アレスさんとアレフ 剣と盾

 その店には十数名ほどの傭兵が居た。
 いつも寄れば集れば馬鹿騒ぎする傭兵の一般的な印象を吹き飛ばすような、真剣で殺気立つ者までいる重苦しい雰囲気だ。
 その店は引退した傭兵が運営している居酒屋で、今は真昼で営業時間外。店主の善意で場所を提供してもらっている。各地の名店の味を知り尽くした美食家で知られた傭兵の店は、ラダトームではかなり有名な店だった。落ち着いた店内と照明にむさ苦しい傭兵共の面が浮き彫りになって、俺としては結構うんざりだ。
 しかし、今回ばかりは不満にキレて出て行く訳にはいかない。
 俺は不満を抱えながらもやらねばならない義務に似た焦燥感に晒されて、必死に手と思考を巡らしていた。あまりやる事のない綿密な作業に、頭から文字どおり煙が出てキレるという噴火が迸るまで後少しというところで、仲間に声を掛けられた。
「アレフ、お前に客だ」
 仲間が引き入れた客は、全く知らない人物ではなかった。
 鎧とマントと剣は俺達とそう変わらない形だが、品質がかなり違う。鋼の輝きは使い込まれて鈍く光っているが、塗装のされていない剥き出しの鋼が青さを残した灰色で質の良さをさり気なく物語っている。髪の色は深い茶色で、鮮やかな青い瞳を更に際立たせる。整った顔立ちの美青年は一見同業者に見えるが同業者ではなく、顔見知りである俺以外は全く歓迎していない視線で眺めまわしている。
 以前、一言二言交わした程度の仲だが、彼の名前はアレスという。彼は探索商人と呼ばれる職業をしている若者だ。探索商人としてのキャリアは俺の傭兵のキャリアよりも長いかもしれない。徹底的に叩き込まれた技術を根底とした自信は、本物だろう。飾り気なく、強さが見える。
 彼は俺の前にやってくると、椅子に座っている俺を見下ろした。愛想のない声が俺の顔に降ってくる。
「お前が盗賊討伐の依頼を受けたと聞いた」
「正しくは『俺が』じゃない。『俺達が』…だ」
 一体、この探索商人は傭兵の俺達に何のちょっかいを出してくるつもりなんだろう? 仲間の疑惑が敵意に似た気配になって、俺とアレスを四方八方がら突き刺してくる。
 実は傭兵と探索商人は仲が悪い。探索商人は貧乏で実力はないと傭兵を見下すし、傭兵は鼻っ柱の強いいけ好かない連中と探索商人を嫌っていた。探索商人は貴族を依頼主とし傭兵は商人や平民を依頼主とするため、縄張りは線で引かれ互いに干渉する事は滅多にない。そのため、アレスの接触はその常識の観念から非常に異常な事だった。
 俺としては彼の行動は、現状況下では当然と思えた。むしろ接触してこなかったら、こちらから出向く必要があったと思うくらいだ。
 俺は頬杖を外して、アレスに向かいの席を勧めた。彼も拒否もなく応じて座る。
「ま、情報屋から聞いているだろうが、俺達の生の声を聞いてもらった方が良いだろう」
 俺はそう言って目の前のアレスに事の次第を説明し出した。
 事の発端はメルキドからの商隊が盗賊に襲われ、金品を奪われた事に始まる。商隊の運んでいた品々はメルキドの特産物を筆頭に数多かったが、秘匿事項として『炎の剣』を運搬していた事が挙げられた。『炎の剣』は販売されている剣の中でも最強の破壊力と魔力を秘めた剣であり、メルキドでは10年に1本のペースでしか作られずその価値は非常に高い。盗賊の狙いも勿論『炎の剣』だった。
 商隊は護衛として傭兵を雇っていた。傭兵はメルキドとラダトーム往復を主にこなす腕利きが多数を占め、そこら辺の魔物盗賊の類いに遅れをとる面子ではなかった。『炎の剣』の護衛としては、まぁ、妥当な人選であっただろう。
 しかし、傭兵は護衛の任務を全う出来きなかった。
 それだけならば俺達も笑っていられたかもしれない。奴らは盗賊としては上手だったのだ、そう笑っていられる。
 だが…
 盗賊は傭兵全員に深手を負わせ、その内7名の命を奪った。
「仲間の命を奪い、剰え全員に深手を負わせる…それは俺達傭兵にとって素敵な宣戦布告以外何者にも映らない」
 俺が思わず怒りを含んでしまった声に、アレスの表情は若干堅くなった。
 部屋の空気は一気に冷め、傭兵の仲間は俺の冷たい殺気に似た怒りに黙り込んで身を縮めた。俺は構う事なく続ける。
「『お前等の警護如き何の障害にもならん』と、俺達の存在を嘲笑っているのさ。それだけでも赦せはしない。だが、これから先、各方面からの商隊がラダトーム近辺で狙い撃たれる可能性がある。メルキド往復専門が打ち負かされている以上、他の地域の護衛を専門で担っている傭兵が勝てる見込みは非常に少ない。俺達傭兵の将来が掛かっているのさ」
 絶対に王国が動く前に、盗賊共を牢獄か地獄に放り込まねばならない。傭兵が無能の集団だと思われてはいけないのだ。
 それは信用の問題も確かにあったが、傭兵として職に携わる俺の意識に怒りを注いだ。俺は傭兵の仕事を、今の生き方を愛していると言っていい。それを盗賊共は邪魔しようとしているのだ。徹底的に拒否し、阻止し、排除する必要がある。
 事件の直後であり、仲間意識の強い傭兵は仲間の死を酷く真剣に受け止めている。仇討ちしたい心境を利用して、それが通用しない者は今言った理由を告げて、今回の作戦に誘った。
 全員、俺が強いだろうと思う経験豊かな傭兵だ。
 これで勝てなければ、仕事中の連中も総動員して戦争を繰り広げる必要がある。それだけの脅威なのだ。
「仇討ちが目的ではないのか」
「仇討ちだけが目的なら、俺は動かねぇさ」
 アレスは淡々と訊ねたのか独り言なのか分からぬ呟きに、俺は失笑した。小金目当てで命を賭ける事に同意した傭兵に、何の同情が必要なんだ?
 俺はゆっくりを息を吐いて椅子の背もたれに身を預けた。
「先日の盗賊の強襲の際には盗賊団には毛色の違う奴が混ざっていたらしくてな、そいつの情報を求めにいろいろ嗅ぎ回ったんだ」
 商隊強襲事件が起きる数日前に、ある貴族の屋敷が盗賊の標的にされた。盗まれた品は何なのかは流石に分からない。しかし、盗賊は忍び込んで盗むではなく、家の壁に大穴あけて強盗を企むような荒々しい手段だった。その大穴を開けた呪文を見た目撃者の話と、商隊に参加した商人の話は見事に同じだ。つまり同系統か同じ呪文になる。
 貴族の屋敷が狙われたとなれば、地方の商隊が狙われた事よりも国は重く事態を受け止める。国が動き出す方が早いかもしれないと思う要因はそれだった。
 頭が痒くなってきた。気楽な傭兵の仕事がしたい。
 頭を掻くため、アレスから視線をそらす。
「そいつ、お前の常連の家にも土足で踏み込んだそうじゃないか」
 ちらりとアレスを見ると、不機嫌そうだが肯定するかのように黙っている。
 やはりその貴族から盗まれた品の奪還を依頼された。彼の事だ、盗賊のアジトも人数も把握しているだろう。いかにして盗賊団から依頼の品を奪還するのか考えていた矢先に、傭兵がその盗賊討伐に乗り出した。利用しない手はないだろう。俺達の襲撃のドサクサに奪還する事を考えただろうが、その討伐の代表者が一応顔見知りの俺だった。協力しないにしろ、情報を提供したりして自分の思惑に添うように動かせるつもりでいたのかもしれない。
 彼はどう動くか?
 盗賊討伐のドサクサにその依頼の品が壊れてしまう可能性がある。彼としては品の確保が最優先だ。その為には傭兵達とほぼ同時期に侵入し品を確保したいところだろう。
 俺はアレスに向き直り軽い気持ちで提案した。
「お前が良ければの話だが、一緒に行動しないか?」
「…何?」
 予想外の提案だったのだろう。アレスの表情が険しくなるのを感じる。彼の気配が能面のような顔に表情を付けさせるのだ。
 俺は努めて冷静に、静かに言葉を続けた。
「悪いようにはしない。作戦中はお前はお前の行動を最優先にして貰って構わない。お前が盗賊をぶっ飛ばしている所に増員を配置するのは全く無駄だから、その為にお前の行動を俺が把握したいそれだけだ」
 全貌も見えず迂闊に返事をしない彼のために、俺は『ま、作戦だけでも聞いていけよ』と笑った。
「今回の作戦はペアで行う」
 聞き慣れない言葉なのか、アレスが眉根に皺を寄せた。
 俺は苦笑しながら懇切丁寧に説明した。
 二人一組でペアを組み、作戦を行う傭兵の戦闘術の一つだ。四方八方から攻める敵に対して各自バラバラで対応しては要領が悪いが、戦力を集中し過ぎては意味がない。二人一組で各方面を重点的に対応する事で、戦力の集中と拡散を実現した近年使われるようになった戦術だ。主にメルキド方面の護衛を専門にする傭兵はこの方法に慣れている。互いに戦闘技術も熟知している馴染みも数多いので、俺がそれを採択した。
 そこまで説明して、俺は自分を指差した。
「お前が了承すれば、お前とペアを組むのは俺だ」
 アレスの視線に憤りのようなものが感じられる。密かに怒っているのか、俺は笑って誤魔化さずに真面目に応じてやる。
「不特定多数と戦闘になる空間で、単独行動は控えた方がいいだろう。それに、今回はお前が行動しやすいよう俺が全面的にサポートに徹する。お前は好きなように動いてもらって構わない。俺はお前の戦力が欲しいんだ。そのための対応と思ってほしい」
 なにせ貴族が奪還を依頼するほどの物だ。『炎の剣』以上の目玉商品に違いない。
 敵の最大戦力がぶつかってくる状況に単身行かせる訳にも行かないし、その最大戦力を潰せは俺達の勝利だ。利点は十二分。
 俺は青い瞳をまっすぐ見つめた。
「どうする?」
 青い瞳は臥せられ、そして俺を射抜くように見つめた。拒否を感じさせない、了承したことを感じさせる。
「いいだろう」
 俺は仲間の傭兵達を見回した。皆、納得していなさそうだが、戦力が欲しい以上はいけ好かなかろうが仕方がないと言ったところだろう。誰も反対はしなかった。
 俺は短時間ですり減った神経を頬杖で支えながら、深くため息をついた。まだ、やらねばならない事がたくさんある。

 □ ■ □ ■

 アレスが訪ねてきた翌日の早朝には作戦に関しての状況報告と、重点的なカンファレンスが行われた。決行をその日の夕方に行う為にだ。
 盗賊共に俺達の情報が一つでも多く漏れない内に、決着を付けてしまう必要がある。守りは時間を与えるほどに堅くなるのは、護衛傭兵である俺達は熟知していたからだ。
 アレスが作戦に参加するタイミングは『攻撃開始して暫く後』を希望した。
 敵戦力が粗方表に出て中が手薄になった状況を狙っての選択だろう。俺が選択する立ち場であったら彼と同じタイミングを選ぶ。深い森が茂る山の中腹の窪地に盗賊達のアジトがあった。いかにも急ごしらえですといった脆そうな建物だが、ごく普通の家並みの強度はある二階建ての建物だ。各自のペアが戦闘を開始し、辺りは剣の打ち合わせる音と呪文の轟音が響く。盗賊も山火事で蒸し焼きにされるのは困るのか、広範囲で大々的な呪文はまだ未使用だ。
 だが、戦状が悪くなれば敵も構ってはいられないだろう。
 俺達がいかに早く敵の御大将をぶっ潰せるかが、勝敗の決め手になるに違いない。
 そろそろよさそうな頃合いになってきた。俺は隠れていた草影から半ば腰を浮かせ、鋼鉄の剣を引き抜いた。
「お前に一つ言っておく事がある」
 俺はアレスに振り返った。
「俺の生命に関して余計な心配はいらない」
 アレスの表情は動かない。
「傭兵とは金と命が同等の認識の連中だ。俺はお前の補佐をするにあたっては、当然、敵に攻撃するし、お前に向かってくる攻撃も防ぐ。連携に繋がるよう、お前の攻撃力が削がれぬよう、行動が阻害されないよう俺が行動する。それに対して『余計な世話だ』とか『邪魔だ』とか余計な言葉は必要ない。無駄口たたく暇があったら動いてほしい」
 アレスは素直に頷いた。素直すぎて俺としては意外に思えてしまう。
 しかし最近の傭兵ではこの事に納得できぬ甘ちゃんも多いので、納得させるのにひと苦労な時も多かったりする。
 確かに俺のように命の価値など金に劣るという認識の傭兵は少数派である。それは今回の仇討ちに乗った腕利き共を見れば当然だ。傭兵は基本的に団体行動が多く、個人的に親しみや信頼を持つ故に命の価値観が勝るというのは当然は当然である。人間ならば命が第一という観念は当然のことなのだ。
 だが、俺は違う。
「じゃあ、行くぞ」
 俺は草影から飛び出し、盗賊のアジトの入り口に駆け出した!拓いた視界には優勢な勢いで外にいる盗賊と戦う仲間の姿が見える。
 途中、邪魔をするかのように立ちはだかる敵を、走って勢いのある一撃でぶっ飛ばし、この方角の担当ペアに任せる。戦場は混乱を極めていたが、熟練同士の傭兵の連携を突き崩せるほどの手練た盗賊ではない。制圧するのも時間の問題だろう。このままならば。
 俺は木製の入り口の前にまで駆け寄ると、中を窺わずに扉を蹴り開け飛び込む!
 姿勢をできるだけ低くした姿勢で中に駆け込み、入り口で向い撃とうとしていた盗賊に突っ込む!構えていたナイフを剣で弾き、胴体を踏み付けるように蹴りつけて押し倒し、通路に引っ掛けないように鋼鉄の剣を振るう!盗賊の悲鳴を聞き付けて部屋から出てきた盗賊に、俺は今倒した盗賊の私物であるナイフを投げ付ける。ナイフが体に突き刺さった悲鳴が最後まで聞こえる前に、俺は強烈な横殴りを脳天に決め敵を木の壁に埋め込んだ!
 畜生。長い獲物じゃ、この狭い通路には不利だな。だが、体術が使える故にナイフを持つメリットは鋼鉄の剣以上にはない。
 俺は鋼鉄の剣を利き手から持ち替えて、後方を振り返る。
 アレスも剣を抜いた状態で俺の後に続いていた。彼も数人の敵を仕留めたのか、剣に血が付いている。俺の視線に気が付いて、彼は睫の長い瞳を瞬かせた。俺は剣を持った手で前を指差しながら言った。
「一階の敵は駆逐する。部屋の中を確認したければ今してくれ」
「目的の品は二階にある」
 アレスは手短に答えた。
 呪文が使えるのだから、何らかの手段で目的のものが分かる魔法でも使っているのだろう。それとも、目的の品そのものが魔力を持っていて、彼はそれを感じられるため場所が把握できるかだ。何にしても、煙となんとかは高いところが好きだ。御大将も二階にいるに違いはない。
 俺はその言葉に頷いて見せて、身を翻した。
 中は全く複雑なつくりではない。入り口からまっすぐ奥まで通路が続き、横に等間隔で部屋が設えられている。部屋の中には殆ど人影はなく、一階にいた人間は外の戦闘に駆り出されているのだろう。残った盗賊が部屋から横槍を入れるように仕掛けてくるが、俺とアレスの敵ではない。
 曲り角に伏兵がいるのを気配で感じる。
 突き当たりはT字路のようになっているらしく、その角に二人待ち構えているらしい。タイミングを見計らう瞬間など、俺は貴様らに与えねぇぜ!
 歩むような足取りを一瞬にして最高速度の駆け足に切り替え、俺は通路を突き抜けT字路に躍り出た!斬り掛かろうと殺気だつ二人の敵の姿が視界の両端に見える。俺は身を捻る要領で振りかぶった剣で一人を牽制しつつ、盗賊に斬り付ける!そのまま返し刀で派手に上がった血飛沫にたじろいだ盗賊も斬り裂いた。
 倒れた盗賊の体の奥に階段が見える。二階の動きは外の騒音であまり良く聞こえない…と耳を澄ましていた瞬間。
 地面を揺さぶるほどの振動と轟音が響く! 天井にぶら下がっていたランプが金属音を軋ませて揺れ、薄い板の気の壁がギシギシと揺れた。俺が身を硬直させて状況を把握しようとしている時、アレスがこの場にそぐわぬ程の冷静な声で告げた。
「この盗賊団にはイオの呪文を用いれる魔法使いがいるのだ」
「相当に出来る奴って事か」
 イオの呪文は爆発系統の呪文であるらしい。俺達も証言から毛色の違う盗賊は魔法使いであるというのは推測できていた。広範囲でかつ難易度の高い呪文であるらしく、傭兵でこの呪文を扱う者は多くない。呪文を使える者も、イオの発動までの集中や魔力錬成の過程では傭兵の業務向きではないという。
 熟練の魔法使いという者は、戦士にも負けない身体能力を持っている者も少なくはない。彼の協力を得られた事は本当に良かったと再確認した。
 俺はアレスに振り返った。
「あてにしてるぞ」
 階段を駈け登り、二階に躍り出る!
 大柄の斧使いが二人、細身のローブの男が一人、身軽そうな剣使いや短剣使いが三人。二階は一階とほぼ同等の広さを持っていたので、俺が今いる位置と敵との距離はかなりある。
 間合いを詰める最中に、アレスも剣を抜き放ち駆け出しているのが見える。彼も参戦するなら、俺は斧使いを相手にする方が効率的だ。
 敵の間合いに入ると、俺は下段に構えた剣で相手の太腿を切り裂く。相手の厚い筋肉と剣の刃が鈍っているからかあまり深くは切り裂けなかったが、それでも敵の動きを鈍らせるには十分だろう。攻撃速度が早く紙一重で避けるのがようやっとだが、体がでかい分足場が沢山転がっているようなもんだ。俺は敵を蹴り付け次いでに足場の変わりにすると、上をとった斧使いの背中に階下で拾ったナイフを投げその柄を蹴りつけて深々と体に差し込んだ!
 斧使いの悲鳴と倒れる音が響く。斧が床に突き刺さった。
 まだ上空にいるのを幸いに、俺は収集したナイフをアレスの相手に投げ付ける! 突然横から投げ付けてきたナイフに隙が出来た盗賊共に、アレスが鮮やかに深紅の血潮を咲かせてやる。
 迫る斧の軌道を、天井に剣を引っ掛けて避ける。地面に接地して横を抜け、魔法使いに接近する!
 俺の一撃を避けることに徹した魔法使いの唇が僅かに動いているのを見た。
 呪文を使う。としたらイオ系を使ってくる可能性が高い。俺とアレスの位置は遠く、盗賊と乱闘しているのではメラなどの直線上に効果のある呪文は使いにくい。仲間が次々と倒されている様を見るならば、仲間を犠牲にしてでもイオ系の呪文で一掃するのが効率的だ。ここからなら外の攻防もその呪文で一掃することができる。奴一人さえいれば、戦状を変えられるのだ。
 大柄な斧使いが下がるのが見える。呪文は爆発系統のイオ系で間違いない。
 一階に撤退する時間も無駄も出来ないだろう。
 俺は敵の取り落とした斧を掴み、床を切り裂く! 梁らしき堅い質感は思った以上に難なく切り裂く事ができ、俺は切り裂いた床に斧を突き刺して梃子の原理で跳ね上げた! 両腕を広げた縦横幅を持った板の床が敵に斜面を向ける形で反り上がる! 一階の天井がその下に見える。落ちる事はないだろう。
 魔力の高まりが頬を焦げ付かせる。時間がない。
 俺はアレスの腕を掴み、跳ね上げた床の下に引きずり込んだ!
 聴覚がおかしくなるような爆音が響く! 熱風がマントと服を焦し、連れ去ろうと強引に引っ張って行こうとする。傷口を流れる血液が砂のように焦げ付いて肌にこびり付き、圧力を持つ風が容赦なく体を殴りつける。熱と痛みに俺は思わず呻いた。即席の防壁を用いてもこれだけの痛みを伴うのか…。
 これだから呪文は嫌いなんだ。
 俺は抱えるように内側にいるアレスに意識を向ける。内側はそれほどの熱波も爆風も及んでいない。
 爆風が収まったのを見計らったようにアレスが飛び出す。じっとしていた間に高めていた魔力を、両手を広げるように解放する!
「ベギラマ!!」
 彼もこの状況を逆に利用したらしい。呪文を避けるために魔法使いの後ろにいた盗賊達は、アレスの呪文を真っ向から食らう形になる。火炎が二階の半分を包み込んだ!俺はその呪文に追随して敵を攻撃する。火炎の為に感覚を遮断された彼等が、俺の攻撃を避ける事は難しい。俺は確実に相手を戦闘不能に追い込んだ。
 火炎を切り裂きアレスが魔法使いに切り込み、体当たりをするようにぶつかる。
 魔法使いの襟元から輝く光に包まれて、黒い小箱がこぼれ落ちた。それが落ちる前にアレスは慎重な手付きで箱を捕まえた。そのまま、箱を持っていない手で追撃の呪文を放とうとする。
 天井が軋んだ音をたてる。
 爆撃と火炎で脆くなった梁が崩れ、天井が崩壊した!

 体の上に重なる柱やら梁や板を退かす。満天の星空を濁すかのように埃が立ち上った。
 二階は完全に屋上だ。バラバラになった天井が二階を完全に埋め尽くしている。
 俺がアレスを庇う為に魔法使いとの間に割り込んだ時、魔法使いは青い光に包まれていた。推測が正しければルーラの光だろう。
 逃げられたな…。
 残念だが、盗賊団崩壊という朗報を告げられるには違いない。とりあえず、目的は達成したという所だろう。
「…っ」
 不自然に途中から曲がっている右腕が見える。袖からはじわりと赤い血が服の色を変えていて、相当の出血が窺える。おそらく折れた際に皮膚を突き破ってしまったのだろう。天井の資材が体に次々と落下してくる衝撃は、相当のものだったからな。
 右腕が折れたか…。
 俺はアレスが後ろで無表情で起き上がるのを見ると、戦状を確認する為に立ち上がった。外で行われていた戦闘も終了し、仲間が勝利したのか盗賊共を縛り上げている様子が見える。何人かが俺に気が付いて安否を問う声掛けをしてくる。俺は手を振って応えるだけだ。
 指先から血が滴る。
 なんとも大変な仕事だったと、俺は息を吐いた。

 □ ■ □ ■

 建物は一般的なのだが庭もある家だ。一般市民がラダトーム城下でこれだけの敷地を確保するのはなかなか大変な事だろう。情報屋の話ではこの家はアレスの持ち物ではなく、彼の知人の所有物であるそうだが詳しい事を突っ込む気にはならなかった。
 入り口に魔法陣が施してある痕跡が認められた。迂闊に踏み込んで黒こげにされるのも嫌なので、とりあえず魔法陣を踏む。
 一般人が住む区域なので、回覧板でも回そうとした人物も黒こげになったらシャレにならんな。もう一回魔法陣を踏む。
 というか、どうして攻撃系に固執しているんだ? 別に障壁みたいな妨害系の可能性もあるのだ。さらにもう一回踏む。
 手紙とかはどうしてるんだ? あぁ、あそこのポストに投函しろということか。なんか心配になってきたのでもう一回。
 じゃあ、俺みたいに荷物を持ってきている人間はどうするんだ? うーん、飛び込む勇気が…もう一回。
 そこで目の前の門が開いた。家の中でも鎧を着込んでいるのかこいつは…と思いながら俺も人の事は言えない。仕事を共にした時と何も変わらない格好のアレスがそこにいた。アレスは俺よりも、俺の真横に置かれた俺でさえ抱えるのに多少苦労するほどの大きさの木箱に目をやって訊ねた。
「なんだそれは?」
「あぁ、現物支給だ」
 足先で木箱を小突いた。
「お前みたいな高給取りは、俺等の給料なんて大した額にも感じねぇだろ? それに現物支給の方が色々と色付けてやれるから、そうしたんだ。どうせ、お前はお前で貴族から報酬貰っているのだろうし、文句を言える立場じゃねぇからな」
 そこまで説明してある事に気が付く。
 アレスが睨み付けるように一点を見つめているのだ。その視線は俺の顔ではなく、俺の骨折した右腕に注がれているようだった。
「腕の様子か?」
 俺は右腕の袖を捲ってみせた。
「仲間にも診てもらったが一週間安静にすれば、通常戦闘も問題ないそうだ」
 アレスの掛けてくれた回復呪文のおかげで、骨折はほぼ治った。仲間にも回復呪文の使い手はいたが、やはり怪我した直後に呪文を施してもらえたのは大きいと言っていた。
 腫れは引いて元通りの腕そのものだが、念のために包帯を巻き固定具を付けている。回復呪文を施したとしても元通りくっ付いてくれると言う訳ではない。状態を確認した回復呪文が使える傭兵の話では、一回折れた事による損傷というものは回復呪文で完全に回復はしないとの事らしい。要するに骨はくっ付いたが折れやすい状態であるという事だ。それは一般的な治療の概念と同じじゃねぇか?と突っ込みたくもなる。
 まぁ、一週間程度過激な運動で患部を動かすなとの診断である。黙って従うしかない。
 俺が視線を上げてアレスを見ると、アレスは不機嫌そうに腕から視線を外していた。視線の先には、俺が持ってきた木箱がある。
 蓋が閉じられ何が入っているか見えないが、木箱の中身は日持ちする食料が入っている。瓶詰めや缶詰め、乾物や薫製された食物、小麦粉も入っている。あの体つきでは食事は質素極まりないだろう。せめて彼の食卓が彩れればという、俺のささやかな気持ちだ。
 あの爆風から守った体は、やはり相当細い。美青年として貴族の衣装を纏うならあれで良いが、探索商人であろうと傭兵であろうと職務に携わるなら心配になりそうな細さではある。女の傭兵もいるにはいるし、彼よりも細いのもいるが、彼女らは攻撃を受けない戦闘が基本である故に敏捷だ。それに、戦闘を専門にしていない奴も多い。
 鎧を着ていても中身は普通の人間だ。細ければ衝撃は内臓に直に響く。俺としてはそれが心配だったりする。
 だが、それは口には出さない。
 あんな身軽な体に鎧を着込んでいる彼のスタイルに、俺が言うべき事など何もない。
「じゃ、縁があったらな」
 俺は片手を挙げて彼から背を向けた。
 木箱は俺ですら膝の笑う重量だ。それくらいの悪戯はしていいだろ? アレスさん。
 振り返りたい衝動を抑えつつ、俺は月夜を満足げに見上げた。