集え、者達

 ベクセリアの秋は世界一だ。赤に黄色に橙に色付いた紅葉、豊潤な実りは大地を黄金色に染め上げた。
 この秋に一際輝く天然の宝石の国を支配している王国は、巨大な礎を城下にした堅牢な国だった。ベクセリア王国の雪は深い。普通の一軒家では雪の重みで潰れてしまう積雪を誇る国の王は、その城を大きな民の屋根とした。城の礎を住まいとし、住民達は冬の間も礎に行き渡らせた階段と廊下を行き来していつも通りの生活を営んだ。
 そして二人の守護天使が見下ろす城門しか侵入する事が出来ない堅牢な城は、ルディアノやセントシュタインと言った列強諸国からは鉄壁と謳われた。だが防御に優れるだけでは負ける。ベクセリアは武術の国でもあった。
 ルディアノが騎士の国であり、セントシュタインが兵の国であるなら、ベクセリアは武術の国だった。山に囲まれ資源に恵まれ、寒さを凌ぐ為の炉を中心に質の良い武具が精製された。特に武器の質はドミールと双璧を為す程に素晴らしかった。鎧を布のように切り裂くような名刀が生まれ、それを扱う一騎当千の戦士達がそれを握った。
「やっぱり、ここに居たんですか」
 その一人は煙管から煙を噴かせながら、城門の一角を担う騎士の守護天使の像から領土を見下ろしていた。
 男は邪魔にならないように整えた深紅の短髪の下で、これまたベクセリアで最も赤い炎石楠花の様な瞳を悪戯っぽく細めた。無骨な顔立ちで黙っていれば精悍なんだろうが、朝も面倒だったのか無精髭がぼさぼさに生えている。使い込んで擦れている外套の下には、ベクセリア王国の将軍が纏うべき服がある筈だ。男の為に用意された名刀を無造作に横に置きながら、俺に座れと言いたげに石壁を叩いた。
「良い季節じゃないか、ゴレオン。作戦会議なんて面倒で嫌になるよ」
 あぁ、今年の小麦は良い香りがするなぁ!
 ベクセリア王国の将軍、レパルド様はそう言って大きく煙管の煙を吸い込んだ。煙から小麦の香ばしさを感じる。煙管の中に小麦を放り込んでいるのか、この人は。
「戻りましょうよ、将軍。ギュメイが怒ってますよ」
「怒らせとけよ。ガンベクの大将が怒ってから、迎えに来させりゃいいのに」
 それ、俺達が死んじゃいます。
 ベクセリアの王、ガンベクセン様は賢王だ。身軽な王でもあり、国中を視察して歩いては民の訴えに耳を良く傾けた。厳めしい偉丈夫だったが民の評判は良く、周辺諸国との関係も比較的良好な時代を迎えていた。
 外向きはそうだったが、ガンベクセン様は身内に対してとても厳しい一面を持っている。一人息子の王子はもちろんの事、俺達家臣達も例外じゃなかった。ガンベクセン様は武闘派の王であり、唯一楯突いて生きてられるのがレパルド将軍くらいなものだ。拳は岩をも粉砕し、怒号でイオナズンを退けた伝説を持つお方だ。
 ガンベクセン様が怒るなんて、想像するだけで震え上がる。
 ぶるりと身体が震えた。秋風に含まれた冷ややかさのせいじゃない。そんな俺に、将軍が声を掛けた。
「将軍がだらだらしてるって、平和の象徴だぜ」
 そう笑うとレパルド将軍は、ゆったりと煙を味わった。
「俺が剣を抜き、敵を斬り殺さなくていい時代が死ぬまで続くと良いんだけどな」
 レパルド将軍は面倒臭がりだった。ベクセリア王国にその人有りと言われた武人なのに、剣術の腕は三国一と賞賛される凄腕なのに滅多に剣を抜きやしない。弟子のギュメイが毎日のように頼んでも、数日に一回は稽古を付けてくれる程度。怠け者でやる気なし。なのに人望が厚くて誰もが慕っていた、不思議な人だった。
 だが、今なら分かる。
 将軍が剣を抜くというのがどういう事なのか。
 赤毛の男はゆっくりと立ち上がると、周囲の景色が変わって行く。ガンベクセン様を殺した一人息子、皇帝ガナサダイが建国したガナン帝国。草木一本も映えぬ不毛の土地と成り果て、沸き出る水は全て毒を含み腐った匂いのするガスを伴う。滑る水に侵蝕された大地は黒ずみ、山に囲まれたこの領地を黒い霧のように覆った。
 赤毛の男は目の前に聳えるガナン帝国城の要塞を見上げ、そして振り返った。
「アインツを助けに行く」
 そうぽつりと呟いたケネスの顔を見て、レパルド将軍を思い出した兵士は多かった事だろう。俺も例外じゃない。
 奴のぼろぼろの身成でありながら燃える瞳と、真一文字に引き結んだ唇を見て止めようと思う者は誰一人居なかった。剣を片手に要塞への灰色の石畳に立つ姿は、ベクセリア王国最後の将軍の姿を彷彿とさせただろう。実際、これからガナン帝国城に乗り込もうとするケネスは、かつてのレパルド将軍に酷似していた。
 囚われ希望をへし折った人間達にも、希望を持つ事を禁じられた俺達ですら何か感情が沸き上がる。その感情は…出来るかも知れないという淡い期待だ。
 そして俺達は首から繋がっているだろう鎖が、音を立てて断ち切れたのを感じた。
 今までの不毛な日々を、もう続ける必要が無い晴れやかな開放感。皇帝陛下の命令じゃない、ましてや俺様の命令じゃない。
 そう、腐敗臭に似た纏わり付くエルギオスの力が及ばなくなったんだろう。
 ケネスの呟きに応じて、9人の人間達が名乗りを上げた。そんな9人に、ケネスはボサボサの赤髪を掻いて笑いかける。
「悪いなぁ。すっげー危ない感じなのに、手伝ってもらっちゃってよ」
「気にするな。皆、あの嬢ちゃんにホイミしてもらった恩を返すだけさ」
 人間達のまとめ役をしていた筋肉隆々の大男は、きらりと光る金のホイッスルを首に掛けて腕を組む。武闘家っぽい男は不敵に笑い、比較的元気な男達が武器を持って集まっている。商人と盗賊は城の宝物庫でも漁るつもりなのか、肩を寄せ合いヒソヒソと話し込んでいやがる。回復呪文も必要と考えてか、身体は震え涙目でも逃げはしない神父も居る。
 全員が頷くのを見て、ケネスが煙管の煙を吐き出して、朗らかに笑った。
 あぁ、その感じだよ。ケネス。俺達がお前にレパルド将軍の影を見るのは、お前のそんな態度がそっくりだからなんだ。
「ありがとな。お前らの命、預からせて貰うぜ」
 そしてケネスは俺と俺の部下達に向き直った。
「良いのか? 裏切る事になるんだぜ」
 俺は小さく頷き『良いんだ』と答えた。
 ケネスにレパルド将軍を重ねてしまうのは申し訳ないとは思っている。それでも、俺や部下達は思っている。
 ずっと付いて行きたかった背中を、俺達は裏切り背を向けた。レパルド将軍が流刑に処され、二度と戻らぬ事を知りながら見送ってしまった事を、今でも後悔している。そして、一度死んで生き返った今、俺達の前に現れたレパルド将軍にそっくりな男を見て思うのだ。
 今度こそ、裏切りたくない。
 あの人の血縁者は遠縁であれ全員処刑され何百年も経った今、ケネスがレパルド将軍と何の関わりがない事は分かっている。俺達は罪を償う事すら許されないと分かっている。それでも、と縋りたくてたまらないのだ。
 ケネスは剣を抜いて静かに言った。
「いくぞ」

 ■ □ ■ □

 ガナン帝国城は混乱のただ中だった。
 あちこちで爆発音が爆ぜたと思えば、剣撃の生演奏が廊下の隅々まで響き渡る。俺達が到着した時には、既にざわついていた城内だったが今じゃお祭り騒ぎだ。原因はケネスと裏切り者ゴレオンこと俺様の一団が到着して、暴れ回ってるからなんだけどな。
 一歩先に城に到着しているアインツは、皇帝に挑んでいやがるんだろう。遠くからでも進撃が確認出来ていただろうに、ギュメイの奴が出て来ないのは皇帝の身辺警護に回っているからに違いねぇ。
 俺の破壊の鉄球が唸りをあげて、ガナンの兵士達を薙ぎ払う。鎧兜を粉砕し、鮮血と鋼の間の毛皮が真綿のように引き千切れた。灰色の石壁に臓腑が叩き付けられ、血とは違う臭いが瘴気と混ざる。逃げる者に容赦なく射かけられる矢。心臓に突き刺さっても逃げようとする獣の肉体を、俺は粉砕した。
 ケネスが兵士の四肢を断ち切り、胸元の毛皮に煙管の炎を落として燃やす。悲鳴が上がり、命乞いの懇願が炎に呑まれて行く。
「獣人では無かったのだな」
 獣人も人間と同じ。心の臓腑を貫けば、命は果てる。だが、ガナン帝国の兵士はそうではなかった。まるで冥府に籍を置く者のように、心の臓腑を突き刺しても、夥しい血を流しても死にはしない。著しい肉体の損壊でようやく止まる事を、ケネスは心得ていた。
 敵が燃える様子を赤い瞳とちらつく碧が冷静に見つめる中、ぽつりと呟いた。
「何で、こんなに捻くれちまったんだ?」
「天使の力だ」
 ケネスは俺の言葉に視線を上げた。意味が分からないと赤い瞳が眇められる。
「天使? 牢獄に囚われていた羽根の生えた人間の事か?」
 俺は頷いてみせた。
 ガナン帝国は遥か昔、翼を持つ男エルギオスの力を抜き出して人に宿す研究をしていた。
 俺がエルギオスに始めて会った時、その瞳に色濃く宿った憎悪に身震いした事を昨日の事ように思い出す。翼も本物で、精巧な人形のように整った容姿だった。色の白い肌も、細い絹糸のような金髪もこの世ならざる物質で出来ているような印象だったからだ。
 憎悪と絶望に血溜まりのような眼窩の男から抜き取った力を、本当は拒絶したかった。しかし力を宿した実験体は、常識では考えられない力を発揮した。人では決して持ち上げる事の出来ない重量すら軽々と動かす怪力を得る者、本来なら死亡しても可笑しくない膨大な魔力を行使する者、中には致命傷を受けても瞬く間に完治する生命力を宿した者も居た。
 生命がねじ曲げられる。俺は心底恐ろしく感じた。
 あの赤が他人の絶望を楽し気に見ている気がしてならない。あの金髪が血生臭い匂いと悲痛な声を乗せた風に揺れる事を、望んでいる気がしてならない。そして、白い頬を引き裂くように笑うのだ。想像に容易い。
 しかし、俺は兵士だ。指示に従わなければならない。
 力を得た俺は見違える程だった。軽く力を入れるだけで重厚な鋼鉄の鎧に身を包んだ兵士を、まるでパンのように軽々と引き裂き殺す事が出来た。敵が全力で振り下ろした剣は、緊張させた筋肉に食い込む事すら難しい。
 人じゃねえ。バケモンだ。そう思う度にエルギオスが悦んでいるのを感じていた。
「ケネス。お前も天使の力を与えられてる筈だ」
 ケネスは煙管に煙草と火を入れ、深々と煙を吸い込んだ。ちらちらと忙しなく深紅と碧を行き来する瞳が、敵を捕らえて駆出した。剣が摩擦に炎を宿し、火炎切りが相手の槍ごと切り裂いた。切り口から燃え上がる炎に崩れ落ちた兵士を見下ろし、俺に視線を向ける。
「だから…なんなんだ?」
 俺は戦慄が背を撫で上げるのを感じていた。
 冷徹な破壊者。圧倒的なまでに敵を翻弄し屠る姿に、俺は見た事も無い将軍の姿を垣間見た気がした。
 あのアインツという小娘は、エルギオスと同格の天使だろう。
 俺がそう思うのも、エルギオスの力で作られた天使を拘束する繭をアインツが引き裂いたと聞いたからだ。あの繭は俺達でも、人間でも、天使でも破る事はできない。繭はエルギオスが自ら解くか、エルギオスと同等か格上の天使しか破壊出来ないそうだ。
 赤い瞳に揺らめいて時折混ざる碧の色に、俺はケネスが自覚のないままアインツの力の影響を受けているんだろうと思うのだ。
 もし、その仮定が正しければ俺達がケネスに従っているのも筋が通る。上の位の天使に逆らう事が出来ない序列が、その天使の力を注がれている生物にも当てはまるなら俺達はケネスに逆らう事は出来ないだろう。
 だがよ、そんなクソみたいなロマンのない話はしたくねぇよ。
 俺は豚の鼻を鳴らして、牙を見せつけるように笑った。
「いや、大した意味はねぇよ」
 元々、ケネスの実力は凄まじい。ベクセリアに残っていたんだろ武術の型を基礎に、自己流ながらも無駄の無い戦い方をする。槍を奪えば達人の突きで壁に縫い止め、ブーメランを手にすれば火炎を乗せて焼き尽くす。武器を選ばない応用の利く戦い方だった。俺の威力があるが隙の生じやすさを補助し、俺達は破竹の勢いで進軍して行った。
 先を行くケネスの背中を、俺は心の底から敵でなくて良かったと思って見ている。
 味方であればこれ程心強い存在はなかったが、敵であれば俺はとっくに殺されていただろう。
 外へ続く階段が眼前に迫って来た。ここからは一旦外へ出なければ、皇帝ガナサダイの元には辿り着けない。
 ケネスはじっと、階段の先にぽっかりと開いた重く立ち籠めた黒雲を睨みつけていた。奪って来たブーメランと弓を構え、剣の位置を確認する。恐らくも何も、敵が待ち構えているんだと察していたんだろう。俺もそう思う。
「覚悟は、良いか?」
「勿論だ」
 ケネスが駆出した。即座に弓を引き絞り、矢を放つ。
 やっぱり待ち伏せか!
 俺もケネスの後に続いて屋外に飛び出した。要塞の外壁を担う屋外は、とてつもない広さを持っている。ゲルニックが魔法使いを中心に配置しているのか、屋外の通路には白い魔法の法衣を着込んだ獣人達が十人以上立っている。ケネスが矢を放ち、胸を貫かれた魔法使いが屋上から落下する。
 閃光と爆発が轟いた。
 1つ炸裂すれば、それは絶え間なく続く。風圧に遠距離攻撃が封じられてしまったケネスは、もう矢という攻撃手段を棄てて駆出していた。炸裂し飛礫が飛散し至近距離に炸裂した暴風によろめくケネスを抱き留め、俺は駆出した。俺程の体重があればイオナズンクラスの爆風だろうとそよ風さ。
「ゴレオン!」
 ケネスが俺の腕の中で身じろいだ。
 ちったあ大人しくしとけ。俺は兜が吹き飛んだが、爆風が熱過ぎて丁度良いやと笑う。
「退け!突破は無理だ!ゴレオン!」
 腕が吹き飛んだんだろう。抱えているケネスの抵抗が大きく感じられる。
 だが、もう少しだ。
 もう少しで皇帝ガナサダイがいる建物の中に滑り込める。爆風は止まないが、目的地は揺らがず迫って来る。崩れかかった石畳を踏みしだき、俺は口から溢れた血を吐き捨てて笑う。
 飛び込んだ建物の中まで爆風の追撃は無かった。ここは皇帝の住処だ。魔法を放つ事は許されない。
 爆風に耳をやられたんだろうか。無音の空間に俺は倒れ込んだ。はは、身体がうごかねぇ。動かすべき身体の一部が感じられねぇ。お前だけじゃ、本当に無理だったな。ケネス。俺が居て良かっただろう?
 俺の身体の下から、赤毛の男が這い出して来た。
 俺の身体を仰向けにしようとしたが、俺は込み上げて来る自らの血に溺れそうになると慌てて横向きにする。背中を擦り、俺の名を呼んでくれる。外套が焦げ臭い臭いを放ち、返り血に赤黒く染まった服が張り付いている。男の顔は俺の血にべっとりと汚れていた。
 あぁ、生きている。俺は指先が動いた事に気が付いて、奇跡的に無事だった腕を伸ばした。
「レパル…ド将……軍」
 レパルド将軍は何本か焦げて炭化した指をとった。
 おかしいな。俺の手って、こんなに大きかったっけ? 確かにベクセリア王国の兵士じゃ、体格は凄く良かったけどまるで人間の手じゃないみたいだ。
 将軍は悲壮な顔をした。震える手で煙管を口に銜え、火を入れた。
 あぁ、助からないんだって分かる。身体が冷えきって、床に伏しているのに更に落ちて行く感覚がある。
「ゴレオン…助かった」
 レパルド将軍は微笑んだ。俺も微笑んでみせた。頬の皮が厚ぼったいのか、唇を持ち上げるのも苦労する。
「お前が、俺を助けてくれたんだ。お前のお陰で、俺は生きている」
 将軍が無事で良かった。俺は心の底からそう思う。
 凄く将軍に悪い事をしたような気がする。傷つけて、裏切ったような、酷い罪悪感がバラバラに砕けて行く記憶の中にあった。
 朝焼けと紅葉の美しいベクセリアの風景が、目の前に広がって行く。将軍の煙管から漂う煙が、香ばしいパンの焼けるような匂いだ。まったく、貴方って人は小麦粉失敬しちゃ駄目だって、料理長にしかられたばっかりだったじゃないですか。
 赤い瞳が俺を写して、言った。
「ありがとう」
 切望した言葉に、俺は何もかもが救われた気がした。