日溜まりの村

「ケネスさん、どうして人形に魂が宿るんですか?」
 質問を投げかけた赤髪の後頭部を、無骨な褐色の肌の手がガリガリと掻き回しました。ケネスさんは項垂れたようで少し頭を下げると、モクモクと煙を噴かして呟いているようです。またアインツのどうしてが始まった、とか。俺は狩猟で飯食ってる奴の感覚は解んねぇっつーの、とか。なんでこうなっちゃうんだよ、とか。答えを催促すると怒られそうなので、私は黙り込みました。
 何時もならサンディが居て私の話相手になってくれるのですが、生憎、用事があるとの事で今回は一緒ではありません。ですけど、今回は一緒でなくて正解だったかもしれません。ルディアノの毒の沼地が広がる大地も酷かったですが、このカズチィチィ山地方も酷いものです。
 四方を高い山々に囲まれた盆地になっている地域で、その広範囲が毒の沼によって汚染されていました。盆地の為にルディアノよりも空気の澱みが酷く、目的地のカズチャ村跡に続く旧街道を行く事は諦めました。毒を含んだ霧は空気よりも重く淀むので、空気が薄くも無く毒の影響も少ない山の中腹を伝って行く事になりました。あまり緑が多く無い山の関係で、食料等の荷物は私が経験した中で最も重量がある装備です。
「他人の信仰は解らねぇもんなんだよ」
 そうなんですか。私はケネスさんの機嫌が悪そうな様子を感じて、心の中で相槌を打ちました。ケネスさんも私が返事をしなかった事に怒りを感じる事はなく、赤い瞳を細めただけで無言で先を行きます。鋭い北からの山風に遮る物がなく、容赦なく体温が奪われていきます。
 話すのも辛いのかもしれない、そう結論付けて私も黙々とケネスさんの後ろを付いて行きます。
 私は荷物の一番手前から顔を覗かせる人形の少女を見遣りました。粗い手縫いでお世辞にも良い出来とは言えませんでしたが、差し目の位置や縫い付けた口の形の刺繍の角度はとても愛らしく感じます。人形が発見されたのは宿屋の3階で物置になっていた大部屋の片付けをしている時でした。部屋の様々な物と共に埃を被っている人形は、染みや解れが酷く捨ててしまおうかとルイーダさんとリッカが話していました。
 その人形は捨てない方が良い。
 ケネスさんが鋭く言って止めたのです。
 埃を払って見えた布地の模様がカルバド地方の遊牧民が織る布なのだと、ケネスさんは言いました。そんな話を聞いた私達は、あまり知らないカルバドの布をしげしげを見つめました。捨てるなと言われれば汚いままでは良く無いので、私はその人形を丁寧に洗って染み抜きして解れた部分を繕っていました。驚いた事に布地は思った以上に頑丈で、放置されていたというのにちょっとの手直しで見違えるように綺麗になりました。
 その人形を部屋に置くようになって、私はその人形が気になるようになりました。少女の人形よりももっと年齢を重ねた女性が、座っているような気がして来るのです。だからって人形から凄い嫌な感じがするとかそんな事は無いのです。なんか、寂しそうな、切なそうな、人形に愛着が湧く程そんな気持ちになって来るのです。
 私がその事をリッカやルイーダさんに話していると、ケネスさんはやっぱりなぁと言うのでした。
 カルバドは草原が地平線の彼方まで続くと錯覚する程の広大な草原地帯を、羊や牛を引き連れ移動する放牧の民の事を言います。厳密には彼等が信仰している大いなる者の名前らしいのですが、都会に住む人々は良く知りません。ですが、彼等の馬は足が短いが非常に粘りがあり速度も速いのです。馬の扱いは世界屈指と称され、狩猟の巧みさから弓術は右に出る者は無いと知られています。そんなカルバド地方は都会から遠く、海に面している地域は広大なヤハーン湿地であり港町が設立出来ません。その為に彼等の文化は古から存続し守られていてるのです。
 その文化の一つが彼等の信仰。
 彼等は死後、魂が草原に吹き渡る風に帰るとされています。その為、墓を作る事はなく、魂を留める人形の制作を禁止しているのです。
 ケネスさんがその人形を見た時、もしその人形がカルバドの民の信仰に背いて作られたものならば魂が宿っているかもしれないと思ったそうです。ですけど、確証もないしとにかく捨てる事を保留にさせたかったと言いました。もし民芸品感覚で都会の人間が作ったなら、ただの人形として捨てても良かったのです。
 しかし、私が人形から何かを感じるのであれば、カルバドの信仰の通りなら魂なのだろうと続けました。魂は元の場所に帰すべきだし、信仰に背いた産物とはいえ信仰の中で処理するべきなのだと言いました。そうして私達はカルバドの民の元へやってきたのでした。
「早く、帰れると良いですね」
 指先で人形の頬をそっと撫でると、人形からは複雑な想いが感じられます。宿屋の自室で人形の気配を感じるようになってから、日に日に人形の感情が感じられるようになりました。カルバドの集落に着いた時の懐かしそうな感情、族長のラボルチュさんやその息子ナムジンさんを見た時は喜びに溢れていました。その事を口にすると、ケネスさん曰くそれは私の感覚が鋭いからだとの事です。
「見えてきたぞ」
 ケネスさんが呟いて静かに前方の谷を指差しました。
「あそこがカズチャ村跡だろう」
 族長が言ったのです。その人形はカズチャ村跡にて弔ってやって欲しいと…。

 ■ □ ■ □

 毒の沼からぼこぼこと沸き立つ瘴気の霧を抜け、谷の奥に続く道に沿って進めば朽ちた木製の門が一つ。カルバドの民が着る衣装の布地の文様が複雑に彫り込まれ染められた門は、まるで魔法陣のようです。その門を静かにケネスさんが押すと、腐った蝶番が音もなく粉砕して門が奥に倒れました。倒れた拍子に門も砕け、大きな破片になって地面に転がってしまったのでした。
「村が滅んだのは、随分と昔だったようだな」
 ケネスさんは顔を顰め、険しい顔のまま村に入っていきます。私もその直ぐ後に続きます。
 村は断崖絶壁にへばりつくように作られた村で、カルバドの集落に似たテントが一つ建つ程度の広さの平地に作られています。しかし、カルバドの集落とは違うのは、滅びて随分と経っても朽ちない程の堅牢な柱を用いていた事です。ケネスさんはカズチャ村がカルバドの民の中で、遊牧を行わず定住している一族だったんだろうと話しました。
「移動しなかったという事は、移動しないに値する価値がこの村にあったという事だろう」
 触れただけで崩れざるテントの生地の奥には、住人達がここで生活した証が残っていました。沢山の家財道具や食料を備蓄する為の壷や樽、カルバドには殆ど無かった箪笥や竃までありました。しかし、いくら探しても、住人達、つまり遺骨一つ見つからないのでした。
 吊り橋は一際丈夫な縄と木で出来ていたのでしょう。崖の合間を縫うように作られた橋をいくつも渡り、時折僅かに吹き込む冷たく乾いた風が魔除けらしい青に染め抜かれ白い糸とで縫い合わせた文様の布を揺らしました。石垣の上に無造作に転がった子供の玩具、戦いの痕跡なのか地面に刺さったまま朽ちた剣、この村で何が起きたのか考えるだけで悪い方向しか浮かばないのです。
 そんな村の最も奥まった所に辿り着くと、この村では感じる事の無かった匂いがありました。この乾燥した山風と、盆地に満ちた毒からは非常に遠い香り。それは緑の匂いでした。
 緑の匂いがする洞窟を2人して覗き込めば、僅かに水の流れが聞こえます。ケネスさんが魔物の住処かもしれないと警戒してか、カルバドの民から借りた鉄の斧を手に持つと慎重に進み出しました。少し進んで怪訝そうに立ち止まります。本人は何故立ち止まっているのか判らないかもしれませんが、私はその理由が判りました。
『異人だ! 真っ赤な髪の異人さんだ!』
『すっごい斧! カッコイイ!!』
 子供達がケネスさんの足下に戯れ付いているんです。ですけどその子供達は透けていて魂だけの状態です。ケネスさんには本当は見えないはずなのですが、きっと勘がいいので何かが居る事を察してしまっているのでしょう。
 ケネスさんが首を傾げながら進む後を付いて行こうとする子供達を私が嗜めます。唇を尖らせながら去って行く後ろ姿の先には、母親らしき女性の魂が居ます。いいえ、ケネスさんが進む先。奥にはもっと沢山の魂がいるのです。ケネスさんは増々その魂達を気にしてしまい、ついには参ってしまったように足を止めて振り向きました。警戒するあまり、じっとりと汗までかいています。
「何だか知らんが凄まじい密度だな」
「悪い者の気配ではありませんよ」
 私がそう答えると、ケネスさんも渋々頷くのでした。そしてぎょっとしたように身体を強張らせました。
 大事に仕舞い込んでいた女の子の人形から、澄んだ水の底から太陽を見上げたような光が溢れ出しました。翅よりも軽く音もなく、若い女性が私の目の前に立ちました。女の子の人形に少しだけ似ている愛らしい丸い頬、真っ直ぐな艶やかな髪、魂の状態でも活気が感じられるような自信と威厳に満ちた女性です。女性は私に笑いかけ、ケネスさんの横を通って奥に進んでいきます。彼女を待ちわびた人々が歓声を挙げて迎えています。おかえり、おかえり、そんな声が洞窟内に響き渡ります。
 ケネスさんはぼんやりと女性を見送っていましたが、大きな溜息を一つ零して肩を落としました。私はその一連の反応に、ついにある質問を投げかけようと思いました。
「もしかしてケネスさんって、幽霊とか駄目なんですか?」
「お前なぁ……」
 ケネスさんは呆れた様子でそう呟きます。そのままの姿勢で独り言のように続けます。
「気配は感じるが見えないのって、なかなか怖いぞ」
「すみません。そういうの疎くって…」
 私は魂も生前の姿として捉える事が出来ます。それは空中を漂う青白い火の玉のような人魂が見える人には、森の中で人を見かけるよりも怖いもの。気配はあれど見えないというのは、無数の透明人間に囲まれているようなものなのでしょう。ケネスさんは何でも無い様に見えるから、全然気が付いてあげられませんでした。
 私が軽く頭を下げると、ケネスさんは小さく笑います。下げられた私の頭をぽんぽん触れて上げさせます。
「気にするな。臆病というより、理解が出来ないという意味での怖さだ。恥ずかしかねーよ」
 行くぞ。短くそう促すと、ケネスさんは魂達の多く居る通路を進み始めました。噎せ返る程の湿気に、洞窟内は多くの苔と水溜まりがあり滑り易くなっています。どうやらこの洞窟は宗教的な意味合いもあるらしく、壁画や朽ちかけた祭具等が所々に見受けられます。
 魂達の数も増えていて、元々この村に住んでいただろう人よりも人数が多いです。彼等は口々に言います。魔物達がこの村を襲撃した事はとても小さく顰められ、子供達の中には死んだ事すら理解していない子もいるようです。奥にはカルバドの民が神から授かりし聖なる草があり、カズチャ村はその草を守る為に存在した事。数十年前、病弱でも美しい女性が他の一族の元に嫁いだ事。その女性が人形に宿っていた人であった事。
「行き止まりのようだな」
 ケネスさんが足を止めました。
 そこは小さな地底湖で、頭上の岩盤に生じた亀裂が僅かな太陽の光を湖に注ぎ込んでいました。神聖な場所だろう厳かな空気に満ちているそこには、人工的なものは何一つありません。天から注ぐ僅かな光を受け取るように小さな島があり、水晶のような透明な玉を実らせた草が茂っています。ケネスさんがざぶざぶと湖の中を進むので、私も腿まで浸かりながら続きました。
「この村が守っていたものだろうな」
 島に上がったケネスさんは、地底湖全体を見回しながら言いました。
 その横で私は島の上に茂っている草を見ていました。水晶の玉のようなそれは、中に色の付いた玉を含んでいるようで目のように見えます。光の屈折で中の色が様々に移り変わり、表面はとても滑らかです。これは、花なのか、実なのか…私は匂いを嗅いでみようと顔を寄せます。
「…わっ!」
 一瞬身体の中から強い力が溢れてきました。この力…天使の力です。日常生活には全く必要ないので普段は滅多に出て来ない力ですが、一瞬自分の意志とか関係なく引っ張り出されたような感覚でした。
 驚いて尻餅をついた私を、ケネスさんが湖に落ちないように支えてくれました。ですけど、私はお礼を言うどころじゃありませんでした。目の前に人形に宿っていた女性が、そして私達の回りに多くの村人が集まっていました。彼等は豊かな草の香りを含んだ風を纏い、日溜まりの中で尚輝いていました。誰もが今にも頭上の亀裂から舞い上がってしまいそうな程、晴れ晴れとした表情で私を見つめています。
『貴方は天使様だったのですね』
 女性は納得したように私を見ていました。
『私はパル。貴方達が先日会ったラボルチュの妻です。私が彼の元に嫁いで暫くして、この村は滅びました。私も、そしてカルバド全体をまとめる族長の立場だったラボルチュも心を痛めました』
 パルさんは苦しそうな表情で胸元に手を置きました。暫くその苦しみを反芻するような表情でしたが、彼女の周囲に居た村人達が彼女を優しく包み込みました。彼女に似た年老いた女性が優しく肩を抱き、逞しい男性が彼女の頭を撫でます。子供達が足に戯れ付き、遠巻きに見ていた誰もが優しい言葉を投げかけました。
 パルさんは決して泣きませんでした。唇を真一文字に引き結んで、背を伸ばして凛とした姿で私に再び話しかけました。
『カルバドの民は死んだ後に風の生まれる場所に還ります』
 この村の人は死んでしまったのに風に還る事もなく居続けていました。それはカルバドの民にとっても良い事ではないし、天使の常識から考えても魂の状態で地上に留まる事は良く無い事です。だから天使は彷徨う魂を天に還そうとするし、人々は葬儀をして弔うのだそうです。
 パルさんはこの人達を迎えにきたんでしょうか…?
 私が首を傾げる前で、パルさんは花が綻ぶように優しい笑顔で礼を言いました。
『ここに残り風に還る事も叶わなかった者達も、貴方の導きで迷う事なく還る事が出来ます。この場所は我が夫、そして新たな族長になる息子が守護者となってくれるでしょう』
 こんな沢山の人の魂を天に還す天使なんて聞いた事がありません。私は思わず目を真ん丸くしてしまいました。きっとパルさんや村の人達が還る準備が出来ていたって事なんでしょうけど、皆が私に感謝の言葉をくれるのです。
 最後に一つだけ。
 皆が口々に言う言葉がようやく終わりそうな頃合いを見計らって、パルさんが言いました。彼女は島に生えている草を包み込むように示しました。
『このアバキ草を持って行って下さい。ラボルチュは私を模した人形を故郷に帰らせると名目で、この草を貴方に持ってきて欲しいと望んでいる筈です。ナムジンは勇敢ですが、勇敢と無謀は紙一重。どうか力になって下さい』
 一体、何の力になるのでしょう?
 カルバドの集落にはシャルマナさんという凄く腕の良い祈祷師の人が居ます。彼女はとても力のある人で、大怪我した人の傷を癒したり、病気に良く効く薬を作ったりしているんです。確かにちょっと変な感じはしますけど、先日宿屋で繰り広げた痴情の縺れから来る修羅場の真ん中に居た人に比べれば何と穏やかな事でしょう。
 そう言えば、ケネスさんは住人達の熱狂ぶりがヤバいと言っていました。
 とにかく、草を持って帰る事なんて簡単な事です。私が小さく頷くとパルさんは安心したように微笑みました。パルさんの両手が私の頬を包み込みます。魂に触れられるって初めてでしたが、日溜まりの中にいるようにほんわかと暖かいです。
『ありがとう』
 言葉の余韻が消えるように、目の前の人々がきらきらと輝いて消えていきます。私がぼんやりと太陽が差し込む亀裂を見上げていると、視線を遮るようにケネスさんが見下ろしてきました。
「大丈夫かよ?」
「あ…はい。大丈夫です」
 私がそう答えると、ケネスさんは煙管を銜えてにやりと笑いました。そのまま目の前に生えた草をぶちりを引き抜きます。矯めつ眇めつ見てぽつり。
「この草、意外に美味いかもなぁ」
「煙草にするんですか?」
「あたりまえだろー。俺は無類の草好きなの」
 喜々としながら目の前のアバキ草を採取し始めたケネスさんを見ながら、パルさんのお願い事が達成出来るかどうか心配になってきました。ケネスさんが気に入ったら、隠し持ってても見つかって煙管の中に突っ込まれちゃいます。そして誰彼構わず他人の前で吸っちゃうんですよ。族長さんにはこれからもお世話になるかもしれないのに、失礼になっちゃうじゃないですか。
 そんなに沢山摘んじゃって、嫌いな味だったらどうするんでしょう。
 ちょっと煙草にするには多過ぎる量を持って、私達は洞窟を出ました。日は高々と上り、灰色の岩肌を黄金色に染め上げ谷底の闇を引き立てています。丁度洞窟の入り口は、毒の沼の広がる盆地まで見渡せる絶景だったようです。瘴気の霧すら金色に見えます。そして温かい陽気は時折吹く強い山風がなければ、汗ばむくらいです。
「この村はもう終わりになってしまうんでしょうか?」
「それはカルバドの民が決める事だな」
 ケネスさんがそう呟いて、歩く度にきらりきらりとアバキ草と光らせます。私は一度だけ洞窟を振り返り、風が吹く中ケネスさんを追いかけました。
 女の子の人形は、アバキ草が茂る草むらの真ん中で微睡むように座っています。日向の中で気持ち良さそうに。