悲壮なるプロローグ

 サンディ。私の可愛いサンディ、一体何処に居るのかね?
 鋼鉄の飾り気の無い無骨な柱と、その間に敷き詰められた灰色の岩壁。漆黒の漆喰が塗り込まれた壁には、松明に照らされた巨大な偉丈夫の影が踊る。がっしりとした太い鼻柱の先は大鷲の嘴の様に尖り、頬は日に焼けて色黒く、漆黒の毛髪や髭はまるで針金の様な剛毛であった。巨体に納まるには小さく感じる唇が囁く猫撫で声とは裏腹に、瞳はギラギラと輝いている。
 彼はこの昼も夜もないこの城で、彼の妻を度々呼んだ。サンディと呼ぶ声は砂漠の中で干涸びた人間が甘い水を求める様に切実で、自分が飲む訳ではない劇薬を目の前に見るような畏怖を孕んでいた。かつて世界を支配下に置こうと数々の残虐と謀略の限りを尽くした帝王ガナサダイは、サンドネラという妻を娶っていた。サンディとはサンドネラの愛称だった。
 毒の沼から沸き出す瘴気が夜間には和らぐ。私は冷涼な夜気に乗って再びガナサダイが妻の名を呼ぶ声を聞いた。冷酷で己の事しか考えず、部下であろうと笑って殺すような男であったが、その男が哀愁漂わす声で妻を呼ぶ事には流石に失笑できなかった。人らしい心を全て捨ててしまった男に残った感情が、妻への愛情であったのだろうから。
 私が見下ろす先では、絵に書いた悪人面の男達が血の様に赤く滑った葡萄酒を片手に葉巻を燻らせていた。この獣人の国では初めて見る人間だ。年齢や服装は統一感が無かったが、何とも悪人といった風情。その中心に居たの男は黒い礼服のような出で立ちであったが、その丸々と肥えた腹部は舌打ちに大きく波打った。
「皇帝だか何だか知らねぇが、昔の女に未練タラタラかよ」
「ボス、本当にこの話に乗っかるんですかい?」
 ボスと呼ばれた礼服の男は、深々と被った黒いシルクハットの下で鋭く声を掛けた男を見下ろした。そうして囁いた男に葉巻の煙を吹き付けた。げほげほと噎せ込む男を後目に、ボスは吃逆の様な奇怪な笑い声を上げた。
「貴様等はこの帝国の軍勢を見て何も思わんのか? セントシュタインだってこれだけの軍勢相手じゃ、パオームの前の軍隊蟻も同じさ。そんな奴らがこの宿六会のネットワークに一目置いて同盟を組もうって言ってんだ。乗らねぇ訳ねぇだろ」
 そうして物わかりが悪そうにしていた男の首に、親しげに腕を回す。男は半開きにした口を閉じずに、ボスの顔をしげしげと見返した。
「まぁ、オメェさんの言い分は分かるさ。アレだろ。騙されてポイされちまうって思ってんだろ。俺も奴らも同じ穴の狢で同じ事考えてやがるんだから、んなもん先刻承知の助な訳よ。抜け駆けは禁物だが、油断さえしなきゃ損は先ずねぇ」
 そうして帽子の暗がりにあった瞳が、殺意を帯びた。室内も薄暗く、誰一人その殺意の色に気が付かないでいる。
「俺はオメェみたいな用心深い人間は嫌いじゃねぇよ」
 にたりと薄ら笑いをし、礼服の男は数十年来の親友のように慕わし気に男の肩を叩いた。僅かに瞳に希望が灯ったのを満足げに見つめると、その背中を力一杯叩き床に無様に転がした。
「だが、腰抜けは役に立たねぇ。お前が今夜のジャルルの餌だ。せいぜい良い悲鳴を上げな!」
 ボス! 後生だ! 助けてくれ! そんな悲鳴をテーブルを囲んだ男達が、言葉にするのもおぞましい笑みを浮かべて見下ろしていた。かつて神々が我々天使に守護するよう命じた人間達の、悪逆非道の行動に吐き気すら覚える。瞬く間に男は取り囲まれて蹴り回され、蹴られた音は次第に堅さを失い柔らかい袋でも蹴るような音に変わって行く。悲鳴も水気を帯び泡立っていた。それでも男達はジャルルに食われる時は城に響き渡る悲鳴を上げてくれるだろうと、笑いながら暴行を止めなかった。
 その行為を止めたのは、驚いた事に事の発端であったボス本人だ。彼は杖を振って暴行する人間を尽く打ち据えた。
「馬鹿野郎共が。気絶させるまでやるんじゃねぇ!」
 ボスと呼ばれた男はそのまま短く口笛を吹いた。闇の中からヘルジャッカルが、男の残りの寿命を数える秒針の様にゆっくりと足音を響かせて歩み寄って来た。ヘルジャッカルはボスに甘える様にほおずりし、ボスも愛くるしさ等微塵も感じさせない巨大な額を優しく撫でた。
 相手必要以上に痛め付けて尚、狩猟の本能が満たされないと言われるヘルジャッカル。そんな獰猛な魔物が獲物として捉えるだろう人間に懐く等考えられる訳が無い。しかし事実が目の前にある以上、私はそれを認めなくてはならなかった。魔物は天使の姿を見る事が出来る。ヘルジャッカルは私に当然気が付いたが、目の前に逃げもしない美味そうな血の匂いのする人間が転がっていれば目もくれないだろう。
 ぼたぼたと顔に滴った涎に、男は喉に引っかかっていた物を全て吐き出して悲鳴を上げた。
 私がついに見るに絶えず背を向けた時には、翼の風切り羽すら揺さぶられる程の絶叫が響き渡った。
 耳を塞ぎたくなる衝動を堪え、私は内部の探索を再開した。このガナン帝国城は300年前に世界に侵攻した強国であった。巨大な魔力の暴走によって自滅する形で崩壊した王国の生存者は、誰一人いない。見渡す限りの不毛の土地に、廃墟のように城が残っていた。人間の文献にはガナン帝国が存在しないかのようで、天使の文献でも文献は殆ど残っていない。ガナン帝国は突如現れた王国の為に、守護天使が存在しなかったからだ。
 サンディ。早く出て来ておくれ。私にお前の可愛い笑顔を見せておくれ…。
 生臭さを感じる夜風に乗って、皇帝の囁き声が流れてきた。眼下を歩く巡回の兵士達は聞こえていないのか慣れているのか、全く反応を見せない。甲冑を鳴らす音が通り過ぎ、巡回の兵は暗い建物の水のような闇に消えて行った。まるで死者が闊歩するような、おぞましさが募る城だ。皇帝の地獄の底へ向けた声掛けが、再び夜風に乗って耳に触れた。

 □ ■ □ ■

 上の城とは大穴で吹き抜けている筈なのに、空気が淀んでいる牢獄だった。打ち捨てられて随分な年月を経ているのは容易で、鉄格子や壁面を覆う煉瓦も牢獄の役目を果たす事が出来ぬ程度に崩れている。囚人用のベッドだったのだろう、木製のフレームは単なる木屑になり布団は触れるだけで塵芥に帰す繊維に成り果てている。死して留まる魂は多数見かけたが、誰もが怯えているのだろう。私の存在を認識しても、こそこそと隠れてしまうのだった。
 ここに私が忍び込んだのは、天使界が攻撃を受けた後に失踪した多くの天使達の捜索の一環だった。このガナン帝国城の獣人達は、何故か天使達を視認する事が出来る。落下した天使達、救出に向かった天使達、果ては守護天使として遠い地域に居た天使も相次いで失踪していった。この不気味な王国が関係しているのは間違いない。
 私の弟子、アインツもここに居るかもしれない。まだ守護天使としても経験が浅く、武術の腕も抜きん出たものは無い。あの子は無事かどうか定かではない。不安は募るばかりだ。
 巨大な階段や小さな階段を下へ下へ目指す間も、朽ちた牢獄と解放されない魂達を幾度となく見た。まるで1つの王国の住人全てを収監できる巨大な牢獄を通り過ぎた。通り抜けるのに数時間も要らなかったろうが、1日に相当する程に長かった。牢獄の更に地下は巨大な鍾乳洞で、天井は大小様々な明かりが灯されていた。比較的明るい空間に降りた私は、その光の温かさに目を凝らした。
 …!?
 有り得ない。そんな筈が無い。全く予期にしなかった現実に不意打ちされ、私は目を見開き驚きに声が喉元につかえた。
 光からは天使の力を感じるのだ。
 私は翼を開き、地面を蹴って飛び上がった。瞬く間に天井に灯った光の1つに触れる程の位置に滞空する。
 それをどう言葉にして良いか、私は分からない。例えるならそれは大きい繭だった。繭は絹糸のように滑らかな糸で乳白色の光を帯び、時折脈打つ様に青白い光が走った。光る糸は内部に何があるのか分からない程に雁字搦めにしてある。ざっと見た限りでも同じ物が30は吊り下がっている。そのどれもが我ら天使が頭上に抱く輪と光の力を、微弱ながらに発しているのだ。
「なんなんだこれは…」
 口にしても分かる訳が無い。私はとりあえず、その繭を構成する糸に刃を当ててみた。例え絹糸でも刃に手応えが感じ、音がするするさやさやと響くものだがこの糸は違った。まるで蜘蛛の糸のように刃を絡げとり、私がいくら力を込め重力を用いて引いてもびくともしなくなったのだ。しかも、剣を持っていた指先から力が糸に流れて行く感覚がするのだ。私は剣に対する執着を即座に捨て、鍾乳洞の底に降り立った。
 落下する様に降り、私は驚愕に弾んだ息を整えた。この草木一本生えない地域にしてはとても清浄な空気が荒ぶる感情を抑えてくれる。貪る様に深呼吸を繰り返した。だが次第に冷静さを取り戻すと、あれがなんなのかという予想が懇々と湧いて来る。
 天使の力を吸い取る糸。私は剣を握る手から魂を引きずりだされるようなおぞましい感覚に、直感的にそう思った。
 あの繭1つ1つに、失踪した天使がいるのか!?
「それ、貴方じゃ無理よ」
 想像の内容に目眩を感じていた頭部に、痛恨の一撃を食らったような衝撃が走った。私が咄嗟に身を翻し間合いを取ると、一人の女が立っている。
 髪は銀髪と形容出来そうな白髪。血の気が無く透き通っているような白い肌では、唇の色も桜色のように控えめだ。その中で一番主張しているのは深紅の瞳。まるで白い大理石の彫像にルビーを瞳として嵌め込んだような存在感である。服装は露出がやや多く、靴は歩き易い旅靴ではなくハイヒールだ。武器はベルトに固定された鞭だけのようだが、攻撃する為に手を掛ける様子は無い。
 襲って来るつもりなら、声を掛ける前に一撃を見舞う事も出来たろう。歓迎された気配は当然なく、敵か味方かも不明。腕を軽く組み、色の薄さで分かり難いが微笑んでいるようだった。ガナサダイが呼んでいたサンドネラを思い出す。この女がそうだとしたら納得してしまう何かがある。
 女の長い白い睫毛を伏せると、鮮やかな深紅は桃色に変じた。
 待て。
 私は驚きのあまり気が付かなかったのだろう。女は人間だ。ガナン帝国に溢れる獣人の類いではない。何故、私の姿が見えるのだ!?
「それ、貴方じゃ無理よ」
 女は先程と同じ事をゆっくりと言った。そして私の横を通る時も一瞥一つなく、ゆっくりと奥に向かって歩き出した。
 私は暫く呆然と白髪の女と頭上の繭を見ていたが、彼女の姿が小さく消える前に彼女の後を追った。剣でも切り裂く事が出来ず、中に天使がいるかもしれない状況で呪文を放つ事も出来ない。確かに、今の私では無理かもしれないと思ったからだった。
 乳洞は更に奥に続いているようで、地底湖のような様相になってきた。それでもかつては人の往来があったらしく、轍の幅にすり減った通路を兼ねた岩や隅には金具や壷の残骸が落ちている。大穴は更に地下から穿たれているようで、見上げると小さく輝く星が見えた。歩き難い事この上ないハイヒールだが、女の歩調は乱れる事無く、どんな滑り易い濡れた岩場でも足を取られる事は無い。
 不思議な女だ。白髪の後頭部を見ながら、私はそう思っていた。
「貴方みたいなつるっ禿も天使なのね」
 女は心底呆れた様にそう呟いた。呟いた程度の音量だったが、水滴が水面を叩く音すら響く空間では大声で話す様に耳に届くものだ。反論の気持ちが声になって喉元まで競り上がったが、仕方が無い。実際髪は全て剃ってしまっているのだ。反論出来る余地がない。
 それよりも、女はやはり私が見えているようだった。私を見ながら言っている訳ではないが、私が背後から付いてきているの分かっているようだ。
「ハゲ君は考えた事があるかしら。天使界に置ける序列はどのようにして定められるのか…」
 何を言っているのだろうこの女は。
 長老曰く、昔は天使の姿を見る事が出来る人間も居たと言う。幼子が我々を視認している事は決して珍しい事ではない。私の姿が見えている事は疑問にしないでおくとして、天使界の存在を何故知っているのだろう。天に座す神の使い。それが天使の由来だ。しかし天使界を教会で教えていただろうか? 人間の認識はもはや弟子のアインツの方が詳しいかもしれない。
 天使界を知っているのもそうだが、何故彼女が天使の序列にまで言及出来るのか私には分からない。我々でさえ上級天使に下級天使が逆らう事が出来ないと知ってはいるが、上級下級を取り決める基準を知る者は居ないだろう。オムイ様ならともかく、私のような上級天使でも知らないのだ。天使界で基準を知っている者は指折り数える程度かもしれない。
 私の疑惑の眼差し等、気にも留めないのだろう。まるで独り言の様に意思疎通無く彼女は言葉を続ける。
「存在した年月の順だとしたら、長老って呼ばれるだろう存在が一番。でも違うんでしょ? 長老よりも強い天使がいるんでしょ?」
「あぁ、そうだ」
 私は声が誇らし気になるのを感じた。
 かつて、私と双子の妹の師匠にあたる上級天使エルギオス様。あの方は奢る事が無く知られる事は無かったが、長老のオムイ様よりも強い力を秘めておられた。天使は位の上下関係が絶対であり、長老はエルギオス様の言葉に反発する事ができなかった。だからこそ、エルギオスの悲劇と呼ばれる事件が起きたと言えるだろう。誰も、彼を止める事が出来なかったのだから…。
 そう考えて、確かに序列の基準が何を元にしているか私は知らないと認めた。
 同時に、彼女が天使界の事情に詳し過ぎる。何者なのだ。問うてみたいと言葉を紡ごうとして、彼女は更に楽し気に語り出した。まるで、私は何でも知っている、貴方より詳しいのよと知識をひけらかすようだった。
「天使の序列はね、天使を生み出した神に都合が良いか悪いかで定まるのよ。力、思想、行動、それらによる結果が神の利益に直結する者に、天使の本能は従わざる得ない。神が目的を持って天使を作ったんだもの。当然よね」
「何故そんなに詳しい?」
 白髪の女はケラケラと笑いながら歩みを止めはしない。『偉そうに』とか『実際ハゲ君は偉いんだっけ?』とか、嘲笑ったり軽蔑したり賛同したり不安定な様子を見せる。徐々に心配になって来るような精神状態の彼女には、何を問うても言っても無駄だった。他の上級天使を圧倒するような厳しい口調で言っても、通じない。
 やがて地底湖は通り過ぎ、人工的な壁が覆いだした。雰囲気は城の地下にある牢獄に似ている。木の根が壁面を破り、水辺に苔が茂り茸が自生する。合間を飛び交う虫達の羽音が煩く感じられ、この地帯では久々に生命の息吹を感じた気がする。
 だが、私が何より驚いたのは噎せ返る程に濃密な天使の力。覚えがある。いや、忘れた日があるだろうか。この力は…
「エルギオス様…?」
 私の呟きに女は初めて反応した。振り返って私を見た表情は、にんまりと満足そうな笑みを浮かべている。
 何を言うのだろう。私はこの短時間で彼女の配慮の欠けた言葉と、神経を逆撫でされるような声色にすっかり参っていた。鬼の首を取った様に何を捲し立てるのだろうと身構えたが、彼女は何も言わずに目の前の扉を開け放った。私が地下で初めて見た、機能を保った人工物だった。
 鉄の扉だったのだろう。分厚い扉は、まるで竜の断末魔の叫びのような音を発して開いていった。開いた隙間から突風のように力が吹き出して来る。あの世界樹の根元で笑うエルギオス様の、優しく包み込む太陽の光のような力強さではない。まるで砂漠の熱波のように容赦なく皮膚を焦がし、極寒の大地に吹きすさぶ寒風のように鋭い。
 私は逸らしていた視線を、正面に向けた。白髪の後頭部は、残念ながら視界の前にない。
 広大な魔法陣が描かれている。金色から濃紺、赤金に新緑の碧と目紛しく色を変える光が魔法陣の文字や記号に沿って沸き出している。その中央は丁度あの大穴の真下だったのだろう。僅かに差し込んだ月明かりの中で黒い者が踞っていた。目を凝らせば、それは黒く無い。見事な金髪は色褪せて埃に塗れくすんでいる。天使では非常に色が白かった肌も、全く洗われていないのか褐色に近い色になっていた。衣は囚人の服とも言えない襤褸切れのような物。
 私は言葉を失った。
 何があったんだ。いったい何をされてきたのだ!?
 我々がエルギオスの悲劇と涙に暮れていた事に、私は自らの心臓を抉り出したい程に激怒した。
 あのさらさらした美しい金髪の合間から、ねじくれた角が二本突き出ているのだ。我々双子を易々と包み込んだ純白の羽は殆どが抜け落ち、蝙蝠の羽のような緑色の皮膜がのっぺりと覆っている。女性の天使すら憧れた手は節くれ立ち、緑色の鱗を張り付かせ短剣のような鋭く長い爪を這わせている。
 天使の輪はない。
 だが、紛う事なき天使の力を感じる。心の奥底で否定したい気持ちがどんなに暴れても、逆らえない何かを感じてならない。
 私は呻く様に言った。喉が干涸び、言葉になったかも疑問だった。
「この状態のエルギオス様も、神にとっては都合が良い存在だと言うのか…!?」
「そうね」
 返事等、必要なかったのに女は同意した。
 『神の御心は計り知れない。だが…私は人間を信じたい』そう語ったエルギオス様。私は再会を果たす時を時折夢見ていた。反発し人間を軽蔑していた私が、弟子を持つ上級天使になり、師匠と同じ教えを説いている。変わったのだなと笑われるのだと、何時も想像していた。
 師匠は生きておられた。だが、私は師匠の生存を全く喜ぶ事ができなかった。
「こんな酷い運命を課す神って、本当に善い神様なのかしら…ね?」
 女の問いと同じくして、エルギオス様の瞳が開かれた。
 あの澄んだ天使界から見上げる空の色ではない。血の様な深紅の瞳が私を見て、にたりと笑った。背筋を悪寒が駆け抜ける程の邪悪な思惑が、べったりと笑みの上を覆っている。エルギオス様の姿を留めている『何か』が言った。
「久しぶりだな。イザヤール」
 エルギオス様は殺された。二度とあの優しい笑顔を見る事はできないだろう。