿が見えます。
 私には良く分かりませんが、元大神官さんの考える名前はどれも合理的ではない気がします。アクダーマなんてセントシュタインの人々が聞いたら、悪玉コレステロールの略称かと思うと思いますけど?
 元大神官さんの名前の候補が20を越えた辺りで気に入った名前が出て来たのでしょう。彼の背中は嬉しそうに伸び、尻尾が傑作と言いたげな手の動きで床を叩きました。
「ジャダーマ…!ふむ、人間達が震え上がりそうな名前だ!!」
 その名前が空間に響いた瞬間、サンディとヴィータさんが笑い転げた! その笑い声はこの空間に響き渡る程に大きかったのです。
『邪魔だぁ!? ヤッバッ! そのセンスヤバ過ぎ!!』
「駄洒落で人間が恐れ戦くと思うなんて、良い傲慢っぷりねー!! お腹痛いわーっ!」
 二人して腹を抱えて、手足を加減無しで床に叩き付けるのです。目に涙を溜めて、笑い過ぎて噎せている姿もたまに見かけます。
 そんな様子を小刻みに震えながら、元大神官さんが見ています。何時から居たんだろうとか、最初から聞いていたのかとか恥ずかしい気持ちと怒りの感情がごちゃ混ぜになった顔です。きっと元大神官さんは自分が必死に考えた名前が笑われてて、いい気分じゃないんですよね。怒ってるみたいだから、真面目に答えてあげれば良いと思います。
「えっと…」
 少し考えた後、私は元大神官さんの全く人間には見えない顔を見上げました。
「邪魔ってことは、転職を司らないんですよね。ダーマに拘らなくても良かったんじゃないですか?」
『その質問、超心抉ってるっ! もうマジヤバいんですけど!』
「天使ちゃん、そこ尋ねちゃうの!? もう、傑作! 腹筋がイカレちゃうわ!」
 笑い声が大きくなるのと、元大神官さんの怒りが大きくなるのはほぼ同時。火に油を注ぐ事態になったのは分かるのですが、そんな失礼な事言っちゃったんでしょうか?
 首を傾げる私に何かを言おうとした元大神官さんですが、ヴィータさんが振りかざした鞭の音に阻まれます。私と元大神官さんの間に悠然と立ちはだかると、妖艶な笑みを浮かべて鞭を悩まし気に体に絡めてヴィータさんは言い放ちました。
「貴方、何か言うとこっちが笑い死にそうになるから、もう何も言わなくていいわ。5分後には私の前に平伏して許しを請う事になるまで発言禁止ね!」
 その自信溢れた発言からきっかり5分後、元大新官さんは大神官として生きる事をダーマ神に誓わされるのであった。